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2016年8月 1日 (月)

大泉黒石《 草の味 》を読むと、戦時食糧事情から食人行まで思い至ってしまった。

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 大正末・昭和初期に活躍した小説家・大泉黒石について、これまで何度か触れてきたけど、時代が閉鎖的になり戦争色濃くなり始めると、ロシアとのハーフだったこともあって次第に出版界から疎外されはじめ、戦時下には息子の滉ともども、道を歩いていると子供達から石を投げつけられたりしてたのは有名。その後、山中にはいって隠棲生活を送っていたような通説だったのが、結構終戦前年まで著作活動はしていたようだ。勿論僅少なものではあるけれど。

 ニューギニア・ブナで日本軍全滅、アッツ島玉砕、山本五十六戦死、建物租界(大都市での空爆による延焼を防ぐため)実施等次第に“敗戦”が間近に視えはじめた昭和18年(1943年)、喰うためにか、あるいは作家としての創作欲を満たすためにか、上梓したのが、初版発行部数5000冊のこの《 草の味 》。
 前年には、同じ大新社より、《山の人生》、《白鬼来 阿片戦争はかく戦はれた》の2冊、翌年(1944年)にも児童小説《 ひな鷲わか鷲 》を出している。但し、何故か、この《 草の味 》だけは、本名の大泉清を使っている。


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 先ずは、冒頭の 〈 草の功徳 〉で、ますます加速してゆく国粋主義一辺倒の国内で、敢えてのっけから、“ 糧は敵に拠る ”という中国の古代兵法家・孫子の兵法を強引に提示し、その後、この著作執筆の経緯に触れるみせる。
 
 
 「 国民生活科学化協会では、このほど、第一回生活科学化全国常会を開いて、決戦生活の建て直しを討議した。
 ・・・ その第一部(農山漁村)の中に、『 山野に自生する可食野草の採集 』という提案があったのは、時機を得たものとして、わたしの心を惹いたのである。
 日本は世界の中でも、支那、印度に次ぐ有用植物の豊富な国で、食用に供するものも頗る多いのである。
 ・・・ 国土(中国)が広いせいもあるだろうが、塵芥箱に棄ててある野菜の屑で、舌鼓がうてるような美味い料理が調理出来きないうちは、一人前の腕を有(も)つ料理人とはいえない、といわれるところだけあって、こんなものが、どうして食えるかしら、と思われるような代物が、代用品として立派に役立たせてあるから、偉いものだ。」


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 「 十字花科の草は、大抵食べられる。
 ・・・ 山草野草のなかには、実際、食えそうにみえないでいて、非常に美味なものがあったりして、世の人々には馴じみの薄いものや、全然知られていないものが沢山ある。これを知っていることは、先刻もいったように、大きくは食糧増産のたしになり ・・・ 食料に対する懸念を除くために、多少とも役立つではないか?
 とはいうものの、私とても植物の研究家ではなし、また栄養学者でもない。一介の文学者に過ぎないのだ。山草野草に関する知識は、十余年間の山歩き、山生活に得たる見聞体験の埒内に限られているが、『 今まで食べなかったものを食べる 』ことに、いささかでも資するところあるを希(ねが)って書くのである。」


 次の章〈 草を食う 〉じゃ、人類と食糧との関係の生物学的啓蒙からはじまる。

 「 太古の人間生活は、四っつ足の野獣(クワドロ・ペッド) ・・・ つまり野育ち動物の生活と、画然たる区別をつけることができない。われわれは草木の種子や根や、蜂蜜や鳥の卵を漁りとって食べていた。いや、いやそれよりも更に遠い過去へ溯るならば、地球の表面には、草木のほかに食うべきものがなかったのだから、草木の根と葉ばかり貪り食った時代を有っている。言いかえると、草木の生命の根源である葉緑素(クロロフィル)が、人間と他の生き物の生命の素であった歴史を有っているのである。」


 「 ・・・ 草木の不足愈々深刻となるや、力の強い動物は、餓死を免かれんために、これまた、嘗て味わったことのない、他の生き物の血液を狙い出したのである。何萬年か、草木の葉緑素で、生存を継続して来た生き物の血液だ。動物どもの味覚が、葉緑素の代用品として、生き物の血液を欲しがることに不思議はない。生き物の血液と、草木の葉緑素は、どんな関係にあるのか?
 ・・・ フィロポルフィン( 葉緑素の本体 )の元素分析は、これが血液中のヘモグロビンと同じものであることを明らかにした。葉緑素と血液の相違は、ただ二ッの酸素が違っているだけで、草木の葉は青く、血は赤というわけである。・・・」


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 「 二、三年前のことだが、建国二千六百年の意義ある年を迎えるにあたり、国民精神総動員では、その趣旨の徹底法の一つとして、『 戦時食献立』なるものを発表し、朝食は一汁一菜、昼飯は一皿、夕食は一汁三菜と決めたが、こんなものは、現在の国民生活を全(まる)で知らない人達のお説で、こういう実際問題の発表にあたっては、国民の実生活を充分に見極めてからにして貰いたい、という一般民衆の非難を浴びて、立ち消えになったことがある。
 現在のわれわれは、右のような贅沢な戦時食献立に盲従しし得る生活はしていないというのだ。朝食は一汁と漬物、夕食は一汁か又は一菜で、昼食は夕食の残りもの、稀に塩鮭か干物が、お茶漬けの御馳走として、食膳に登場することもあるが、一週のうち三日は、夕食を雑炊に決めているのが普通で、これ以上の食事を享楽する階級は、東京七百万市民のうちに百万とはいないだろうというわけだった。
 帝都でさえ斯(か)くの通りの実情であって見れば、地方の農村民衆の食生活が、より以上に粗末なことは知れている。」


 「 ・・・ 或る国民学校教師の話だが、一日(あるひ)、生徒二百二十余名の顔が、黄疸患者のように、黄いろく且つ腫れ上がっているのに気がついて、教員室の話題となり、調査の結果、この村では、ここ月余にわたって、南瓜ばかりを食っている事実がわかったという。これなどは真に同情すべき事態ではあるが、忌憚なくいえば、工夫がなさすぎる一例として見ることも出来るようだ。この村落の藤の花の美しさが、私の印象に残っているので、藤の花を引合いに出すが、他に食べるものがあるか、ないかは知らんが、食べようと思えば、藤の花さへ御馳走ぢゃないか、と私は言ったことを忘れない。
 その幽艶清雅な姿を眺めながら、こいつを食ったら、うまいだろうか、不味いだろうかと考える者もなかろうし、食ってみたところで、何のたしにもなりかね、芭蕉の句にしかならぬような藤の花が、その艶麗な花の色素のなかに、ヴィターミンの性能を有っているのである。
 ・・・ 定性実験の結果、藤の花のなかには、純粋蛋白質のものと、糖類や色素類に堅く結合している複合蛋白質が、可なり多量に含まれていることが明らかになった。だから、晩春から初夏にかけて咲くこの花を、ただ鑑賞するだけでなく、秋に咲く黄菊白菊の花のように、三ばい酢にでもつくって食べるならば、栄養の上でも甚だ有効であるというわけだ。但し三ばい酢にして食べる場合は、摘み採った花を消毒し、繊維を柔らかくするために、ざっと湯にとおすことを忘れてはならない。」


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 「 私たちは、嘗て経験しないほどの、砂糖の欠乏に不自由を感じている ・・・ とにかく物が不足すると、それを欲しがる人々の多いことを見越して、悪徳商人が横行する。これは何れの国も御同様であるらしい。嘗て英国で、砂糖の欠乏を来した時のことだが、砂糖の中に挽き砕いた米の粉その他の安物を混ぜて、砂糖の値段で売ったり、石鹸製造工場から持ち出された廃物が、他の品物と一緒に混ぜられ、砂糖として売られたことがあるという。」


 こんな調子で、戦時統制下の検閲にひっかからないように、ギリギリの線で、一層乏しくなってゆく食糧事情のあれこれ四方山を、相変わらずの黒石風に展開してゆく。
 モノローグだけじゃなく、以前トンネル工事に従事していた山男を筆頭にそれぞれの地方の人々とのやりとりもまじえたり、当時の食糧事情をモチーフにした一種の風景論ってところだろうか。


 しかし、実際には、この本が出版された一年後あたりから、南方の戦線のあっちこっちで、鬼畜=米英を撃退するはずの、当の皇軍=大日本帝国軍自身が、すっかり鬼畜そのものと化してしまい、敵軍捕虜から現地住民、それでも飽きたらず自軍の兵士達をすら喰いまくる餓鬼道・畜生道的惨状が展開されることになる。
 昨今のホラー映画によくあるような、かの石井部隊が開発した最強軍隊になる秘薬を自国・日本軍兵士に飲ませたのでも、南方の奥地に昔から伏在していた人肉を喰らうようになる病原体に侵されたのでもなく、実に単純物理的に、軍事における基本中の基本、食料の確保を、大日本帝国軍参謀たちが、ないがしろにした論理的帰結に過ぎなかった。

 ゾンビー映画を地でゆくように、専ら食材として、敵味方の区別なしに、人肉を求め、南方のジャングルをゆらゆらと徘徊し、貪り喰りつづけたという次第。( フィリピンのある地域では、野性の鹿もいるし果物もなっているにもかかわらず、何故か執拗に現地民の人肉に執着しているのを現地民たちに訝られていたという。一旦人肉の味を覚えてしまった野性の動物は危険とはよく聞くが、皇軍もその例に漏れなかったということなのだろうか。)


 それには更に後日譚もあって、そもそもそんなおぞましい状況に兵士達を追いやった張本人輩の一人が、かの大日本帝国軍人の象徴のような存在=参謀・辻正信なのだが、そんな彼が戦後最初の国会議員選挙で堂々とトップ当選したって事実を考え合わせると、つまり彼に投票したのがかつての皇軍将兵達だったってことは、かの食人行為・カンニバリズムって、彼等にとってはさほど気にする行為でもなかったということだろうが、それ以上に皇軍=大日本帝国軍(人)の本性がどんなものであったのか証して余りある。
 つまり、良くも悪くも普通。状況的・環境的産物以外の何ものでもないってことだ。


 フイリピン戦線なんかじゃ、あっちこっちに成っている現地の常食材タロイモが、敗残と化してしまった将兵達の生きる糧ってとこだったようで、あすこへ行けば沢山の芋がある、何がある、何とかなるとかいう風説を頼って、餓死寸前の身体を引き摺るようにゾロゾロとはぐれ兵士たちの一団が行軍してゆき、あげくその報をきいてやってきたに違いない先行隊の朽ち果てた死骸がのみ累々と横たわっていたってのが大半って光景、ゾンビー映画で、生き残った人間達の間での基本課題としてストーリー展開の定番の如く取り扱われているのと通底するものがあるし、映画じゃ中々映像化されないゾンビー同士でのそんな風聞による移動なんてものがあったら、いよいよ“ゾンビー(映画)”って、荒唐無稽な空々しい物語なんかじゃなく、すぐれて人間的本質を穿ったむしろ論理的展開的産物ということになる。
 最近の邦画《 野火 》も、フィリピンでの皇軍・食人部隊をモチーフにしてて、流通貨幣のように“芋と塩”がやりとりされていた。とりわけ、塩は無敵の貴重品で黄金以上の如く。


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 戦時日本国内の食料事情が、いつの間にか、南方戦線での食人行軍・ゾンビー論まで発展していったけど、食人・カンニバリズムって、状況次第で何処にでも跋扈するようで、歴史上にも世界各地にその例を見る。かのエルサレムまで延々と各地で殺戮・掠奪を繰り返してきた中世ヨーロッパの十字軍も、イスラム教徒達を貪り喰いまくってきたのでも有名。悪辣な戦前の帝国主義的な植民地支配とも合わせてのツケを、彼等十字軍諸国は、現在支払せられているに過ぎない。


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