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2018年9月30日 (日)

 1977年のつげ義春特集 月刊《 ポエム 》

Sep

 表紙に植物のイラストをあしらった130頁くらいの、かならずしも詩の専門雑誌というわけじゃない、次代を担う総合文化誌ということらしい月刊《 ポエム 》昭和52年1月号。 
1977年といえば、前年は、国内じゃ《 ロッキード事件 》発覚で田中角栄、児玉誉士夫らが次々に逮捕され、中国の周恩来総理や毛沢東主席が相次いで死亡し、江青はじめ文革四人組逮捕され文革の終焉、1977年は、青酸コーラ無差別殺人事件はじめ、国内で全日空機が2回もハイジャックされる事件が起き、長崎バスジャック事件もあり、海外じゃ日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件やドイツ赤軍によるルフトハンザ航空機ハイジャック事件も起こったりの些か騒然とした時代。
そんな中での、かの仄暗い路地裏の散歩者然としたつげ義春の特集。
 この雑誌の編集責任者でもある詩人・正津勉の、面識があったのか、あたりさわりのないインタビューじやない、些かつっけんどなアプローチが面白い。
 

  世の中なんかどうでもいい ?
 
 つげ(以下同)「 いいんじゃないですか。」
 

  ずいぶんニヒルな?

 「 そんなことないんですよ。家族三人だけで・・・それでいいんです。天気がいいと三人で散歩に出たりして。」

 
  じゃ、描くことは?

 「 喰えなくなったら、また描きます。なるべく描かないでいられたらいいんですが、喰うほうはやめられませんから。なんだか喰うために描いているようで、まるで『本物』になったようだな。」


 もっとこうシャカリキにやるとか?

 「 いや、やっぱりボーッとしてますよ。生まれつき怠け者なんですが、死ぬまでそうなんでしょうね。」


 喰えなくなる心配はないんですか?

 「 いや、人なみにありますよ。僕の漫画はそんなに売れるという漫画ではないし、それも一年に一作ぐらいですから。」


 不安はないですか?

 「 不安ですよ。だから商売替えしようなんてよく考えることがありますね。湯治場のような温泉宿をやってみたいです。」


 どうにも頑張る気にはなれない?

 「 駄目なんです。仕事したってしようがないとおもってしまうんです。」


 どうしてそうなんでしょうね?

 「 きっと貧乏にいためつけられすぎたからでしょうが、未来がないんですよ。どうしても考えられない。」


 それで青空のようなものがでてきた?

 「 ええ、もう生きていくうえでの関りからすべて解放されたくて、青空のようにまったくなにもない、爽やかで無意味なものに心が惹かれるようになったのです。」


 つげ自身は、物心ついた頃から既に“ 存在の不安 ”に囚われ苦しんでいて、中年に至ったこの正津勉のインタビュー( 昭和52年)の頃に、ようやく何となく解消したと言う。“ 深沢七郎 ”風の人間存在に根拠なし、生きることの無意味性の境位に到達したらしいのだけど、それまでの仄暗い路地裏って定番のつげのイメージと決別し、カーンとした“ 青空”志向へと変容していった時期。
 5年前の《 夢の散歩 》からなのだろうが、確かに、昨今のトロピカル化した日本の夏を思わせるような真っ青な青空と白い入道雲の下での白熱の殆ど人気のない舗道とそこから逸れた泥濘、露呈するリビドー的発露って面白い作品だった。   
 

 この作品に関して、以前紹介した《 芸術新潮 》2014年1月号『 つげ義春特集 』で、つげ自身がこう語っている。

 「 この作品のタイトルは『 夢 』のとしていますけれど、こんな夢を見たわけではなく、リアリズムから発展してこんな風に・・・。でも駄目ですね、説明するのが難しくて。
 ところがその後カフカを読むようになったら、やはり出来事の描写だけで意味がなく、同じ方法をやっていたんですね。でも自分はカフカ流のマンガでは食っていくことはできないので、結局この虚構世界を超える意味でのリアリティから後退して、もとの私小説風に戻ってしまったんです。 」
                                     山下裕二のインタビュー 《 つげ義春 、語る 》


 尤も、実際にはつげ義春、このインタビューの数年後も、妻の藤原マキが癌に罹ってからか、ノイローゼから不安神経症に陥り、自殺をすら決意したという。
 かつて芥川龍之介が、彼の母親が精神を病み入院歴があったのを気に病み、遺伝を危惧しての不安に苛まれ続けたのは有名で、結局彼も神経を病み自殺してしまったけれど、つげの場合も、幼い頃、板前だった父親の出稼ぎ先の料亭に母親に連れられていき薄暗い布団部屋で父の精神を病んで末の無惨な死を面前で視せられたトラウマが、やはり彼の精神の暗部にとぐろを巻きじくじくと浸潤しつづけていたようだ。
 こんな現実の崩落的事象を前にすると、話はちょっと逸れるが、大泉黒石の《 血と霊 》で繰り広げられた転輪する業の連鎖ともいうべき紅蓮の血脈的惨劇、とりわけ宝石商・鳳雲泰の自らの血への不安と恐怖ってものが、単なる絵空事的図式ではない、生々しいリアリティーをもって了解できてしまう。


 《 ねじ式 》(43年)の少し後の同年暮れから昭和51年までの間、机前に端座し只管妄想三昧の夜々、創作ならぬ手慰みに前夜の夢を専らこつこつと描き貯めていたという《 夢日記 》が掲載されている。
 夢の記述とイラストで構成され、いかにもつじらしい世界ではあって、中でも彩色の月光に照らし出された西洋風の木立の間にぽつんと一軒佇む塗壁の洋風民家の脇に湯を湛えた大きな風呂桶ふうの温泉の中で一人悦に入っている姿が、手前の芝の上に点々と白く映えたチューリップの向こうに望める“ 誰にも知られていない温泉”のイラストは独特に夢幻。
 

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