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2016年12月10日 (土)

1995年 夏の北京

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 1995年7月上旬、夕刻に北京空港に到着。
 初めての北京ってのもあるけど、余り嬉しい時間帯じゃない。
 けれど、日記を読み返しても、どうにも記憶が甦らない。
 その六年前の、海外旅行から中国行から何から何までもが初めてだった上海空港の、すっかり夜の帳もおりた暗闇の中に、群がり蠢く薄明かりに照らし出された胡散臭げな男達が一斉に声をかけてきた時のリアルな迫力は記憶に刻まれているんだけど。
 それはタクシーの運転手たちだった。
 当時はまだ天安門事件の余韻醒めやらぬ時節で、その上、当時中国で相次いで邦人殺害事件も起こり始めていたこともあってか、首から大きな身分証を提げたおばさんたちが、運転手達の間に立って大丈夫かどうか受け合ってくれていた。面喰らい、心細くもありながらも、ままよ! とばかりその運転手のタクシーに乗り込んだのであったが・・・正に中国映画の、暗い夜闇の一コマ、影絵の世界であった。


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 が、もう中国自体がそんな状況じゃなくなっていた時代の北京ではあったものの、さっぱり不案内で、やはり一筋縄ではいかなかった。
 空港ターミナルからリムジンで北京駅まで行ったのはよかったが、目指す《 北京僑園飯店 》行の20番のバスの乗場が見つからず、あたりは次第に暗くなってくるし、仕方なくタクシーに乗る。とりあえず30元に値切った。
 ところが、天安門から前門へと進んだ後、まっすぐ運河の方に向かわず突然右折してから運ちゃん、延々と少し行っては通行人に路を尋ねまくり、その毎に毒づきつづけた。その知らぬ態の真偽の程は定かじゃないけど、地方からの出稼ぎ組だとあり得る話で、すっかり諦めた頃、するりと 《 北京僑園飯店 》の看板の前に止まった。
 入口に坐っていた青年に尋ねると、あっちに票処があるからあっちへ行けと言われ歩いてゆくと、《 国家教育委員会留学生招待所 》の看板があって、そこのガードマンに"駄目だ!"とけんもホロロに追い返されてしまった。先っきの青年を連れて行って試みてもやはり不可。 結局、その同じ通りの先にあった《 北京永定門飯店 》にチェック・イン。時計は10時を廻っていた。ドミトリーはなく、三人部屋を借りきりで何と、99元。泣く泣く100元札を一枚渡した。部屋は、ソファーにテレビ、テーブルも備わった中国宿の定番だったけど、上海の浦江飯店なんかと較べようもない代物。水浸しの狭苦しい共同のシャワー室に白人の泊客たちが素っ裸で押し合いへし合いしているのを見て辟易し、食事もとらず、パンツ一丁で寝てしまった。
 何とも蒸し暑い北京の夜ではあった。
 100ドル=821元


A

 翌朝、早速ホテル横のバス停〈沙子口〉から、25路のバスで虎坊橋の《 遠東飯店 》を尋ねた。
 一番安い部屋で95元という。
 《 北京恵中飯店 》は見つからず、やむなく《 北京永定門飯店 》に泊まることに。
 尤も、5日分先払いで75元ってとこに落ち着いたが。
 今回の北京行の目的は、未踏の中央アジアに一歩踏み入れるための先ずはカザフスタンのビザ取得と、上海じゃ幾度も観ていたもののやっぱり本場北京での京劇鑑賞って訳だった。結論から先に言えば、大スカ! やっぱり北京だった!


 次の日は懸案の本場の京劇鑑賞ってことで、45路のバスで天橋まで行き、そこで乗り換え、王府井で降りて東単から王府井大街へ。王府井横にあるはずの王府井書店は無人の廃墟と化し、吉祥劇院のあるはずの金魚胡同の広い一角までもが、何と工事中。
 これが北京一の繁華街なのかと眼を疑った。
 青いシートと上空を舞う白っぽい工事の塵埃ばかり。
 天橋劇場も外壁が残っているだけ、あった首都劇場は京劇じやなくて現代劇の方だった。
 王府井近辺に行けば、庶民的な小さな京劇院もあるはずだったのが、一軒も見つからなかった。
 マジすか!
 雲南の州都・昆明の旧市街の壊滅的再開発さながらって訳で、訪れた時期が悪過ぎた。
 結局、前門にある前門飯店の中にある外人観光客御用達の梨園劇場で、テーブルで飲み食いしながらの白人観光客たちと一緒に、勿論後方座席には地元の中国人たちも陣取ってはいたけど、孫悟空なんかを観る羽目になって・・・心底情けなかった。


C

B


 建国門にあるCITS( 中国国際旅行社 )ビルに行き、あっちこっちの旅行会社や事務所でカザフスタンのビザが欲しいのだけどと訊いて廻るも、何処も不可能で、自分でカザフ大使館に赴いて取りに行く他ないと言う。《 地球の歩き方 》を読んでみると、バウチャーを作ってもらってから自分で大使館に取りに行くという手筈のようで、どうもCITSビルに入っている旅行会社じゃまず無理。のっけから、本場の京劇も中国からのカザフ=中央アジアへのアプローチも頓挫し、今回の中央アジア行自体断念する他なくなってしまった。( 最終的には、雲南・昆明から空路バンコクって運びになり、東南アジア行に変更。)
 因みに、この建国門の大使館街の並木って柿の木で、随分と大きく、既に青い実が沢山なってて、秋にはさぞ壮観だろうが、やがて熟し始めると次から次へと落下して、舗道は潰れた柿の実で鬱陶しい事態になるのじゃないだろうかと、他人事ながら気になってしまった。


 この頃の北京はともかく蒸し暑く、窓の少ない風通しの悪いバスの女性車掌も犬のように喘いでいた。
 32、3℃にもなる部屋には一応四角いファンが置いてあったけど、首の回らない固定式だった。殆ど、つけっぱなし。
 近くの果物屋の店頭には、桃、西瓜、マクワ瓜、ハミ瓜、葡萄、リッチー(茘枝)、マンゴー、バナナ、プルーン果ては椰子の実まで並んでいた。茘枝はあっちこっちで売られ、旬なのだろう。中国桃(3斤で10元 : 1斤=600グラム)を買った。味は悪くはなかった。

 
 ハルピンは治安が悪く、最近留学生がよく殺されてて、陽が落ちると誰も外出しないと嘆いていたハルピンの日本人留学生は、最初ぼくにシェアーを求めていたが、結局、他の日本人と3人部屋をシェアーし、一人74元と言う。彼は毎回北京を訪れた際には、件の《 北京僑園飯店 》に泊まっていたのが、今回工事中につき閉鎖中で、やむなくこの《 北京永定門飯店 》に泊まることとなった由。来月には再び営業を始めるらしく、服務員の態度も良く、ワン・ベッド幾らだと言う。このホテルも、今月17日から修理のため営業停止らしい。
 もう、北京中が工事、工事、営業停止って最悪の状況だ。

 雲南コースに変更したため、部屋代の高い北京には長居は無用ってことで、北京駅に昆明行の列車チケットを買いに行った。
 向かって右側の入口から入り、左奥の外人客用の待合室の奥にある国際旅客のチケット売場で、申込用紙と10元の手数料を払って、所定の窓口に持っていってチケット代を支払う。
 硬臥=568元。
 ホテルが閉鎖になる前日の16日発。
 2泊3日(53時間)の旅で、夕方5時頃昆明に到着予定。
実は、乗った後になって、この列車が実はエアコン車両だったのに気いた。
 よく見ると、チケットに“空調”と記してあって、初めての中国エアコン列車体験となった。



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