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2020年5月10日 (日)

大泉黒石《 黄夫人の手 》Ⅲ  秋瑾の影

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 この短編を読んだ時、真っ先に想い至ったのが、ひょっとして黒石が芥川龍之介の《 湖南の扇 》( 大正15年《 中央公論 》)を念頭に置いての、以前からくすぶっていた黒石・大衆小説派と龍之介・文学派の反目の延長線上での意趣返し的産物じゃないのかという疑いで、ところが、調べてみたら出版時期が逆で黒石のこの作品の方が先( 大正9年《 中央公論 》)だったので、当方の単なる勘違いに過ぎなかった。
 《 湖南の扇 》じゃ、長沙で斬首されたのは匪賊の頭目・黄六一で、盗みという行為で黄夫人と共通し、そもそもこの匪賊の頭目・黄六一も斬首され生首を晒されていて、その血を浸したビスケットがこの作品の狂言回し的媒体なのだけど、それはまた単なる盗賊と異なる革命派とも一脈を通じた趣きの複数の頭目をミックスした造形的キャラクターという説(《「湖南の扇」論 Liu Gengyu 》)等によって大きく反転し、盗賊(窃盗)=革命=秋瑾という図式が蒼白い炎の如く揺らめきはじめるというのが、勘違いだった当方の目論見だった。

 

 

 物語に出てくる湘潭の二人の娼妓(中国的には妓女)、玉蘭と含芳、秋瑾の瑾が美玉を意味し、彼女の幼名が玉姑でもあることに因んでの玉蘭、そして扇を手にし、その若さを強調した含芳ともども秋瑾の分身ではなかったか。
 とりわけ、物語の中じゃ含芳の十代中頃なのかその若さに言及し、僕=龍之介が好んでいた風でもあって、玉蘭が体現した秋瑾の新思想=革命の“ 反清復漢 ”的な旧風さを更に乗り越えた人民革命的な新思潮の黎明性の象徴的存在としてみるべきなのだろう。
 因みに、《 湖南の扇 》の“扇”は、秋瑾(しゅうきん :チウチン)が横浜の天地会に在籍していた折就いていた文職軍師=「白扇」に因んだのではないか。つまり、本意は“湖南の革命女史・秋瑾”というタイトルだった可能性も高い。
 

 

 それにしても、この黄夫人、如何見ても、湖南の革命女史・秋瑾を念頭にしているとしか思えない。
 秋瑾の来日・留学、革命活動家・秋瑾を役人に密告したのも彼女の同郷( 魯迅の《薬》だと秋瑾の親戚の三爺ってことで甚だ理にかなっているのだけど、果たして黒石、《 黄夫人の手 》の前年の1919年発行の《新青年》誌上に発表された魯迅の《薬》を読んでいたろうか。実際は、折奏師爺〈郷紳〉きょうしん=章介眉を指しているらしく、血は繋がっていないに違いない。)の者だったし、秋瑾の実家( 浙江省紹興 )もそこそこの地元の旧家で、嫁いだ先も湖南の豪商、最後に刑死(斬首)したのも、黄夫人のそれぞれのエピソードで対応している。
 但し、秋瑾は、事前に役人の李宗嶽が梟首( きょうしゅ )はやらない旨約していて生首を晒しものにされることは免れ、黄夫人の刑死が斬首だったのか絞首だったのか不詳だけど、手首はその美しさと湘潭中を騒がせた罪深さ故に歴史的記念物として切り落とされ役人に保管されたというエピソードとは若干齟齬がある。
 
 つまり、表面的には窃盗癖的妄念に駆られた湘潭美人・添嬿=黄夫人の刑死後の怨霊と化した切断された右手首の凌辱・密告者への復讐譚であっても、その実、革命・蜂起への妄執=革命熱的業火に駆られた秋瑾の刑死の後を受けて、秋瑾や安慶起義(蜂起)を密告し頓挫させた密告者への復讐というアナロジックな蒼白い火焔・業火の転輪譚。

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 秋瑾を密告したといわれる胡道南と章介眉、胡道南は報復として殺害されたものの、郷紳・章介眉の方は生き延び、彼の一命を革命の名において許した王金発は、後、袁世凱の配下となった章介眉に殺害された。「フェアプレーは早過ぎる」と魯迅の憤った所以。
 この両者のどちらが、黄隆泰の原像となったのであろうか。
 胡道南は日本留学中、同じ湘潭からの留学生であった秋瑾の女性解放の演説中に、封建主義剥き出しで女性解放は時期早尚と喰ってかかったけど、彼女に論駁され恨みを抱いたといわれている。
 一方、秋瑾の実家のある紹興の大地主でもある郷紳・章介眉はといえば、その後、袁世凱死後も生き延び天寿を全うしたという。この黒石の短編の頃は、まだ紹興で生きていたってことになる。

 

 
 要するに、湘潭一の美人・添嬿=若き黄夫人とは秋瑾のアナロジー的形象で、美しい黄夫人の手とは、斬首された秋瑾の、安慶起義を頓挫させた密告者への怨念=革命的業火そのもの。黄夫人の窃盗癖的妄執とは、同様に、秋瑾の安慶起義=革命的妄執のアナロジー。
 当時、日本や中国でも流布していたロシアの無政府主義者クロポトキンの《 パンの略取 》でも周知の、権力・資本に略奪されたものを民衆が取り返すという意味での略奪→盗奪からと、《「湖南の扇」論 》Liu Gengyuでも触れている当時の匪賊の中には革命派に繋がるものも少なくなく、また清朝に敵対した存在でもありえたという社会情勢的ダイナミズム的要素からの形象化。

 

 《 黄夫人の手 》発表の前年の1919年には、大日本帝国統治下の朝鮮で《 三・一独立運動 》や中国での反日運動《 五・四 》運動が起こっていて、更にその前年には一大民衆叛乱とも謂うべき《 米騒動 》が日本全土を席巻していた時代の只中で、
秋瑾の無念を黒石が怪奇的装いをとって晴らしたって寸法なのだが、果たして実のところは如何。

 

 時間的に、龍之介の“ 湖南旅 ”は黒石のこの作品の翌年で、同じ《 中央公論 》に既に発表されているこの作品をもし読んでいたとしたら、その基底に秋瑾を据えた構造も了解し得たかも知れない。そこに隠された逐一の造形的デティールが龍之介の脳裏にいやでも植えこまれたろう。
 それ故に、既に帰国直後あたりに龍之介が《 湖南の扇 》を構想していたとしたら、さすがに、にっくき大衆小説派の、それも忌み嫌っている感のある黒石の絵に描いたような後塵を拝す挙にだけは出る訳に行かなかったろうから、5年後という時間は何としても必要だったに違いない。
 この視点から、《中央公論》上で対立していた純文学派と大衆小説派のそれぞれの雄の、清末・湖南の革命女史・秋瑾を基軸に据えた両作品を読み較べるってのも、一興かも。

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