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2016年10月 8日 (土)

崩壊の淵のパンドラの箱  路傍のピクニック

Stalter9
                                                                                                                                                                               
 「 アスファルトは一面にひび割れていて、亀裂に雑草が生い茂っていた。だがそれはまだおれたち人類の草だ。そら、あの左手の歩道にはもう黒い棘草が生えている。あの棘草で、ゾーンがはっきりと自分の境界を引いているのがわかる」


 「 幅五十キロメートルの無人地帯。科学者と兵隊以外はいっさい近寄らせない・・・・・・どうやらことの始まりは、ストーカーたちがゾーンからそれ相応のものを持ち出してきたときだった 」


 「 あれはたしか〈電池〉だった・・・そう、たぶんあれから始まったのだ。ことに、それが分裂して殖えることがわかってからだ。疫病が必ずしも疫病ではないらしい、いや、疫病どころか、どうやら宝かもしれないということになったのだ・・・だが、今ではそれが何なのか──疫病なのか、宝か、地獄の誘惑か、パンドラの箱か、それとも悪魔なのか──だれにもわかっちゃいない・・・だが徐々に使い道が見つけられた」


 確かに、タルコフスキーの映画《 ストーカー 》(1979年)の世界と雰囲気は似ている。
 しかし、「二十年間、さんざんな目に遭い、数十億もの人間が死んでいった」という昨今流行でもある〈崩壊世界〉の只中で、ストーカーたちの溜り場=酒屋《 ボルジチ》において繰りひろげられる酒・女・金(ゾーンから持ち帰った品物の取引)そして喧嘩までが、終末論的なペシミズムというより、むしろ居直ったニヒリズムとでもいうべき楽観主義的様相を呈している。やがて巨大惑星が地球と衝突するというラース・フォン・トリアー監督《 メランコリア 》(2011年)の切羽詰まった終末論的供宴って趣きは見られない。

 ストルガツキー兄弟自身が、タルコフスキーの《 ストーカー 》は、自分たちの作品とはまったく別物と断言していたらしいけど、願いが叶うという《 黄金の玉 》こそが二つの作品の共通するテーマなのだろう。
 当時の絶対的現実、全体主義=ソ連の抑圧的なモノトーンな灰色世界からの脱却。
 唯一ソ連共産党独裁権力こそが人民の幸福=夢を実現できるというとっくに破綻し尽くしたドグマへの疑義あるいは否定。
 つまり、この夢・願望の叶う《 願望機 》=《 黄金の玉 》って、その単純過ぎるほどの記号化ってところなんだろうけど、同時にそれが西側=資本主義・民主主義の側のイデオロギーとしても幾重にも絡まってさながらゆらめくプリズムのごとく。如何様にも脚色できる面白い主題に違いない。


 映画の方じゃかなり的(まと)を絞った作りになってたけど、原作の方は(SF)小説的奔放さで、来訪者あるいはゾーンからもたらされた色んな事物・事象を網羅し、未知の力と罠の隠された崩壊世界を演出している。例えば、その中の一つに、“ 突然変異を誘発するゾーンの作用”って奴がある。


 「 だれか一人(理髪師)が移住・・・たとえばデトロイトへ移住したとする。そこで理髪店を開業するが、思いもかけない異常なことがはじまる。客のうち九十パーセント以上が一年の間に死んでしまう。つまり交通事故に遭ったり、窓から転落したり、ギャングや強盗に斬殺されたり、浅いところで溺死したり・・・デトロイトで災害件数が増え・・・送電線の故障による火災の頻度が二倍にはねあがり・・・・・・来訪地域からの移住者が住みついたところは、都市であろうと田舎であろうと異変が起こり、その件数は、異変発生地域に住みついた移住者の人数に正比例している。・・・そういう作用を及ぼすのは。来訪そのものを体験した移住者に限られているという 」


 如何にもって感じのムードを盛り上げるにはかっこうのエピソード。
 これだけでも、物語・映画ができてしまいそうだ。しまいには、ゾンビー現象すら派生し、ストーカー=レッドのとっくに死んだ親爺さんもご多分に漏れず姿を現し、すっかり彼の家に住みついてしまう。只、ゾンビーのゾンビーたる由縁の、生前の如く生き生き・溌剌の欠如した生ける屍状態。
 映画と違ってやっぱしSF小説世界、予算がかかる訳もないアイデアの凝った設定・小道具満載で中々面白い。けど、あのタルコフスキーの仄暗い物陰や水底にひっそりとゆらぐ“来訪”的痕跡、静謐な荒廃世界も独特で捨てがたい。
 尚、ストルガツキー兄弟が映画化したかった《 路上のピクニック 》のシナリオも、アルカジイ・ストルガツキーの手によって、もろ《 願望機 》(群像社)というタイトルで出版されているという。
 

      《 ストーカー 》(オリジナルは「路傍のピクニック」) 
     アルカジイ&ボリス・ストルガツキー 訳・深見弾 (早川文庫)

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