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2017年7月22日 (土)

1974年の紅い水蓮 シアター・プノンペン

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 カンボジア映画って、2001年の《バンコク・フィルム・フェスティバル》でのリティ・パ二ュ監督のドキュメンタリー映画“ザ・ランド・オブ・ワンダリング・ソウルズ”以来。
 バンコクからハノイまでのコンピューター回線だったかの地下埋設工事のプノンペン周辺の工事の光景を、その土地に埋もれたカンボジアの歴史を“digging”してゆくって寸法だったんだろう。暑熱のプノンペンの光景を、やたら冷房ガンガン効いたたった十人居るかいないかの客席で、長袖ジーンズシャツをTシャツの上に着こんで震えながら観ていた記憶ばかりが残っている。

 普通のカンボジア映画を観るのはこの《 シアター・プノンペン》が初めて。
 今回ネットでちょっと調べてみたら結構カンボジア映画作られていて、日本でも上映されていたらしい。
 今世紀初頭、というと何とも仰々しいが、2000年代に入る前後のプノンペンの映画館ってそれまで煤けたフランス植民地時代の旧い佇まいの文字通り古色蒼然とした廃墟でしかなかった。別の用途に使われていたり、表にポスターを貼りだして細々と営っているところもあった。只、上映映画って殆どがポルポト時代以前に作ったものなのか、あるいはタイから安く輸入した如何にも古めかしいホラー物ばかり。さすが、観る気にはならなかった。それでも、今世紀に入ってからは、メイン通りのモニボン通りに面した映画館が小綺麗にリニューアルし、大きな看板までかかげて“現代”ものらしき作品を上映するようにはなっていた。
 興味をひかれ、平日の昼間入ってみたら、まだ上映前で、男女の高校生ばかりが群れていて、さながら中学校の休み時間なみのはしゃぎよう。昼間のせいか、一般客はわずか。やがて始まった映画は、どうも様子が、プノンペン=カンボジアのものとは思われず、ポルポト以前の首都プノンペンが小パリと呼ばれていたのを考慮にいれたとしても、まるで雰囲気も地理も違う。やがてそれが、隣国タイの首都バンコクらしい、それもどうも1973年に軍政側と学生の衝突したいわゆる“血の日曜日”事件を扱った映画らしいのが分かり始めた。何のことはないタイの映画だった。でもそれが、ポルポト時代以前に輸入したフィルムなのかそれともそれ以降あるいは最近輸入したものなのかは定かでない。


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 この2014年制作の《 シアター・プノンペン》の舞台ともなった映画館もそんな廃墟然とした旧い建物で、場所的には、モニボンなんかのメインの通りじゃなく、むしろ奥まった路地に面したような薄暗い佇まい。2014年現在でのプノンペン設定なので、まだまだ似たり寄ったりの映画館事情なのだろう。
 もっとも、昨今は、プノンペンにも、場所は定かでないが、日本出資のイオンモールが出来、タイの映画会社メジャー・シネプレックスが入って、多数のスクリーンも備わり、3Dどころか最先端らしい4DX(匂いも風も、しまいにゃ水で濡れたりもする体験型らしい)まで揃えているという。

 暴走族の親玉ベスナと恋仲の女学生ソポンは、ある日、ちょっとしたトラブルからプノンペンの町中の煤けた古の映画館の中に一人紛れ込んでしまう。
 そこには、立ち退きを開発業者の手先から迫られながらも、頑なに拒否し、何とかかつてポルポト体制直前に作られた恋愛叙事詩映画《長い家路》の最後の部分last reelの欠落を補って上映したいと願っていたベチアという初老の支配人が一人住んでいた。
 実は、その映画の主演の女優こそ、ソポンの病気がちの母親だった。
 以前女優をやっていたとは生まれてこの方一度も聞いたこともなかったソポンは、残ったフィルムの欠落部分を補おうと、通っている大学の映画部の教授に協力を仰いだ。生徒たちを引き連れ教授は、傷んだフイルムを整備し、残りの欠落部分を、ソポンと暴走仲間から抜けたベスナに主演の恋人同士を演じさせ、ベチアの案内で、かつてそれが撮られた場所へとロケに向かう。

 ところが、母親が撮影に参加し、監督のはずだったベチアと四十年ぶりに対面すると、途端血相を変え、「この男は監督じゃなく、彼の弟よ!!」と吐き捨てて逃げ帰ってしまう。ベチアやソポンの母親、監督たちはポルポト体制下に連行された労働キャンプで、誰かの内通で正体(ポルポト体制下では、映画関係者も処刑の対象となっていた)がばれそうになり、取調室=拷問部屋に連れ込まれたベチアが、拷問の末か、兄が映画監督であることを白状し、監督は処刑されてしまっていたのだった。
 そもそもが、ソポンの母親と監督は恋仲にあったのだけど、その映画で、仮面をした村の男を演じた俳優であもあったベチアも、ソポンの母親に強い恋情を抱いていたのだった。今回の欠落部分も、実はちゃんと映写室に残っていて、思い余って欠落部分を自分の恋情を遂げるシナリオに書き換えて完成させようと企図したものだった。その上、ソポンの父親も、実は、このポルポト的惨禍に深くかかわっていたのだった。


 中国でも文革時代の頃の惨禍・惨劇さらに現在でもその力学が作用しているらしい政治的相克には、中々触れられたくない雰囲気だけど、カンボジアのポルポト体制下に行われた惨劇、その渦中に放り込まれた人々の芯奥の傷(トラウマ)は容易に癒えることの難しい事柄で、端(外人)が勝手に思うようには触れがたいもののようだ。ポルポト全体主義体制下の愛憎的残滓が、しかも尚現在にもそれが暗渠の底に鬱々と暗い流れを作っているカンボジア的今を、流行のミステリー仕立てにしてみせた小品。
 あの、タイとは一味違った赤土から発するカンボジアの熱気と土埃が嫌いじゃない僕にとって、あらゆる意味で、興味深い映画作品。


 欠落した部分(リール)のあるフィルムって、すぐに、中国文化大革命や、それ以前の反右派闘争=百花斉放百家争鳴的整風運動などの渦中である巻(リール)が紛失し更にフィルム構成が支離滅裂にされてしまった中国映画《 孤島天堂 》(1939年)を想起してしまう。
 中国・文革=カンボジア・ポルポト派的社会革命、両者を統べるものはマルクス主義的全体主義ってところなんだろうが、中国文革の方は映画や芸術など自体を否定している訳じゃなく、あくまで党=毛沢東の意に沿っていない反党的、反革命的つまり右派として指弾されてのパージ・弾圧なので、その辺がポルポト的機械的全体主義と相違するところだろう。
 反右派闘争と文革に通底とているのが諜報関係のトップ康生で、毛沢東・江青とつるんで多大な犠牲者を出してきた張本人。《 孤島天堂 》の改変や廃棄も彼なら可能だったろうが、推測の域を出ない。その康生とポルポトの影響の伝聞が時折見られるけど、直接の接触はなかったようだ。 


 《 シアター・プノンペン》the last reel

監督  ソト・クォーリーカー
脚本  イアン・マスターズ / ソト・クォーリーカー
制作  カンボジア(2014年) 

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