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2019年11月の2件の記事

2019年11月 9日 (土)

廃都アンコル・・・路傍的残影

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 95年、97年の2回シェムリ・アフ゜(=アンコール・ワット)を訪れた。
 12世紀、アンコール王朝時代に国王ジャヤーヴァルマン7世によって創建されたという。最初は仏教寺院として、後ヒンドゥー教寺院に改修されたらしく、両方の混淆というところだろう。隣国タイやインドネシアなど東南アジア一帯にヒンドゥー教の影響・痕跡がみられるのも興味深い。

 アンコール・ワット前のチェック・ポストでチケット3日分=40ドル(95年、97年とも同額 : 現在は62ドル) 一応訪れる毎にチェック・ポストで切り取る3枚つづりの副券があるはずなのだが、副券のない日付の記されたチケットを渡された。確認とると問題ないとのことだった。当時、噂に聞いていた汚職の類なのだろう。
この頃は、まだポル・ポト勢力が残存してて、団体客にはM16かカラシニコフを肩にかけた兵士が一人護衛に就いていた。

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 95年は9月に訪れ、雨季らしく、雨が多かった。一雨降るとたちまちシェムリ・アプの町は元々土を踏み固めただけの赤土道路がまだ多くたちまち褐色の泥沼と化し、アスファルト道路も整備ができてなくてデコボコで冠水状態になってしまう。夜も総じて暗いところが多かった。
 尤も、前夜の雨で早朝のタ・プロムなんか地面やガジュマル等の樹葉も適度に湿気を帯び、団体客も来てないこともあって雰囲気は最高だった。
 周辺住民の子供達が手を変え品を変え出没し外人客とみるとくっ付いてきて、ともかく“ドル”をくすね取ろうとする。皆それなりに家業の一員ってところなんだろうけど、大人のそれと違って愛らしくて憎めない。
 97年は5月で、雨は少なかったが熱かった。それでも、昨今の日本の夏と同程度の30℃台。
 早朝訪れると、やはり観光客も微少で、ガジュマルの大木や他の高木からハラハラと緑の葉が舞落ち、地面に堆積し褐色に変色した枯葉の上に重なってゆく様や響き渡ってくる鳥のさえずりに、しみじみ静謐さを感得できたりする何ものにも代えがたいひと時であった。

 

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 個人的には、アンコールワットより、タ・プロム等の所謂アンコール・トムの方が ジャングルの中の遺跡って雰囲気がだんとつに素晴らしく気に入っている。( 当時、発見されたばかりのアンコール王朝初期の頃に建てられたバンティアイ・スレイも評判が良かったが、未踏のまま。)
 けど、最近は如何なんだろう。下手するとすっかり小奇麗に整備された"公園"の中ってものにされていかねない一抹の危惧に、ネットをチェックしてみると、さすがにタ・プロムのガジュマル=自然とアンコール文明(=人間)との溶融的産物として基本そのままの状態をキープしているようだ。

 

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2019年11月 2日 (土)

ジャイサルメールの酔華 《 旅先の一枚 》5

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  インドはラジャスターン砂漠で最も古い城の一つがあるので有名な町ジャイサルメール。
 お決まりのニューデリー→プシュカル→ジョードプル→ジャイサルメールのラジャスターン沙漠定番コース。魅惑的なプシュカルには10日くらい泊まったが、大きな砦フォートとやたら大きな角の牛たちだけしか印象的なものがなかったジョードプルにはたった半日。つまり一泊もせず、夜行列車でラジャスターン沙漠の代名詞的なジャイサルメールへ。
 ここの中心的存在がシタデルと呼ばれる黄土色の城砦。
 プシュカルよりも一回り大きなくらいのこじんまりとした町で、シタデルの中にはジャイナ教寺院や民家・ホテルなんかが立ち並んでいる正に城塞都市。そこから360度の展望が開けていて、一歩町の外に出ると、もうそこはパキスタンにまで至るラジャスターン沙漠。有名な観光地でもあるので外人客も多く、ラクダの背に乗って何日かラジャスターン沙漠を巡るアラビヤン・ナイトのツアーまで備わっていた。尤も、沙漠は何処も同じとばかり比較的近くのエリアをグルグル廻ってごまかす悪質ツアーもあるとかで、執拗な宿のスタッフからの誘いもあったものの当方は遠慮させて貰った。
 

 

 そんなシタデルの門前の一角に、“ Government authorized ”を明示した所謂《 バング・ショップ 》があった。
 Bhangとは所謂大麻・マリファナのことで、メニューにもあるようにバング・ラッシーやクッキー等を堂々と販売している。聖地たるバナラシ―にもバング・ラッシー屋はあったけど、同じヒンドゥー教の聖地・プシュカルじゃ如何だったのだろう。それほどに興味がある訳じゃないので、当方が気がつかなかっただけで、ひょっとしてあったのかも知れない。
 このジャイサルメールの店の看板は英語表記で、いかにも外人観光客を標的にしているようにも思えるが、インドって多民族国家で、特定の民族の言葉、つまり一応公的な言語ってことになっているヒンドゥ―語もすらも、押し付けに過ぎないとして、むしろ以前の宗主国・大英帝国の英語を共通言語として使う傾向があるらしく、だから必ずしも英語=外人狙いって訳でもないのだからややこしい。

 

 丁度絵に描いたような風体の白人が店の人間と何やら相談中。
 何しろ“ 政府公認 ”( 尤も単なる手書きに過ぎないけど )の金看板を掲げているので、怪しげって訳じゃない。むしろ、パキスタンはペシャワールの郊外にあるトライバル・テリトリー( 公権力の手が及ばない少数民族自治区 )にある通りに面した一見何の変哲もない小さな店の前でコソコソやっている方が遙かに怪し気で危ない。外から何の店なのか定かじゃないその地味な佇まいの店に一歩入ると奥の棚に堂々と大きな茶褐色の大麻樹脂や、“ヘロイン”の表示のあるものすら並んでいたりする。銃の町ダッラに赴く途中に寄ったに過ぎなかった当方のパッカー・グループは、“ヘロイン”の文字を見ただけで、こりゃヤバイとばかりそそくさとそこを後にしたけど、早速腰に拳銃を吊るした自治警官が目ざとくやってきて「さっさとここから出てゆけ ! 」とやんわりだが警告されてしまった。 

 

 

 ネット見ると微妙に相違があるが、バングって大麻の茎・葉から作られ、花から作られたものをガンジャ、樹脂をチャラス、中東じゃそれをハシシと呼び歴史は古いらしい。
 インドでは元々修行者=サドゥーなんかが修行的一環として使用したり、庶民もホーリーなんかの祭の時に使ったりするようだ。着色された水や粉末をかけ合ったりするホーリー祭の時に、塗料まみれになった参加者たちの動きが、どうもゾンビーの群のような覚束ない足取りに思えて、てっきりアルコールの故だと決めつけていたら、バング・ガンジャの類の故だった可能性も出てきた。
 近年、インド政府も、世界といっても基本欧米先進国の圧力に、国内のそうした伝統的な慣習に色々な制限・規制を設け始めたようなニュースを瞥見するにつけ、前回の《 童子蛋 》同様、その弊害著しいならともかく、そんな話余り聞かないし、むしろタバコの方こそよっぽど有害なのだから、誰憚ることなく堅持して然るべきだろう。

 

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