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2015年6月 6日 (土)

  企救郡一揆的消息 新道寺

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 明治二年の門司・小倉で勃発した《 企救郡一揆 》の震源地たる新道寺、その新道寺の一揆農民が最初に集結した場所が“ 天疫神社 ” という。ところが、地図で調べてみたら、何と新道寺近辺には三つも天疫神社があった。で、新道寺自体の散策とを兼ねてその三つの天疫神社を訪ねてみることにした。

 そもそも天疫(てんやく)神社って何なのか・・・というのは、秋山清や中浜鉄の生まれ故郷の門司の漁村にもそれぞれにちゃんと建っていて、その数少々じゃなく、それでいてこの企救半島一円以外の地では見られない名称の神社ってことで、思わず首を傾げてしまった。 安直にブログで確かめてみると、果たして元々は“ 疫神社 ”だったのを後になって何らかの事由で“天”が頭につけられたようだ。疫病の流行を厭(いと)って悪疫退散を願っての建立ってことらしい。村単位の建立故にか、確かにいずれも鳥居と祠だけの小さなものが多い。


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 一揆の終着端=門司から震源地=新道寺への遡行。
 JR門司港から城野駅で本数の殆どない日田・英彦山線に乗換え色褪せたワンマンの二両編成に乗る。典型的なローカル線。窓も燻(くす)みきっている。城野を出たあたりから段々と両側に緑の山稜が迫りはじめる。その間の谷間、平野の真ん中を色褪せた二両編成が走ってゆく。決して狭くないそれなりの広さの田畑が拡がった平野だけど、幕末当時はどうだったのだろう。


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 門司港駅から10個目の今春に無人化になったばかりの石原町駅で下車。
 駅舎自体は結構旧いものらしいけれど、余りにも小さいためもう一つピンとこない。
 駅の外に出ると、ゆったりとした静かな佇まいの小さな町で、農協の大きな建物ばかりが目立ってしまう。
 ちょっと行くと酒や醤油の造醸所の建物がなけなしのランドマークのように佇んでいて、ご多分に漏れず大きな構えの薬局が朽ちたまま無惨な姿を晒していたりする。かつての"斜陽化"の痕跡。以前はそれなりにあったはずの商店の姿が殆ど皆無。すぐ背後に低い山稜が迫り、赤瓦屋根の多い旧い佇まいを残した民家と農家が混在し連なった町並は、それでも郷愁めいたものを感じさせ、気の利いた茶店の類すらないけれど、ゆったり散策してみたい向きには好適な場所だ。 


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 山沿いの道幅の狭い旧道(国道322号)沿いに歩いてゆくと、寺院が二つ並んでいる。その内の一つ大応寺の横にある小さな平屋建ての公民館の真裏に最初の天疫神社があった。但し、公民館の背後1メートルあるかないかの距離に石段と石鳥居・祠だけ。公民館は建てたいが、さりとて天疫神社を廃棄する訳にもいかずの狗肉の策なのか。
 もう一つは、線路を挟んだ真向かいの丘陵の中腹にあった。
 急な石段の上、コンクリート風の妙な建物で、そのも一つ上に亀虎山新道寺という寺院があり、脇に広い霊園がある。
 最後のは、そこを下り、500メートルほど南下した田圃のど真ん中。
 横に井手浦川が流れる木造の亭か集会場のような建物があり、その背後に祠が祀ってあった。屋根はしっかりしていたものの造り自体は簡素。雰囲気はここが一番好いし、両側の丘陵の真ん中辺りに位置していて、原口九右衛門たち一揆衆が結集するにふさわしい。


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 その三番目の天疫神社から更に500メートルほど南下し国道322号を駅側に越えてちょっと行ったところに東谷興農会館があり、その庭先の植込みの間に高々と原口九右衛門の顕彰碑が聳えていた。もともとその手のものには官製であれば尚更興味の欠片ももたない当方も、さすがについ覗いてしまった。敷地の隅の雑木の間にひっそりと佇んでいた。九右衛門の人柄を想わせる。百数十年過ぎていても、この新道寺・東谷の人々は、一揆衆の犠牲となることを厭いもせず悠揚と死に赴いた彼を誇りに思っているのだろう。
てっきりその碑が墓でもあるのだろうと勘違いしていたら、九右衛門の子孫が東大野八幡神社近くに在しその屋敷の中で彼の墓を守り続けているとのこと。


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 別段、一揆当時の何が残っている訳でもなく、只新道寺村の雰囲気を確かめたかっただけのことだが、やはり百数十年の時間の経過は如何ともし難く、数十年前までは店舗もそれなりに展開し商っていたろう昭和の残滓すら殆ど払拭してしまった自民党半世紀支配。もはや新たな一揆を企図するには余りにも老い過ぎ解体されてしまった平成末の新道寺ってところだろうか。


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 ( 田圃のど真ん中に佇む三番目の天疫神社の脇を流れる井手浦川。背後に平尾台の山稜が連なり、そこから流れ出た水が井手浦川となってこの新道寺・東谷の平野まで注いでいる。同じく源流の平尾台あたりは時折水晶が見つかる立花川と合流し、井手浦川→東谷川→紫川となって小倉の街を流れ関門海峡に注ぎ出る。背後の石灰石採取のためすっかり切り崩された断面も露わな平尾台の峰峯。 )


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 ( 天疫神社の祠。そこそこの広さをもった境内に、かつて原口達一揆衆が手に手に竹槍や棍棒を持って集結しあげた決起の鬨の声が響き渡るのをじっとその祠は見守っていたのだろうか。その数年前には、長州勢に追いやられ、もっと先の香春に逃げ落ちてゆく途次一休みする小倉藩の偉いさんやら甲冑姿の侍たち、その後を追う城下町の町民たち、あるいは同じく這々の態で辿り着いた幕府軍諸藩の兵士たちの哀れな姿を、更にはひょっとして深追いしてきた長州軍の殺気に充ちた姿を眺めやっていたろうか。)



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