サンジェルマン伯爵からの招待状 《 明かされた秘密 》 ゴット゛フリー・レイ・キング

サンジェルマン伯爵
このゴット゛フリー・レイ・キングというのはペンネームで、本名はガイ・ウォーレン・バラード。1878年カンサス生まれの米国人で、1930年、標高四千メートル級のネーティブ・アメリカンの聖山カリフォルニア州シャスタ山(火山)でサン・ジェルマンと遭遇(本書によればむしろ邂逅)したのを機縁にやがて1934年妻エドナと共に《 I AM 》運動なる神智学的な宗教教団を設立ってことになっている。
このサン・ジェルマン(伯爵)なる人物、十八世紀英国生まれの音楽家で、後フランスに渡り、錬金術にも長けた社交界の花形だったようだ。中々ミステリアスな存在で、寿命数百年の不死伝説すら漂わせた神話的人物らしく、現在でも神智学・ニューエイジ的宗教世界では、“第七光線”の大師=マスターとして“生きて”いるという。
そんな時空を超越した神話的人物と遭遇し、更に秘教的伝授まで受けた次第が、説法的口吻で綴られたのがこの《 明かされた秘密 》 なる書である。
このG・R・キングなる神秘主義者、ぼくはこの本で初めて知ったのだけど、この本は、グルジエフの《 注目すべき人々 》やパドマサンバヴァの生涯を綴った《 ペマカタン 》の如く、記された字句通り解釈するのではない、その奥に隠された意味を探り出し読み解く式の寓話的産物なのだろうか?
何しろ、何万年あるいはそれ以上も前から転生=生まれ変わってきた超能力的導師サン・ジェルマンと一緒に時空を越えて過去の文明世界を駆け巡ってゆくのだから。
どころか、1930年12月31日深夜ロイヤル・ティトンの静修地に集まった百五人の前に金星からの招待客が現れ、施設内にある宇宙の鏡に、金星の風景が映し出されたり、金星での教育システムや人類の想像をはるかに超える様々な発明品や機器を紹介し、更に、当時からその後七十年間( つまり、二十世紀末まで)に起きる地球の激変の様子までもが映し出される。
このニュアンスからすると、どうもこれは、寓意でも寓話でもなく、象徴ですらなく、字句通りに解すべき伝道の書ってところのようだ。
『 神以外に至高の存在はない。キリスト以外に永遠と真理はなく、光以外に真実はない。これら三つは《 一なるもの 》だ。その他はどれも闇に過ぎぬ。覚えておくがよい。覆い隠し、人間を惑わし、つまずかせるのは闇である。』
『 神は世界を完璧なものに創造し、子どもたちにも自分と同じ力を授けられた。本来、人間も完璧なものを創造し維持できる。神の支配を地上で表現していかれるはずなのだ。人間は父なる神の似姿に創られたのだから。そうならないのは、一人ひとりが自分に授けられた神の権限を正しく使って自分を統治していないからだ。』
『 地球に不幸を創造したのは汝らだ。汝らさえ自由意志に基づき、思考と感情を使って好き勝手に創造しなければ、不和や貧困、逸脱は、この地上に存在しえなかったはずだ。』
この三つの、神と人間というより、専ら神自身の本質に関する言及って、ユダヤ=キリスト的絶対的一神教の基本的特徴で、属性として万物の創造を前面に押し出してくる。
神が“ 世界を完璧なもの ”として創造した、と高らかに謳(うた)い挙げながらも、さっそくすぐその後で、過誤・失敗も災禍・凶悪も、すべて人間が勝手にやらかした事として断じ、けんもホロロに取りつくしまもない。
“世界の完璧な創造”ってことを、独断的に絶対的なものとして截然と宣言した割には、余りにも恣意的に過ぎて、ぼくみたいな所謂“ 日教組教育( そんなものが現実に存在したとはどう考えても思えないのだけど末法的日本の流行言葉のようなので使わさせて貰うのだけど ) ”を受けた者としては、“論理の破綻” あるいは “すり替え” 以外の何ものでもなく、結局なんだかんだと、例えば“愛”なんかを勿体ぶって高く掲げてみせても、その論理と本質って昨今のイスラム国家=ISと大差ない胡散臭く且つ場合によっては悪辣・陰惨極まりない存在としてしか思えない。
次の説話なんて好個の例。
『 地球上に生きる人類は、しばしば無知や限界からイエスその他のアセンデッド・マスターたちについて、あれこれ批判しては裁きたがる。この種の行為はすでに常態化しているが、批判や裁きによって放たれた力は送り主に戻るだけ。そして、自分で作り出した限界や苦悩に強く縛られることになる。自身の努力で人間的な限界から解き放たれたアセンデッド・マスターたちは、眩い光を注ぐ存在になっているので、不和をもたらす人間の思考が彼らに及ぶことはない。これは人間によって生み出された破壊的な思考や感情が、それらを創造した者に跳ね返り、さらに自分自身をがんじがらめにすることを意味する。』
基本、“ 神の実在”を自ら証し、問や批判に真摯に応えねばならないにもかかわらず、そんな素振りすら見せることもせず、専ら自ら証す能力がないのを隠してなのか棚にあげてなのか更にはひょっとして漸く苦労して手中にした秘密の真実を守銭奴の如く出し惜しみ、他の人々に無料で披瀝するのが堪えられないからなのか、質問者・批判者を貶め、どころか“ 因果応報 ”的な論理の衣の下に報復的な暴力性をすら顕わにしている。
万物創世神=ヤハウエが、一体何が癇に障ったのか知らないけど、“ノアの大洪水”での人類・動植物殲滅や“ソドムとゴモラ”での都市住民殲滅をやらかした(らしい)その思想と論理あるいはDNAの継承者としての証ってことなのか。だったら、彼らは、既存の伝統的一神教と何ら変わることもない横並びの、それも落ち穂拾い的な単なる新興宗教(者)に過ぎない。
『 民衆を統制する地位に上り詰めるひと握りの人間は、自分は彼らに何が貢献できるか、一人ひとりに最大限の奉仕をするにはどうすればいいかを知るために、十分な知性を身につけておくべきだ。』
“ 貢献 ”、“ 奉仕 ”ってものがむしろ恐ろしい響きをもってきかねない。
“ 聖(賢)人支配 ”って、畢竟(ひっきょう)、全体主義的独裁国家の別名に過ぎないのだから。彼らの文脈の上での《 シャンバラ 》は願いさげだ。ジョージ・オーウェルの《 1984年 》もびっくりの、真っ白いディストピアってところだろう。それこそ、老子の“ 限りなく支配しない支配 ”の方こそを願いたいものだ。
白色ディストピアの好個の例として、確かに一読の価値はある。
《 明かされた秘密 》 ゴット゛フリー・レイ・キング
訳=八重樫克彦・由貴子 (ナチュラル・スピリット)
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