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2017年2月の2件の記事

2017年2月18日 (土)

中国武侠映画的覚書

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 以前、図書館の払い下げコーナーで、中国武侠映画の雄=キン・フー(胡金銓)監督の《 侠女 》の女主人公の絵の横に“ キン・フーからツイ・ハークまで 武侠片は死んだのか? ”という月並みだけどちょっと気になる見出しに釣られて遂い貰ってしまった中国雑誌《 三聯・生活周刊 》(2012年1月)を久し振りに取り出してみた。
 この雑誌は、ルーツは戦前まで溯る総合雑誌のようで、恐らく前年末の12月に中国全土で封切りになったばかりのツイ・ハーク(徐克)監督・ジェット・リー主演の3D武侠(古装)映画《 龍門飛甲 》(邦題:ドラゴンゲート空飛ぶ剣と幻の秘宝)に合わせた企画なのだろう。筆者はワン・カイとなっていて、この記事の後に続けて《 武侠映画の二つの世界 》(武侠電影的両個世界)をキン・フーとツイ・ハークを中心に展開した一文も掲載している。
 《 龍門飛甲 》は以前に紹介したことがあるがツイ・ハークとジェット・リーのコンビってこともあってキン・フー、ツイ・ハークの師弟二代にわたる《龍門客桟》シリーズの新たな3D巨片化って趣きで、正に面目躍如、結構面白く観させてもらった。


 ワン・カイによると、60、70年代に始まった中国武侠映画の新しい波の中心に立って活躍してきた監督・張徹が当時を振り返って、やはり第一人者はキン・フー、二位が彼張徹自身、三位は楚原とランキングをしたらしい。キン・フー以外の二者については未知だけど、ネットで調べたら結構活躍していたようだ。
 でも、当時、第一人者の、あの黒澤明ですらが一目置いていたキン・フーでさえも、後にカンヌ映画祭で受賞した《 侠女 》の撮影終了の後、映画会社がそれまでも会社の意向を無視して中々コンスタントに映画を作ろうとせず、制作費ばかりそれも多額の浪費を決め込むキン・フーに愛想を尽かしてか、カンヌでの受賞をすら怪しみ、もはや彼の好き勝手にはさせなくなっていて、結局キン・フー、カンヌ映画祭には、借金して渡航費を作って赴いた挙句での受賞だったらしい。

 そもそもキン・フーって、作家・老舎と明史の研究、世界中の図書館巡りが趣味で、仲間との酒宴も併せて、一端映画撮影に入ってしまうと断念せざるを得ないのが堪えられなくて、中々映画を撮ろうとしなかったという。何か人生をえらく損するような強迫観念に囚われるのだろう。それはしかし、映画会社にとっては、国際的に有名ではあっても、金と時間ばかり喰う寡作監督って、実に厄介な存在なのだろう。
 《 侠女 》の撮影には九ヶ月の時間と一万人以上の人員動因、広大な古い建物群のセット、更にその上、明史に詳しいぶん時代考証に拘り、当時の衣裳になんかにも素材から拘ったりで予算もどんどんかさんでいったらしい。そんな彼の行き方故に、しまいには彼の映画に出資してくれる企業を捜すのも大変になっていたのも意に介すことなく、己がスタイルを変えることもなく、人物や寺廟等をあたかも一幅の山水画の如く描こうとして湯水のように予算を使いまくり、確かに芸術性は高かろうが観客との間の乖離は拡がるばかり。やっとついてくれた出資者たちをも煩わせ不快にすることしきりだったようだ。これは頻くある作家(性)と採算(性)の問題で、洋の東西を問わない。


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 以下、要約すると、米国帰りのツイ・ハークと一緒に《 笑傲江湖 》(1990年)を制作した際も、相も変わらず完全主義的な作品本位主義的志向に走り、香港の映画会社との契約期間をとっくに過ぎても衣裳なんかに拘りまくったりで埒があかず、とうとうツイ・ハークが交替し、彼の兄弟たちとあっちこっちから金をかき集めて予算を作り、一月で完成させてしまった。
 尤も、そのツイ・ハークもキン・フーに負けず劣らずの浪費家で、《 新蜀山剣侠 》じゃ、仙女たちが飛翔するシーンのワイヤー・ワーク撮影のために、わざわざ香港の武術監督を呼び集めたりしたようだ。彼の作風は、キン・フーのリアリズムと真逆な、けれん味たっぷりな奇想天外な空想的リアリズムといったところ。
 ツイ・ハークの初期の頃は、西洋科学と幻想映画の結合を企図していたものの、次第に西洋的なものとの結合に違和感を覚えるようになったのか、東洋的な方途に傾き始め、ジェット・リー主演《 黄飛鴻 》シリーズでは一昔前の中国の勇壮なシーンを作ってみせた。
 ワン・カイは、その背景に、ツイ・ハークの西方文化に対抗しようとする観念・思想を指摘する。勿論、例えば、彼の(2012年当時の)最新作《 竜門飛鴻 》じゃ、新しい映像(世界)を創出するために、最新のテクノロジーを用いたりもしている。


 中国の武侠映画の本質は、復讐の快感=怒りのカタルシスだという説もあるけど、確かに最近のブルース・リーの師匠ってことで有名な詠春拳達人=葉問《イップ・マン》シリーズなんかそのいい例だろう。最後には、イップ・マンが理不尽な外人をやっつけるって寸法だ。しかしこれじゃ何としてもレベルが低く、“侠”とは言い難い。
 武侠映画の歴史において、真正の英雄として人物造形されたものは数が知れていて、秀作を多く作ってきたキン・フーでさえ例外ではない。彼の人物造形した高僧も人心を感化できたとは言えず、安易な御都合主義のレッテルを貼られても致し方ないだろう。


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 最後に、
 「一つの映画には一つの武侠の夢がある」
 これが宣伝のための単なるキャッチ・コピーであったとしても、あるいは真実の核心をついたものであったとしても、ともあれ、中国独自のこの武侠片というジャンルは、これからも生き延びてゆくのだろう、と期待を込めて結んでいる。

 この最後の言葉の前に、米国・ハリウッド映画が70年代の武侠映画を分析研究して作られた、名前は知っているものの未見のアニメ映画《カンフー・パンダ》の世界的成功に触れた後、では中国武侠映画の方はといえば、粗製濫造の旧態依然、すっかり行き詰まって前方にあるのは隘路ばかりって危機感を吐露してはいるのだけど、結局、“武侠映画は死んだのか”(武侠片已死?)ってセンセーショナルなタイトルにしては、案の定、月並みなものでしかなかったのは残念。
 中国映画なんて映画館で観れるのは希有な、わが南西辺境州じゃ、いわんや武侠映画なんてレンタル・ビデオで観るしかない。尤も、昨今は有難いことに、youtubeや中国のネットでそれなりには観れなくもないけど、字幕が基本、中国語か英語って制約があるのが玉に瑕。
 王家衛の《 グランド・マスター 》(2013年)の脚本を担当し、自らメガホンを取った《 倭寇的踪跡 》(2011年)の原作者でもある作家の徐浩峰の、《 箭士柳白猿 》(2012年)が中々面白そうで観てみたいのだけど、中国ネットあれこれ捜してみたものの予告編やらの部分的なものばかり。箭士とは弓士のことらしく、時代も民国初頭ってことで、いよいよ廃れてゆく武術としての弓ってところが良い。前作でも倭寇の残滓とも謂える倭刀が興味深かったし、独特のリアリズムも魅力的だった。


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2017年2月 4日 (土)

ブラフマーの聖地 プシュカル ( 旅先のパンフレット )

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 バック・パッカーには新年・正月を何処で迎えるかに結構こだわったりする者も少なくなく、ぼくもその例に倣って噂に聞いたヒンドゥー教の聖地でもある場所で迎えてみようとインド・ラジャスターン砂漠の入口にひっそりと佇んだ小さな町・プシュカルで年越し・新年を過ごしたことがあった。
 勿論別段何が変わったという訳でもないけれど、いつもの日本国内の変わり映えのしない光景とはやはり異り、異質と同一性の体験的自己確認ってところで、一人悦に入れたことは確かであった。

 とりわけ、大晦日の夕刻、アジメール側の低い灌木の覆う小さな山から、沈みかけようとしている夕陽の方に流れてゆく雲がだんだんと赤く染まってゆき、街の真ん中にあるプシュカル湖を囲繞したガート(石階段式沐浴所)のヒンドゥー寺院から鐘や太鼓や詠歌あるいはマントラが湖中に響き渡ってゆくセレモニーは味わい深いものだった。
 もっともこれは、ヒンドゥー教的の毎夕の祭祀的所作に過ぎないものだけど、刻々暮れなずんでゆくガートに面した寺院や民家の人々が、金属皿の上の燃える炎をそれに吊るした鎖でグルグル廻す所作は、遥か古のペルシャの拝火教(ザルトーシュト)以来なのか、ロシア正教のそれをも思わせ、西アジア的血脈に想いを馳せてしまう。


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 現地のブログ見てみると、外人観光客やインド国内の中産階級以上の観光客を対象にしてるのか、プール付の豪華そうなホテルが建ち並んでいるようで、ぼくが訪れた当時とは雲泥の差に近代化された観光地となっていた。湖周辺は寺院関係や住民で占められているので、郊外つまり砂漠地帯に作られたものだろう。
 国産タータのバスで団体でやって来て、そのバスの近くで煮炊きして食べ寝る地方からきた団体の巡礼たちの姿と比較してみても始まらないけど、それは何処の国も経てきた路でもあり、その最たるものの、今だ中世の遺制色濃く残るカースト国家インドであってみれば、正にあらゆる意味において生きた化石的風物詩と言えなくもない。


 そもそもこの町は、ヒンドゥー教の三神( トリムルティ )の一神・宇宙神ブラフマーを祀ったインドでも珍しい聖地。大抵はシヴァかヴィシュヌ神のどちらからしい。水上に横たわったヴィシュヌの臍から伸びた尾の先の蓮花の上に四面をもってこじんまりと単座している有名な図が示しているように、宇宙神と称された割には前二者に比して影が薄い。
 プシュカルの巡礼客相手の商店街の店頭に並べられていたインド風の薄っぺらなプリミティブな印刷のパンフレットの表紙にも、そのヴィシュヌ=ブラフマーの赤い図像が掲載されていて、その異国情緒漂うキィッチュな印刷物に興味をそそられ、つい一冊買ってみた。
 中は墨一色の単色印刷で、聖地プシュカルの神話・伝説的入門書ってところ。


 さてブラフマー、他の神々が自分たちの名を冠した聖地を持っていたのに鑑み、彼自身の名を冠した聖地を欲しくなり、蓮華を三本空中に投げた。
 一番最初に落下したのが、現在プシュカルと呼ばれている真ん中に佇んだプシュカル湖で、“年長のプシュカル”Jesrtha Pushkarと呼ばれ、二番目に落下したところは“真中のプシュカル”Madhya Pushkar、三番目は“年少のプシュカル”Kanista Pushkarと呼んだ。
 三番目のプシュカルは郊外にあってアジメールだったかの貯水池ともなっていて、英語でジュニア・プシュカルとも呼ばれてるけど、地元じゃブッダ・プシュカル(老プシュカル)とも呼ばれている。
 

 蓮華といえば、チベットに仏教を伝えた開祖パドマ・サンブァバ、名前の通り“蓮華生”と呼ばれ、蓮の花から生まれたという伝説で有名だけど、水上に浮かび大輪の紅花を咲かせる蓮華って、確かに神秘的かつ鮮やかで、シンボリックな連想を抱かせる。鬱蒼と茂った草林の奥の小さな沼や池に一輪紅い花弁を拡げる蓮華も極美だけど、靄の向こうの湖上一面に鮮やかに咲きほころんだ蓮華も極彩色のマンダラを彷彿とさせる。
 push=華、kar=(ブラフマーの)手ということでプシュカルらしく、そこで沐浴をすれば罪深い者達の罪が浄化される、ということで、毎日、インド中から信者達が参集してくる。ジャイナ教やイスラム教徒達までもが訪れるという。


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 このパンフレットによると、あらゆる聖地での沐浴は罪人達の罪業を払ってくれるけど、このブラフマーの聖地プシュカルだけは最も罪深い者達の罪すら浄化してくれる最も霊験あらたかな聖地なのだ。では、なぜ、そうなったのかと言えば・・・

 そもそもがブラフマーの聖地たるこの三つのプシュカル湖で沐浴さえすれば、ブラフマー神の慈悲によって、誰でも罪を浄化され死後天国へ昇れるようになった。この実に簡単な方法で救済と天国での至福の享受を得られることを知った人々は、本来ヒンドゥー教徒なら行うべき日々の精進や祭祀を軽んじ顧みなくなった上に、彼等で天国は溢れかえてしまった。
 ある日、そんな状況を危惧した神々達は、ブラフマー神のところに連れだってその由々しき事態への懸念を伝えた。すると、ブラフマー神はためらうことなくこう答えた。


 「 確かにあなた方の仰る通りでしょうが、あのプシュカルはもはや私と切っても切れないくらいに親密で不可分な場所となっているし、それに今更自分の作ったものを変えようとは思わない」


 そうはいかじと神々達、尚も喰いさがった。


 「 おお、宇宙の創造者よ!
 プシュカルの聖なる沐浴のおかげで、実に容易に人々は天国のキップを手に入れた。罪人達でさえ、我々と同等になってしまった。
 このままいけば、誰も日々の精進やら祭祀にソッポを向き、神々の聖火に供物を捧げることすらしなくなってしまう。我々の立場はどうなるのか?」


 そこまで言われて、さすがブラフマー神、おのれの失敗を悟った。


 「 いや、確かにあなた方の仰る通り。
 じゃ、人々の罪を浄化するプシュカルの力に制限を加えましょう。
 Kartika月(11月~12月)のShukla Paksha(新月からの最初の二週間)の最後の五日間にプシュカルで聖なる沐浴をした者だけの罪業を浄化することにしましょう。そのかわり、すべての神々は、この五日の間にプシュカルを訪れたすべての人々に祝福を与えて下さい。」


 神々はそのブラフマーの言葉を聞き、安心して天国へ戻っていった。
 それ以降、人々は、最も霊験あらたかなKartika月の最後の五日間、聖なる沐浴をするようになった。


 その五日間が、いわゆる《キャメル・フェスティバル》 ラクダ市の日(実際には二週間の祭り)でもある。結構盛大なものらしく、さすがに人、人、人で溢れまくるフェスティバルは、ぼくは遠慮させてもらった。プシュカル湖のガートや周辺の木々に屯するラングール猿達で充分。


Pushkar4
  
 
 プシュカルの南西にあるというアジガンデシュワル(Ajgandheshwar)寺院にまつわる説話も興味深い。
 かつて、ヴァシユカリ(Vashkali)と呼ばれた悪魔が居た。
 どんな心持ちでか定かでないけど、何と一万年もの間、プシュカルでブラフマー神に則って瞑想・苦行を続けたという。ブラフマー神も喜び、悪魔の願いを聞き届けてやることにした。
 悪魔ヴァシユカリは申し出た。


 「 おお、神よ。宇宙創造神よ。もし、本当に私の願いを叶えてくれるなら、私を決して人間や神々にさえ殺すことのできない不死の身体にして貰いたいのですが」


 上機嫌のブラフマー神、たやすく悪魔の願いを聞き入れた。

 「 悪魔よ。今日からお前は、神々によっても、いかなる人間達によっても殺すことの出来ない存在となろう 」


 さっそく悪魔ヴァシュカリ、厳粛に誓いを立てた。
 プシュカルの湖で沐浴し、ブラフマー神の祭祀(Darshan)を行い、毎日食事を供すると。


Pushkar5_2

 
 やがて悪魔の仲間達がその噂を聞きつけてやって来て、インドラの王国、つまり天国に攻め込み、その乗っ取りをけしかけた。悪魔はそそのかしに乗り、大軍を率いて天国へと進軍していった。強力な悪魔軍はまたたくまに天国軍を蹴散らし、インドラはほうほうの態で天国から逃げ出した。
 こうして悪魔ヴァシュカリは天国、人間、悪魔達の三つの世界の王となり、法(ダルマ)に従ってきっちり支配することとなった。それでも、悪魔は、日毎のブラフマー神の祭祀ダルシャンとプシュカル湖での沐浴を怠ることはなかった。

 一方、敗走し天国の王位を失ってしまったインドラは意気消沈し悶々とした日々を送っていた。それから一万年過ったある日、インドラは破壊神シヴァ神のところへ赴き訴えた。


 「 私は悪魔ヴァシュカリによって王国を奪われ、天国から追い払われてしまいました。ブラフマー神が、彼奴に決して神や人間に打ち倒されないよう加護を与えたからです。」


 シヴァ神は答えた。


 「 おお、親愛なるインドラ。
  ならば、山羊に化けて悪魔ヴァシュカリを確実に葬ってしまおう。」


 悪魔は毎日ブラフマー神のダルシャンの前にプシュカル湖で沐浴することにしていた。
 シヴァ神は羊の姿で現れ、悪魔はその大きな山羊を見つけ、弓矢で殺そうとした。その時、あわてて悪魔の配下の大臣が、ひょっとしてあの山羊はヴィシュヌ神かシヴァ神かも知れないと諫め止めるのも聞かず、例えそうであったとしても、ブラフマー神以外ならどんな神だろうと皆殺しにしてやると息巻き、毒矢を放った。
 山羊=シヴァ神、毒矢をものともせず悪魔に大きな角で一突き、悪魔は即死してしまった。影でその様子を窺っていたインドラや天国を追われた神々は、シブァ神を褒め称えた。そこにはブラフマー神も居て、シヴァ神を賞賛しながらこう言った。


 「 もし、あなたが本当に私に好意を示してくれるなら、私の最愛のプシュカルに名声と栄光を与えて下され」


 その時、あたりを揺るがせてシヴァ・リンガが大地を突き破って現れた。
 
 「 ここにこのリンガは残り続け、カルティカ月のシュクラ・パクシャの十四日目には、必ず私はやって来る。」


 そう告げ、神々を災厄から救ったシヴァ神は立ち去っていった。
 すべての神々は歓喜のうちにリンガを祭り、インドラの後に続いて天国へと戻っていった。
 この恐らくシヴァ派なのだろう寺院の起源譚なのか、ブラフマー神の聖地の中での別神シヴアの面目躍如って説話だけど、この薄いパンフレットには他にもブラフマー神的脈絡に横やりを入れ拮抗し終いには圧倒するシヴァ的説話も少なくない。やはりシヴァ・ヴィシュ両神に較べ何とも脆弱な感は否めない。
 この悪魔ヴァシュカリの説話でも、最後に彼を倒したシヴァ神を賞賛する神々の列にどういう行きがかりでなのか、いつの間にかブラフマー神も一緒に並んでいるってのも、今ひとつ判然としない。薄いパンフレット故に本来の筋を割愛したのかも知れないが、あるいは、ヒンドゥー教の三神一体(トリムルティ)論的に、ブラフマー=創造神、ヴィシュヌ=維持神、シヴァ=破壊神って訳で、一度悪魔ヴァシュカリに不死の力を付与(=創造)したからには、ブラフマー神にもはやそれを止め立てすることはできず、後はもう破壊を司るシヴァ神の出番しかないって三権分立的規範なのか。そこら辺の微妙なところが割愛されているのが残念。
 因みに、プシュカルでの沐浴の基本はカルティカ月の最後の五日間の最終日、つまり満月の日(=プルニマpurnima)。

 この他、ゴール朝の王・ヴラドラータ(Vrahdratha)の、カルティカ・プルニマの満月の夜になるとプシュカルの三つの湖を沐浴することなく静然と巡りつづける輪廻転生譚なんかも興味深い。

 (注)リンガLinga ; 男根の豊饒多産的シンボライズした砲弾型の石像。その基底にヨーニ(女陰)を象ったものと結合した形が一般的。普通、シヴァの代名詞。

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