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2019年8月の3件の記事

2019年8月24日 (土)

夜来香の女  大泉黒石『 淡水艶女傳 』

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 ( 口絵 )

  黒石の短編《 淡水艶女傳 (二) 》が昭和六年発行の『 グロテスク 』八月号に載っていた。当方の持っているこの号は背表紙と背の部分が破損していて古書店で補修している朽ちかけ版。他の『 グロテスク 』二冊は新年特別号で、この八月号を最初見た時、あれっ、小版になっちまったの?、と驚いてしまった。実際は版の体裁は変わってないもののページ数が半分に減って随分と小さく見えてしまったに過ぎなかった。
 奥付に普通号50銭 新年特集号1円とあるので、こっちが普段のページ数=厚さってことになるのか、と決めつけようしたら、【 編集後記 】に「八月号は諸君の頭を大いに暑中休養して貰うために、ウンと、思い切って薄っぺらなものにしました。」とあった。他の号は定かでないけど、この八月号だけなんだろうか?
 因みに、同じ編集後記に、「毎年のことですが、山の、海の遭難者の報を耳にします、いたましい限りです。グロの愛読者諸君も海に山にお出かけのことゝ思いますが、危険なところはアブナイ所と極まって居りますから・・・」とあって、戦前も変わらなかった夏の庶民的風俗。

 

 

 昭和六年といえば、前年にインドでガンジーが反英非暴力抗議運動を開始、国内じゃ共産党員全国一斉検挙、そして秋には台湾で現地民が日本統治権力に対して武装蜂起した《霧社(むしゃ)事件》の記憶もまだ生々しい時節。それでも、昭和12年の日支事変(日中戦争)勃発=皇民化政策実施はもっと先で、それなりの余裕がまだまだあったのだろう。
 そんな台湾の首府・台北から、現在では電車で40分の台湾海峡に面した淡水という港町を舞台にした短編。
 スペイン・オランダの旧植民地でもあって当時の建物も残っている長崎にも似た国際色豊かな港町・淡水。そもそも淡水とは台湾北部の富士山より高い大覇尖山に源を発する大漢渓と新店渓が合してできた河の名であって、首府・台北を貫き、河口の淡水港・台湾海峡に注ぎ出ている。当時、日本から一山当てようと多数押しかけ開いた料亭・娼館で繁盛していたという。
 
 「 港口の灯台光のもとを往来する船の灯の明滅。汽笛の響き。漕ぐ櫓の音や鴎の羽ばたきに遣る瀬無き覇旅(たび)の情を誘われる彼・・・楼上に酒をくむ洋画家見月深太郎である。楼房(へや)を籠めて妖しく烟(けぶ)り薫ずるは女の髪にさしかざしたる夜来香の花。」

 

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 夜来香の花を髪に挿した婀娜女の魅力と細やかな情愛に惹きつけられ、つい長居を決め込み、ちょっとのつもりが、気付くともう夜の十時。三時間も居座っていたことになる。明朝早く船で退たねばならず、未練を断ち切って部屋を出ようとすると、女はあれこれと思いとどまらせようとする。
 “花ならば崩れこぼれるばかりの瑤々たる嬌姿”
 とある。
 酒精にほんのりと頬を染めて、立ち上がろうとする彼の体にまとわりついて放そうとしない。
“わづかに汗ばんだ彼女の肌からいきれたつ女の匂い”
 やがてその支那料理店・青亀楼の女将・お波が現れ、娘の礼儀知らずを咎めては見せはするが、結局女将の勧めもあってそこに泊まる仕儀になってしまう。
 火山・大屯山の麓の北投温泉や五星山の麓の草山温泉の案内まで話が弾む。
 そして、場面は、翌朝・・・
 
 「 淡水長崎間航路の汽船が黒煙を海波になびかし、台湾北端石門庄の沖合を通過するころ、彼・・・見月深太郎は富貴角灯台の後にそびゆる大屯山の雄姿を眺めながら、船の甲板のベンチの上で前夜から今朝までの思い出に耽ってゐた青亀楼の女将・・・彼女は酒食の勘定を取ろうとしないので、彼は志しとして若干の礼をしたのである。」

 

 

 そもそも青亀楼とは、日本から渡って来た女将・お波が中国人貿易商と一緒になり、死に別れてこの淡水で十数年前に開いた店で、同じ中国人貿易豪商、その実は阿片の密貿易の大親分たる中国南部、厦門に本宅のある汕頭(スワトウ)の三龍漢(サンルンハン)が頻繁に利用していて、その三龍漢がその女将の妹・香代子に惚込み妾にしようと手下の太吉( 女将の弟、つまり香代子とは兄妹 )を使って執拗にくどかせる。
 ところが、香代子の方は、ともかく三龍漢を毛嫌いしてて、太吉が幾ら凄もうと取りつくしまもなく、しまいには太吉、実の姉の女将にすら怒鳴られる始末。
 その辺の事情を、洋画家は、夜来香の女に酒の肴に聞かされていた。
 おまけに、彼等密貿易商って、元々は皆まじめな貿易商だったってことまで教えられ、中国政府の舶来品、特に贅沢品の関税の大幅な引き上げ政策によってさっぱり商売あがったりで、やむなく違法な、しかし、当時の植民地香港を基点に、ややこしい政治的間隙をついて楽々と不当な利益を獲る方途へと走ってしまったという。
 

 

 実はかの青亀楼の女将はその洋画家の知人からの推薦状を貰っていて、その故の厚遇かと洋画家は推量してみたりして、早朝の船上のベンチに坐ったまま、そっと夜来香の女が彼のポケットにしのばせてきたハンカチーフを取り出してみた。
 と、ひろげたハンカチーフに紅い絹糸で結ばれた三筋の毛髪が、そして隅に彼女の名が刺繍されていた。
 なんと、彼女こそ噂の女将の妹・香代子だったのだ。

 

 当時の中国の虚々実々な情勢をネックに、南国の夜のふと漂ってくる夜来香の如くの一抹の艶話ってところ。今一だけど、黒石らしい小品。

 

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2019年8月16日 (金)

蒼空に映える白亜の渤海クルーズ『 中華・泰山号 』

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 数日前、レトロ沿岸を散策し、小さな船舶が停泊している以外釣人の影が30℃数度の烈日に照らし出されているだけの岸壁に踵を返そうとした眼の端に、ふと、ドサクサ紛れのごとく、植込みの向こうの廃止になって久しいプレハブ・カスタム玄関の両開きドアがゆっくりと開閉する光景が紛れ込んだ。
 錯覚と決め込もうとしたもののそんなはずもなく、カスタムの玄関に向かってみると、果たして、ちょっと前まで玄関ポーチの低い階段の脇にぺんぺん草が繁茂していたのが嘘みたいに綺麗に刈られていた。あれっと、反射的にポーチの上部を見上げ、以前に消し去られた国際港カスタムの文字を確かめると当然に削り取られたまま・・・
 で、列日の反映で見難くなった入口のガラスドアの奥に眼を凝らすと、やっぱり電灯が点いていて、かつてのカスタムが機能していた時代の取り残された設備だけがぼんやりと照らし出されていた。
 人気もなく設備の点検でもしているのだろうか、と裏側に廻ってみると、細長いカスタムにうがたれた曇りガラスの全部にずらり明かりが灯っていた。

 

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 表側に戻ってようやく気づいたのだが、カスタムの岸壁側の小さな勝手口前に軽自動車が二台停まっていた。数人の男女がその勝手口のドアから出入りしていて、如何にも何か胡散臭げな雰囲気。
 しばらくすると、中から白っぽい大きなものが現れた。
 車の陰になってはっきりしない。
 と、中年女性の後について、まん丸のいわゆる地元の“ゆるキャラ”の着ぐるみがヨタヨタと歩き始めた。真昼の烈日にゆるキャラのまん丸い白い巨体がおぼつかない足取りで岸壁にそってさっさと歩いてゆく女性の後を、どんどんその差が広がってゆきながらも真夏白昼のゆるキャラはヨタヨタと追いかけ続けた。
 と、その先に、一艘の白塗りの練習船が留まっていた。
 カスタム前に来る時、ぞろぞろ見学の親子連れがその小型の練習船にのりこむのを横目にしていたのだけど、もう皆船の中に入っていたようで、女性と白日を照り返して眩いゆるキャラの二人がタラップの下で二人並び、中々出てこようとしない見学客をじっと待ち続けているのを見てると、二人の熱気がこちらに伝染してきたかのように汗が吹き出てきて、あわてて日陰に退避しその場を後にした。

 

 

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 家に戻ると、いくら何でもあんなゆるキャラ出陣のためにわざわざ廃止になったはずのカスタムの全部に灯りを点すとは考えられないので、ひょっとしてとネットをみてみると、案の定、中国の船舶が寄港する予定なのが分かった。

 

 で、10日( 土曜 )に岸壁に赴くと、24,427トン、乗客約1000人の渤海郵輪有限公司のクルーズ船《 チャイニーズ・タイシャン 》中華泰山号の白亜の船体が蒼空の下純白に映えていた。
 カスタム岸壁の手前に留まっていた練習船の姿はもうなく、カスタムの白塗りの鉄柵を越えて手前にはみ出した泰山号の、しかし、10万トン級も珍しくない昨今の大型クルーズ船世界じゃ、むしろ小型の部類に入るのだろうか。
 以前寄港したフランスのポナンPONANT社のロストラルL'AUSTRL号が1万トン級なのでその倍、5万トン・クラスの飛鳥Ⅱの半分。
 尤も、乗客は時節柄なのか、数百人くらいだったようだけど、見に行ったのが昼前で、乗客の大半はもう下船しあっちこっちに出かけた後だったのだろう。カスタム事務所の玄関から、疎らに大抵二人組の黒髪をなびかせた中国人娘が連れ立って何処か散策に向かうぐらい。周辺は閑散としてて、一般道路に出る手前に警備のパトカーが一台停まってて、裏側に観光バスが一台、カスタムのすぐ背後に“Moji Custams”と記したトラックが一台停まってるだけの静かな光景があるばかり。
 結局、このクルーズ船《 中華・泰山号 》寄港のための雑草刈りだったようだ。
 白い船体にカラフルな中国風の絵が小さくあしらわれていて、唯一中国情緒を感じさせる。折からの台風の影響でか、カスタムの鉄柵から手前にはみ出た部分の岸壁側に立入禁止のグリーンの衝立をづらり立て並べていたのが、次から次へと倒れてしまい、慌てて係り員たちが駆寄って来て立て直していた。

 

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門司港を出ると、佐世保に寄り、大連港に戻っていった。
 本当は大連を発ったこの《 中華・泰山号 》、今日15日にも再び寄港する予定であったらしいのが、台風10号のせいで中止になったらしい。15日昼前現在、船舶動静情報(AIS)でチェックすると、台風をやり過ごそうとしているのか、大連港のちょっと沖で停泊したまま。

 

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2019年8月 5日 (月)

 昭和五年勢ぞろい新年特集号『 グロテスク 』と黒石《 人肉料理 》

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 ネットで執筆人のそうそうたるのを見て驚いてしまった『 グロテスク 』昭和五年(1930年)一月新年特集号。
 見開きの目次を見ると一目瞭然なんだけど、大泉黒石を筆頭に、葉山嘉樹,尾崎士郎、川路柳虹、青野季吉、稲垣足穂、辻潤、今東光、金子洋文、黒島傳治、生方敏郎・・・尤も、案の定というのか、辻潤なんて一頁半の、しかし、

 

「 泡を吹いてゐ(い)るのだ――それは泡を吹いてゐるのだ。
 雲の中で眼も鼻もない蒼白い楕円の月が凶暴な不協和音を吼へながら凝結したミルクの泡を吹いているのだ。・・・」
 
なんてのっけからダダ的吐露。
《 一九五〇年売笑婦 》の葉山嘉樹は、

 「 一九五〇年売笑婦 と云う編集者の註文であるが、その頃には×××なってるだろう。しかし売笑婦は、×××と雖も、直ちに撲滅し尽されるものでなく、一時的には、却って激増するに違いない。・・・」

 

 と、20年後の娼婦たちについて唯物史観的だけど分かり易く言及。それ故にか、途中二カ所ほどかなりの語数が伏字ならぬ空白のまま。
 稲垣足穂、エッセイ風な創作と銘うった《 少年読本 》、定番の少年愛的饒舌が破格に20ページに及んでいる。

 

 「 何故なら、私たちはKyotoのD院に所蔵されてゐる『稚児草子』というたぐいの絵巻物をいくつか知ってゐるし、又、Nerigiやお寺の庭に植えてあるKeshiについての話もきいてゐるからです。( 何、御存じない? Nerigiとは必要に応じて手のひらの上でとくように出来た山いもの粉をかためた云わば一つのLubricantです。この種のものがUenohirokojiなどで売られてゐました。KeshiとはPoppyの粉であって、それだけのものが局所麻痺の作用をするのかどうか、それこそさっきの医学生に正してみる必要がありますが、紙に包んでこれを印ろうに入れてゐた見ぬ世の人々の間には、次のような言葉さえあったそうです。“ Keshi o ipuku mairasesorae ”)・・・」

 

 

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 黒石、この号でも《 人肉料理 》と『人を喰った男の評伝』(梅原北明の巻)のコーナーで《 快漢北明論 》なる4ページの人物伝を載せている。
 以前このブログで黒石の《 草の味 》(1943年)を紹介した際、“草木の生命の根源である葉緑素(クロロフィル)が、人間と他の生き物の生命の素であった歴史を有っているのである。”から皇軍的帰結=人肉食にまで敷衍したことがあって、このタイトルと遭遇し、植物の血液・クロロフイル=人類の血液・ヘモグロビンから人肉(血)漁りへの如何なる論理的展開ありや、と勝手に好奇の念を燻らせてみたら、短編小説でもない既存の世界の人肉食的事例を何片か紹介しているだけであった。

 

 その中の一つ、中国での逸話、《 股肉の膾(なます) 》なる明末、河北省での大飢饉の頃の話を紹介してみよう。
 ある旅人が昼飯をたべようと路端の客桟( 宿 )に入ると、店先に据えてある大きなまな板の上に、一人のまだ若い女が素っ裸のまま縛りつけられてて、驚いて店主に尋ねると、貧窮した自分の亭主に金を工面するために自分の肉体を切り売りしようとしているんだとか。
 旅人、女の余りの過酷さに同情し、身銭を切って女を解放してやった。
 女は狂喜し、夫に金を渡してやれれば本望とばかり、後は旅人の奴隷にでもしてくれとひれ伏した。裸のままじゃと、旅人、足元に脱ぎ捨ててあった女の衣服を手に取り、女に着せてやろうとして、ふと、指先が誤って露わな女の乳房にちょっと触れてしまった次の刹那、女はすっくと立ちあがり、憤然とした眼差しで、
 「命の恩人のあなた様へ、召使いとして一生御奉公致す所存でありましたが、しかしながら、貴女様の妾(めかけ)の類になろうなんて気は金輪際ありません! 夫以外の誰にも触れさせるつもりもないからこそ、肉体の切り売りを願い出たのですから。やっぱり、いっそのこと、この身を、肉体を切り刻んでおくれなさい。」
 と女は自ら、大まな板の上に再び仰向けに横たわってしまった。
 思わぬ勘違いに罵られた旅人は言葉もでず、むしろそれに怒ったのは店主の方で、縁もゆかりもない旅の旦那に助けてもらいながら、何ていいがかりつけやがる。こうなっちゃ、もう誰が何てったって聞かねーぞ、と啖呵を吐き捨て、大包丁を高く振り上げ、止める旅人を蹴飛ばし、渾身の力で女の裸体に叩き下ろしたという酸鼻譚。

 【 黒石評 】実に壮烈無比凄惨無類の話だ。こういう方法で身を殺し、貞操を完うする婦人は、今日はもとより昔の支那にも滅多にあるものではない。

 

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 黒石の些かクールな評だけど、話の冒頭で、“ 今でも ”と当時昭和初期の頃の中国の文字通りの人身売買の状況にちょっと触れている。
 幼女が10米国ドル、7歳くらいの男児は20ドルあたりが相場で、他の小動物と一緒に道端に並べて売られているという。いわんや飢饉旱魃の時節においてをや。
 いづこの国でも似たり寄ったりの、とりわけ子供たちの惨状ではあるが、なかんずく中国は世界に冠たるグルメ国、その奢侈の極みなのか、あるいは遥か後期ネアンデルタール世紀の遠い記憶のグルメ故の残滓的発露なのか。 
 飢饉旱魃時は西も東もゾンビー映画さながらの百鬼(昼)夜行はもはや常識だけど、日本でも天明の大飢饉の折など、道端や河原に流れ着いた屍体から始まり墓をあばき出すに到り、あるいは、わざわざ指を串に刺して焼いて食したりなんてあったらしい。指の串焼きってまともに考えるともう単なる食材扱いから美味志向まであと一歩って趣きすら窺えて、非常事態的食人が常態化してしまうと、今度は美味の追及に流れてゆくという人間の性すら垣間見えてしまいそう。
 中国美食道的探求とは正にそれなんだろう。
 天明の飢饉の極みは、死にかけた自分の母親を担保に隣人宅の屍肉を分けて貰うという、もはや流通貨幣と化してしまった例に尽きるだろう。(《 医療としての食人 日本と中国の比較 》吉岡郁夫 )
 
 尤も、人身売買って、食肉とは別途に流行りの言葉で言えば薬膳的素材としての、つまり漢方的・習俗的(=民間療法)薬的素材としての意味もあるだろうし、魯迅の《 薬 》を待つまでもなく中韓日じゃとっくに昔からポピュラーで、昨今は“臓器移植”なんて科学的医療の体裁すらとってもっと直接的なものとして流布している。

 

 因みに、ネアンデルタール人の共喰いが始まったのは、地球の環境が、丁度現在の我々が置かれているのと相似な、むしろ将来を具現したように、温暖化が進んで沿岸地帯が海に沈んで生態系に劇的変化が生じ食料難を来たしたからってことらしい。
 ネアンデルタールの異種との交配が進み始めたのも同じ頃という。現代の我々のDNAにも彼らのDNAが混じっているってのが言わずもがななんだろう。

 

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 ( 巻頭のスイス・チューリッヒの操人形劇団の特集。「操人形」解説までふされていて、二十ページ近い写真も載せてある精力ぶり。人形の顔  がグロテスクなところでの特集なのだろう。)

 

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