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2017年5月20日 (土)

プリアタン(バリ)の舞娘たち

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 かれこれ来年の5月14日で丁度20年になるという1998年5月14日にインドネシアの首都ジャカルタで発生し、インドネシア中を席巻した“ジャカルタ暴動”。
 主にそのターゲットに中国系の人々および商店・企業を狙い撃ちし、千人以上の死者まで出し、それも普通余り例を見ない小さな少女や老婆までレイプし殺害した暴動だったけど、悪名高いスハルト軍政権力とその眷属輩が背後で糸を引いていたってことのようだ。( 後、インドネシア全土に拡がるにつれて、宗教戦争の様相を呈しはじめた。)
 

 そんな禍々しい事件の余韻も醒めやらぬ7月、バンコク・ドンムアン国際空港から、40分遅れのガルーダ航空B747-400に乗り、両側にコバルト・ブルーに映えた海が拡がるングラ・ライ(デンパサール)国際空港に降り立った。
 インドネシア=イスラムと相違して、唯一例外的に殆どがヒンドゥー教徒の島・バリ故にか、そんな痕跡も燻(くすぶ)りも見えなかった。只、バンコクのパッカーたちに定番の如く聞かされた“若い日本人娘”で溢れかえっているはずの、クタはまだしも、芸能村ウブドの通りという通りは、閑散として静かにプリメリアと椰子の葉が風にそよいでいるばかり。店の前に屯している、本来は日本や欧米の若い娘だと先を争って駆け寄ってくるバリ・ジャン(?)たちも、こっちが冴えない風体のいわゆるバック・パッカー(=貧乏旅行者)野郎だと一瞥を呉れるだけで微動だにすることもなく、所在なさげに物憂い眼差しのまま雑談に余念がなかった。

 インドネシア・ルピアーの暴落で、それまで月10万ルピアーもあれば貯金すら出来ていたのが30万ルピアーは必要になってしまい、暴動の余波で観光客が激減し、閉める店やホテルが増えてしまって、必然的に失業の若者も増えてしまった。バリとは無関係のジャワはじめイスラム・エリアでの暴動・事件でしかないのにもかかわらずえらいとばっちり。尤も、バリでもスハルトおよびその眷属輩の評判は余り良くはなかった。( その辻褄を合わせるように、後になって、ヒンドゥーの島国バリにも、イスラム勢力がやってきてテロを起こし始めた。)
  インフレでどんどん物価が上昇し続け、ウブドで最初に観たバリ・ダンス、セマラ・ラティの“スピリッツ・オブ・バリ”が、最初チケット屋の青年から1万ルピアでチケットを買って、そのままそのチケット屋のバイクの背に乗って会場に到着すると、もう1万5千ルピアに値上がっていた。(当時APAでのレート : 1$=14450ルピア/現在 : 1$=13335ルピア)
 最初安いと思っていた郵便料金なんて、例えば葉書(エアメール)の送料が1000ルピアだったのが、ほんの一ヶ月の間に、6800ルピアに跳ね上がってしまった。こりゃ地元住民たちもたまったものじゃないだろう。

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 ( グンタ・ブアナ・サリは踊手もガムラン器楽奏者も皆若かった。チョンドンの衣裳を纏い微笑んでいる娘こそまだ幼い頃のユリアティ )
 

 これは今でも変わらないようだけど、木曜はセマラ・ラティ、金曜はティルタ・サリ、土曜はグヌン・サリそして月曜はウブド・パレスのサダ・ブダヤがバリ・ダンスを上演。
 当方の本命は、グヌン・サリ。
 土曜7時半開演。
 次から次へと畳みかけてくるように息もつかせぬ演奏と舞に惹き込まれ、終わった頃にはぐったりと神経が疲れてしまった。
 何よりも、レゴンクラトン(ラッサム)のチョンドン(侍女と鳥の二役)のユリアティ Gusti Ayu Sri Yuliathi が白眉。
 当時まだ14歳で、2歳違いの妹ビダニーもティルタ・サリで同じくチョンドンを演っていた。
 二人は舞台で化粧した顔は判別し難いくらい似てるけど、ユリアティが丸顔、ビダニーが瓜実顔なのでそれで判断できる。
 当時、制服姿の下校中の二人と間近で遭遇した時、素ッピンの二人の相貌は、正にその定形通りだった。小麦粉色の、エキゾチックな魅力的な顔立ちだけど、やっぱし、も一人一緒に並んで居た同級生と変わらぬ普通の中学生でもあった。この二人、当時日本人観光客の間でかなり人気があったようで、APA(ウブドの観光情報センター)じゃ彼女たちのプロマイドを売っていたぐらい。


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 当時、チケットは大体1万5千ルピア=約1ドル。
 現在はゼロが一つ増えて10万~7万5千ルピア、約7ドルぐらいってことは、当時と較べて7倍近く値上がったということか。昨今のバリの景気は必ずしも悪いわけじゃないようで、大手ホテルが次々と進出しているらしい。けど、それらがそのまま一般庶民にまで還元されるかといえば、日本(とくに地方)すら中々にそうはなってはいないのと同様ほど遠いのだろう。
 二ヶ月近くウブドに滞在した後半頃、ユリアティはチョンドンを卒業し、以前ウブド・パレスの公開練習で見かけた一人だけクソ真面目に稽古に余念のなかった十歳にも満たないのじゃないかと思われる小さな少女がその跡釜に坐った。
 グンタ・ブアナ・サリという少女・少年たち(日本語のチラシによると、10~17歳)のガムラン演奏と舞のグループの公演でも、ペンディット( 歓迎の舞 )にユリアティが出演し一人存在感を顕わにしてたり、妹のビダニーがチョンドンを舞っていたりしていた。尤も、このグンタ・ブアナ・サリ、現在じゃ、当時の若いメンバーも年を喰っていい歳になり演奏に円熟味も出てきてるらしい。


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 (クリック拡大)

 
 あれは忘れもしない8月1日。
 角にあるダラム・プリ寺院で、殆ど燃え尽きよう(=村落的祭祀)としている大きな張子の黒牛や他の牛の姿を横目に歩いていると、ふと見覚えのあるバケツを手にしたミドル・ティーンの美形の娘と出喰わせ娘の方からニッコリと笑い話しかけてきた。
 いつもプリアタンの公演会場でバケツに入れたドリンク類を売っている顔なじみの娘で、何しろ美人なので一応買うつもりで打診するのだけど、いっかな法外な言値を崩すことないので大抵一緒にいる小さな暴ることをまだ知らない小娘から買うことになったのだけど、祭があると公演は行われないことがあるらしいので、「 今夜グヌン・サリの公演はあるのか」、彼女に尋ねてみると、「ある!」と答えた。公演会場でいつも彼女と連れ立っている別の娘がユリアティの同級生だった。

 その夜、グヌン・サリの公演を観た。
 が、噂には聞いていたユリアティがチョンドンから卒業するかも知れないって事態が本当に起こってしまった。レゴン・クラトンの長い前奏の後、前門から姿を現したのは、見も知らぬチョンドン役の女・・・
 一瞬、両の眼が点になってしまった。
 ・・・・・ おばさん?!
 それも、絵に描いたような中年体形の・・・・
 それがバタバタと、ユリアティやビダニーの如く可憐な蝶が舞うように華麗に舞うのじゃなく、正にバタバタと。
 悪い夢でも見せられている様だった。
 と、暫くして、その背後から、シナリオ通り、緑の衣装に細っそりした身を包んだラッサムとランケサリ役の二人の娘が現れた。
 あっ!、当方、思わず声を洩らした。
 ・・・ ユリアティ。
 衣装の色こそ違え、正にあのユリアティだった。
 救われた思いだったものの、やはり、チョンドンにおばさんは・・・
 そして、その前夜、妹のビダニーがティルタ・サリでチョンドンを舞い、以降定位置となった。

 
 この数年、ユリアティは銀行に勤めながら、グヌン・サリだけじゃなくティルタ・サリでも、レゴン・クラトンを舞っているという話をネットで見たけど、一方のビダニーは、何年か前、ユリアティと同様結婚してしまい、小児科医として医業に専念することとなって舞台からは遠ざかっているという。

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