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2015年10月31日 (土)

擬制としての希望 『 ストーカー 』(1979年)

Stalter1
  


 最新のリマスター版ってことで、11インチのノートパソコンで観た映像は、何やら仄暗い覗き穴の向こうの異世界的観覧って趣きで、時間の長さをそれほど感じさせなかった。

暗いセピアに沈んだモノトーン世界・・・それはリアルタイムな現実世界。
 一歩、立入禁止地域《ゾーン》に踏み入ると、たちまち淡い色彩のしかし死に絶えたような静謐な世界。
 実に端的な図式。

 原因不明の突発的惨事によってすべての住民が死傷あるいは退避して無人の封鎖エリアと化し、深いヴェールに包まれたままの《 ゾーン 》。
 出入口を固めた警察も、侵入を試みる者には容赦なく銃弾を雨あられと降り注ぐが、決して《 ゾーン 》の中に入ってまで追って来くることはしない。
 どういう訳か皆“春”に発生したスリーマイル島・チェルノブイリ・フクシマ原発事件を想起させる禍々しさ・・・けれど、出入口で監視している警官たちが放射能や細菌から身を守る防護服を纏ってないのからすると、どうもそんな災害ではないのかも知れないいよいよ訝しく不可解な封鎖と破壊の爪痕を残した廃墟群。
 やはり、巨大な隕石かUFOでも墜落して生じた惨事の結果なのか。
 それでも大きな高圧線に使うような碍子(がいし)風の装置を載せた貨物車両だけはその封鎖エリア=《 ゾーン 》を出入りしているようだ。
 一切の生物が死に絶えたような廃墟世界・・・当時の流行でいえば正に世紀末的終末論世界。


 1984年にイタリアに亡命したA・タルコフスキーのソ連(ロシア)での最後の作品という。
 ペレストロイカ(改革)以前の作品で、まだまだソ連共産党による全体主義的支配が色濃かった時代の産物で、 《幸せが叶う》部屋=《ゾーン》というフレーズが嫌でも政治的プロパガンダ的ニュアンス、意味を帯びてしまう。
 いみじくも、約束を破って再び禁断の地《ゾーン》に客を連れて行く違法なガイドの仕事に赴こうとするストーカーに日々の生活に疲れたような妻の罵りに対してストーカーが零してみせる。

 「俺にとっては何処でも牢獄だ。」

 正に、ソビエト共和国=世界が、牢獄的世界=モノトーンな由縁。
 突如降って湧いたような恐るべき禁断の地=《ゾーン》の何処かに、いつの頃からか、幸せが得られる、夢が叶う部屋があるという噂が広まり始めた。
 それは正に、現実体制に疲弊し病みあるいは呻吟し切った人々にとっての“希望”。
 
 ストーカーに案内されて違法エリア《ゾーン》に入ってゆく二人。
 作家と科学者(物理学教授)。
 二人とも知識人(インテリゲンチャ)として、不正規労働者・自由労働者・ルンペンプロレタリアートとも謂うべきストーカーに対比する存在なのだろうが、この物理学者、この《ゾーン》の魔法の小部屋を人々をたぶらかす“まやかし”、結局は悪用されるだけとして指弾し、隠し持ってきた高性能爆弾で木っ端微塵に破壊しようとする。結局は二人に阻止され思い留まるけど、破壊力20キロトン(長崎に落とされた原爆並)というから小型原子爆弾ってところか。

Stalker3


「 《ゾーン》は罠のシステムなんです。
はまれば死にます。
無人のときはともあれ
人が入ってくると活動をはじめます。
旧い罠が消えて新し罠がうまれ
安全だったところも危険に
単純にみえた道筋も混乱に転じてゆく
それが《ゾーン》です。
じつはわたしたちの精神状態の反映です 」


 
 《ゾーン》の秘密をストーカーが語ってみせたフレーズだけど、タルコフスキーの前々作《 惑星ソラリス 》(1972年)で、惑星ソラリスの海が、接近・侵入しようとする人間に対してその人間の内面を反映し物質化する機能を備えていたのと相似していて興味深い。


 原作のストルガツキー兄弟のSF小説《 路傍のピクニック 》(1972年)じゃ、タイトル通り、宇宙人一行が、宇宙の旅の途次、ふと地球に立ち寄って束の間のピクニックに興じそして去っていったに過ぎないその遺留的痕跡=《ゾーン》といったニュアンスらしく、彼等が留まった場所のあっちこっちに残していった物品を、当局と宇宙人が張り巡らした“罠”の危険を顧みずに《ゾーン》に侵入し持ち出して高値で売りさばいて生業としている者達のことをストーカーと呼んだという。
 映像的には絶妙な効果をあげていた《ゾーン》のあちこちの水溜まりや溝底で、意味ありげに鈍く金属色に煌めいていた廃墟の元住人達が使っていたかのような用具って、実は生活の痕跡と同時にそんな意味合いも含んだ重層的なものだった。
 

 《 ストーカー 》 

監督     アンドレイ・タルコフスキー
原作・脚本 アルカージー・ストルガツキー&ボリス・ストルガツキー
音楽     エドゥアルド・アルテミエフ
撮影     アレクサンドル・クニャジンスキー
制作     モス・フィルム(1979年) ソ連

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