眼下の海峡的騒擾を見続けてきた 厳島神社(伊崎) [ 上 ]
かつて高杉晋作が長州=幕府の所謂[ 四境戦争 ]の際、下関の厳島神社に戦勝祈願に赴いた由の記事があったのをふと思い出し、二月下旬の、ほんのちょっぴり春の気配が感じられるようになってきたある日、別に何の祈願があるわけでもない専らの好奇心で訪れることにした。
ここは、下関駅からも近いってこともあって簡単に行けるのだけど、駅前から山陰方面に向かう幹線道路沿いの
両側に早速すっかり燻(く)すみ淀んだ空ビルや廃墟と覚しき建物が続いていて、幕末の晋作の頃には、日本中の大店の支店が軒を連ね繁華を極めていたはずが、アベノミクスの本拠地にもかかわらず専らなる凋落の一途って趣きには来る毎にむしろ白日夢的境界感に陥ってしまう。
大通りから一歩奥に踏み入るともうそこは民家とかつての商店の蝟集した一角で、その仄暗い廃残的気配がどんよりと色濃く漂っている。細路・路地裏は普通に無人で稀に老いた人影がも一つ覚束ない足取りでゆっくりと通り過ぎてゆくばかり。晋作所縁(ゆかり)のスポットも隠れていたりするそんな狭い路地の向こう上方に、ふっと件(くだん)の厳島神社の朱塗りが覗け見える。と、ある路地の角に、[ 鈴ヶ森稲荷神社 ]の表示。鈴ヶ森・・・あの刑場で名高い鈴ヶ森? けど、あれは関東の方だったはず・・・それにあれって神社だった? その路地奥から狭い石段がずっと厳島神社と同じ方角に伸びていて、・・・訝しい想念を燻らせながら好奇心に駆られ、崖に沿った狭い石段をトボトボ登ってゆくと、本来の参道に出、朽ちた民家と樹枝のしなだれかかる石垣に挟まれた薄暗い参道の途中から朱色の鳥居の列が続いていた。
寄進者の名を刻んだ石欄干も長年の雨風に、とりわけこの十年来の列島トロピカル化の強い陽射しに侵食され継ぎはぎしたものも少なくない。さすがに明治以前のものはないようだ。ふと、何処かで覚えのある字面に眼が止まった。暫し記憶を手繰ってみる。
「籠寅」・・・かごとら。
ひょっとして戦前、明治・大正・昭和と勇名をはせたらしいあの地元下関の侠客?
果たして、同じ石の隣面に、本名がちゃんと刻まれてあった。地元の企業家でもあり衆議院議員でもあった大親分で、お決まりの芸能興行なんかも手広くやっていたようだ。それぞれの顔での寄進という訳か。
も一つ驚いたのは、「馬場遊廓」の刻印。
対岸の門司港の遊廓で、遠く平安時代までさかのぼるといわれる格式ある稲荷町遊廓や維新以降隆盛となった新地遊廓等、[ 花魁道中 ]とも合わせて遊廓の本場の観のある下関の神社の欄干に名を刻むとは、他にも門司の地名の冠された商店らしき名があっちこっち散見されているのも鑑みると、「商売繁盛」のご利益で知れ渡っていたのだろうか。
斜面に面した石段を渡り了えると、眼下に手前の漁師町・伊崎から下関駅方面のびっしり連なった街並みが俯瞰でき、その林立するビルの向こうに関門海峡が覗け、その当時(源平)はまだなかったらしいこの神社の高台から、視界を遮えぎる建物とてない海峡で繰り広げられた、源平の戦や欧米四国軍との長州戦争、晋作たちの活躍した長州=小倉・幕府の戦、そして遥か上空から雨あられと落とされてくる米爆撃機の焼夷弾や機雷の異様な軌跡と炸裂の様を、人々は、一体どんな思持ちで眺めてきたのだろう。
小倉藩=幕府軍との晋作ら長州軍との戦は、長崎から軍艦ユニオン号=乙丑丸(いっちゅうまる)に乗って届けに来た坂本龍馬や海援隊も参戦し、ちょうどこの丘の真ん前辺りで、龍馬の乗った乙丑丸が幕軍軍艦や門司(小倉藩=幕府軍)沿岸に大砲で猛攻撃をしかけていたようで、そんな戦況が手に取るように確かめられたろう。
この境内、登って来た崖沿いの参道の前にあるのが鈴ヶ森稲荷神社で、奥の、つまり下から真っすぐ伸びた正面の石段が正門で、その突き当り正面に鎮座しているのが厳島神社であった。
鈴ヶ森神社は末社とあって、あくまでメインは厳島神社らしいけど、どうひいき目に観ても、隣り合わせた末社のはずの鈴ヶ森稲荷に比べて建物が簡素。祠堂にほんのちょっぴり神社らしい粉飾をほどこし朱塗りしただけの観が強い。
境内に由緒記があるのだが、晋作の一文字もなく、両神社とも専ら源平合戦起縁ばかり。
実は、この下関には、歩いて幾らもかからない晋作に縁の深い新地界隈に、もう一つ、厳島神社があって、晋作が必勝祈願したのはどうもそっちの方らしい。吉田松陰・晋作はじめ奇兵隊数百人の墓柱まで奥の院に祀られているというのだから先ず間違いない。よく見てみると、こっちは「伊崎」厳島神社となっていて、新地の方は「長門國」厳島神社という。まぎらわしいけど、海峡を渡った門司・小倉のかつての小倉藩の所謂企救半島にも、天疫神社がそれこそあっちこっちに建っている。とんだ勘違いだったという訳だ。
( 右の手前を向いている方が鈴ヶ森稲荷神社で左の横向きが厳島神社。その前に正面の石鳥居があって、下方の海岸に面した漁師町・伊崎へ急勾配の石段がまっすぐ伸びている。)
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