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2019年5月の2件の記事

2019年5月21日 (火)

アスリート・ファースト  平成=令和のアベノミクス的残影

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 早朝5時前、独特に微妙な曙光に暗い上空全体にうっすらと流れてゆく雲の向こう南天45度に満月が絶妙に端座していた。その右、兎陰の下方に少し距離をおいて小さく木星が輝いていた。他に星影もない早朝の空に、その二つだけ。

 

平成から令和に年号も変わり、来年は《 東京オリンピック 》ってことらしい。
 けどこの、本来は福島=東電原発事件の被災者やらの復興に最優先的に回して当たり前の東京都の予算を、急に何を思いついたのか、当時の東京都知事・石原慎太郎が、予算ならちゃんとあるんだとぶち上げたのが発端。
 そもそもが東電・福島原発の最受益者であり、むしろその故にごり押しして来た東京都、彼らにこそ多大の責任があるにもかかわらず、これで足れりというほどには支出もせず、あろうことか専ら東電に一切の責任をなすりつけ、まずあり得ようもない《 東京オリンピック 》をぶち上げ、注ぎ込んでしまった。
 それも、いかにも連中( 都知事・石原=自民党 )らしく、金に物をいわせての誘致までやらかしてまで。 
 

 

 ところが、当時、そんな金に物をいわせるやり口って何処でもやってるんだとばかり、自民党近辺やスポーツ界・マスコミもむしろ得意顔だったのが、案の定、今年になってフランス当局にその違法性を問われはじめると、皆一応に知らぬ半兵衛を決め込む始末。 ニッポン=《 東京オリンピック 》勢力の恥知らずな違法性が明らかになっただけ。
 福島(や東北 )の被災者支援・復興の予算を削ってまで、“ アスリート・ファースト”なんて掠め取った予算の再分配( ありていに云えば、貪ぼり )をぬけぬけとやってのけれるのが、そもそも昔から一貫しての前時代的封建主義・権威主義的権力主義と利権漁りの権化=ニッポン《 体協 》なのだろう。昨年あたりやたらマスコミで喧伝されたスポーツ界のパワハラ問題も、元々そんな体質の問題でしかなく、"アスリート・ファースト"ともどもの再分配問題でしかない。

 

 

 かつてオリンピックの表彰台で、米国の黒人選手たちが黒い手袋をした拳を高々とあげ米国の黒人差別に対する抗議=“ブラック・パワー”を誇示したのを、米国権力が怒り、関係した選手たちを徹底的にパージした。オリンピック・スポーツに“政治を持ち込むな ! ”と。
 ところが、その後、今度はその米国権力が、ソ連のアフガン侵攻に抗議とか称して、モスクワ・オリンピックを“ボイコット”し、他の国にもボイコットを強要し、多くの国々( 所謂西側先進国を中心に )がオリンピックのこれ以上ない政治利用に賛同し棄権する挙に出た。それはそのまま、“自由と平等”と真逆な“権力と金”の権化そのものでしかない米国と一心同体であることを、つまりオリンピック精神とやらを公然に踏みにじって見せたそれらの国々自体の正体をも証してしまった。( 尤も、そのソ連も報復としてその後の米国でのオリンピックをボイコットし、結局、“ 何処の国も ”って救いようの無い顛末が結果してしまった。)
 つまり、いわゆる西側先進国って、そもそもがスポーツの世界的祭典=オリンピックになんて参加する資格すら持ち合わせてなかったのだ。それがそれ以降もぬけぬけと、厚顔無恥なんてものかわ、したり顔までして、それぞれの国で多額の予算を湯水のごとく浪費してまで参加しつづける始末。
 だから、国際社会だとかパラリンピックだとか声高に騒いでみせても、所詮これ以上ないくらいのさもしいばかりの政治的経済的利権、つまり性根=商魂の大団円以上の何ものでもないってことだろう。
 
 
 だから自民党半世紀支配なのだろうし、あれだけその危険性・経済的・社会的リスクを指弾され警鐘を受けて来たのにもかかわらず、そんな批判派を非科学的とか無知とか嘲笑してきた自民党・経済界の福島原発( あるいは他の原発 )ごり押しの論理的帰結=福島原発事件で、自民党や経済界・関係マスコミの誰一人として責任とることもなくしたり顔し被災地を廻って見せたりできるのだろう。
 そんな中の、肝心なその責任取りだけはスルーして“反原発”を新たな御題目として掲げて廻っていられる小泉なんだろうが、しかし、かつて、この国の売国・亡国の輩総出演の観すらあったFテレビの朝の政治番組で、そんな原発批判に対する嘲笑・愚弄をさんざんやらかしていた張本人の一人が誰あろう石原慎太郎だった。
 そもそもが、かつて自民党・鈴木都知事“三選”の際、“権力の亡者・老害”とばかり唾棄し嘲笑までしてみせた石原、都知事になるや空前絶後に“四選”までやらかした張本人。( 都民=有権者の大半が、そんな石原を四度も都知事に選んで見せた。)
 その石原が、ぶちあげたのが、他ならぬ、“ 東京オリンピック ”だった。
 正に、平成=令和って、売国・亡国行進曲の輝かしい軌跡って訳だ。

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2019年5月11日 (土)

平成=令和のアベノミクス的残影 門司港

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 平成→令和に年号が変わった。
 しかし、平成の粋たるアベノミクス、そのアベノミクス的凋落は令和にも持ち越され、列島中その仄暗い残影に蔽われたままいよいよかそけき終末へと突っ走ろうとしているのかと見間違いかねない。
 そんな気息奄々的命脈の象徴たる商店街が、門司港にもあった。
 改修も終わり( 一部では未了 )リニューアルした門司港駅近辺には、折からの観光シーズン中、何しろ狭い区画故、内外の観光客に埋め尽くされた感があった。その雑踏から些か離れた住民エリアの一角にひっそりと佇む戦後闇市時代の面影を残したアーケード商店街《 中央市場 》( 英語もどきに“ Chuo Market ”とも併記されている。)は、つい最近も又一軒消えてしまって、いよいよ昼尚仄暗いシャッター商店街色も極まってしまった。

 

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 高々と伸びた蘇鉄の葉が生い茂る公園側と駅方面に向かう道路に面した側の2ブロックに件の商店街は分かれていて、道路側に面したブロックには八百屋と魚屋、雑貨屋のせいぜい六、七軒、それに引き換え公園側の入口の両側には果物屋と比較的最近できた食堂があり、食堂、古書店、茶葉屋、裁縫店、花屋、雑貨屋等十軒近く、勿論点々とだけど一応軒を連ねている。
 本来の店舗の三分の一程度ってところで、これは列島の地方都市じゃ平均的なパーセンテージじゃなかろうか。

 

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( 昭和・平成・令和の庶民的生活臭の凝結したような色褪せ朽ちた佇まいの一角。奥の建て増し建て増し城砦が件の商店街の外貌。)

 

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( 表通りから奥に件の商店街を望める一角。)

 

 

 一階だけが店舗になっていて、上階は居住エリアのようだ。
 何しろ戦後の焼け跡に建てたらしく、大通りからその燻すみきった旧い建物の一角が覗けていてその香港のミニ九龍城的な佇まいを窺い知れる。
 そんな如何にも場末ったシャッター商店街であるはずの、その公園側のブロック、最近になって次々と食物屋関係が増えるという人通りがますます僅少になってきている現象に逆倒した珍現象あるいは怪現象が起きている。
 元々このブロックには年配女性の営ってる狭い間口のカウンター式喫茶店があったきりだった。

 レトロ・ブーム的余波とでもいうべきか、一軒、又一軒と手打ち蕎麦屋、食堂等の開店ブームが始まった。
 正にこのブロックじゃ、食物屋がブームになっているのだ。
 いよいよ数少なくなった通行人、客を皆で取り合う消耗戦になってしまいかねない危惧など何処吹く風らしい。まあ、こんなエリアで“ 一儲け ”をたくらむ物好きも居ないにしても、そこそこ何とか喰えていければ良いって平成風味な有様なのだろうか。

 

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 ( 二つのブロックの間の通り。商店街と直角に並んだ店々。如何にものんびりとした雰囲気。)

 

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 ( 駅側の入口に向かってシャッターばかりが連なっているけど、向かって左側に普段はおばちゃんの営っている店なんかが二、三軒並んでいる。)

 

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 ( 反対側の公園に向かう連なり。廃品雑貨屋が片側を占めている。この街を象徴する店。珍しく、二人の青年が頑張っている。)

 
 そんな中で、一軒異色な店ができた。
 《 大都会 》と看板にあった。
 当初は“ 情報紹介 ”と銘打って、如何にも風に衣服や雑貨、思想書などを並べていたのが、やがてその前を通る毎に、【 珈琲 】から【 角打ち 】(酒)、【 おでん 】等とだんだん置いてある食べ物系の種類が増えていった。
 昼間はまず客らしき姿は稀で、大抵奥の机で一人パソコンに向かっている印半纏の店主の姿ばかり。夜間はそれなりにあるのだろう。
  最初から商売っ気の類は窺えなかったものの、次第にあれこれと多角経営的方途に赴き始めたのを見るにつけ、やっぱり彼なりに利益を出そうとしているのかと思わず苦笑してしまった。
 そして、直近では、このブロックのブームに乗っかってか、【 朝食 】まで商路を拡げていった。さしずめ、この商域に喰い入ろうとすれば、このブロックの手練れの食物屋のカバーしてない時間帯=早朝=朝食しかないという消去法的アプローチだったのではないか。
 まあ、余計な詮索、余計なお世話に過ぎないのだけど、何とも悠揚迫らぬ人の好さそうな店主を見るにつけ、つい心もとなく、推量してしまった。
 ブログ見ると、彼は熊本産らしく、あれこれ巡り巡って、この三か月しかもたない国際定期航路( 韓国 )港のプレハブ・カスタムもいよいよ朽ち果てもっぱら青々とした雑草ばかりが五月の陽光に眩しく映えるばかりの場末った港町の、ひなびた一角にすっかり居ついてしまったとの由。
 たしかに、港町の風情ではある。

 

 

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 ( 件の「大都会」。所狭しとインフォメーション・ボードや貼紙が並べられ、珈琲どころか角打ちまで揃っている。早朝七時のブレイク・ファーストらしいけど、みそ汁・ライスの和朝食のようだ。黒板に毎月のこの店での催物の予定が掲示されていて、些か挑発的なタイトルが踊っていたりする。)

 

 

 

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