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2015年8月 9日 (日)

浮巣夭逝譚 《 ゆめこ縮緬 》 皆川博子

Photo

 ( 荷風の隅田川から描いた中州病院のスケッチ)

 ある日、たまたま訪れた図書館の表の棚の中に、放出品の書籍が並んでいた。
 無料で貰えるのだけど、十数冊並んだいずれも味も素っ気も窺えぬ代物ばかり。唯一、小説らしい一冊を手にとってみたのが、この皆川博子《 ゆめこ縮緬 》だった。
 一昔前流行った少女人形を使った表紙の装幀が妖しげな幻想性を湛えていてつい開いてみたら、見知らぬ作家の短編小説集で、片胸をはだけた少女像と相俟って耽美的な表題がつらなり、巻末の表題作《 ゆめこ縮緬 》のページをくってみると、果たして如何にもといわんばかりの唐突な書き出しから始まっていた。
 
 戦前の旧朝鮮生まれらしい。
 作家デビューはかなり遅かったようだけど、80年代はテレビドラマの脚本にすら手を伸ばしていたり、かなり精力的に活躍してきた女性らしい。
 皆川のこの短編集、一種独特に、総じてのっけから唐突な、禍々しいイメージ喚起から始まる作品が多い。


 “ 指は、あげましたよ ”
            《 文月の使者 》

“ 狂(たぶ)れた、と思う。”

              《 影つづれ 》

“ ひきちぎった袖をくわえて、宙にとびましたって。千ィちゃま、じっとしておいでなさいましよ。動くと、お耳を切ってしまいます ”
                 《 玉虫抄 》

“ 血の雫だよ ”

         《 蝴蝶塚 》


 読んでゆくと、むしろおどろおどろしさは希薄で、耽美的な境界世界浪漫って趣き。
 巻末の表題作《 ゆめこ縮緬 》のイントロは次のように始まる。


 「泣かずに寝よとは、母が子を寝かしつける言葉であろう。
 〈 お母さま、泣かずにねんねいたしましょう 〉」


 大正・昭和の童謡詩人・清水かつらの 《 あした 》のフレーズで、清水以外にも彼女が気に入っているらしい西條八十の詩集 《 砂金 》中の何片かの詩篇を因縁めかして登場させている。


 お母さま
  泣かずに ねんねいたしましょ
  あしたの朝は 浜に出て
  帰るお船を 待ちましょう


 子供が、恐らくまだ年端のゆかぬ女の子が、自分の母親に向かって、幼児的むずかりか、少女的な何らかの経緯でか、自分はもう泣かくことをせず明日帰還する船のためにもはやく眠りにつきますからと母親を安心させる言葉だと単純に解釈したら、その後で、別様のニュアンスが披瀝される。


 「船で帰る〈 父さま 〉は、わたしたちの父と同じ外国航路の船の船長なのだと、わたしは感じ、違和感は歌詞があたえるのだと、気がついた。
 明日お父さまが帰国するのに、なぜ、お母さまは泣くのか。そして子供のほうがわけ知り顔になぐさめるのか。たぶん、お父さまは、死んだのだ。船は明日港に着くけれど、お父さまの笑顔はない。お母さまはそれを知っている。子供も、ひょっとしたら、薄々感づいている。そんな物語が陰にある童謡なのだろうと思った。」


大人ぶった訳知りな解釈と詮索をするませた少女って設定なのだろう。
この童謡の作詞家・清水かつらは、二歳の折りに彼の弟が病で死んでしまってその事で心を病んでしまった母親が精神病院なのか母親の実家へ戻されたのか四歳の時に離別したという。子供を死なせたと罪の意識に苛まれ泣くこともあったのだろう母親の記憶が幼い清水の心の内に暗く刻印された心象から生まれた作品なのか。
 そしてその童謡 《 あした 》と清水自身の生い立ちを、皆川博子は、換骨奪胎・変容脚色したかの如く、ゆらぐ境界世界そのものとして大川の中州を舞台に、この戦前の死に満ちた家父長的封建制下の物語を展開してゆく。大川の中州とは、東京・日本橋浜町の隅田川(大川)沿いの外れにある中州(町)のことで、江戸・明治と一度づつ一大歓楽街として人口に膾炙し廃れていった“浮巣”のような特性を、巻末のこの《 ゆめこ縮緬 》と巻頭の《 文月の使者 》で周到に活かしている。


この中州、大正・昭和の頃のいわゆる文人たちも足繁く通ったらしい“通好み”の穴場でもあったようで、永井荷風なんかもここにあった中州病院なんかに健康管理を名目に通った口らしい。勿論そこからあっちこっちに蜘蛛の巣のように張り巡らせた所謂悪所を含んだお決まりの場所に向かうために。
 その荷風の作品中に、“蛇屋そだちの未亡人”って登場人物がいるという。
 この《 ゆめこ縮緬 》にも境界的な場所としての大川・中州の主人公の欧州航路の貨物船の船長たる父親の実家として《 蛇屋 》が設定されている。漢方薬を扱いながら蛇屋も兼業する老舗。
 確かに、漢方薬局の店頭にはもう定番のようにガラス容器に漬けられた蛇が飾られてるけど、蛇は元々滋養強壮剤として有名で、現在でも、中州からちょっと北上した浅草近辺じゃ、漢方薬局の傍ら、蛇料理のレストランも併設している店が何軒かあるらしい。
 江戸初期の頃は、冬になると江戸市中からその姿が消えたというぐらいに風物詩と化していた滋養強壮としての犬料理(朝鮮半島ではむしろ夏の風物詩という)と共に時代とともにすっかり廃れてしまい一部の好事家たち相手の営業ってことのようだ。
 さすがに、物語じゃそんな即物的な脂ぎった要素は排除され、主人公の曖昧朦朧とした遠い記憶の、怪しげな陰影に彩られた異界・境界的象徴としてゆらぐばかり。
 

 主人公の少女チャーちゃんは、先天性のヘルニアで常に介護してないと危険な弟に母親がつきっきりになってしまうので、仕方なく父方の実家に里子に出されていた。それが蛇屋を併設した大川・中州の漢方薬局だった。やがて彼女が尋常小学校にあがる年齢になってようやく自宅に戻ることができたが、そこでは産まれたばかりの妹がいた。妹も“ 骨がないみたいにぐにゃぐにゃして ”いて、ほどなくして死んでしまう。
 集まってきた親族や使用人たちの話しからすると、“ 父が悪い病気を母にうつした”ためらしい。外国航路のあっちこっちの寄港地に存在する娼館で貰ったに違いない、と産婦人科医院の母方の長男たちが憤って父親を殴り倒したりもして。
 

 中州の蛇屋からすっかり疎遠になったチャーちゃん、もっぱら母方の親族たちとのつきあいが始まる。産婦人科医の長男の娘の、チャーちゃんより三つ年上の女学校三年の佳子がある時縊死した。佳子の一番上の兄の嫁が精神に異常をきたし、家族総意の上で薬殺したという。それを知ってか、チャーちゃんに言わせると、


 「 佳子が自殺したのは、父親の冷酷さにうちのめされたというより、その冷酷な血が自分にも流れているとみとめる疎ましさからだったのではないか」

  
 「佳子の父の冷酷な血、朝子(次男の娘)の父の冷酷な血は、わたしの母にも流れているし、母からわたしにもつたわっている。
   死ぬと、楽ね。わたしはつぶやき、朝子は死ぬのなんて、ぜったい嫌だ、と言った。」


 それはチャーちゃん自身の縊死をも暗示する言葉なのだろう。
 そして、最終章。


 「 中洲へ行く道を、わたしはおぼえていなかった。
 地図でしらべたが、大川に中洲は存在してないと知った。幼いときの記憶は全部嘘だったのだろうか。」

 女学校最後の冬休みに入る直前、学校の図書館で調べると、地名事典に、大川の中洲は埋め立てられたと記されていた、と続け、更に、市電を乗り継いで、かつての橋のかかっていた場所に赴いてみると、橋は今もあった。
 男橋と女橋。
 女橋を渡って件の蛇屋横丁へ至るって展開で、最後は、かつて蛇屋・漢方薬局にいた頃にタイム・スリップ=ワープしてしまう。
 けれど、《 女学校 》とあるので、普通は戦前の事柄。が、実際に大川の中洲が埋め立てられて日本橋浜町と陸続きになったのは戦後も大部過ってからで、時制に破綻をきたしている。おまけに、埋め立てられたはずの運河に、あろうことかまだ男橋・女橋がかかっていたと( 文中では“あった”と記されているが )とは論理的破綻・不合理の極み。勿論、作者の皆川にとってはそこら片を十分に知悉していての周知の事柄で、敢えてそうこれみよがしに記すことで、境界世界的指標としたのだろう。勿論そんな知識のない読者たちは曖昧朦朧の煙にまかれるということになってしまう。
 女橋を渡ることによってじゃなくて、もう女橋自体が既に境界世界・異世界の領域なのだ。

 
 皆川の父親は嘗て医者あると同時に心霊研究家でもあったという。
 彼女も娘の頃、霊媒の役を担わさせられた事もあったという。
 つまり、この世とあの世・異世界とを媒介していたってことで、ひょっとして、皆川博子は、単なるフィクションとして物語を紡いでいるのじゃなく、自動記述的手法を駆使して、実際は、境界世界での出来事をそのまま提示しているのかも知れない。


《 ゆめこ縮緬 》 皆川博子 (集英社)


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