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2015年5月 2日 (土)

カンボジア=バッタンボン 

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 カンボジア西部、タイとの国境に近い省の中心地バッタンボン。
 タイ国境に隣接した宝石の一大生産地パイリンを最後まで手放さなかったポルポト派の拠点でもあり、カンボジア第二の都市。
 何度か泊まった《 鑽石山大旅店 》。最長一週間滞在したこともあった。
 〈 鑽石山 〉は英語でダイアモンド・ヒル、香港・九龍に同じ名の地域があるらしい。 そのホテルのオーナーがそこの出身かどうかは定かでない。ダイアモンドだけなら鑽石( さんせき )だけですむのだけど、山をつけて特定しているので、やっぱし香港・九龍にある地名ってことなのだろうからそこの出身者なのか。今現在まだあのメイン通りのNo.3 ストリート( 三馬路 : 馬路=大通り )のど真ん中にあるのだろうか。


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 小綺麗で比較的大きな個室にトイレ・シャワーが附き、テレビ・冷蔵庫まで備わっていて5ドル( =150バーツ )。( 一応エアコンもあったけど使用不可。 )
 安宿・ゲストハウスで冷蔵庫付って訳で、早速ランプータンを半キロ( 1500Riel )、マンゴースチン1キロ( 65バーツ )、ドリアン3房( 50バーツ )更にタイガー・ビールや7アップなんかを近くの店で買ってきた。
 “ ユーロテック ”のラベルのミネラル・ウォーターを掃除のオバサンが毎日一本、宿のサービスとして入れておいてくれた。これは助かった。が、実のところ、この宿、否おそらくこのバッタンボン自体の水質が悪い故の補完サービスの類。水道の蛇口から出る水は一様に少し濁っていて、トイレの水に到っては常に灰色に淀んでさえいた。だから洗顔はできても、口をすすぐなんてのはヤバそうで、この“ ユーロテック ”を使うほかなく、足りない分は自分で買ってくるしかなかった。


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 バッタンボンは典型的な地方の“ 文化的 ”な香りを漂わせた小綺麗な小都市って趣きの街で、明らかに大きく雑然としたプノンペンとは異なっていた。
 それでも他のカンボジアの町がそうであるように、やっと復興の途につきはじめたバイタリティーに溢れててその象徴ででもあるかのように子ども達で満ちていて、水位の低くなった街の中央を流れているサンケイ( サンカー )川の畔にも裸の子ども達が水遊びに興じ、夕方になると川土手の上にずらり屋台のテーブルが並び、夜總会=ナイトクラブも少なくなく、長年のベトナム戦争・ポルポト支配時代から解放されようやく自分たちの生活を些かなりとも享受できるようになった楽天的な明るい息吹ってものが見て取れた。
 尤もこれは場所的な問題なのか、土曜の夜でも9時頃には、宿のあるメインストリートの三馬路周辺は街頭だけが煌々と灯り、人影は殆どなく、バイクや乗用車が時折足早に走り抜けて往くばかり。

 そういえば一度だけ、夜遅く、外で銃声じゃなかったけど、かなり激しい大きな音がし、何ごとかとベランダに出て様子を窺ってみると、向かいの建物の上階の住民達もベランダに出てきていて、眼下の歩道の薄闇に人影が点々と蠢き、皆マーケットの方に向かっていたので、そっちで何かあったのだろう。さすがに服を着直してまで見に行く野次馬根性は起きなかったのでベッドに戻った。


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   ( メインストリート三馬路 )

 当時( 15年以前 )は、ひょっとして現在でもそうかも知れないが、隣国タイがゲーム・センターとは別個にプレイステーション・ゲームや後ネット・ゲーム屋が路地裏にすら蔓延( はびこ )ってたのと違い、カンボジアではゲーセンのアーケード・ゲームを並べたゲーム屋(後、プレイステーション・ゲームも見られるようになった )全盛の時代で、バッタンボンでもけっこう見つけた。
 映画館の跡らしきものは何軒かあったものの、営業しているのは見つけられなかった。貸ビデオ屋が幾軒も並び、カンボジアの定番=ビデオ・カフェの類には昼間っからでも大人も子供も寄り集まって活況を呈していた。カラオケ屋も多く、同様に昼でも男女学生が屯していた。

 
 部屋に備わったテレビは、東南アジアの定番〈 スターTV 〉が映り、中国やタイの放送、インドの“ Plus ”、フランスの放送、CNN等が観れた。プノンペンじゃ、エジプトやパキスタンのテレビ番組すら観れて重宝した。
 3チャンネルは香港の番組で《 精武門 》の連続ドラマが流れていて、ジェット・リー・倉田が演った映画と較べて当然だけど描写が細かい。1986年制作らしい《 西遊記 》も流れ、丁度三蔵から孫悟空が頭に金冠をいただくあたりをやっていた。
 

 バッタンボンには、プノンペンを走っている後ろに運転部があるベトナムと同様のシクロとは異なる、インドや日本の同様の前で運転するタイプのサイクル・リキシャの変形版が走っていた。乗り降りする場合に足をかけるステップがなく、余り乗り心地の良さそうな代物ではないようだった。ちょっと先のシソポンの町も前側運転タイプで、タイ側の国境の町・アランヤプラテートや北部のチェンコンでも同型だった。タイの影響なのだろうか。首都プノンペンはベトナムの影響 ?

 ある日、三馬路を歩いていると、Phnom Pich ( 鑽石山大旅店 ) に頻( よ )く出入りしている小柄で丸顔した人の良さそうな三十歳台のバイク・タクシーの運転手が声をかけてきた。チャンス到来とばかり尋ねてみると、バイ・タクはやっぱし金にはならないようで、一日数十バーツぐらいの稼ぎだと答えた。確かに、この街もそうだけど、もうそれしかないみたいにカンボジア中にバイ・タクが溢れかえっていて、更に互いに共喰いしてるんじゃ話しになるまい。しかし、だからといって、はて他に何があるのかってのが当時の状況だったけど、あれからもうフン・セン独裁政権の下15年以上過って状況はどう改善されたのだろうか。


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 ( サンケイ( サンカー )川の土手 )


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