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2015年11月 8日 (日)

数千年目の帰還  ハビエル・シエラ 《 失われた天使 》 

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 ( ドゥバイヤジツト近郊から見た白雪を頂いたアララット山 )


 '93年春にイランからトルコ東部・クルドの町ドゥバイヤジットに入った。
 旧約聖書の伝説的聖山アララットが望めるので有名な町で、そこの安ホテル《 アール・ダー 》の電気ヒーターの備わったダブル・ルーム(25000TL)に泊まった。
 小さな町の割にはやたらチャイ屋と靴磨き少年が多いのに驚かされ、通りを当たり前のようにフランス・パンを満載した馬車が通ってゆき、インドなんかとは又異なるヨーロッパ中世、否、19世紀風とでもいった独特の異世界的雰囲気に更に驚いてしまった。
 それでも、郊外近辺にはトルコ軍が駐屯してるらしくモスグリーンの制服姿の兵隊も少なくなく、チベット・ラサのポタラ宮のまん前にこれ見よがしに駐留した中国人民解放軍を想起させた。
総じて天候悪く、一週間滞在した間晴れた日は幾らもなく、晴れ間が見えると屋上にのぼり、火山系の黒っぽい山肌が妙にリアルに映えた神話的アララット山を撮りまくった。


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 ( トルコ東部ドゥバイヤジットの町と雲に隠れたアララツト山 )


 本国スペインだけじゃなく欧米でも人気のあるらしいハビエル・シエラのこの小説でも、アララツト、つまりノアの方舟にまつわるものとして舞台になっている。
物語は、ノアの方舟=アララットにまつわるスペイン最古のキリスト教寺院にはじまり、アララットの氷河に埋まったノアの方舟へと最終舞台が移ってゆく。
 作者のシエラ、UFOや超常現象なんかに関心が強いらしい。
 いわゆる“MU”的世界。自身でサイトすら開設してて、you tubeで簡単に見れるけど、この2011年作品《 失われた天使 》でも、その片鱗を余すとこなく随所にちりばめている。
 同じハビエル・シエラの《 プラド美術館の師 》(2013年)も出版されるようで、売れっ子スペイン作家の日本でのブーム到来ってとこなのか。

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 ( クルド人の町ドゥバイヤジツトの通り )


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 ( 小さな町の割にはチャイ屋がやたら多く、朝から男たちがたった一杯1000TLの小グラスのブラック・ティーでねばり他の男たちとの談笑に余念がない。)


 のっけからNSA(アメリカ国家安全保障局)本部から始まる。
 後には、海軍特殊部隊SEALsまで出てきて、単純に旧約聖書的探求譚というより、むしろ二十一世紀の“聖杯”争奪戦の趣き。
 ところが本当は驚くべき天使達を呼び出す方法だったのだけど、地球に取り残された宇宙人がようやく自身の惑星へ戻ってゆくのに似た、太古の昔神(ヤハウエ)の息子達(=天使)が神の創り出した人類の美娘達とまぐわってできた子供=子孫の末裔達が、天使達の居所(地球外)へ帰還するための手のこんだ策謀。
 

 「 神の子らは人の娘たちの美しいのを見て、
 自分の好む者を妻にめとった。
 そこで主は言われた。
 『 わたしの霊はいつまでも人のうちにはとどまらない。
 人は肉であり、その年は120年にすぎないからだ 』」
                    《 創世記 》6章2-3節 

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 ( ドゥバイヤジット郊外の丘に佇むケマル・パシャ宮殿。下方にドゥバイヤジットの町が望める )
             

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 ( ドゥバイヤジット近辺のクルドの小さな村 )


 この冒頭に掲げられた有名な《 創世記 》の一節、僕的には“ 神の子たちが人の娘らと交わって子供を生ませた ”(岩波文庫版)という箇所と、“ 神の子=天使 ”というも一つ合理性に欠ける詐瞞的解釈が判然せずひっかかったままのユダヤ・キリスト教(聖書)世界ではあるのだけど、この《 失われた天使 》では、主人公夫妻の結婚式の列席者たちに《 エノク書 》のそれに関した部分(6章・7章)を読み聞かせようとする。


 「 長たちをはじめとする天使たちは全員、ひとりずつ女を選び、彼女たちの所に入り、身を汚した。彼女たちに妖術と魔法を教え、根の切り方と植物に関する知識を授けた。
 彼女たちは子を宿し、巨人たちを生み出した。身の丈300キュビト(約1350メートル)の巨人たちは人間が育てた作物を食べつくし、食べる物がなくなった。
 すると、巨人たちは人間を襲い、人肉をむさぼり食った。鳥や獣、爬虫類や魚類も食いつくし、その後は互いに共食いを始め、血をすすり合った。
 それら地上で行われたすべてのことによって、その時、大地は冒涜に満ちていた 」


 《 創世記 》では〈ノアの方舟〉の前にくる章で、最近公開された映画《 ノア 約束の舟 》(2014年)でもそんな獰猛且つ血腥ささを完全に払拭され、むしろ真逆なポジションをあてがわれた巨人=巨石人として登場してたけど、この《 エノク書 》の伝でいけば、他の鳥や獣どころか水中の魚まで喰い尽したのなら、むしろそれ以前に人間たちの方を先に喰い尽くしたってのが合理的な論理的整合性ってものだろうが、それだと《 創世記 》的な驕り堕落した人類の殲滅としての《ノアの洪水》ってものが甚だ根拠の薄い、否、むしろ虚偽になってしまう。
 元々“万能・全能”を謳った神の割には筋の通らない《ノアの洪水》やら《ソドムとゴモラ》の殲滅ではあるけれど、ここまでくると殆ど支離滅裂。
 

 現在に生きる神の子・天使たちの末裔が、何としても自らの故郷へ帰還しようとして、米国諜報機関や米国大統領すら巻き込んで起こした事件というのは、確かに読み物としては面白いと思う。


《 失われた天使 》上・下 ハビエル・シエラ
                訳・八重樫克彦・由貴子(ナチュラルスピリット)


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 (ホテル"アール・ダー"の屋上から見たアララット山 )

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