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2020年4月の2件の記事

2020年4月16日 (木)

大泉黒石《 黄夫人の手 》Ⅱ  悪しき血の慟哭

P7  

 

 長崎・風頭山の麓・伊良林に佇む藤三の二階家に、忽然と現れた廛来の伯父・黄隆泰、畳みかけるように中国湖南・湘潭から出てきた廛来一家の話を語り始めた。

 「 廛来の母は今申し上げた女窃盗狂なのです。泥棒だと言うと、さも彼女が困窮していたように思えますが、添嬿の親元は、以前、長沙の町でも相応に羽振りを利かせた被服商売で、添嬿が廛来の父へ嫁したときの土産物は大したものでした。」

 「 彼女が廛来を生んだのは十五の歳だったと思います。初めは目立たずにいた盗癖が、廛来を生むと、酷くつのって、彼女が巡邏の手に押さえられるまでには、他人の持ち物は無論、自分の夫の品まで盗んでいたことが発覚しました。」

 「 彼女はある日、方神 ( かみさま ) に向かって、嬰児の生命を絶つことが許されるならば、彼は決して二十一歳まで生き延びないようにすると誓ったそうです」

 「 今年がちょうどその二十一です。確かに二十一です」
  

 湘潭一の美女・黄夫人、17歳の刑死。
 廛来を産んでから刑死までの二年間の破滅への加速的窃盗行。
 余りに若すぎる刑死。
 15歳での結婚はいわゆる許嫁・見合婚。現在でも、大陸の人民中国以外の所謂華僑=華人社会では、旧態依然として、封建主義的な遺制としての許嫁・見合婚の風習が残っている。
 出産してからの窃盗衝動の加速化って事で、典型的な窃盗症(クレプトマニア)的症例と言えなくもない。大正当時の新聞にも、既に、その関連性( あくまで妊娠に重点を置いての言及だけど )を指摘する記事が載っていた。

 

P1

 “ ホツヘーなどの調査によると、巴里で捕えられた五十六人の万引女の中、三十五人即ち過半数は月経中にあったことが確かめられた。由来月経は婦人の毎月の煩しい生理的現象ではあるが、此時期、或いは其前後には、身体的にも、精神的にも多少相違を生ずることは可なり多数に認めらるるのである。婦人自殺者の約三十六%は月経中であったという報告もある。
 ・・・月経ばかりでなく、妊娠も関係がある。妊娠第1箇月で万引したものがあり、産み月に近く之を行うものもある。かかる場合に之を単に境遇からばかり推測することを許さないのであって、妊娠が母体に及ぼす生理的影響をも十分に考察しなければならぬのである。 ”
  《 犯罪と精神病 》医学博士 呉秀三・大阪毎日新聞 (大正7年)   
       
 更に又、最近の研究によると、妊娠・出産した女性の脳に物理的変化が生じるという。

 “ 妊娠すると女性の脳の構造は変化し、赤ちゃんに対してより共感できるように適応している可能性がある。・・・脳のなかで社会的認知や共感を感じる領域と重なる・・・この脳の変化は妊娠によって始まり、出産後少なくとも2年続くという。 ”
  

“ この変化は生物学的な理由によるものか、それとも子どもと過ごした時間の長さによるものかは明らかではない。しかし研究者たちは、(脳の)灰白質の変化は顕著なもので、その変化の有無を見るだけで被験者が妊娠を経験したかどうかを簡単に見分けることができると述べている。”
                          《 Nature Neuroscience 》誌

 

P2

 妊婦の置かれている周辺的環境や社会的環境に対する認識や身籠り・出産した我が子に対する母性本能的な共感性が、一時的 ? に変容を来たす・・・・その後は心的平衡は本来の姿に戻ってしまっても、脳器官には変容の痕跡がそのまま残ってしまう。若き黄夫人の妊娠・出産以降の破滅への加速的窃盗行とぴったり符号し過ぎなくらいの“2 年”だ。
 つまり、加速の原因が妊娠・出産時の肉体的精神的変容にあるってことになる。
 黒石は、ロンブローゾ( 生来的犯罪人説で有名な精神科学者。大正当時、流行った )や、かかる当時の精神医学的常識にもそれなりの了解性をもっていたろうし、ホフマンの中の《 スキュデリー嬢 》 副題・ルイ14世時代の物語 (1820年)も、英語版かフランス版でとっくに読んでて念頭にあったろう。

 映画《 カリガリ博士 》 1921年・大正10年5月(日本上映)
  《 血と霊 》(原作) 1923年・大正12年7月

 両作品は、この大正9年の《 黄夫人の手 》(中央公論) より後の作品なので、やはり《 スキュデリー嬢 》が前提となる。何よりも、《 黄夫人の手 》と《 スキュデリー嬢 》の間には共通した複数のテーマが存在し作品の根幹ともなっているから。
  

 “ 診断基準を見てもわかる通り、窃盗直前のスリルや緊張感、窃盗後の達成感や解放感等が特徴的で、盗むこと自体が目的にもなっており、窃盗を他者から咎められたり、逮捕されることがあっても窃盗行為を繰り返してしまいます。
 自分自身でも窃盗行為を止めることが困難なため、窃盗行為の後で強い罪悪感や後悔を経験することも少なくありません。
 「自分で何とかしないといけない」と思うことで、社会的に孤立し、適切なサポートに繋がらず、結果として重症化してしまうことも多く見られます。”
                                                                         《 クレプトマニア医学研究所 》

 つまり、
 “ 自分自身でも窃盗行為を止めることが困難なため、窃盗行為の後で強い罪悪感や後悔を経験する ”
 という罪悪感と孤立感が綯交(ないま)ぜになった強迫観念が、若き黄夫人を苛み、我が児に自身と同じ苦海的煩悶に呻吟させられることのないようにと、それでもせめて二十歳ぐらいは生きて欲しいという母親の乾坤の一擲が、方神に立てた、我が児=廛来が決して二十一歳まで生き延びないようにとの誓願となったのだろう。

 「 高価な装身具を買うと、どんなに大事に保管しておこうと、不可解にもたちどころに消えてしまう。もっとひどいのは、夜分に宝石をもって出歩こうものなら、公道であれ建物の中の暗い通路であれ、かならず奪われ、悪くすると殺されてしまうことだった。」
                
                                         《  スキュデリー嬢 》訳・大島かおり(光文社)

 

 《 血と霊 》じゃ、鳳雲泰は切先の鋭い骨刀で心臓一突きで彼の作った宝石を身に纏った顧客を殺め宝石を奪還したのだけど、オリジナルの宝石細工師のカルディラックは、容赦ない刺殺的手口だけじゃなく、いきなり暗闇から脳天へ拳の一撃で失神させて奪ったり、むしろ最初の頃は、大胆にも顧客の邸宅に忍び込み家人の知らぬ間にその在りかを予め知悉していたのか隠し場所から盗み出していたりの怪盗とも目されていた。
 つまり、黄夫人は、カルディラックの顧客の邸宅に侵入しての奪還的窃盗という比較的穏便な方法をのみ、女性の物理力的制約の故にか専らに駆使する。それも自らの作り出した作品=宝石を奪い返すという口実、つまり奪還という合目的性を捨象した一般的な、盗む行為自体で十全とした窃盗としてのみ。  
 正に女窃盗狂=普通の窃盗症(クレプトマニア)以上には描かれていない。
 黄隆泰の屋敷に忍び込んでいたところを老女中に見咎められ犯してしまった殺人も、意識的というよりむしろ動転して犯したもの。
 
 
 以上、黄夫人の窃盗的偏執が窃盗症(クレプトマニア)に拠るものとしての解釈が成立つことが了解できた。
 ところで、カルディラックが、《 血と霊 》での北島にあたる弟子のオリヴィエに自らの出生時の悪星=宝石に対する妄執についてこう告白していた。

 

P6

 「 賢者たちがよく言うことだが、妊娠中の女は奇妙な感受性をもっていて、外部から自分の意志ではどうにもならぬ強い印象を受けると、それが不思議な影響をお腹の子におよぼすとか。」

 「 年端もゆかない子どものときから、きらめくダイヤモンドや金の装身具に、なによりも惹かれた。・・・小僧っ子ともなると、金や宝石を盗めるならどこからでも盗むようになったからな。・・・おやじのこっぴどい折檻には、この生まれつき欲望もさすがに勝てなかった。わしは金と宝石をあつかう仕事だというただそれだけの理由で、金細工師の職をえらんだ。」

 《 血と霊 》の鳳雲泰と出自において大差なく、母親の宝石への妄執が妊娠時のショックキングな出来事によって胎児=カルディアックに強いインパクトで遺伝したというという経緯だけど、一方、黄夫人はと言えば、わずかに父親が些か窃盗症的な傾向がみられた程度で、専ら廛来を産んでから二年後の刑死に到る窃盗症的加速の簡単な概念的記述があるのみ。彼女の出生時における経緯や両親のその後の消息もさっぱり詳らかじゃない。つまり、両親の死の際の黄夫人への( 憑依的 )遺伝の有無すら明らかにれてないのだ。但し、その両親の死も明記されていないので、ひょっとして長沙にまだ生存していた可能性すらある。( 昨今の映画やなんかの風潮でいけば、藤三が遙か東シナ海を渡って長沙の黄夫人の実家に赴き、その両親の消息を尋ね、黄夫人の血の実相を辿るって後日譚的続編もありなんだろうが。)
 
 
 鳳雲泰の母親はその役人である夫に湖上で殺害されたのだけど、彼女の子供である鳳雲泰はそれ以前に生まれていて、黒石の言述によると、夫の手によって殺害された瞬間にその宝石に対する妄執の念がまだ幼い鳳雲泰に憑依したという。
 黄夫人の場合は、その辺は余り明瞭に描かれてなくて、むしろ黒石の関心は、黄夫人の窃盗癖的帰結=親戚・黄隆泰による凌辱と密告・老婆殺害故の刑死、官史の恣意的思惑による手首切断とその公開、そこから不倶戴天の仇敵・黄隆泰を追って航路船から長崎までやって来てからの、長崎を舞台にした報復譚にあった。
 只、それでも、藤三の部屋で隆泰が何かに怯えるように明かした言葉があった。

 「 美人添嬿 ティエンイエン ( =黄夫人 )には恐ろしい窃盗狂の血が流れていました 」

 

P5

 確かに一個人単体における発現でも“ 血 ”を謂う場合もあるけれど、やはり彼女の父親が既に同様の窃盗癖を彼女ほど大胆・執拗ではないものの有していた、そのおどろおどろしい連綿性を指摘した言辞。
 勿論、狡猾な黄隆泰が自身を正当化するために、むしろ先手を打とうとわざわざ藤三の家まで訪れての黄夫人の秘史の披歴故に、黄夫人及び黄家を貶める意図の下での“ 血 ”であろうが、それは又そのもっと前の代からの連綿、つまり“ 血筋 ”をも想起させる。
 そもそも“ 血筋 ”とは何よりも“ 遺伝的連綿 ”。
 黄夫人以前には大騒ぎになるような事態に発展してはいなかったようなので、いずれも軽微な癖(へき)で了っていたのかも知れないけれど、若き黄夫人にとっては、何よりも自身の最愛の我が児の寿命を二十一歳までと祈願するほどに、重くのしかかってくる禍々しい呪われた血( 筋 )であった。

 だから、件の憑依的遺伝という視点からすると、黄夫人の母親→黄夫人というより、刑死と手首切断の断末魔的衝撃を被むった黄夫人→廛来の方が形式的には成り立ってしまう。そうなると、廛来に黄夫人と同等かそれ以上の発現があって当り前が、そうはなってないようで、少年時にその兆候が些かでも顕にでもなったのか父親が彼を学校以外外にも出さず厳しく監視していたお陰もあってか、祈願期日の二十一歳まで窃盗癖は封じられたまま。とりあえず黄夫人の母性的祈願は充たされたと言えよう。となると、今度はやはり、誓願成就の廛来の寿命の終焉が問題となってくる。が、黒石はそこで筆を置いてしまった。
 唯だ、藤三に狂言回しの如くの奇矯な科白を発させているだけ。

 「 サア、今度は廛来の番だ !」

  それも、方神の所作というより、誓願した黄夫人の所作として。
 つまり、乾坤一擲の誓願の最終的所作、黄夫人自らの“手”で、我が児・廛来を殺め、呪われた血(筋)を絶つという正に母猿断腸的所作。謂わば逆-鬼子母神とも呼ぶべき慟哭的慈母譚の趣きすら呈し始めた。《 不死身 》等にも通底した黒石自身の永遠に相見えることのない母親への想いの形象化でもあるのだろう。 

 

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2020年4月 8日 (水)

旅先のミュージック・テープ Ⅱ

 

 

Tape10-1

 

《 AYA 》キジョkidjo ( 1994年 )

 

 1998年のバリ、ジョグ・ジャカルタ行の際に折からのインドネシア・ルピア―の暴落によるレート差成金を決め込んで大量に買った中の一本。
 当時はアフリカの歌手なんて一人も知らなかった。
 この前後に、主にバンコクで時折買ったりしたぐらいだけど、いずれも皆アフリカン・ビートともアフリカン・サウンドともいうべき独特のものがあって、それが中々気に入っていた。中東諸国のポップス、とりわけヨーロッパに移住して活躍しているアーチストってやはりその国のサウンドを帯びてしまってるのと同様、このもはや有名アーチストどころか大御所となっているらしいキジョのこの5枚目のアルバムらしい《 AYA 》も、バックに流れているフランス風味の独特のサウンドで、パリで録音したのがすぐ分かってしまう。( 勿論そのフランス独特の、ちょっと古いがシルヴィー・バルタンの曲にも響いていたサウンドが流れていたらの話だけど )

 

 一曲目の“ Agolo ”からして、彼女ののびのびとして声量もある唄声でのアフリカン・サウンド全開ってのが好い。2曲目の“ Adouma ”も同様、のりのり。
 B面の“ idje-idje ”もゆったりとした曲調で悪くない。
 アフリカン・ポップスの場合、バック・コーラスの掛け合いも、伝統的なアフリカン音楽の形式と相俟って、魅力の一つで、哀愁を帯びたこの曲でも、 idje、idje、 idje、idjeとコーラスが唄った後を受けて、キジョが唄う箇所が気に入っている。
 このカセット・テープ、“ Sale in Indonesia only ”と記されていて、インドネシアだけのバージョンって訳だろうか。定価Rp.10000とパッケージの背に記されている。

 

 Youtubeを確かめてみたら、なんと“ Agolo ”や“ Adouma ”のMVがあった。直近の曲のMVじゃ、年相応(1960年生れ)の彼女が貫録すら湛えて唄っている姿も観れた。動乱の西アフリカ・ベナン共和国を出た難民でもある彼女は、フランスに亡命し、後米国に拠点を移したという。

 

Tape10-3

 
 
  
 《 Spirit of the Forest 》Baka Beyond ( 1993年 )


 マーティン・カラディックと妻のハート・スーが、1992年に西アフリカのカメルーンのコンゴとの国境地帯に住むバカ・ピグミーの集落に滞在し一緒に演奏した際に録音したものと、1993年にスタジオ録音したものをミックス処理したものらしい。
 バカ族も伝統的アフリカン文化の粋である音楽好きのようで、見知らぬ英国人夫婦の奏でるギターやマンドリンに興をそそられコラボとなってゆくのが手に取るように分かってしまう。
 マーティン・カラディックはコンウォール出自らしく、コンウォールといえばアーサー王伝説で有名だけど、古のコンウォールの人々は英語じゃなくケルト系の独特の言語を持っていた。
 1547年、没したヘンリー8世の後を継いだたった9歳のエドワード6世とその摂政となった伯父のサマセット公が新教徒で、英国国教会をプロテステント系に改変しようとして「礼拝統一法」を制定したものの、全国的叛乱が生起した。とりわけ、コンウォールじゃ、それまでラテン語の祈祷書を使っていたのが、中央権力がそれを英語のものに強制的に改変してしまって、コンウォールの人々が頑強に拒絶したため、コンウォールの住民たち数千人が殺害されたという。日常的言語としても英語が強制され、次第にどんどんコンウォール語人口が減少していって殆ど絶滅状態という。
 そんな自身の出自を、人口数万人ともいわれるバカ・ピグミーに重ねて観ようとしたのか、中々うまく融合されたものとなっている。
 BAKA BEYONDは、このアルバムの頃はともかく、マーティン・カラディックと妻のハート・スーがバカ族や他の国のアーチストの参加を得てすっかり多人数のバンドとなっているようで、この後も音楽活動を続け、七枚以上のアルバムを出しているとか。
 このアルバムに関する限り、インストルメンタルが主だけど、哀感溢れたバカ族の唄と混然一体となって、正に熱帯雨林の精というところだろう。

 

Tape10-2

 

 

 《 TALKING TIMBUKTU 》
    アリ・ファルカ・トゥール with ライ・クーダー(1994年)

 

Tape10-4

 

 
 米国ミュージシャン=ライ・クーダー プロデュースによる西アフリカの内陸国マリの代表的ミュージシャン=アリ・ファルカ・トゥール( 歌手・ギタリスト )とのコラボ・アルバム。全曲ファルカ・トゥールの作曲で、その翌年のグラミーのワールド・ミュージック・アルバム賞をとっている。
 ライ・クーダ、三年後にはキューバに渡り、有名な『Buena Vista Social Club』の録音にも参加したりしていて、時間が前後するが1980年に沖縄の喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム『BLOOD LINE』にも参加していたらしいワールド・ミュージック畑じゃ知る人ぞ知る存在という。
 アリ・ファルカ・トゥールは2006年に既に亡くなっているけれど、このアルバムの後も、同じマリのコラ( 半分にしたひょうたんを基部にした弦楽器 )奏者トゥマニ・ジャバテと共演した二つのアルバムがいずれもグラミーのトラディショナル・ワールド・ミュージック賞をとっている国際的ミュージシャン。因みに、グラミー賞三作目は彼の死後発表されたもの。
 
 アリ・ファルカ・トゥールは米国のブルース歌手ジョン・リー・フッカーなんかに影響を受けていた関係もあってか、中々ブルージー。
 ティンブクトゥはファルカ・トゥールの故郷の名。
 上記の《 Spirit of the Forest 》と同様バンコクのタワー・レコードで買ったカセット・テープで、本体は露店売やマーブンクロンなんかで売ってるコピー物なんかと訳が違うってことなのか、かっこつけたグレー色。こっちのカセット・ケースには90ルピーの定価が記されたMCAのラベルが貼られている。

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