企救郡一揆的消息 長野・津田
明治維新の翌年、明治二年十月十八日に新道寺に端を発した企救郡(門司・小倉)一揆の際、それより二日前の十六日に、既に、企救郡南東部の津田・長野(現・小倉南)の村々では一揆蜂起の謀議が企図され、長野の護念寺で密議がなされていたという。
それが新道寺よりも先に既に単独で蜂起していたのか、新道寺や他地域の百姓衆も津田・長野の決起謀議のことを既に知っていてそれに何らかの形で触発されての一揆蜂起だったのか、更に新道寺から北上してきた一揆勢と如何に合流・連合していったのかなんて肝心のところはつまびらかではない。
只、いずれにしても、当時、香春(かわら)に敗走・移籍した小倉藩の後に居座り治めた長州藩治下の企救半島にあっては、慶応二年の長州・小倉戦争以来、両藩に散々無理難題を押しつけられてきた百姓衆の怒りがいつ何時爆発しても不思議ではない状況であったということだろう。そんな津田・長野ってどんなところか確かめに行ってみた。
JRで日豊本線・下曽根駅で下車。
新道寺とは同じ小倉南エリアで、津田・長野から平尾台の山々を間にはさんで南西方向に直線距離で7キロの距離。
九州と四国の間の響灘・周防灘に面した東側には工業団地があるらしく、駅前にザ・モールなんかのショッピング・ビルが並んだ西側(南口)はいかにも郊外型店舗展開って感じの新興小都市の風情。ちょっとその通りの奥に入ると、さっそく農家風の家並みが民家の連なりの中に垣間見え、以前の姿が推測できてしまう。
駅前の両側に真新しい店舗が建ち並ぶだだっ広い道路を下ってゆくと国道10号線に出、それを越えたあたりから津田の雑然とした町並が拡がっている。ポツンポツンと畑の残った住宅地だけど、国道10号線と直角に交わる駅方面から伸びてきた幹線道路を越えると長野エリアとなる。背後の丘陵まで田畑が拡がっているのが一望でき、長野は現在でも完全な農業エリア。長野と隣接した津田エリアの一角に塀に囲まれた旧い構えの津田姓の広い屋敷が静かに佇んでいた。旧大庄屋の津田家の流れなんだろうか。旧家風の建物は現在では貴重な文化遺産だけど、維持費用と手間が大変に違いない。
雰囲気は、のんびり田園地帯然とした新道寺・石原町駅辺りとは、小倉の市街地に近い分だけ雑然感が強い。トロピカル・アイランドとなって久しい日本列島の烈日をもろ浴びながら、廻りに建物など殆どない2・3車線道路をトボトボと一揆衆が決起したという護念寺目指して歩き続けた。
ようやく丘陵の麓の木蔭の間にそれらしき建物が覗けてきた。
田圃の向こう、低い弧を描いた緑の山肌の麓にへばりつくように黒瓦の家陰が連なっていた。以前なら、茅葺きの家並みであったろう。
護念寺周辺の緑濃い丘陵があっちこっち迫っているエリアに入ると、ふと緑に萌えた竹林や木々の間の狭い隘路を辿って、筵旗や提灯を掲げ、手に手に竹槍や棍棒、鎌などを持った一揆衆の姿がふと垣間見えてしまいそうだった。
この護念寺は、平康盛が、12世紀に豊前国司としてこの地に下向し、長野城を築いた折り( それ以前から地元に居た中原系長野氏による築城ともいわれているらしい )に禅宗の寺として開基し、後15世紀になって、長野城城主・長野氏が浄土宗西山派に改宗。以降長野氏の菩提寺となた由。城自体は道路を挟んだ向かい側の山稜にあったというが、この護念寺の裏山から縄文時代の遺跡が発見されたりしている。
本堂の片側に長野氏の家紋が刻印された巨きな鬼瓦が二つ並べてあって、江戸時代本堂が藁葺きだった頃のものだという。
訪れた時、人影はゼロ。
境内の端っこの焚火の跡から白煙ばかりがもうもうと立ち籠めていた。
歩き疲れたのもあるけど、墓の数けっこう多く、一揆に因んだ墓標を見つけるのは諦めた。 低い山稜の中腹の木蔭に覗ける寺院は風情があって悪くない。整備された道路の向こうに俯瞰できる静かに佇んだ竹林・雑木の茂ったなだらかな稜線の幾重にも連なった山々ともども。
この寺に集った長野・津田の一揆衆も積年の恨み辛みを粉砕せんと雄叫びをあげながら、その山々の間を縫った間道を通って、新道寺からの幾千もの一揆衆に合流していったのだろう。現在、そんな縁(よすが)一片だに窺えないものの、その竹林の鮮やかな緑の爽やかさが、時代を超えて彼らの息吹を伝えてくれそうだった。( ちゃんと調べてみたらそれなりに痕跡・消息が多々残っているのかも知れない )
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