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2015年9月27日 (日)

恨(ハン)的転生 大泉黒石《 不死身 》

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 二年前に出版された大泉黒石の短編集《 黄夫人の手 》(河出書房新社)の中の一編《 不死身 》。珍しく朝鮮・平壌を舞台にした怪奇物。怪奇といっても、当時はともかく、現在からみれば、かなり怪奇性は薄まってるものの、黒石らしさは相変わらず。

 
 明治・大正・昭和とロシアをはじめ欧州・東アジアを彷徨してきた黒石、当然、植民地時代の朝鮮にも足跡を残したのだろうが、平壌(ピョンヤン)随一と謳われた風光明媚な景勝地・牡丹台の麓、青白く光る大同江を間近に見下ろす釈宗寺境内の墓地、そこの黒い喪服を纏った李桂花なる香華売りの女の数奇な物語。

 
 「 ・・・今からざっと四百年ばかり前に、妓生(キーセン)の中に李桂花という美人がありました。その妓生は、この世の中には無数の悪霊が住んでおって、人間に対して恐ろしい憎悪の心を抱いて、隙があれば、人間を斃そうと狙っているというような信仰を持っていたのです。或る時、彼女は王城の甍にその悪霊が蝗(いなご)のように集まって口々に呪文をとなえていたと云う話をしたのです。ところが、どうでしょう。翌月例の太閤秀吉の朝鮮征伐があったのです。その恐ろしい災いを速かに取除こうと云うので、彼女はその悪魔に祈りますと、悪魔はたちまち彼女の前に姿を現して俺は鬼神教の本尊だ。汝の祈りは聞き届けてやるが、汝は鬼神教の信徒になるのだと云って消えたそうです。間もなく戦いは済みましたが、李桂花は或る事からこの鬼神教の本尊に祟られて、永遠に死ぬことが出来なくなったのだそうです。だから、今でも釈宗寺にお出になりますと、李桂花が、まだ生き永らえて、墓地の香華を売っています。・・・ 」


 果たして、その伝説中の、しかもその伝でいけば秀吉の侵略的災難から朝鮮を救った救国英雄ってことにもなるその元妓生・李桂花は、墓地で香華を売っていた。
 その悪魔=鬼神教の本尊ってのが他でもない、イスラムの神アッラーってところが、興味深い。この短編がいつ頃書かれたものか定かでないけど、戦前のまだイスラムが日本で馴染みのない宗教だった時代、アラビア自体が月の砂漠のラクダに乗った王子様や妖魔アラジン、シンド・バッドの奇想天外な冒険といった遥か西方の異郷だった頃故に、アラビアン・ナイト風におどろおどろしい見知らぬ異貌の神として造作したのだろう。

 しかし、朝鮮とイスラムってこの取り合わせ、当時の日本人にとっては如何な風にイメージされたのか。
 朝鮮半島は大陸の端っこということで、大陸の様々な文物の帰着点でもあり、そこから更に海を渡って日本列島に流れ着くのだけど、中国には、もろ“回族”というイスラム化した民族も居て西方の民族と混淆して金髪や碧眼の者も珍しくない。それは総じて中国でも西方寄りに分布した人々であって、逆の東端の朝鮮半島では如何だったのだろう。十世紀前後に一応朝鮮に伝わってはいたらしいけど、定着したって話余り聞かない。


 そもそも黒石のこの悪魔・鬼神教の記述、かなり紛らわしい。
 悪霊がいつの間にか別の名詞=悪魔になっていて、明らかに明瞭に書き分けていながら、
 「 彼女はその悪魔に祈りますと 」
 と、悪霊と悪魔を同一物であるかのように記述している。
 しかし、用心深く考えれば、これって両者はあくまで別物という最後の一皮を残した実に曖昧な表現で、対官憲用に設えられた韜晦的布石と受け取れなくもない。
 当時は、むしろ大正七年の《 三・一 》朝鮮独立運動以来、キリスト教勢力が強かったはずで、そんなキリスト教をイスラム教にすり替えながら、更に本来の意味での悪魔的誘惑・攻撃の排除・克服を唱うキリスト教=イスラム教の側面的教義を前面にもってきて、矛盾撞着したアマルガム(合金)で、いよいよ曖昧模糊とした摩訶不思議な世界・・・隠喩世界の仮構ってことになる。
 当然、当時、朝鮮の独立運動に直接触れるような記述、事件当時の大正ならまだしも、関東大震災後の昭和に入ってからだと、権力・軍部の統制・弾圧も次第に強くなっていて、発禁・伏字三昧を忌避しての予じめの曖昧・韜晦は不可避的所作ってことはあり得たろう。
 

 まだ朝鮮が日本の植民地支配下にあった時代で、“ 自由と独立 ”を高らかに宣言した《 三・一 》を、それ自体として書くよりも、日本の朝鮮侵略の象徴=秀吉の“ 朝鮮征伐 ”に端を発した因果応報的輪廻転生を巡る怪異譚として韜晦してみせたのだろう。例えば救国独立運動に挺身した果てに獄死した梨花学堂(ミッション系)女学生・柳寛順をはじめとする運動家・参加者の慚愧と、李桂花の慟哭が、重複(オーバーラップ)し渾然一体となって、更なる奥深い“恨”の坩堝にゆらぎ続ける。


2

 

 「悪霊が蝗のように集まって口々に呪文をとなえ」=エクソシストの無数の蝗が飛び交うシーンを想い起こさせ旧約聖書的世界のムード十分だけど、そもそも李桂花は何故に不死身、永遠に死ぬことが出来なくなってしまったのか。
 悪魔=鬼神教の本尊が、李桂花の祈願=秀吉(日本)軍の侵略的災厄の除去を、秀吉軍の撤退という形で成就した見返りに、自身の宗教=イスラムの信徒となることを求めたので、彼女も肯ってイスラム教徒となったのだったが、彼女のその後ののっぴきならぬ経緯で、“ 自死 ”してしまう。キリスト・イスラムじゃ自死・自殺は御法度。その禁を破ったために、罰として永遠に死ぬことの出来ぬ不死身な存在となってしまう。
 では、何故に、李桂花は自死する羽目に陥ってしまったのか。
 
 秀吉軍が平壌を侵攻してきた際、平壌王室付の将軍・金応瑞が敗走し、代々その金将軍の下級官史だった鄭申もその後に追従しようとするのを妻だった李桂花が止め、平壌に隠れ住むことに。やがて秀吉軍が朝鮮から退き、新しく平壌の王朝が立てられたものの、以前の王朝の臣下たちは取りたてられず、財産らしきものも持たなかった鄭申はやむなく労役・雑役で糊口を凌ぐ他なく、ついに苛酷な労働に耐え得れず一子・鄭文を残して逝ってしまう。
 
 貧窮の底で、はて李桂花、一体全体どうしたものか、と煩悶した。
 今更、以前の売れっ娘だった妓生の頃の華やかさから一転のみすぼらしさを散々嘲笑われてきた妓生仲間たちの郭(ところ)に戻るにはプライドが許さなかった。いつか見返してやると反撥していたのが、一人息子の鄭文を何とか士大夫(両斑 リャンバン)=官僚にすることでその復讐心を成就することを決意し、当時は女は普通の仕事に就けなかったため、男に身をやつし、一人息子の鄭文をすら騙して文字通り父親・鄭申に成り代わり、自身に鞭打って労役に従事し続けた。さすがに労役だけじゃ到底鄭文を士大夫の考試を受けさせるには覚束ないことを悟ったのか、隠れてかつての束間の妓生の仕事に就くようになり、その甲斐あってか、とうとう十八歳で、鄭文は考試に主席で合格してしまう。
 十六年の艱難辛苦の果てやっと念願叶った次の刹那、李桂花の本当の受苦呻吟はそこから始まった。
 早速、孝行息子の鄭文が彼女に請うた。

              
 「お父さん! 私にお母さんの骸を納めた寺を教えて下さい! 彼女が亡くなられてからまだ二十年たちませんから霊魂は体にとどまっている筈です。私は彼女に一目立身した姿を見せたいと思います・・・」


 万事休す!

 間違っても今更、実は自分が母親の李桂花で、寺の墓地の棺に納められている亡骸こそ父親の鄭申なんだとは言い出せなかった。問題は、当時朝鮮では死ぬと二十年間は棺の中に納められたまま墓地の土の上に安置され続け、それからようやく土の中に葬られる風習だった。棺の蓋を取ると一目でばれてしまう。
 結局、父親・鄭申として家出し行方をくらまし、李桂花として棺の中に自身が入るって狗肉の策を彼女は選んだ。棺の中で自らの舌を噛み切っての自死。彼女にしてみたら、まさか鄭文がこんなに若年で考試に合格するとは夢にも思わず、二十年過ったら骸は土の中に埋められ一切は闇の中を決め込もうとの胸算用、正に青天の霹靂。

 そこに件の長衣・ターバンのアッラーの使いが現れた。

 
「 我はアラーの使いである。汝は我子を欺いて神の最も忌み給う自殺をしたのだ。汝は汝が神の国に住む女の最初の自殺者だ。その報いは汝の霊魂と肉体に返った。汝は最早永遠に死ぬことの出来ぬ女になったのだ。」


それからというもの、李桂花は、百歳になると、自死を謀った三十三歳に戻ってしまうという永遠に死すことのない閉ざされた輪廻の環の中を巡り続けているという。
 鄭文も死に同じ墓地に埋葬され、その孫もやがて死に、墓地の中は代々の子孫の棺や土饅頭でずらり占められていた。
 自分の肉親に先立たれるほど悲しいものはないと、香華売り・李桂花は悲嘆にくれるばかり。

 荒削りじゃあるけど、けっこううまい筋立ての、救国妓生奇譚だと思う。

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