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2015年11月の3件の記事

2015年11月28日 (土)

 博多の劇場霊だったら面白かったかも知れない / 劇場霊( 中田秀夫・作品 )

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 二年前の前田敦子主演の 《 クロユリ団地 》に続く、“ 中田秀夫・監督 & AKB48 ”ホラー映画。前回の 《 クロユリ団地 》は興行的には悪くはなかったようだが、今回の島崎遥香(ぱるる)主演作はどうなんだろう。かなり宣伝してたようだけど。
 日曜朝の回で観てみた。
 朝なので客はほとんど入ってなかった。昼から入ってくるのだろうが、何しろホラー映画なので疎らな客席ってのが恐怖度を高める(はず)。
 
 
 劇場の霊っていえば、AKBグループじゃ、博多のHKTに指原莉乃が移った頃、博多のHKT劇場に女の霊が出没するって若いメンバーたちが震えあがってたのは有名だったけど、実はすっぴんの指原だったという。
 菅原道真が太宰府=博多なる辺境に左遷されたことを怨んで、日毎、天皇のところへ生霊となって現れ悩ませたのは知ってるけど、幾ら猫背にボサボサ髪とはいえ普通に劇場へ通ってるだけで霊現象として周囲を怯えさせるとは、さすが平成の道真=指原莉乃。
 むしろこの逸話にあやかって、舞台を博多の劇場にすれば、もっと違ったウィットに富んだレアなホラーってことにもなったかも知れない。もちろん主演はぱるる、劇場霊は指原。


 映画は、のっけから劇中劇って奴で、個人的には、これは嫌いなパターン。ともかく白けてしまう。
 島崎は死体役の、まだうだつの上がらぬ端役専門の事務所五年生って設定。
 そこで、事務所で提示された演劇作品、猟奇的な皇后エリザベート物語のオーディションを受けることに。主役のエリザベート役を勝ち取った事務所の売れっ娘がビルの屋上から転落死してその代役が転がり込んでくる。実は劇の中で使われる人形に殺害されてしまったのだった。やがてその魔手は島崎や他の出演者・スタッフたちにも及ぶようになって・・・幾らホラー映画だからってストーリー&展開が余りに凡庸過ぎ。これじや、ぱるる=島崎遥香の魅力、半分も出せてないのじゃなかろうか。

“ちょーだい、ちょーだい”と、すり寄ってくる等身大の人形の恐怖。
 映画館の大きなスクリーンと暗がり、そして巧みな音響効果でそれなりのホラーらしさは何とか醸し出せていたのかも知れないけど、ビデオじゃちょっと難しい。前回の《 クロユリ団地 》ともども基本“和製ホラー”。
 “塩対応”で高名な島崎遥香が、“SUGAR”のロゴのはいったTシャツを纏ったシーンもあったけど、怖くないおざなりな幽霊物語って域を一歩も出るものじゃなかった。
 ハリウッド帰りの監督・中田秀夫の最新作+島崎遥香ってことで、些かの期待を抱き、基本、“和製ホラーはビデオで”、という自らのセオリーの禁を破ってまで観に行った結果は、案の定・・・。
 むしろ、テレビの深夜番組として作るべきだったろう。半睡の入眠幻想にゆらめく意識と感覚で観るのも、又、一興。

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2015年11月21日 (土)

腐ったら,負け ; HKT成長記

Hkt
 
 ( いつの時代でも、アイドルは・・・) 

 

 以前、TSUTAYAで、AKB48のドキュメント《 The Time Has Come 少女たちは、今、その背中に何を思う 》を借りて観たことがあった。一世を風靡したアイドル・グループの娘たちの悲喜こもごもをうまく構成してあって、結構面白く観させて貰った。
 そのAKB本家から、故あって、都から遥か遠い辺境、九州・博多に島流しされ、平成の菅原道真と喧伝され、更に、《 AKB48総選挙 》で堂々一位の座を獲得し、本家菅原道真をも超えてしまって、すっかり伝説の寵児にすら成りおおせてしまった指原莉乃の、陣頭指揮に立って、アイドル王国と謂われているらしい博多から、群雄割拠する列島どころか、アジアをすら射程に入れて精力的活動を展開している博多HKT48。
 
 結成当時の平均年齢13.8歳、AKBグループ内で一番若かった。
 その彼女たちのアイドルとしての、それは又、平成末を活きる一人一人の人間としての“成長記”が出版された。
 
  《 腐ったら,負け ; HKT成長記 》

  最初は気づかなかったが、よく見ると小さく“ 著・篠本634 ”とある。
 てっきり、AKB48運営の専属スタッフが書いているものと思い込んでいた。
 はじめて見る名前で、ネットで調べてみると、“アイドル・ライター”とか“おたくジャーナリスト”って肩書きのライターのようだ。
 HKTのメンバーにかなりインタビューしたのだろう、彼女たちの生な思いや声が吐露されていて興味深く、下手な小説読むよりよっぽど面白かった。 

 尤も、この篠本634氏、ネットで検索してみると、《 週刊プレイボーイ 》誌上の記事(『ガチ予想』)らしい巻頭の部分が掲載されていて、6月に開催された《 AKB48選抜総選挙 》の一位予想で、誰かが推(お)しらしい柏木由紀を持ち上げると、光文社の青木宏行氏が、「昨年はまゆゆ(渡辺麻友)が1位を取って念願が叶ったんで、“そうなると”、今年は柏木由紀しかいない」、なんて訳の分からぬ論理を展開して追従し、更に件の篠本634なるライター氏も、彼女の兼任先の大阪NMBや新たな兼任先となった新潟NGTのファンの票まで期待できるんで柏木由紀しかいない、とぶち挙げたのだけど、しかし、実際問題として、その当時であっても、やっぱし、一位は指原莉乃とまゆゆ(渡辺麻友)との一騎打ちってのが相場。後は、名古屋SKEの松井珠理奈が今回不出馬の松井玲奈の票をどれだけ取り込めるかで可能性もありえたってところじゃなかったろうか。
 
 つまり、AKB48とかなり係わりをもっていたライターってことが分かった。
 勿論、彼が個人的に出したものじゃなく、“トータル・プロデューサー”秋元康と奥付にあるようにあくまでAKBのオフィシャルな出版物ってことだ。だからこそのメンバーの全面協力も得られたのだろう。だから、サシハラが移籍し間もなく起こった、メンバー5人が特定ファンとのあるなりゆきが発覚し“活動辞退”つまり処分されてしまった事件なんかの経緯や詳細なんかには触れてない。


 ぼくが一番興味をもったのは、この手のアイドル・グループ、とりわけAKBの定番、センターのポジション巡ってのメンバーたちの心のゆらぎ。ところが、想像していた以上に振幅が大きかった。


 2012年の秋になって、AKBのCDのカップリング曲の一つとして、ようやく初オリジナル曲を貰えた。《 初恋バタフライ 》という如何にも彼女たちにふさわしい初々しさに溢れた曲だった。只、当然一期生の中から、センターともども選ばれると思い込んでいたメンバーたちの意表をついて、新たにたった数ヶ月前にオーディションで採用されたばかりの二期生たちの中から3人も選ばれ、更に肝心のセンターには、秋元康が“十年に一人の逸材”として賞賛してやまなかった二期生=研究生のまだ小学生だった田島芽瑠が抜擢されれてしまった。
 それまでセンター的ポジションにいた児玉遥(はるっぴ)や、同年の総選挙唯一でランクイン(47位)した宮脇咲良(さくら)を差し置いて。


 「 宮脇 『 結局、はるっぴは泣きすぎちゃって、そのままレコーディング(《 初恋バタフライ 》)できなかったんです・・・・・・私もショックで声が出なくなっちゃって。・・・・・・後日、再録になってしまって。
 スタジオから出たら・・・そこで、さっしー(指原莉乃)を囲んで1期生たちがみんな泣いてました。なんていうか、そのみんなの姿は“壮絶”でした。』」


 「 田島『 正直、選抜に入ったのでさえビックリだったのに、“えー?”って思いました。・・・・・・1期生さんも泣いてる人もいて・・・・あまり見られなかったです。ずっと下を向いて、床を見てました。・・・・・・なんか1期生と2期生の間に挟まれてる感じです。1人、孤独でしたね 』」

 そして翌年初春、念願のデビュー・シングルの選抜が発表された。
 二期生の3人を含めて同じ顔ぶれ。センターも田島芽瑠。
 

 「 児玉「 『 もう、あの時は本当に気持ちが荒れていました。正直、今だから言えますけど・・・頭の中で“ デビューシングル、出なければいいのに ”って・・・・・・』」


 「 田島『 ・・・“ さすがにありえない ”って思いました。だってデビューシングルですよ。・・・・・・“ なんで ? なんでまた私が”って。もうプレッシャーがすごかったです。正直、あの頃って笑ってる記憶がないです。』」

 オーディションの時から既に“ キラキラオーラ ”(同じ二期生たちが感じた印象)を発していた天真爛漫なはずの田島芽瑠ですらが、孤絶的ぐらいにプレッシャーを覚えていたとは、当時YOU TUBEなんかにアップされていたニコやかな映像からは、想像すらできなない。舞台の上、カメラの前では愛くるしく微笑んでみせる芽瑠や他のメンバーたちであっても、心の内では鬱々悶々としていたってことか。
 尤も、当時、彼女たちのパフォーマンスの映像なんかを観てると、彼女たちの想いとは別に、芽瑠(曲によっては美桜と並んで)のすぐ両脇後に児玉と宮脇が控えている図は決して悪くないむしろ華やかな布陣で、ぼくは気に入っていた。
 やがて何枚目かのシングルの時になって、やっと宮脇はまゆゆ( 渡辺まゆ )と二人でAKBのシングルでダブル・センターに、児玉はHKTのシングルのセンターに抜擢されたのだけど、その頃には、もう二人ともセンターにそれほど執着することはなくなっていて、むしろ中心的メンバーとして、HKTというグループを如何盛り立ててゆくかの方に腐心するようになっていたという逆説。
 いつかは・・・と、思いっきり伸ばした両の手の一センチ先にゆらぐ自らの夢を追い求め、彼女たちは健気に笑みを浮かべ続けるのだろう。


      《 腐ったら,負け ; HKT成長記 》 著・篠本634 ( 角川春樹事務所 )

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2015年11月 8日 (日)

数千年目の帰還  ハビエル・シエラ 《 失われた天使 》 

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 ( ドゥバイヤジツト近郊から見た白雪を頂いたアララット山 )


 '93年春にイランからトルコ東部・クルドの町ドゥバイヤジットに入った。
 旧約聖書の伝説的聖山アララットが望めるので有名な町で、そこの安ホテル《 アール・ダー 》の電気ヒーターの備わったダブル・ルーム(25000TL)に泊まった。
 小さな町の割にはやたらチャイ屋と靴磨き少年が多いのに驚かされ、通りを当たり前のようにフランス・パンを満載した馬車が通ってゆき、インドなんかとは又異なるヨーロッパ中世、否、19世紀風とでもいった独特の異世界的雰囲気に更に驚いてしまった。
 それでも、郊外近辺にはトルコ軍が駐屯してるらしくモスグリーンの制服姿の兵隊も少なくなく、チベット・ラサのポタラ宮のまん前にこれ見よがしに駐留した中国人民解放軍を想起させた。
総じて天候悪く、一週間滞在した間晴れた日は幾らもなく、晴れ間が見えると屋上にのぼり、火山系の黒っぽい山肌が妙にリアルに映えた神話的アララット山を撮りまくった。


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 ( トルコ東部ドゥバイヤジットの町と雲に隠れたアララツト山 )


 本国スペインだけじゃなく欧米でも人気のあるらしいハビエル・シエラのこの小説でも、アララツト、つまりノアの方舟にまつわるものとして舞台になっている。
物語は、ノアの方舟=アララットにまつわるスペイン最古のキリスト教寺院にはじまり、アララットの氷河に埋まったノアの方舟へと最終舞台が移ってゆく。
 作者のシエラ、UFOや超常現象なんかに関心が強いらしい。
 いわゆる“MU”的世界。自身でサイトすら開設してて、you tubeで簡単に見れるけど、この2011年作品《 失われた天使 》でも、その片鱗を余すとこなく随所にちりばめている。
 同じハビエル・シエラの《 プラド美術館の師 》(2013年)も出版されるようで、売れっ子スペイン作家の日本でのブーム到来ってとこなのか。

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 ( クルド人の町ドゥバイヤジツトの通り )


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 ( 小さな町の割にはチャイ屋がやたら多く、朝から男たちがたった一杯1000TLの小グラスのブラック・ティーでねばり他の男たちとの談笑に余念がない。)


 のっけからNSA(アメリカ国家安全保障局)本部から始まる。
 後には、海軍特殊部隊SEALsまで出てきて、単純に旧約聖書的探求譚というより、むしろ二十一世紀の“聖杯”争奪戦の趣き。
 ところが本当は驚くべき天使達を呼び出す方法だったのだけど、地球に取り残された宇宙人がようやく自身の惑星へ戻ってゆくのに似た、太古の昔神(ヤハウエ)の息子達(=天使)が神の創り出した人類の美娘達とまぐわってできた子供=子孫の末裔達が、天使達の居所(地球外)へ帰還するための手のこんだ策謀。
 

 「 神の子らは人の娘たちの美しいのを見て、
 自分の好む者を妻にめとった。
 そこで主は言われた。
 『 わたしの霊はいつまでも人のうちにはとどまらない。
 人は肉であり、その年は120年にすぎないからだ 』」
                    《 創世記 》6章2-3節 

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 ( ドゥバイヤジット郊外の丘に佇むケマル・パシャ宮殿。下方にドゥバイヤジットの町が望める )
             

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 ( ドゥバイヤジット近辺のクルドの小さな村 )


 この冒頭に掲げられた有名な《 創世記 》の一節、僕的には“ 神の子たちが人の娘らと交わって子供を生ませた ”(岩波文庫版)という箇所と、“ 神の子=天使 ”というも一つ合理性に欠ける詐瞞的解釈が判然せずひっかかったままのユダヤ・キリスト教(聖書)世界ではあるのだけど、この《 失われた天使 》では、主人公夫妻の結婚式の列席者たちに《 エノク書 》のそれに関した部分(6章・7章)を読み聞かせようとする。


 「 長たちをはじめとする天使たちは全員、ひとりずつ女を選び、彼女たちの所に入り、身を汚した。彼女たちに妖術と魔法を教え、根の切り方と植物に関する知識を授けた。
 彼女たちは子を宿し、巨人たちを生み出した。身の丈300キュビト(約1350メートル)の巨人たちは人間が育てた作物を食べつくし、食べる物がなくなった。
 すると、巨人たちは人間を襲い、人肉をむさぼり食った。鳥や獣、爬虫類や魚類も食いつくし、その後は互いに共食いを始め、血をすすり合った。
 それら地上で行われたすべてのことによって、その時、大地は冒涜に満ちていた 」


 《 創世記 》では〈ノアの方舟〉の前にくる章で、最近公開された映画《 ノア 約束の舟 》(2014年)でもそんな獰猛且つ血腥ささを完全に払拭され、むしろ真逆なポジションをあてがわれた巨人=巨石人として登場してたけど、この《 エノク書 》の伝でいけば、他の鳥や獣どころか水中の魚まで喰い尽したのなら、むしろそれ以前に人間たちの方を先に喰い尽くしたってのが合理的な論理的整合性ってものだろうが、それだと《 創世記 》的な驕り堕落した人類の殲滅としての《ノアの洪水》ってものが甚だ根拠の薄い、否、むしろ虚偽になってしまう。
 元々“万能・全能”を謳った神の割には筋の通らない《ノアの洪水》やら《ソドムとゴモラ》の殲滅ではあるけれど、ここまでくると殆ど支離滅裂。
 

 現在に生きる神の子・天使たちの末裔が、何としても自らの故郷へ帰還しようとして、米国諜報機関や米国大統領すら巻き込んで起こした事件というのは、確かに読み物としては面白いと思う。


《 失われた天使 》上・下 ハビエル・シエラ
                訳・八重樫克彦・由貴子(ナチュラルスピリット)


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 (ホテル"アール・ダー"の屋上から見たアララット山 )

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