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2015年7月18日 (土)

タイのネームカード ( 旅先のグッズ )

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 ( TTゲストハウスの名刺 )


 バンコクでの定宿は《 TT 2 ゲストハウス 》だった。
 鉄道の起点・ホァランポーン中央駅に歩いて10分くらいの場所にあり、チャイナタウンにも近く、チャオプラヤ川も近いってことでその利便性の良さに自然ここになった。後になって、バックパッカー誌《 旅行人 》のバックナンバーが揃っているなんてのも若い旅行者には付加価値的魅力となったようだ。
 門限がここの一番の欠点だけど、それもカオサンのごとく一晩中ドタバタと騒さくなくて良いと喜ぶ旅行者も居るので相対的。


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 ( 名刺の裏側。周辺の地図。シープラヤ通りを真っ直ぐ下るとロイヤル・オーチッド・シェラトンとそのすぐ背後のチャオプラヤー川に出る。)


 最初ここからちょっと行った先の高速道路建設で立ち退きなった《 TT ゲストハウス 》本店に泊まっていた。とりわけリビング・ルームがTT 2 より広く、白人・日本人半々ぐらいで寛げた。ほどよい広さだった。TT 2は、いわばこの本店に溢れた旅行者が行くところだった。それだけ、本店が人気あったってことだろう。TT 2 だけになってからは、リビング・ルームが狭く、更に経営者家族の若い世代が取り仕切るようになってからだろうか、次第に人気に蔭りが見え始め、凋落の一途。一時、現地人宿になったとかいう噂もたったけど、現在でも営業はしているようだ。
 本店はかなり入り組んだ場所にあって分かり辛かった。TT 2 は、比較的分かり易く、雑貨屋の類が近くにいっぱい並んでいて便利。食物屋も店舗から屋台までそれなりに並んでいたけど、なかなかこれといった飯屋はないようだった。


 それでも、“ 偶には ”と些かいつもより奮発して歩いて5分もかからない濛々と排気ガスに煙(けぶ)るシープラヤ通りに面した元祖バンコク日本料理屋《 花屋 》本店に向かうこともできた。正装したタイ人客の間で、しょぼい形(なり)の貧乏旅行者・バックパッカーたちは、しかし微塵の気後れもみせず、当然の佇まいで、久方ぶりの正宗・日本食に、日本の週刊誌や新聞に没頭しながら舌鼓を打ち続けるのだった。尤も、これも次第にタニヤ近辺はじめあっちこっちに日本食屋や《 8番ラーメン 》なんかのラーメン屋が軒を並べ始めるにつれて、ありがた味も薄れてゆくこととなった。
しまいには、タイ人のタイ人による、タイ人のための日本食屋すら出没しだす始末。こうなってくると逆エキゾチシズムって訳で、あたかもジャパニーズ・フーズ・バーといわんばかりのカラフルでサイバーな意匠の店舗の前で、われわれ日本人旅行者は物珍し気に覗き込む外人観光客でしかなくない。その典型の《 Oishi 》、今じゃ、タイ全土に200軒もの店舗を展開する一大グループにまで成長したという。


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 ( シープラヤ通りの老舗日本料理屋"花屋"のネームカード )


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 ( 裏側。かつてはこの辺りはしゃれた佇まいの一角だったのが、交通量の爆発的増加で、通りの横断も危なっかしく、渋滞、騒音、埃、排気ガスで環境が加速度的に悪化したためにか灰色にくすんだ車ばかりが怒涛の様に疾駆する寂れた一角となってしまった。)

 
 一度だけ試みたマレーシア行の途次、中継点として滞在した、現在じゃ生首がそこら辺に転がっていかねない少々じゃないくらいに物騒なエリアになってしまった南タイの最大の都市ハジャイ。
 何しろ不案内そのもので夕刻到着し、適当に入り込んだのがこの《 パール・ヴィラ・ホテル 》。180バーツも取られてしまった。後で周囲をほっつき歩いてみたらもっと安い宿が何軒もあった。現在はどうなったか想像もつかないが、当時は漢字の看板がやたら目につく繁華ではあったけど雑然とした雰囲気の町だった。イスラムの町なのでマクドナルドはなく、KFCがあった。ケンタッキーはマック以上に脂っぽくて好きじゃなかったけど、何年かぶりに入ってみたら、やっぱし脂っぽ過ぎて辟易。


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