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2020年2月の2件の記事

2020年2月27日 (木)

大泉黒石『 黄夫人の手 』 怨魂は海を渡る

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 監督・溝口健二+原作・大泉黒石=《 血と霊 》(日活向島)の原作本が、関東大震災を間に挟んで、同名の短編小説集《 血と霊 》( 春秋社 )として映画に先駆けて出版されたのが大正12年( 1923年 ) 7月、その映画制作の契機となった当時列島を席巻したドイツ表現主義映画《 カリガリ博士(のキャビネット) 》がその2年前の大正10年5月に国内で封切りされていて、更にその前年、つまり大正9年に雑誌《 中央公論 》説苑欄に、大泉黒石のこの《 黄夫人の手 》は発表された。

 

 映画《 カリガリ博士 》の封切り上映される前年に書かれたってところに意味がある。というのは、映画《 カリガリ博士 》に影響を受けて書かれたといわれている《 血と霊 》と共通した幾つかのテーマがこの《 黄夫人の手 》に既に見られるからだ。
 物語の概要を先ずみてみると、舞台は《 血と霊 》と同じ長崎。
 中国・湖南省湘潭から渡って来た黄一家の住む中国人街と、中国系住民たちの墓地のある寺町の寺院群の背後にある伊良林の森を切り開いて作った、電気も漸く引いたばかりの一角に盲目の祖母と暮らす中学生・藤三の家。伊良林は、幕末に坂本龍馬の亀山社中が在った場所でも有名。

 

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 ( 唐人街的佇まいはさすがに殆ど霧散しているけれど、この界隈は原爆・戦災を潜り抜けてきたのか未だ戦前的情緒が残っている。石段の向こうにベンガラ色の天后堂が覗けてるのが好い。)

 

「 ・・・寺町の裏手に、藤三という中学生が彼の祖母と貧しい生活を立てていました。新地街の廓(くるわ : 周囲を仕切られた区画の意味で遊廓の意味ではない。尤も、その中の一角に遊廓も設えられていたけれど )からざっと西北の方角、伊良林の墓地を開いて建てた隠居所風の小さい二階家・・・」

 

 新地から寺町・伊良林は北東( 正確には東北東 )に位置していて、それを敢えて“西北”と記しているのは、明らかにのっけからこの小説がフィクションであるのを予め明示したものだろう。
 藤三は東山手はオランダ坂を登り切った活水女学校(現在の活水女子大学)の隣にある中学校( 黒石だと鎮西学院 : 前身はカブリー英和学校 ) に通っていた五年生。いやでも中国人街を突っ切って行かねばならない。
 当時のレアな異国的情緒を異界的粉飾を凝らしてこう提示してみせる。

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 ( 風頭山・伊良林から眼下の長崎の街並を見下ろす。物語にもあるように、寺町の寺院の背後の墓地群の静かな佇まい。藤三も隆泰もこの狭い隘路をトボトボと通り抜けていったのだろう。)

 

 「 皆さんもご承知のとおり、長崎の新地街という所は、明治維新頃から渡来した幾千の支那人が集まって、大きな一つの廓を拵えている。その廓へ一足踏み入れると、遠い支那という国へ行ったような気持がするほどの別世界なのです。土地の人も旅人も、さすがにこの廓へ出かけることを避けるくらい、長崎という寂かな、おっとりとした町のしかも殆んど真ん中に、泥を浴びて踠いている豚の小屋と言いたい部落が、どうして今日まであるか不思議でしょう。」

 

 「 初めて長崎へお遊びになる方が必ず驚かれるように、廓を繞(めぐ)る高さおよそ七尺( 約二メートル )に余る白泥の回塀が、埒もなく崩れかけ、塀の破れ目から、丸焼きにした鶏や家畜の湯気や炒め油の煙が、何とも言えぬ悲調を帯びて、外を通りかかる人の首に巻きついたら最後、終日臭いが付き纏って離れない。」

 

 そんな中国人街の外廓を辿って学校に向う途中、偶然、ある女の姿を見てしまった。
 
「 ・・・回塀の下を歩いていると、一軒の支那造りの、屋根と雨雲とがすれすれに見える赤黒い窓の中から、突然真っ白い女の顔が現れた。汚い巫女の住みそうな穴倉と、白い女の顔との釣り合いがあまりに懸け離れているので、藤三は、四角なベンガラ石を畳んだ路傍から、じっと窓を見詰めていると、窓框が深く切り込まれている上に高いので、はっきりは見えないが、女の顔は押しかかる雲の切れ目に光る雨の雫を無心に眺めていた。・・・」

 

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 ( 伊良林もこの辺りは坂と石段の斜面。忘れ去られたような墓石群が点々と白日に晒され無常的気配を醸し出す。令和の陽出ずる國ならぬ陽暮れ沈みゆく国の侘しい佇まい。)

 

 その女の細面の相貌が何としても支那人らしくなくて、さりとて到底普通の日本人が住めるような場所でもなく、その奇妙さにすっかり囚われてしまった藤三は、下校時にも、つい確かめてみようとふと見上げると、果たして、その女が居た。顔色が真っ黄色に変容し、何と乳房まで露わにじっと藤三を見下ろしているではないか。それも朝方見た時は若々しかったはずが、すっかり年増然とした姿態に・・・腰抜かさんばかりに藤三は逃げ去った。
 その数週間後、藤三のクラスに一人の中国人が入って来た。
 黄廛来という、以前は上海の邦人学校に通っていた類稀な色白の美少年だった。藤三が嫉妬するくらいの、京劇の女形役者にしてもおかしくないくらいの美形で、日本語も達者だったのだけど、あくまで中国人=異邦人、藤三はそこはかとなく違和を覚えた。 その廛来が藤三の隣りの席と決まり、最初はろくに口もきかなかったのが、次第に親しくなっていった。それでも、ある日、廛来の額に、以前藤三が中華街を歩いている内に指の股に生臭い黄色い粒のようなものがくっ着いていたのと同じものが三カ所も浮いていたのを見つけ、尋ねると、彼の家で商っている煎海鼠(いりこ)に憑いた煎海鼠虫の糞だと言って、なま白い手の甲で拭ってみせた。

 

 「 すると今度は、彼が、煎海鼠を扱う支那人であるとすれば、新地街に住んでいなければならないということになると同時に、この男もそこから通って来るのだと思うと、忘れようとして、忘れきれないでいるあの黄色い女の顔がパッと浮かんだ。黒い鉄の扉を穿めてある奥で、恐ろしい犯罪が赤い口を開いているような、あの窓を思い出さずにはいられませんでした。人間の心は、こうも変わり易いものでしょうか。今まで一番親しかった廛来が頓に汚くなって、彼の支那服からは、知らずにいた異様な悪臭が洩れてくるようです。」

 
 この黄色く生臭い小粒って、単純に《 金腿彩蛋 》の牌号が門上に掲げてある廛来の家が商っている山海産物、大粒千貝、大炒葛等の商品の一つに不随した副産物というより、おどろおどろしい不可知の異世界(=異界)への入口・・・その警鐘と誘い、参入的符号として機能しているのではなかろうか。やがて登場することになる黄夫人(の手)に係わることによって生じる引掻き傷=凶兆に先行するものとして。

 
 ある日教室で独りの生徒の月謝袋が紛失してしまった。
 すると、廛来のあの美しい顔色が、見る見る死人のように変わっていった。藤三はその翌日から学校に来なくなった廛来に疑いをもった。ところが数日後、無くした生徒の勘違いだったのが明らかになって、恥じ入り、病気かも知れない廛来を見舞うことにした。
 石垣の上に佇んだ屋敷の、《 Chinese Grocery 金腿彩蛋 》の牌号のある門の敷居の上に腰掛けた廛来が、長いキセルつき吸煙缶( チャイナ・ブラス=水煙パイプ : 水烟壺 )を抱え、束の間の愉悦に浸っていた。訪れた藤三に気づき、慌てて吸煙缶を背後に隠した。
 互いに不意を突かれ、ドギマギするばかりで、殆ど言葉を交わすこともなく、一歩踏み込んだだけの中国的巷の一切に圧倒されて藤三は怯えた犬のように廓の外に逃げ帰ってしまった。

 

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 ( 伊良林に海援隊の亀山社中跡があり、坂本龍馬ブームにのっかってか、あっちこっちにこの手作り龍馬プレートが掲示されている。勿論武田鉄矢じゃなく、福山雅治風味。)

 

 翌日、学校で教務係に呼ばれ、月謝滞納の罰金代わりに廛来に月謝の催促をして来てくれと頼まれてしまい、仕方なく再び廓の中に分け入ることに。
 門前でまごまごしているのを窓から見て取った例の女が慌てて外に出て来て藤三を中に招き入れた。円卓を挟んで坐った女は、今日は三十代に見え、いよいよ藤三は面喰ってしまった。

 

 「 廛来が始終お世話様になりますそうで、おおきに、有難うございます。なにしろ、こちらには、お友達もありませんし、また廛来も内気でございまして、こうしておりましても、近所に友達一人ないのですよ。これからもどうぞ、いろいろお教えなすってくださいまし。それに昨日は態々お見舞いに来てくだすったそうですが、廛来が、あの通りの解らずやでございますから、家へお上げもしないで大変失礼いたしました 」

 

 出された高級緑茶″銀針古芬 ″を煎れた茶碗に手を触れることもなく、まじまじとその廛来の母親を探るように見詰め、彼女が紛うことなく日本人だと理解した。
 藤三と同様に廛来の父親も去年亡くなっていて、二人きりで淋しいので、遠慮せずに遊びに来てくれというと言う。月謝の件を持ち出すと、慌ててその場で藤三に教務係に届けてくれまいかと紙幣を渡した。帰りしな、門口で、廛来が彼の伯父の家を指差して教えた。戸口に「 黄隆泰──包弁酒席海鮮炒売 ( 海鮮料理の仕出屋 ) ウ152 Won Loong Taih 」の文字があり、曇った硝子窓の中に油煙の立ち込めた厨房が覗けていた。

 翌日も下校時に廛来に呼び止められ廓の廛来の家に一緒に赴くことになった。 

 

 「 いつ見ても泥まみれの街ですが、二度三度と足繁く来るにつれて、どうやら、その辺のエキゾチックな別の趣が、いくらか受け取れるような心地もします。」

 

 藤三は廛来の母親( 廛来はややさんと呼んだ )にも親しみを覚え始めていた。藤三が渡した月謝の受領証を帯の間にしまいながら、今日がちゃちゃさん( 廛来の父親 )の一周忌なので、墓参の前の昼食を共にしないかと誘ってきた。
 やがてそこに、ややさんの娘・お慧も現れ、一緒に円卓に就いた。
 歯並びの良い、色白の背の小高いお慧は、ややさんに余り似ていなかったものの、赤表紙の《 艶情砕錦 》に見入っている目の下に、ややさんにもある小さなホクロがあった。やがて大きな飯籠を抱えた中国人が入って来た。

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 ( 寺町通りに面した南京寺=興福寺の山門。中は時節柄か、訪れる人も疎らで静寂そのもの。)

 

 四人は食事を終えると、父親の墓参りに向かった。
 墓のある通称南京寺( 興福寺 )は伊良林の藤三の家に比較的近かった。同じ寺町の三宝寺の裏手の森の中に藤三の家はあった。
 日本人には縁のない巨刹・南京寺の中で、

 
 「 支那人が最も恐れるのは、保叔塔の千里神と万里神の本像でした。一像は耳に手をあて、千里の遠い悪事を聞いている。一像は眉に手をかざして、万里を距てた悪事を見ているのです。この支那寺は支那人のみならず、街の人々の目にも恐怖の的にされていました。それは支那人の屍が、埋葬に先立って、境内に十日あまりも寝棺のままで雨露に晒されるからでしょう。累々として幾百幾千の柩が、或いは蓋を開いたなりで、或いは亡者の手足をはみ出したままで、庭一面に並んでいる間を、片足は木履、片足ははだしで徘徊する一人の老婆がいるからでしょう。ですから彼女に誘われた時、藤三も決して愉快な返事をしなかった訳ですが・・・」

 

 廛来の家を出る際、一本の小さな吊り札が眼に入った。
 《 美爪術師 》とあった。風にくるくると回っていた。
 お慧に尋ねると、一瞥を呉れただけで無視されてしまった。藤三は彼の声が聞こえなかったのだろうと自分を納得させる他なかった。
 何故か廛来の父親の墓石は横ざまに倒してあった。
 ややさんは桶の水を墓石の上にたっぷりと注いで、廛来と並んで跪き、オイオイと泣き続けた。お慧だけは、後ろに佇んだまま二人の方を醒めた眼差しで見遣っていた。 

 

 「 廛来のお父さんは、何で亡くなったのですか? 病気ですか?」 

 

 つい藤三の口から出た言葉に、叩頭していたややさんがお慧の方を振り向き怖い眼で睨み据えた。どぎまぎした藤三は、やがて泣き了えた廛来の白い片頬に、爪で引っ掻いたような跡が二筋赤々と浮かび上がっているのを見つけて驚いた。

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 ( 興福寺境内。有名な寺の割にはあっちこっち裏ぶれていたりして、それも又、禅寺的一興。)

 

 「 あなたは顔をどうしましたか?」

 

 しかし廛来は、慌てて手で頬を確かめたものの、母親に暗鬱な眼差しを送っただけで、答えることはなかった。
 一行と別れて、藤三が、墓地伝いに自分の家に戻ってみると、何と盲目の祖母が押し入れの奥にづっと仕舞ってあった鏡台を持ち出して、じっと鏡の中に見入っているところだった。怪訝に思って理由を聞くと、眉毛が伸びたので抜こうと思ったと言う。そして、見えない両の眼の奥から藤三の心底を見透かすように一瞥を呉れた。

 

 「 今日はな、醤油と間違えて石油を鍋の中に入れたっけ。煮えた豚肉を口ん中へ入れると、石油の臭いが、ぷんとしたから気がつきましたぞ。お前が戻ったらお菜がないところだっけ。ようこそ他所で食べて来ましたな」

 

 「 石油 ? そんなものは家にないじゃありませんか ?」

 

 「 それがお前、電灯というものがあるのをつい忘れてな。もうランプの油が切れる頃と思って態々(わざわざ)墓地下の街へ買いに行きましたのさ」

 

 その自身の勘違いに大笑いする祖母の舌が異様に黒ずんでいて、藤三は竦( すく )み上がり、その場に固まってしまった。・・・この辺りから、一気に怪奇的モードに入ってゆく。
 只、盲目の祖母との絡みの中での“石油”そして“石油を他のものに混ぜる”というモチーフは、《 代官屋敷 》(大正九年二月)でも主人公の少年・清が石油の入ったインク壺を代官屋敷の古井戸の中へ投げ込むという印象的なモチーフとして使われていた。明治時代故にまだ電気は一般的じゃなく石油・灯油の時代だったにしても、元代官の神主・高木に憤った少年・清が古井戸に石油の入ったインク壺を投げ込んで家に逃げ帰った後、その石油の混ざった井戸水を飲んで苦しむ高木の姿が少年・清の脳裏に幾度も去来し恐懼に囚われるシーンが、祖母の場合だと違和感を覚えただけの笑い話の種となり、しかし、その祖母の舌が黒々と、あたかも少年時のエピソードだったはずのインク壺の黒インクにでも染まったようなシーンとなって中学生・藤三をゾッとさせるってのも、黒石的ジョークだったのだろうか。

 

 「 してみると、藤三と彼女とは、こうして一度はどうしても落ち合わねばならぬ因縁の下にあったのだという事が出来るではありませんか。たとえばです。通りがかりに見た醜い女の顔に苦しめられ定る矢先を、廛来が態々学校へ入ってきたり、田代が財布の置き場を忘れたり、廛来が無届欠席をしたり、つづいて月謝を滞らせたりする。それがために藤三が新地街へ入る事をも余儀なくされる。それが、藤三を彼女に引き合わせるためにつくられた事件のようではありませんか。」

 

 学校の教務係に廛来のところへ行って滞納した月謝を払うように伝える旨依頼され、廓の廛来の家に赴いて、例の女が居た窓のある建物と廛来の家が同じ建物だったのに気づいた後の記述なのだけど、一切が偶然的成行きじゃなくて、ある何かの強い力で引きつけられ一つのところに収斂してゆく因果律。

 

 月謝の納入期限を一週間も過ぎ、さすがに観念し金策に向うとしてるところに、突然五十格好の中国人が訪ねてきた。
 黄隆泰だった。
 廛来の家で、自分の身の上話とか噂とか出なかったか、と執拗に尋ねた。 

 

 「 私や廛来は支那の湘潭から出て来ました。湘潭という所は湖南にあるのです。ご存じでしょう。洞庭湖の湖南です。廛来の家も私の家も、あの町では旧家で、代々農業をつづけ・・・」 

 

 隆泰は何かに怯えるように時折周囲を警戒するように話をするのだった。
 やがて、廛来の実の母親たる黄夫人について話始めた。

 
  「 黄夫人の名が今以て湘潭人の頭にあるのかというと・・・一つは黄夫人が非常な美人だったからです。彼女の名は黄添嬿( ウォン・ティエン・イエン )と言いました。その黄添嬿は湘潭人の目を奪いました。同時にまた彼らを心底から戦慄させたのです。美人添嬿には恐ろしい窃盗狂の血が流れていました。」

 

  「 泥棒だと言うと、さも彼女が困窮していたように思えますが、添嬿の親元は、以前、長沙の街でも相応に羽振りを利かせた被服商売で、添嬿が廛来の父へ嫁(か)したときの土産物は大したものでした。彼女が廛来を生んだのは十五の歳だと思います。初めは目立たずにいた盗癖が、廛来を生むと、酷くつのって、彼女が巡邏(じゅんら)の手に押さえられるまでには、他人の持ち物は無論、自分の夫の品まで盗んでいたことが発覚しました。」

 

 「 彼女は最後に、ある友達の留守宅に忍んで、留守居の老婆に咎められた。その口惜しさと、自分の罪悪がこの老婆の口から世間に知れるのを恐れて、その場で絞殺したとお考えください。死んだ老婆の始末もつけずに、物を盗んでいるところへ、出先から戻ってきたのが主人でした。」

 

  「 添嬿が窃盗狂だと解かったのは、彼女が湘潭の東邱で死刑になる時、自分で告白したからで、彼女の自分の父親も手癖が悪かったけれども、彼女ほど無鉄砲ではなかったそうです。娘の方では、自分の父親にこういう嫌な性質があることを知っていたそうですが、親の方では少しも気づかずにいたのでしょう。」

 

 「 ・・・自分の汚れた血が,揺籃の中にすやすやと眠っている廛来にまで伝わるのを恐れて、幾度も殺しかけたと申します。さすがに嬰児の無心な顔を眺めては、それも出来ないのでしたが、彼女はある日、方神(かみさま)に向かって、嬰児の生命を絶つことが許されるならば、彼は決して二十一歳まで生き延びないようにすると誓ったそうです。・・・今年がちょうどその二十一です」

 

 “ 二十一歳まで生き延びないように方神に誓う”ってモチーフも、《 不死身 》( 1925年 )で、妓生・李桂花が鬼神との約束を破って自殺を図ったために、永劫死ぬことのできぬ身体にされ、百歳に達すると、三十三歳に戻ってしまう救国妓生奇譚と、死と不死との違いはあるが同根の業と宿命。

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 ( 崇福寺の山門。この日は、興福寺よりも観光客が全然多かった。こっちが国宝ってことだからか。物語的にはここに黄夫人の墓がひっそりと臥たわってて、やがて隆泰が墓を暴き夫人の屍か手首の有無を確かめにやって来ることになる。)

 

 「 役人は添嬿の屍から、幾多の湘潭人を悩ました右の手首を斬り取って、保存することに決めました。私は無学者ですから、よく存じませんが、それは稀有の女盗でありまして、町一番と称せられた美しい手だというところから、後学のためにでもするつもりだったろうと思います。添嬿は指の爪を生命よりも大切に扱いました。彼女は爪磨きの術を知っていたので、自分では自分の部屋に『 美爪術師添嬿夫人』と書いた札を掲げ、自得していたようです。」

 

 「 ・・・あの今のお袋が廛来の身の上を、死んだ兄からよく聞いていますし、折々変なこともあるでしょうから、ああして外へはなるべく出させないし、友達も作らせないようにしているのだろうと思われます。しかしこれは私一人の考えですけれどもね 」

 

 隆泰は藤三が廛来一家と共に墓参りに行くのを見ていたという。

 

 「 あれは廛来の父親の墓だそうですよ」

 

 「 いいえ。私の兄の墓は筑後町の崇福寺にあるのです。あなたがお出でになったのはきっと南京寺でしょう ?」

 

 藤三は眩暈を覚えながらも、ムキになって何故、黄夫人の墓が南京寺にあるのかと糺した。


 「 ・・・あの墓は黄夫人の霊を慰めるために、無益にも、私の兄が生前に建てたのです。だから兄の墓は崇福寺にありますよ。それに兄の忌日は昨日ではない。昨日は黄夫人の死んだ日でした。黄の家族は死人の祟りがないようにと言う意味なんでしょうが、毎年お詣りに行くのですよ。」

 

 唐突な隆泰の訪問に、もっと差し迫った問題があったのじゃないかと訝りながら、墓地の狭い路をしょんぼりとした足取りで戻ってゆく隆泰を二階の窓から見ていると、藤三は、心奥からの胸騒ぎを覚えるのだった。
 ところが、その翌日にも、隆泰はやって来た。
 すっかり顔を蒼褪めさせ、

 

 「 あなたの家では、別に変わったことはありませんでしたか?」

 

 と尋ねてきた。
 藤三がその唐突な質問の意味を聞き返すと、その話を打ち切り、蝙蝠傘を握った手を打ち震わせながら意を決したように畳みかけてきた。

 

 「 実はねえ、いきなりこう申し上げてはお解りになりますまいが、私の家に先だってからあった『 黄人の手 』が、突然昨日見えなくなりました。私がお宅から戻った時には、もう失くなっていたのです。」

 

 言ってることが支離滅裂で藤三は思わず噴き出してしまった。隆泰は寂しく微笑し、すたすたと戻って行った。藤三は授業料の金策のために、古本を纏めて寺町下の繁華な通りにある古本屋の並んだ一角に赴いた。帰途、南京寺の石段を上がろうとした時、何とまたぞろ隆泰に出遭った。慌てて泥塗れの手を後ろに隠しながら隆泰が挨拶をしたその不気味な所作に藤三は、隆泰が黄夫人の墓を暴いたのではないかと恐懼に駆られ、こそこそその場から逃げ去った。
 そして、二階の部屋に戻り、古本の売上金を机の抽斗に収めようとしたら、ころころと女の手首が転がり落ちてきた。女の手首には、まだほんのりとした温味があった。
 

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 ( 興福寺の青鬼・順風耳像と赤鬼・順風眼像。中央は天上聖母菩薩=船の神。物語の中では、中国人が最も恐れる二鬼、千里神と万里神。)

 

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 ( 崇福寺の千里眼と順風耳。中央は天上聖母。)

 

 「 色の褪めてぼやけた死人の手とは事変わって、それは、さながらに桃色の血がどくどくと脈を打っているようでした。形は大きくないけれども、小さいなりで華奢に出来ているのです。も少し細かに説明しますと、その、すらりとした五本の指は、先に近づくに従って、細く、少しも歪んだところがなく、麗わしく纏まっていました。支那の皇妃でも持ち合わせますまい。その白い星を浮かべた巴旦杏の爪は !」

  
 身も細る思いで、何とか黄夫人の手を風呂敷の中に包み込んだと思ったら、隆泰が再び訪ねてきた。恐怖に萎えそうな自分を鼓舞するように藤三は襖を閉め、応対した。すっかり蒼褪めた藤三の顔色に驚いてみせた隆泰は、黄夫人の秘されていた奇談を滔々と語り始めた。
 老婆を殺された黄家の友人の妻が、黄夫人・添嬿の妖霊に祟られたという。
 その妻が子供を産めば、添嬿の忌日には必ず死んでしまい、多産な妻は幾度となく自らの子の死を味わう羽目に陥った。正に黄夫人の、自分を売ったその友人とやらに対する復讐。呪い。
 ところが、その湘潭にあったはずの黄夫人の手が、隆泰の家の階段に現れ、階段の入口を板で封じたのだけど、店の女中がハガキを出しに郵便函(ポスト)に赴くと、黄夫人のらしい人間の手首が載っていて、腰を抜かさんばかりに女中は戻って来た。と、その夜、よりによって廛来の家に黄夫人の手が現れたという。階段の板を剥がしてみると、果たして、もう手首は消えていた。そしたら、藤三の頬に例の引掻き傷が顕れ、心配になってやって来たという。藤三は、しかし、背後の襖の裏に風呂敷に包まれた黄夫人の手があるってことを告げようとしても、金縛りにでも遭ったように言葉にならず、隆泰に怪訝な一瞥を送られただけだった。
 隆泰が去った後、藤三は慄きのあまり、家を飛び出し、遊郭街・丸山近辺で折角工面した金すべてを使い果たしてしまう。
 が、しかし、その長居を決め込んだ酒場でも奇怪事が起こった。
 満席の暗い酒場の中で、藤三は、明らかに例の黄夫人の手とおぼしき現象に苛まれた。最初は女給が藤三に自分の手を握られたと勘違いしただけだったのが、店の客の男達すべてに一斉に伝染でもしたかの如く、次から次へと椅子から立ち上がり周りを見廻し誰かが自分の手を握ったと騒ぎ始めた。

 

 この光景、デンゼル・ワシントン主演の《 悪魔を哀れむ歌 》(1997年)で警察署から外の通りまで、デンゼル・ワシントン演じる刑事の面前で、悪魔が次から次へと人々に憑依してゆく様を見せつけるシーンを彷彿とさせる。

 

 再び月謝工面のため、今度は中学五年間の教科書をまとめて古本屋で売り払い、学校に赴いた。そこで廛来とばったり遭遇。廛来は、伯父が亡くなったので喪が明けるまで休学するための手続きに来たという。
 今朝の九時ごろ、隆泰が変死体で発見されたのだった。
 女中が二階が騒がしいので見に行こうとすると階段の登り口が板張されていて、上から隆泰の苦しそうな呻き声が聞こえてきたという。静かになったので、板を外し、確かめてみると、果たして隆泰が首を絞められて死んでいたという。
 廛来は、隆泰が自分で自分の首を絞めたのだと断言。
 藤三が訝って理由を尋ねた。

 

 「 隆泰は支那にいる時分からの女狂いだったのです。私の母親も隆泰のために酷い目に逢った上に、脅迫されて最後に巡邏の手に引き渡されたのです。私の母親の怨みだってね、いくらかあるでしょうとも――」

 

 「 私の母親は、お恥ずかしい話ですが窃盗をする病気がありました。隆泰のうちにも物を盗みに入って彼の虜になり辱められたのです。そんなことは、あなたもとっくに、ご存じじゃありませんか?」

 

 「 あなたの家へ隆泰が行ったことは、ちゃんと解りますよ。私の母の手首があなたの所へ行ったことも解りますよ。あなたの頬には爪の掻き傷があるじゃありませんか。その傷のある人は皆私の母が殺された訳を知っているはずです」

 

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 ( 崇福寺。「永護安瀾」瀾は大波の意味らしく、おだやかな航海を願う海洋交易の人々の媽祖信仰らしい扁額。)

 

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 ( 同じ建物に隣接した平安祈願の扁額。 )

 

 薄々分かっていたとはいえ、やっぱり黄夫人の友人とは、隆泰その人だった。
 その夜、伊良林を下った路地裏に住んでいるややさんの父親と名乗る老人の家を訪れた。老人の方から連絡があったからだ。
 七十歳ぐらいの身なりの卑しい老人であった。
 実は以前、藤三の家のある伊良林の墓地を切り開いた際、電気を引くのに労を取ってくれた老人だった。その場に、お慧も居た。老人はその日の夕刊に載った隆泰の変死に関する記事を見せながら、隆泰の死に至る経緯を訥々と語り始めた。

 

 「 隆泰は添嬿の手首に付き纏われていたのです。広東から上海へ行くときも、上海から長崎へ渡って来る時もそうでございました。隆泰は上海から長崎へ渡る船の中でも、その手首に苦しめられたそうで、その時あの男は目の前に現れた手首を、海の中へ投げ捨てたと自分で申しました。隆泰は、私の娘が連れ子して廛来の家へ嫁ぎますときに、きっと自分の素性が、廛来の父親から洩れると思ったのでございましょうよ。すぐに私の所へ来て、先回りに色々と打ち明け話をいたしましたよ。私も廛来の生みの母親が、そんな悪い性質の女でありまして、その血統が代々子供に伝わるということを存じていますれば、初めから黄の家へ娘をやるんじゃありませんでした」

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 ( 金炉。祭祀用の紙銭=金紙、銀紙、冥紙を燃やす炉。冥紙とは紙幣の形をしたもので、世間に流布した紙銭の典型。)

 

 そして、この短編の依って立つ基本理念が提示される。

 

 「 ・・・この黄夫人の手の様に、全神経がその一点に傾注されている部分を、傾注されている刹那に切断された場合には、そこだけ独立的に活動することができる。皆さんは、ある狩人が犬を連れて山に入っていったという話の中に、その犬があまり吠えたので、昼寝を妨げられて怒り出し、狩人は一刀を抜いて、その犬の首を切り落とすと、犬の首は宙を飛んで、松の枝から狩人を狙っていた大蛇の咽喉に喰らいついた、そのために狩人は危うく助かったという事実をご存じでしょう。犬の首は胴体から切断されても、やはり犬の意志をもって独立的に活動する力を持っていたのです。黄夫人の手は、黄夫人の窃盗癖が消滅しない限り、その窃盗癖というものを信じる人にだけは、こうして明らかに見えるのではないかと思われます。」 

 

 これと同じ論理を《 血と霊 》でも駆使していた。
 これって、詳細・出典は忘れたが、日本の怪談かなんかだったか、ある奉行だったか殿様だったかの面前で、罪人が絶対化けて祟ってやると呪詛の念を顕にしたのを、その偉いさんが、じゃあそのちょっと先にある石灯篭に斬首された刹那噛みついてみせろと挑発すると、罪人は自身の呪詛の力を見せてやるとばかり、振り上げた刃の一閃、見事、罪人の生首は面前の石灯篭に飛びつきガブリと噛みついた。
 只、この噺の場合、唆(そそのか)した奉行か殿様の機智が勝って、怨嗟の罪人の念力(呪詛的エナジー)を石灯篭飛びつきで一切吐き出させ、残念も霧消して跡形もなしという訳で、罪人の唆された証ではその意志力は確かに貫徹されたものの、結果はむしろ真逆。その偉いさんに化けて出て祟るってことはもはや出来なかったのだ。
 《 血と霊 》じゃ、底なしの宝石の窃盗癖故に役人の夫に騙され湖上のボートの上で刺殺された鳳雲泰の母親は誰を呪い殺すこともなく、専ら息子の鳳雲泰にその宝石耽溺=独占的所有欲の癖を遺伝させただけであったものの、鳳雲泰がそれを更に深化・激化させ暴力=殺人をも厭わなくなってしまっての惨劇。その加速的力学でゆけば、鳳雲泰の娘・娃絲(アシ)には、それ以上の強力な耽溺・独占志向が発現し父親以上の修羅的惨劇が不可避。( 黒石は映画的制約もあってそれ以上に踏み込んではいないけれど。昨今の映画界ならば、Ⅱ、Ⅲとシリーズ化され、長崎の街はいよいよ血塗られた惨劇の巷と化していたろう。 ) 
 
       
 それにしても、この1920年の怪奇譚、中国→日本(長崎)を舞台にした、総てが赤い縁で結ばれたおどろおどろしい大団円ってところだけど、明治・大正の秋瑾をはじめとする中国革命派もそれに先駆けて同じルートを辿ったが、孫文・蘇曼殊等はその両国を頻繁に行き来し、やがて中国革命を招来することとなった。

 最初、大泉黒石の初期のこの短編を、先ず手短に要約だけを紹介して興味のある箇所のコメントを附そうと思っていたのが、やはり余り世間に流布することのない黒石って観念があって、ついあれもこれもとなってこんなに膨らんでしまった。
        
           

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 (美爪術=マニキュア。日本でも大正6年頃には、高級理髪店で男もマニキュアが施されるようになったらしい。)

                                                         

 

  《 恋を賭くる女 》(南北社) 1920年( 大正9年8月 )

 

 

 

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2020年2月19日 (水)

 イエメン 旅先のポストカード

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 ( イエメンの首都・サナアの旧市街タハリール広場のイエメン門=Bab-Al-Yemen)

 

 

 1997年1月下旬から一ヶ月ちょっとイエメンに滞在した。
丁度ラマザンの時期で、ボンベイから空路で国際的港湾都市アデンに入った。
その数年前の南北勢力による内戦の余燼が、ひょんなところ、南北の空港=イミグレにまで波及し、一介の貧乏旅行者に過ぎない当方まで巻き込まれてしまって、うんざりしながら出国することになってしまったものの、とりわけ南部アデンでの想い出深く、それでも記憶も薄くなり屈託なく接してくれた青年たちの顔々もすっかり風化し曖昧朦朧なものとなって既に久しい。
 冬だったのでそれでも何とか凌げた暑熱的陽光に照らし出された火成岩の岩山・シャムシャーン山とアデンの港、旧市街風味の残ったクレーターの街並・・・否、クレーターの通りの記憶はさすがに霧散してしまい、泊まった安宿の暗い室内と温い風を掻き混ぜるだけのファン、そしてそれぞれの蹉跌的青春を生きる青年たちの記憶だけが残っているばかり。

 

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 ( サダ サナアよりサウジアラビアの方が遙かに近い。アル・ハディ・モスク)

 

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 ( "革袋で水を運ぶ女"と題されているだけ。勿論サナアやアデンなんかの都市部ではもう見られない姿だろうが、そもそもイエメン自体が水事情が悪過ぎて、早晩枯渇してしまうだろうと言われている。関係大国が何とかして呉れるのだろうか。)

 

 

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 ( 結婚式での記念撮影。短剣のジャンビーアとは別に長剣も。これは見たことなかった。)

 

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 ( 水煙草パイプの職人。嗜好品としてカートの葉を噛むのでも有名なイエメン。北のサダの街では、両方の鬢のところが巻き毛になった独特の髪型のユダヤ系の銀細工職人たちを見かけた。代々そこに住んでいるのだろう。)

 

 

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 ( サナアの南東に位置するシヴァの女王の都。"太陽神殿"とハガキには記されているけど、実際は<月神殿>。柱の数が異なるので一目瞭然。ここは滞在日数の関係で、シバームの町同様訪れなかった。)

 

 そんなイエメンも、いよいよ南北の対立、それに群がる大国の介入・工作等でいよいよ混沌とし、うち続く内乱的迷走に疲弊しきった民衆たち。つい最近にも、アデンを巡って暫定政権と南部分離独立派の軍事的相克がニュースにもなっていて、かつてのあの青年たちは如何しているのだろうか。
 そんな大国の尻っペタにくっ着いて、見透いたさもしい策謀を匿して、アデン(沖)に派兵を決め込んだニッポン権力。眼と鼻の先の欧米(ニッポンもって話しもある)が有害(核)廃棄物質を大量に放擲したソマリア沖近海で・・・そんな汚染されたマグロを嬉々として頬張るグルメ大国もあるらしい。

 

 

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