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2016年8月の3件の記事

2016年8月27日 (土)

あらかじめ出口なしの凋落物語 《 都市風光 》1935年 (二)

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 この《 都市風光 》が撮られたのは1935年の中期頃だろうが、阮玲玉・主演の《 新女性 》が上映されたのが同年の2月(旧正月)、阮玲玉が自殺したのが3月なので、余りに時間的に近すぎてオマージュというより、自殺の当事者を女性から男性に変更し、その形を借りての些か概念的だけど一層の直截な時代・体制批判ってところだろうか。

 ともかく、その当事者の男優・唐納自身も、この映画の発表の後、阮玲玉とは若干ニュアンスは異なるものの、やはり自殺(未遂に了った)を試みている。正に自殺ラッシュ。
 《 新女性 》の因となった新進明星・才女として彗星の如く現れた22歳の女優・艾霞(アイ・シィア)の自殺から始まる自殺の連鎖。


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 ( 病院のベッドの上で・・・。阮玲玉の映画「新女性」と実際の彼女の自殺、この映画での唐納の自殺未遂と実際の唐納の自殺未遂が、渾然一体となった酔生夢死的な展開が妙味 。冒頭の酒瓶にしなだれた唐納の図が、この映画の本来の意図とは別に、中々に味わい深い) 
 
 
 唐納の懸想する女を財力と手練手管で手中にする金持の王の商売が茶商で、映画上ではなく、女優・阮玲玉を実質上の嫁として同居生活(彼女の母親と養女と一緒)していた《 聯華影業公司 》の株主・唐季珊も東南アジアを股にかけたこっちは本物の茶商だった。明らかに、それを意識した設定。( 映画会社は《 電通影業公司 》と《 聯華影業公司 》と別だけど、一部のスタッフ同士はそこら辺の裏事情を共有していたろう。 )
 
 
 劇中、唐納がアパートの自室で質屋の娘に罵倒され睡眠薬を飲んで自殺しようとする。女と入れ替わるように家主一家や住民達が何ごとかと入り込んでくる。
 
 「 死にたくて、睡眠薬を呑んだんだ!」

 そのシーン、場面が《 新女性 》でベッドの上坐った阮玲玉が、
 
 「生きたい!」
 
と叫んだシーンと相似。
 すると、早速大家の娘が父親に吐き捨てる。

 「 それ見なさいよ。だから、学生なんかに部屋貸しちゃ駄目だって言ったでしょ。」


 ベッドの上の唐納を前にして、大家一家が、彼を病院に連れて行かなけりゃとか、部屋代すらまともに払えない店子のその病院代まで誰が払うのよとか喧々ゴウゴウ。おまけに、画面で見る限り、睡眠薬を幾粒も唐納は口に入れてなくて、かなり彼の自殺を笑いの対象にしている。確かに、これじゃ、女の方に自殺させる訳にはいくまい。《 新女性 》や阮玲玉、艾霞を愚弄したことになってしまう。
 結局、大騒ぎの大家・住民たちに辟易して、質屋の娘に見栄を張るつもりの自動車を買うために貯めていた貯金箱を手に自ら歩いて病院に赴くことに。大通りをふらふら歩いているうち、バタリと力尽きて倒れてしまう。貯金箱も割れ硬貨が路面に飛び散る。当時は、現在と違って自動車って庶民には到底手の届かない高値の華。貧乏インテリ・唐納の現実感覚の欠如というより、完全な戯画化だろう。 

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 ( 上の唐納のと合わせてのベッド&ソファー・シーンのオン・パレード。唐納だけが、一人だけ淋しく哀しい病院のベッド )


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 ( 若き江青の桃色遊技シーン。やはり年増メイクなのだろうが、実際には、この頃既に何人かの芸能界・芸術界の男たちと浮き名を流していたもて女だった )


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 ( 王社長の秘書と質屋の娘の侍女。王社長が破産するや、残された金目のもの全部車に積んで二人でドロン。侍女役の白璐、一人颯爽として、江青・張新珠のお株を奪うくらい印象的。 )

 
 案の定、唐納は死ぬこともなく、病院のベッドの上で、看護婦にミルクを手渡されながら、自分の写真の載ったゴシップ新聞に暗澹として見入る。
 
 “ 自殺未遂之恋愛作家李夢華 ”

と、派手な見出しをつけられ、その横に彼女の結婚写真も並べられていた。
 《 新女性 》でも、ゴシップ新聞に、

 “ 女作家 偉明自殺 ” 

 と派手な見出しで報じられてしまったのと相似。
 阮玲玉自身の自殺の時は、ゴシップ新聞どころか、中国中の新聞が報じたのだろうが。


 自殺は出来なかったものの、恋愛作家・唐納、治療代も払わず病院をトンずらし、部屋はとっくに貸し出され、もはや帰るところとてなく、流離(さすら)う外なし。
 どんどんと零落・凋落してゆく様を、足下だけの描写で実に簡明に示してくれるのだけど、最後は仏壇(道教のだろうが)祀られてしまうってのは、もうおちょくりの類だろう。
 確かに、せっかく、それなりの期待と夢を抱いての上海行だったのが、如何転んでも、そんな悲惨・陰惨な結末しかあり得ないような物語を観せられた日にゃ、つい勇んでいた足並も動揺し、ためらい、混乱してしまうもんだろう。それが、最後の列車に乗れず右往左往してしまうシーンなのか。

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 ( いかにも怪しげな西洋鏡の唄い手を自ら演じた監督・袁牧之。半月刊映画雑誌「電通」の表紙。) 
 

 この映画、後に唐納と浮き名を流すかの江青が、チョイ役だけど出ている。
 映画監督・史東山の紹介で、江青、この1935年の3月に《 電通影業公司 》に入り、藍蘋(ランピン: 青リンゴ)という芸名を使うようになったらしい。6月には《 《上海業余劇人協会 》の話劇(舞台)《娜拉 ノラ(邦題「人形の家」)》に人気俳優・趙丹と共演し、魯迅も観に来たくらいにヒットしたのが、それ以降は、それが本来の姿なのだろう劇団の花形スター王瑩(ワン・イン)の独壇場。人一倍プライド高く、成り上がり志向の強い江青、恨みを呑んだに違いない。
 この頃、江青、《 電通影業公司 》と《 聯華影業公司 》で続けざまに映画にあれこれ何れも端役で出ているけど、唯一、蔡楚生・監督のコミカル映画《 王老五 》 で準・主役級の役を得て、劇中歌まで披露している。只、それなりにはヒットしたようだけど、後に繋がるようなものではなかったようだ。

 この《 都市風光 》では、若き江青、しかし、茶商・王のリッチな装いの愛人役のようなのだが、画面上の彼女、どうにも年寄り臭い。4、50代の女にしか見えない。まさかそんな設定なのか。王社長が懸想した質屋の娘はまだ若く、彼女の侍女役の白璐(バイ・ルー)なんて役柄も面白く、溌剌としていて印象的。何処かで見た覚えがあると記憶を手繰ってみたら、蔡楚生・監督の《 孤島天堂 》(1939年)で本土からヒモ男と一緒にやってきた騙され令嬢役で出ていた。淑女然とした役回りと、泥棒ネコ風のコミカルな娘役とじゃ当然に現れ様も違ってくるのだろうが。
 この映画で、江青、王社長といちゃつく場面がありキス・シーンまであるのだけど、文化大革命の頃、資本主義的・旧弊的害毒一掃キャンペーンを暴虐の極みにまで展開していった四人組の頭目としては、正にダモクレスの剣として、甚だ厄介な代物であったろう。当然、康生の諜報部の総力をあげて隠滅したに違いないにしても、《 孤島天堂 》の如く、オリジナル版が杳として行方知れずってことになってなくて良かった。

唐納  (李夢華)
張新珠 (張小雲)
白璐 〔王+路〕 (侍女)
顧夢鶴 (王俊生)
藍蘋=江青 (王の愛人)
蔡若虹 (陳秘書)

監督・脚本 袁牧之
制作   電通影片公司

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 ( 若き江青と唐納。この映画の頃知り合い、唐納がのぼせ上がる。野性味が新鮮だったのだろう。しかし、その後一緒になってからが修羅場の始まり。唐納、数度自殺未遂事件を起こすことになり、ゴシップ新聞を賑わす )


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 ( 行方をくらました江青の親の居る斉南まで追いかけていって自殺を計った唐納の記事 )


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2016年8月14日 (日)

あらかじめ出口なしの凋落物語 《 都市風光 》1935年 (一)

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暦の上の〈立秋〉が過ぎたせいか、夜明け前、東の低い山影のちょっと上方に、星光は小さいけどくっきりとオリオン座が浮かんでいて、本当に久し振りで暫し立ち止まり眺め入ってしまった。ベテルギウスはまだ健在だった。
 
 
 以前は中国のサイトをかなり探しても掠りもしなかった“まぼろし”の1930年代モダーン中国映画《 都市風光 》(監督・袁牧之)が、いつの間にか、YOU TUBEに普通に他の同年代の中国映画と並んでて、思わず眼が点になってしまった。
 早速中国サイトにアクセスして確かめてみると、様々な無料サイトで《 都市風光 》が犇(ひし)めいていた。
 著作権の期限が切れたのだろうか?
 この分だと、唐納は出てないけど、江青が彼女と因縁深い舞台女優・王瑩と共演した《自由神》の方も時間の問題だろうか。だったら、いっそ《孤島天堂》のオリジナル版なんかも公開して欲しいけど、ちょっと難題に過ぎるだろうか。


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 ( 西洋鏡、日本では覗きカラクリ。生き馬の眼を抜く魔都・上海を舞台の、現在風に言えばバーチャル・リアリティー凋落物語。)


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 ( 当時の時代の寵児・唐納。軟弱な貧乏インテリ役がよく似合う。)


この《 都市風光 》に興味を持ったのは、毛沢東の嫁として〈文化大革命時代〉に苛政を極めた元凶の一人として中国近代史に凶々と輝き続ける赤色超巨星・江青のまだ若かった女優時代に、彼女と短い間であったが夫婦となった当時の映画界の寵児・唐納と共演した作品だったからだ。

 先ず、銘打たれていた“音楽喜劇片”の意味が、この映画を観てやっと了解できた。
 「ワラ、ワラ、ワラ、ワラ、ワ!」
 という調子の良い掛け声をあげながらの衣料の安売り光景なんかも披瀝しながらの上海=大都会の繁栄と喧噪を音楽で端的に表していて、二年後の同じ袁牧之監督作品《馬路天使》では、更に端的に、主人公たちを町(上海)の楽隊屋や娘歌手って設定になった。暗く重い世相で四苦八苦しながらも、あくまで新時代を信じて生きようとする路地裏界隈のラッパ吹きの趙丹をリーダーにした若者達のコミカルな青春群像劇だった。


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 ( 手にした服を裏表見せながら、ワラ、ワラ、ワラ、ワラ、ワ!!と掛け声をあげるのだけど、作者の創作なのか、当時の実際の流行なのかは定かでない。)


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 ( 上の衣料店の上階のベランダに陣取った楽隊。ワラ、ワラ・・・に合わせて奏で続ける。)


 上海近郊のある田舎駅で、四人連れの男女(一家)が、あこがれの大都市・上海行の列車を待つ間、ちょっと当時流行っていた大きな西洋鏡(=覗きからくり)を覗いてみようとするところから物語は始まる。
 覗きレンズから中を窺っている内、いつの間にか、中に設えられた上海の町に取り込まれてしまう。めいめい上海のモダンボーイやモダンガール、そのモガの両親へと変身しするが、悪夢の如く、のっけから彼等の財布の中身を象徴するように、経済的破綻寸前の境遇から始まる。
 早い話、西洋鏡の中の大都市=上海物語なのだけど、貧乏インテリ・唐納が、自身の経済性もかえりみず惚れた傾きかけた質屋(=〈押〉 : 中国の質屋。総じて規模が小さい。〈当〉の方が一般的に知られていて規模も大きい。)の娘・張新珠に貢ついだあげく、恋敵の資産家茶商に奪われ、娘に唾棄され、服毒自殺をはかり、病院へ。
 質屋の亭主は、自分の娘の相手が茶商経営者と知って渡りに船とばかり喜んで嫁がせる。が、一緒になって幾らもしないうちに、茶商経営者の秘書にけしかけられたのか、お決まりの株に手を出し破産。秘書は質屋の娘の奉公娘・白璐(王+路)と一緒に茶商や娘の金目の物をネコババしてドロン。茶商も隠していた宝石類をポケットに上海を去るべく、寝てる娘をそのままに駅へと急行。慌ててやってきた父親が娘を起こし、金目の物すべてがカラッポになつていて、事態を悟って、必死で茶商の後を追いかけてゆくが、既に列車は出た後・・・


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 ( 父親の営っている質屋「押=小さな質屋」の玄関から出ようとして、待っていた車夫たちにぐるり囲まれる娘。最初、真上から見下ろす角度で撮り、車夫たちの差し伸べた手がぐるり円形を形作っているという凝った撮り方をしていて、正にモダーン 。)


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 ( 如何にもモダーンな大都会って風の大きな「当」の文字が粋な大規模店の質屋。)


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 ( 娘の実家で麺の軽食を御馳走になる茶商の経営者と秘書。娘の隣は奉公娘。中々溌剌として、江青よりも印象的。)


 要は、“旧中国大都市社会生活的種種畸形醜態”(中国サイト)、つまり“魔都”と戦前呼ばれていた頃の国際都市上海の資本主義的様態ってところ。それに、“マンガ式的手法”
ってラベルも貼られていて、これは発表された当時から既にあったものなのだろうか。
 確かに、この映画の当時のポスターやなんかにもマンガが使われてたし、映画の中にもアニメ映画を観るシーンもあり、それ以上にコミカルな戯画化って手法がそう発想させたのかも知れない。そういえば、同時代の映画《自由神》の宣伝にもマンガが使われてもいた。

 最初想定したいたものと随分と相違した作りになっていて、それなりに面白くはあったのだけど、観ている途中で、ふとこれって睡眠薬自殺した女優・阮玲玉や彼女の主演した映画《新女性》へのオマージュなのかって驚いてしまった。と言うのは、この映画と《新女性》って同じ1935年公開だからだし、彼女の死もその間に起きた事件だからだ。

                            (以下、続く)


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2016年8月 1日 (月)

大泉黒石《 草の味 》を読むと、戦時食糧事情から食人行まで思い至ってしまった。

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 大正末・昭和初期に活躍した小説家・大泉黒石について、これまで何度か触れてきたけど、時代が閉鎖的になり戦争色濃くなり始めると、ロシアとのハーフだったこともあって次第に出版界から疎外されはじめ、戦時下には息子の滉ともども、道を歩いていると子供達から石を投げつけられたりしてたのは有名。その後、山中にはいって隠棲生活を送っていたような通説だったのが、結構終戦前年まで著作活動はしていたようだ。勿論僅少なものではあるけれど。

 ニューギニア・ブナで日本軍全滅、アッツ島玉砕、山本五十六戦死、建物租界(大都市での空爆による延焼を防ぐため)実施等次第に“敗戦”が間近に視えはじめた昭和18年(1943年)、喰うためにか、あるいは作家としての創作欲を満たすためにか、上梓したのが、初版発行部数5000冊のこの《 草の味 》。
 前年には、同じ大新社より、《山の人生》、《白鬼来 阿片戦争はかく戦はれた》の2冊、翌年(1944年)にも児童小説《 ひな鷲わか鷲 》を出している。但し、何故か、この《 草の味 》だけは、本名の大泉清を使っている。


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 先ずは、冒頭の 〈 草の功徳 〉で、ますます加速してゆく国粋主義一辺倒の国内で、敢えてのっけから、“ 糧は敵に拠る ”という中国の古代兵法家・孫子の兵法を強引に提示し、その後、この著作執筆の経緯に触れるみせる。
 
 
 「 国民生活科学化協会では、このほど、第一回生活科学化全国常会を開いて、決戦生活の建て直しを討議した。
 ・・・ その第一部(農山漁村)の中に、『 山野に自生する可食野草の採集 』という提案があったのは、時機を得たものとして、わたしの心を惹いたのである。
 日本は世界の中でも、支那、印度に次ぐ有用植物の豊富な国で、食用に供するものも頗る多いのである。
 ・・・ 国土(中国)が広いせいもあるだろうが、塵芥箱に棄ててある野菜の屑で、舌鼓がうてるような美味い料理が調理出来きないうちは、一人前の腕を有(も)つ料理人とはいえない、といわれるところだけあって、こんなものが、どうして食えるかしら、と思われるような代物が、代用品として立派に役立たせてあるから、偉いものだ。」


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 「 十字花科の草は、大抵食べられる。
 ・・・ 山草野草のなかには、実際、食えそうにみえないでいて、非常に美味なものがあったりして、世の人々には馴じみの薄いものや、全然知られていないものが沢山ある。これを知っていることは、先刻もいったように、大きくは食糧増産のたしになり ・・・ 食料に対する懸念を除くために、多少とも役立つではないか?
 とはいうものの、私とても植物の研究家ではなし、また栄養学者でもない。一介の文学者に過ぎないのだ。山草野草に関する知識は、十余年間の山歩き、山生活に得たる見聞体験の埒内に限られているが、『 今まで食べなかったものを食べる 』ことに、いささかでも資するところあるを希(ねが)って書くのである。」


 次の章〈 草を食う 〉じゃ、人類と食糧との関係の生物学的啓蒙からはじまる。

 「 太古の人間生活は、四っつ足の野獣(クワドロ・ペッド) ・・・ つまり野育ち動物の生活と、画然たる区別をつけることができない。われわれは草木の種子や根や、蜂蜜や鳥の卵を漁りとって食べていた。いや、いやそれよりも更に遠い過去へ溯るならば、地球の表面には、草木のほかに食うべきものがなかったのだから、草木の根と葉ばかり貪り食った時代を有っている。言いかえると、草木の生命の根源である葉緑素(クロロフィル)が、人間と他の生き物の生命の素であった歴史を有っているのである。」


 「 ・・・ 草木の不足愈々深刻となるや、力の強い動物は、餓死を免かれんために、これまた、嘗て味わったことのない、他の生き物の血液を狙い出したのである。何萬年か、草木の葉緑素で、生存を継続して来た生き物の血液だ。動物どもの味覚が、葉緑素の代用品として、生き物の血液を欲しがることに不思議はない。生き物の血液と、草木の葉緑素は、どんな関係にあるのか?
 ・・・ フィロポルフィン( 葉緑素の本体 )の元素分析は、これが血液中のヘモグロビンと同じものであることを明らかにした。葉緑素と血液の相違は、ただ二ッの酸素が違っているだけで、草木の葉は青く、血は赤というわけである。・・・」


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 「 二、三年前のことだが、建国二千六百年の意義ある年を迎えるにあたり、国民精神総動員では、その趣旨の徹底法の一つとして、『 戦時食献立』なるものを発表し、朝食は一汁一菜、昼飯は一皿、夕食は一汁三菜と決めたが、こんなものは、現在の国民生活を全(まる)で知らない人達のお説で、こういう実際問題の発表にあたっては、国民の実生活を充分に見極めてからにして貰いたい、という一般民衆の非難を浴びて、立ち消えになったことがある。
 現在のわれわれは、右のような贅沢な戦時食献立に盲従しし得る生活はしていないというのだ。朝食は一汁と漬物、夕食は一汁か又は一菜で、昼食は夕食の残りもの、稀に塩鮭か干物が、お茶漬けの御馳走として、食膳に登場することもあるが、一週のうち三日は、夕食を雑炊に決めているのが普通で、これ以上の食事を享楽する階級は、東京七百万市民のうちに百万とはいないだろうというわけだった。
 帝都でさえ斯(か)くの通りの実情であって見れば、地方の農村民衆の食生活が、より以上に粗末なことは知れている。」


 「 ・・・ 或る国民学校教師の話だが、一日(あるひ)、生徒二百二十余名の顔が、黄疸患者のように、黄いろく且つ腫れ上がっているのに気がついて、教員室の話題となり、調査の結果、この村では、ここ月余にわたって、南瓜ばかりを食っている事実がわかったという。これなどは真に同情すべき事態ではあるが、忌憚なくいえば、工夫がなさすぎる一例として見ることも出来るようだ。この村落の藤の花の美しさが、私の印象に残っているので、藤の花を引合いに出すが、他に食べるものがあるか、ないかは知らんが、食べようと思えば、藤の花さへ御馳走ぢゃないか、と私は言ったことを忘れない。
 その幽艶清雅な姿を眺めながら、こいつを食ったら、うまいだろうか、不味いだろうかと考える者もなかろうし、食ってみたところで、何のたしにもなりかね、芭蕉の句にしかならぬような藤の花が、その艶麗な花の色素のなかに、ヴィターミンの性能を有っているのである。
 ・・・ 定性実験の結果、藤の花のなかには、純粋蛋白質のものと、糖類や色素類に堅く結合している複合蛋白質が、可なり多量に含まれていることが明らかになった。だから、晩春から初夏にかけて咲くこの花を、ただ鑑賞するだけでなく、秋に咲く黄菊白菊の花のように、三ばい酢にでもつくって食べるならば、栄養の上でも甚だ有効であるというわけだ。但し三ばい酢にして食べる場合は、摘み採った花を消毒し、繊維を柔らかくするために、ざっと湯にとおすことを忘れてはならない。」


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 「 私たちは、嘗て経験しないほどの、砂糖の欠乏に不自由を感じている ・・・ とにかく物が不足すると、それを欲しがる人々の多いことを見越して、悪徳商人が横行する。これは何れの国も御同様であるらしい。嘗て英国で、砂糖の欠乏を来した時のことだが、砂糖の中に挽き砕いた米の粉その他の安物を混ぜて、砂糖の値段で売ったり、石鹸製造工場から持ち出された廃物が、他の品物と一緒に混ぜられ、砂糖として売られたことがあるという。」


 こんな調子で、戦時統制下の検閲にひっかからないように、ギリギリの線で、一層乏しくなってゆく食糧事情のあれこれ四方山を、相変わらずの黒石風に展開してゆく。
 モノローグだけじゃなく、以前トンネル工事に従事していた山男を筆頭にそれぞれの地方の人々とのやりとりもまじえたり、当時の食糧事情をモチーフにした一種の風景論ってところだろうか。


 しかし、実際には、この本が出版された一年後あたりから、南方の戦線のあっちこっちで、鬼畜=米英を撃退するはずの、当の皇軍=大日本帝国軍自身が、すっかり鬼畜そのものと化してしまい、敵軍捕虜から現地住民、それでも飽きたらず自軍の兵士達をすら喰いまくる餓鬼道・畜生道的惨状が展開されることになる。
 昨今のホラー映画によくあるような、かの石井部隊が開発した最強軍隊になる秘薬を自国・日本軍兵士に飲ませたのでも、南方の奥地に昔から伏在していた人肉を喰らうようになる病原体に侵されたのでもなく、実に単純物理的に、軍事における基本中の基本、食料の確保を、大日本帝国軍参謀たちが、ないがしろにした論理的帰結に過ぎなかった。

 ゾンビー映画を地でゆくように、専ら食材として、敵味方の区別なしに、人肉を求め、南方のジャングルをゆらゆらと徘徊し、貪り喰りつづけたという次第。( フィリピンのある地域では、野性の鹿もいるし果物もなっているにもかかわらず、何故か執拗に現地民の人肉に執着しているのを現地民たちに訝られていたという。一旦人肉の味を覚えてしまった野性の動物は危険とはよく聞くが、皇軍もその例に漏れなかったということなのだろうか。)


 それには更に後日譚もあって、そもそもそんなおぞましい状況に兵士達を追いやった張本人輩の一人が、かの大日本帝国軍人の象徴のような存在=参謀・辻正信なのだが、そんな彼が戦後最初の国会議員選挙で堂々とトップ当選したって事実を考え合わせると、つまり彼に投票したのがかつての皇軍将兵達だったってことは、かの食人行為・カンニバリズムって、彼等にとってはさほど気にする行為でもなかったということだろうが、それ以上に皇軍=大日本帝国軍(人)の本性がどんなものであったのか証して余りある。
 つまり、良くも悪くも普通。状況的・環境的産物以外の何ものでもないってことだ。


 フイリピン戦線なんかじゃ、あっちこっちに成っている現地の常食材タロイモが、敗残と化してしまった将兵達の生きる糧ってとこだったようで、あすこへ行けば沢山の芋がある、何がある、何とかなるとかいう風説を頼って、餓死寸前の身体を引き摺るようにゾロゾロとはぐれ兵士たちの一団が行軍してゆき、あげくその報をきいてやってきたに違いない先行隊の朽ち果てた死骸がのみ累々と横たわっていたってのが大半って光景、ゾンビー映画で、生き残った人間達の間での基本課題としてストーリー展開の定番の如く取り扱われているのと通底するものがあるし、映画じゃ中々映像化されないゾンビー同士でのそんな風聞による移動なんてものがあったら、いよいよ“ゾンビー(映画)”って、荒唐無稽な空々しい物語なんかじゃなく、すぐれて人間的本質を穿ったむしろ論理的展開的産物ということになる。
 最近の邦画《 野火 》も、フィリピンでの皇軍・食人部隊をモチーフにしてて、流通貨幣のように“芋と塩”がやりとりされていた。とりわけ、塩は無敵の貴重品で黄金以上の如く。


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 戦時日本国内の食料事情が、いつの間にか、南方戦線での食人行軍・ゾンビー論まで発展していったけど、食人・カンニバリズムって、状況次第で何処にでも跋扈するようで、歴史上にも世界各地にその例を見る。かのエルサレムまで延々と各地で殺戮・掠奪を繰り返してきた中世ヨーロッパの十字軍も、イスラム教徒達を貪り喰いまくってきたのでも有名。悪辣な戦前の帝国主義的な植民地支配とも合わせてのツケを、彼等十字軍諸国は、現在支払せられているに過ぎない。


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