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2020年3月の3件の記事

2020年3月30日 (月)

 コロナ禍+インフルエンザ

Corona1 

 

 

 
 もともとその初発からいかがわしかった今度のコロナ・ウイルス禍(COVID-19)、世界蔓延のパンデミックにまで発展している。
 昨春、トランプ政権が突如、中国の華為技術(ファーウェイ)を排除する方途に出、アングロ同盟諸国が一斉に同調して見せた見え透いたパフォーマンスに、躍進する中国勢にまともに太刀打ちできなくなってしまった欧米先進国( かつての白人優越意識の象徴のようなこの歴史的概念もさすがに通用しなくなってきている )のなりふりかまわぬ小児病的退行に鼻白んでしまったものだが、アングロ同盟の精華のように言われるエシュロンですら単なる陽動作戦的な見せかけだけの疑似餌に過ぎない本格‘1984’的システムの展開の前には、ファーウェイ電子部品の中に何か仕込んだなんて因縁つけは、百歩譲ってそんな事実があったとしても、噴飯もの。

 

 

 その直後の夏、カナダの国立微生物学研究所(NML)に籍を置いていた高名中国人(学者)研究員たちが逮捕されたとか首になったとかいうニュースが如何にもいわくあり気に流された。そのトランプたちアングロ同盟の中国勢力追い落としキャンペーンの一環かと今度は何を謀んでるのだろうと怪しんでいたら、くだんの中国・武漢でのいわゆるコロナ・ウイルス禍の発生であった。
 カナダの国立微生物学研究所の中で実際は何があったのか不詳のまま、お決まりキャンベーン的プロパガンダの世界的喧伝が際限なく続くばかり。高名中国人(学者)研究員はまだNMLに籍を置いているとか、中国・武漢の中国科学院武漢病毒研究所に違法に持ち出されたと騒がれたウイルスは、NML認可の下での事柄とか、生物兵器という説も普通に軍事的な生物兵器としてはそもそも体をなしていない使い物にもならぬ代物という話も後日出て来始めた。
 この手のプロパガンダに参与していた中には、在米の中国(あるいは中国共産党権力)に敵対する亡命中国人勢力の姿もあったりしていて、何とも胡散臭い限り。当然彼らは革命派でも開放派でもない何か腹に一物持った、米( あるいはアングロ同盟 )権力の傀儡と化した存在なのだろうから。

 

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 コロナ騒ぎで、不可解でしょうがないのが、いわゆる普通のインフルエンザの方の被害状況との比較で、日本国内のインフルエンザ例年死者3000人以上。(超過死亡概念だと、一万人らしい)  因みに、今年の死者数はネット捜しても、米国の数字は大抵のサイト・ブログで表示されているにもかかわらず自国の死者数だけは何故か昨年どまりで、杳として明示されず不詳。
 今現在の日本のコロナ・ウイルスの感染者は1600人以上で、これは昨年一月のインフルエンザ死者数とほぼ同数。インフルエンザは冬期に流行るので一月がピークだったのだが、これに比してコロナ・ウイルス死者は発生からの数ヶ月で52人。

 

 これからどのくらい増えてゆくのか定かでないものの、不可解なのが、インフルエンザ大国たる米国からの入国。
 米国の場合は、そもそも国民皆保険すら選挙民たち(主に、共和党支持者たちってことになるのだろうか)の憎悪の対象らしく、国民皆が平等に幸せになるってこと自体が心底堪えられない心性( アメリカン・ドリームとは正にその上に乗っかった所詮米国資本主義的イデオロギーであり、そのプロパガンダに過ぎない )の持主の多い国柄を反映して、医療制度も心底いびつな代物らしく、マイケル・ムーアの《 シッコ 》でその一端が描かれたりしていた。
 つまり、日本的常識じゃ測れない異常な医療制度ってこと。
 あげく、自国のコロナ禍に対する損害賠償を中国に求めようと国際機関に訴えるというなりふり構わぬ戦争仕掛けなきゃ成り立たなくなっている米国資本主義の凋落の一途さ加減も底なしのようだ。

 

 要は、到底まっとうな国情じゃないってことだろう。

 

 米国の昨秋~今年2月のインフルエンザ感染者2600万以上で、死亡者は1万4000~3万人。
 2年前なんか5万~6万人以上の死者が出ていたようだ。
 にもかかわらず、日本自民党政府が米国人あるいは米国からの入国を制限したという話きいたことがない。
 昨日になってからか、やっと米国からの入国の全面禁止を自民党権力が宣言したようだけど、それはあくまで米国の中国をも超えたコロナ禍的蔓延に対してであって、今季既に一万数千人以上の死者を出しているインフルエンザ禍に対してじゃないようだ。 
 他の国にはとっくに制限・禁止政策を採っていながら。
 おまけに、在日米軍に対してどうしているのだろう。
 連中こそ、世界中を行き来している、自民党およびトランプ権力の伝によると、正に媒介者だろう。もう、駄々漏り。
 幾ら米国が自民党権力=ニッポンの宗主国だからって、あまりにサーバント根性剥き出し過ぎじゃなかろうか。 

 

それにしても、令和って年号、最初から禍々しさが透けて見えていたものだったが、こうも早々とは、思いの外底なしのようで、一体如何なる謀みを含ませたのだろうか等と、にわか陰陽師宜しくつい勘繰ってしまいたくなる今日この頃。

 

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2020年3月21日 (土)

旅先のミュージック・テープ Ⅰ

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 1998年5月のジャカルタ暴動の余韻も生々しいはずの、けれど、ヒンドゥー教徒の多いバリ島だったので無関係と思っていたら都市部じゃやはり反-スハルト政権の学生運動はあってたらしいその6月下旬に訪れた時、1$=12000~14000インドネシア・ルピアというインフレ状態で、現地の人々は日々の生活に四苦八苦していた。
 ジャカルタ暴動じゃ、多くの華僑達が襲われ、女や少女達すらも散々な目に遭ってたのが新聞紙上で生々しく喧伝されていて、その前後だったか地方のキリスト教徒迫害の暴動も日々伝えられていたはずが、確認しようとネットを検索しても、少なくとも日本語検索じゃ精々数語の概念的記述ぐらいで、全くと言っていいほど出てこない。20年以上も過ぎて現実的価値が顧みるに値しなくなっのか、あるいは政治的変容ってやつなのか。
 それはともかく、所詮通りすがりの一外国人バックパッカーに過ぎない当方にとっては、僅少な予算故に束の間の余禄ってことで、バリ舞踊のチケットやまだまだCDより全盛だった音楽テープが、随分と手軽に買えたものだった。
 一々試聴するよりも買った方が早いとばかり可也の量を購入し、結局それほど気に入ったものがなく、大半は宿のスタッフにプレゼントすることになった。後にも先にも音楽テープをそんなに買ったのは、その1998年のバリ島でだけ。

 

 倉庫の棚に長年放り込んだままの段ボールにぎっしりと詰まったミュージック・カセットテープ。段ボールは長年の塵汚れにくすんでいるけれど、中のカセット・テープ自体は、ラジカセで聴いてみると、まだまだ問題なく四半世紀前当時のままの音質を保っている。
 当方のステレオ・コンポのMIDIもカセット・テープ機能も失われて既に久しく、専らCD専用となってて、だからテープを聴くことから遠ざかっていた。(因みにラジカセは家族の所有物)

 

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 《巴山夜雨》光頭李進 (Ⅰ995年)

 

 昆明か上海、あるいはクアラルンプールだったのか、何処で買ったか定かでない。
 全く知らない歌手だったけど、“ 光頭 ”という字ずらとスキンヘッド顔の画像、そして何よりもタイトルの《巴山夜雨》(はざんやう)が気に入って買った代物。
 先ず日本には見られないカセット・ケースの外側にまでジャケットがはみ出ているタイプが多い中で、カセット・ケースがすっぽり納まる箱型のジャケットの内側に歌詞表が入っているタイプだった。
 光頭とは、文字通り照り輝くスキンヘッドの事らしく、敢えていうなら、秋山千春ほど高い声じゃないものの秋山に似た感じの高声で唄いあげる。A面2曲目のタイトル曲《巴山夜雨》は、晩唐( 9世紀前半 )時代の詩人・李商隠の当時の都・長安で彼の帰りを待ちわびた妻からの便りに、遠く四川・巴山でしとしと降りつづける夜雨が池に漲る様を眺めながら、長安の妻への熱い想いに駆られるという《 夜雨寄北 》に想を得た陳小奇の作品が雰囲気あって悪くはない。
 このアルバムが二枚目の李進は、四川省綿竹出身の1967年生れ。今年もう50歳。
 歌手以外にも手を伸ばし、2017年にマイアミ国際映画祭で新人監督賞を貰ったとか。

 

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《 LOLO倮倮摇 》倮倮 (Lolo) 1995年

 

 

 雲南省昆明市の少数民族イ(佤)族出身の歌手。
 中国名・張建華
 崔健・黒豹楽隊・唐朝楽隊・王勇・眼鏡蛇楽隊等のロック(揺滾)系グループの雲南省都・昆明でのコンサートの企画・プロデュースを手掛けたりもし、後北京に移る。
 楽曲に少数民族音楽の要素を組み込んだりしてるらしい。
 ギター片手のフォーク・ミュージック風だけど、彼自身による歌詞にもイ族文化を反映しているのか独特なものが多いようだ。
 2004年に《 倮倮摇 2 》( 香港大地唱片 )を出している。
 因みに、ロロというのは、イ族の本来の自称民族名。

 

 

 

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 《 都是夜帰人 》許美静( メイヴィス・シュー )1997年

 

 シンガポールの1974年生れ。
1990年代後期中国圏で人気を博した。
 タイトル曲の《 都是夜帰人 》は、暗い深夜に囁くような曲調がひっそりとしたジャケット画像と相俟って、悪くない。このテープも、そのジャケットの静かな佇まいと“ 都是夜帰人 ”( 都=みんな、すべて ) というタイトルに惹かれて買ったもので、帰って聴いてみてその雰囲気そのままの作品ですっかり気に入った。
 大部過ってネットで調べてみると、2006年にシンガポールのホテルで、“ 私を神と呼べ!”と叫んだりして騒ぎを起こし、警察沙汰になったあげく、軽度の精神分裂症・抑鬱症ということで暫く精神科に通うことになったとあって、驚いてしまった。
 どうも以前からシンガポールの音楽界の重鎮との不倫的三角関係でかなり精神的にナーヴァスになっていたようだけど、中国揺滾( ロック )の雄だったドゥウェイ( 寳唯 )も、怒って週刊誌記者の車を燃やした事があった。 
 最近も、元気に歌手生活を送っているようじゃないらしい。       youtubeでこのアルバムより前に出した《 遺憾 》(1995年)の中の《 城里的月光 》( 城里=市、街 )のMVが900万再生回数を記していて、一応視聴してみた。当方的には、やっぱしこの《 都是夜帰人 》の方が全然気に入っている。精神をすっかり病んでしまった美静をつい想い浮かべてしまって、いよいよ彼女の囁きが哀切をもって迫って来る。

 

 

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 《乾脆》那英 ( 1999年 )


 昆明で買った。
 この那英のこのアルバム、当方的にはマアマアだけど、決して凡作って訳でもない。
 三曲目の《 等待 》のリフレイン、

 

 這無聊的夜 無聊的風 無聊的愛
 這荒涼的夜 荒涼的風 荒涼的愛

 

の“風”フォンを伸ばす箇所、その発音が妙に気にいってる。
 中国エリアじゃ、かなり売れたようだ。

 

 彼女は満州族の出身で、本名を葉赫那拉・英。
 葉赫那拉は満州族支族の名。彼女の先祖は、清朝・宮中の御典医だったという。
 遼寧省・瀋陽生まれで、地元の瀋陽歌舞団で活躍していたのが、やがて北京に出て歌手として一人立ち。因みに、前年に出した《 征服 》は二百万枚以上売れたという。

 

 

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2020年3月14日 (土)

印度線香

 
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 インドの香って、線香と太いドォープ、三角錐型のコーンの三種が基本なんだろうが、コーンもドォープの仲間に入れてあったりする。
 ドォープはインドで試みた記憶があるけど、コーン並みに煙が凄かった記憶が微かにあるぐらい。遊行を常とする修行者・サドゥーなんかは、確か携帯に便利なドォープを使っていたと思う。
 ここに掲示した三点以外にも、そもそもがそのインド風味全開のキッチュなパッケージ・デザインが気に入って線香自体を使った後でもとって集めていたのが、例によって行方不明。コーンの方も悪くはないものの、やっぱし線香( incense stick )に比べてパッケージそのものが小さすぎて如何しても今一つ迫力に欠ける。

 

Incense-2

 

 
 一番目の七点のそれそれの謂われのあるのだろう図像が並んだ、【 MUSK 】香は、バッケージの裏側に、大きく“BAM BAM BHOLE”とある。これは、シヴァ神に捧げる賛歌の題名のようだ。同名のヒンドゥー音楽曲がネットにも並んでいる。ヒンディーにはそれぞれの神を讃える賛歌が多い。アシュラムなんかに泊まると、大抵これに参加させられる。
 サドゥーの町ともいわれるガンガー上流のリシケシで二週間ちょっと滞在したヴィシュヌ派のヨガ・アシュラムでも、小型の厚いシンバルを両手で叩きながら、他の参加者と一緒に、そこの女性( 旦那が出張中のための代行 )グルが主宰となって毎日興じたものであった。中には、キリスト教徒も居て、賛美歌らしきものすらヴィシュヌ神に捧げる賛歌の一つとして唄っていて、多神教ヒンディーの面目躍如ってところだったんだろうか。政治的には随分と偏狭さを発揮しているヒンドゥー政党だけど。
 ここの母屋とは離れた庭に面したコンクリ造りの個室に入ってて、日記で確かめてみるとそこで戯れにドォープを使ってみたと記してあり、コーンの如く既に形が決まったものじゃなくて、自分の手でその都度練って成形するものだったようで、すっかり忘れてしまっていた。粘土状なのだ。
 
Incense-6

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