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2020年6月の3件の記事

2020年6月27日 (土)

旅先のポストカード ( パキスタン )

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 いつ頃買ったのか定かじゃないけど、パキスタンで購入したものばかり。
 写真の感じからしても、タイのポストカードなんかと較べようもない二昔前の雰囲気で、それがまたキッチュなレトロ感を醸し出している。
 冒頭の十代前半とおぼしき娘が紅い結婚衣装らしきものをまとっているのは、先だって紹介したパキスタン映画《 DUKHTAR 》( 娘よ!)の一場面を彷彿とさせる。
 少女だからこそ観光用の絵ハガキにその容貌をくっきりと載せられたのかも知れない。ある程度歳がいくと、もう許されないのかも知れない。尤も、北方の山岳地帯のフンザの絵ハガキには成人二人の女性が微笑んでいる写真があって、確かに、働くフンザの女性は下界のパキスタンよりも大らかで、顔を隠したりはせず、むしろ外人旅行者にも好意的だった。《 フンザ・イン 》のオーナー=ハイダル・べグ氏によると、パキスタン権力の徴税史と警察がフンザの村にやってきたのもそんなに昔の事じゃないようだし、そんなに町の連中ほどには原理主義的じやないってことも関係あるんだろう。因みに、フンザはスンニ派より圧倒的にシーア派が多いらしい。
 

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 二枚目のは、当時パキスタンのあっちこっちで見かけたポピュラーな絵ハガキ。
 前列の娘たちは顔を出しているけど、後列の成人女性はみんな頭からスッポリ被るブルカをまとっている。ところが、裏側に、印刷所なのか発行場所はカラチとなってるものの、上部に“ エアポート通り ギルギット パキスタン ”とも記されていて、ギルギット・バルティスタン州の州都ギルギットの女性たちってことなんだろうか。
 知らなかったけど、 2013年にギルギットで外人旅行者9人がタリバンに襲われ殺害された事件があったらしい。
 そういえば、当方がギルギットに2回目の滞在をした'90年代の前半だったか、ある日本人旅行者が、郊外に赴いた際、遠くからライフルで狙われたと言ったことがあった。丁度選挙かなんかの時期で、狙うというより威嚇射撃のようだったらしいけど、さすがにもうその時期は過ぎていたのか、その後当方も同じルートを辿ることになり、内心ビクつきながらも、致し方なく郊外の他に人影もない広々とした田園地帯の長い路をリュック担いでとぼとぼ歩いていったけど、遠くの家屋や物陰から銃声のすることはなかった。
 パキスタンの場合、最大都市・カラチやトライバル・テリトリーでの外人拉致は有名であったけど、まさかのんびりした高原・山岳地帯のギルギットでそんな事件があるとは・・・そういえば、フンザ・カリマバードで、ギルギットから下界はもう堕落しているという言葉を聞いたことがあったけれど。
 因みに、カリマバードの《 フンザ・イン 》、現在の《 ハイダー・イン 》Haider Innは、ネット見ると小奇麗なコンクリート三階建てになってて、ドミトリーが600ルピー(420円)という。当方が滞在した頃は20!ルピーだったのが。
 通りのカフェやレストランも今風。背後のウルタル氷河をバックにピザ屋の看板も煌々と耀いている。そんな時節に、ゼロ・ポイント下で長年苦闘してきたかのハイダル・ベグ爺も他界( 2018年 )したらしい。一つの時代の終焉ってことなのだろう。

 

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 上の二枚はカラチでの印刷らしいけど、次のムジャヒディンの二枚は記されてなく不明。
 只、タイトルだけが英語とアラビックで表記されているだけ。
 青いショールの十代中頃の“ 若いムジャヒディン ”と年配の“ ベテラン・ムジャヒディン ”。
 これは恐らくパキスタンというより、アフガニスタンの絵ハガキなのだろうか。
 そういえば、かつてペシャワールの《 カイバル・ホテル 》の老スタッフの息子が、インド=パキスタン、イスラム=ヒンディーの間で長年揉めてきたカシミールの解放のために戦うんだと言ってたのを思い出した。ギルギットとカシミールは南北に隣合わせの地理関係。

 

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2020年6月20日 (土)

アメージング・タイランド  旅先のポストカード 2

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 これは全く知らなかったが、観光立国タイランドは、2017年11月から“ アメージング・タイランド観光年 ”ってことだったらしい。
 この従来の直な観光写真から些かアート感覚を採り入れた元祖“アメイジング・タイランド”ポスト・カードのこのカラフルなロゴは、奇しくも世紀末の真っただ中じゃあったけど、タイ中に溢れていた。当時日本人バック・パッカー達にも人気のあったポップ・シンガーのターター・ヤン(グ)のアルバムのタイトル名(“ アメージング・ターター”)にもなっていたくらい。
 当時、タイは“ 好景気 ”だったようだけど、幾らもしない内に“ 我々は我々が想っていたようには豊ではなかった ”と新聞のコラムで自嘲的なフレーズが並んだりするようになるバブル神話の真っただ中。 
その前が確かオープンになったばかりのミャンマーの観光年“ Visit Myanmar Year1996 ”で、当方もマンダレーからパガンまで時代物のフェリーに乗って他のパッカー達とイラワジ川を溯上したものだった。その次が、タイの観光年( 1998-1999 ) 。
 
 
 黄金のガルーダに背後に、王宮ともいわれるワット・プラケオ( ワット=寺院 )の壮大な伽藍のシルエットが聳えているいわずもがな王都・観光都市=バンコクの象徴的図柄。上方に《 エメラルド寺院 》と記してある。この寺院に祀ってあるエメラルド仏( 実際は翡翠 )故のタイ国内で俗称だ。勿論いかめしく長たらしい官命も別途ある。
 ここは交通の便が今一って先入観があって、訪れた記憶はなく、むしろチャオプラヤ川沿いの所謂ワット・アルン( 暁の寺 )の方には、定宿TTゲストハウスから簡単に行けるフェリー乗場から細長い常に満員のフェリーに乗って青々として群生したホテイ葵( パック・トン・チャワー )の浮かぶ赤い濁流を溯上して幾度か訪れた。ともかく暑熱がコンクリート床を焼いて一層うだされながらの観覧はある種の業すら思わせた。ファラン(白人)達もTシャツをべっとり汗で背中に貼りつけさせながらも、装束を纏った若い女姓モデルと一緒の記念写真に余念がない。

 

 

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 その黄金寺院が所狭しと整然と聳えた中のあっちこっちに、これまた青々とした空に一際映えて眩しいキンナリーの黄金像が佇んでいるらしい。
 このポストカードのキンナリーは両手を合掌しているけど、他のキンナリー像は両手で様々なポーズをとっていて、建物の中には、実際の灯を手にしたキンナリー像もあるようだ。形の整った両乳房を強調したような、あるいはついそこに視線が注がれてしまう態の些かセクシャルな雰囲気を湛えた神像であるが、
 緊那羅(キンナラ)は、インド神話に登場する音楽の神(精霊)で、仏教では天竜八部衆の一つという。キンナラは男神で半人半馬であり、キンナリーは美しい天女であり、半人半鳥の下半身が鳥様。
 だけど、このポストカードのキンナリーは、下半身は、鳥ではなく、さりとてキンナラの如く馬様って訳でもない、むしろ獅子(ライオン)に似てる。ネットでこのワット・プラケオ内の緊那羅像を確かめてみると、必ずしもその定式通りじゃなく、多種様々な姿態のキンナラ・キンナリー像があるのが分かる。
 黄金に輝くキンナリーはクールな東洋的エロティシズムとでもいった独特の雰囲気が魅力的な像で、この種々居並んだ黄金キンナリーを観るためにだけでも、一度は足を運んでみたいものだ。当方のガラス戸棚の中にも、黄金ならぬブラスの7センチ丈のこのポストカードの同じポーズと獅子半身のキンナリー像が長々と佇んでいる。隣国カンボジアの首都・プノンペンあるいはラオスの首府・ビエンチャンのいづれかの店先で見つけたものだった。

 

 

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 バンコクから北に直線距離で60キロほど行ったところに、勿論船で蛇行するチャオプラヤー川を溯ることもできるけど、これはもう団体観光客の定番なので、先ずパッカー達が便乗することはない。廉価なのがあればもう有名になってるだろうが、およそ寡聞にして聞いたことがない。
 当方も一度だけ、それもタイ旅行初期にバンコク以外に最初に訪れた場所が、かつて倭寇跋扈した時代の遺蹟・街並みが残っているというアユタヤだった。
 赤土と赤い濁流の交錯した如何にもメコンの残照といわんばかりの一帯は、丁度氾濫・冠水の時節でもあったのか、隣国カンボジアのシェムリアプと同様、当方の東南アジア的原体験として現在に到っている。
ガジュマルのうねった根に取り込まれた仏頭で有名なワット・マハタートの瓦礫と化した寺院と首を刎ねられた石仏群って、栄枯盛衰というより、所業無常の感が色濃く漂っている。  

 

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2020年6月 6日 (土)

 プライド的仇花 『 DUKHTAR 』( 娘よ!)

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 先だっての甲斐大策《 ペシャワールの猫 》に絡めた訳じゃないけど、偶々観ることになってしまったパキスタンの監督アフィア・ナサニエルの《 DUKHTAR 》(邦題・娘よ)。 2014年の作品。六年も前の映画だった。パキスタン・米国・ノルウェーの三ヵ国共同出資。
 米国にも多くのパキスタン人が出稼ぎや移住してて、パキスタン=米国は軍事的なつながりの緊密さでは、タイ=米国にまさるとも劣らない。( 日本=米国も、ミレニアムになっても、幕末以来の治外法権がまかり通っているぐらい。)
 隣国・アフガニスタンで跋扈するタリバンの基礎がそんなパキスタン権力の手によって作られたってのも意味深。

 

 この映画、観て先ず驚いたのが、舞台が、《 ペシャワールの猫 》で私=甲斐大策とアフガン難民ハジ・ヌール・ムハンマド・ハーンが、甲斐の十二歳の娘を、結婚間近で家の外へ出れないハジの娘に会わせようと、居所のコハトに赴くためにどうしても通過しなくてはならないダッラの町のパーミッション( 通行許可証 )を貰うため二人してペシャワールにあるダッラの出張所に日参するのだけど、そのダッラと同じパキスタン公権力の権威の及ばない少数民族自治区“ トライバル・テリトリー ”だった。それもアフガン人ハジと同様のパシュトン系の部族エリアの。
 そのパシュトン系に属する、それも比較的最近までは互いに友好的だった二つの部族が、何らかの理由で血の相克劇、果てることのない“復讐”の連鎖に陥ってしまっていた。
 インドも中世の残滓香る世界ではあるけれど、隣国パキスタンも同様イスラムチックな報復=仇討ちがまだまだ血の相克を繰り返している世界であった。パキスタン滞在当時も英字新聞やなんかでも時折記事になってたりしていて驚いたものだった。我国じゃ、明治維新の廃刀令と共にとっくに消えいってしまっていた代物。

 

 

 主人公の母娘、アッララキとザイナブ、はカラコルム山脈のある麓の、中国から伸びたカラコルム・ハイウェイ沿いのフンザを彷彿とさせるある風光明媚な山岳地帯に住んでいた。
 画面じゃそれこそK2峰が望み見えていてもおかしくないくらい。
 トライバル・テリトリーって、カラコルム山脈から少し下ったペシャワール( 標高300メートル )の南西に位置するむしろアフガン南東部と国境を接する地域で、この辺りは基本外人旅行者には開かれてなくて当方にもまったく未踏のエリアなのだけど、どうも画面上の雰囲気と違和感がある。勿論、あくまで映画なので中国と国境を接した側のカラコルム山脈での撮影だったとしてもどうこういう筋合いもないのだが。

 

 
 母親アッララキの年老いた夫が一方の部族の長。
 敵方の部族長に、自分の部族側に何人も犠牲者が出、とりわけ自分の息子も犠牲になったのを嘆き、和解を申し出る。と、敵方の部族長は、ならお前の娘ザイナブを俺の嫁に寄越せと応じた。互いが親戚関係になるのが手っ取り早いってことらしい。
 確かに理には適っている。
 アッララキの夫は二つ返事に応じた。
 
 早速敵方の手の者がアッララキの家に直に新嫁ザイナブを迎えにやって来くる。
 母親アッララキは、まだ十歳の娘を、自分の老いた夫より老いた敵方の部族長に嫁がせることに自身も同じ境遇だったのを顧みて、慚愧の想いに駆られ、結局ザイナブを連れてその家を飛び出す。捕まると殺されるのは自明故の、非力な女にとって男達に物理的に対抗できるのはこれしかないとばかりに、こっそりと夫のだろうピストルを忍ばせて。
 供宴にうつつを抜かしている間に、新嫁に逃げられ、敵側もアッララキの夫側の男達も、共にプライドを傷つけられたと、怒りと殺意剥き出しに二人の追跡を始める。

 

 が、母娘が途中で乗るこことなるトラックの運転手ソハイルとの遭遇が、普通ならとっくに追っ手に捕まり母親は殺害され娘は老いた部族長の下に嫁ぐことになったのだろう運命を大きく変えてしまう。
 最初はパシュトン系の部族と諍いを起こすことに難色を示していたソハイルも、アッララキの命を賭しての逃亡の念に折れ、首都イスラマバードと古都ラホールの中間に位置するアトックまで送り届けることを約束することになる。元々孤児でアフガンのムジャヒディンに何年も参加していた彼には失うものがなかった。それに何よりも、アッララキに魅せられていた。好青年然としたソハイルに彼女もまんざらではない女の情愛を覚え始めているようだった。恐らく初めての・・・

 

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 勿論イスラム国パキスタンであれば、欧米先進国の住民達が思うようなハッピーエンドはそもそも期待すべくもなく、結末は描かれぬまま終わる。
 母娘は人口一千万の大都市ラホールにそのまま隠れ住むのだろうか。
 それとも、隣国インドに更なる逃避行を続けるのか。
 ソハイルとアッララキは一緒になれるのだろうか。
 否、アッララキの老いた夫はまだ健在のはず。
 敵方の部族長は同族の者に殺害され、ザイナブは許嫁婚から解放されたのだろうか。
 映画的には、正に“明日に向かって撃て”的な生きんがための逃避行。
 更に、アフガン帰りのソハイルを基準にすると“タクシー・ドライバー”ってところだろう。それなりに面白く作られた小品だと思う。

 

 映画は六年前の作品だけど、昨今喧しい、家父長的封建主義の産物ともいうべき、親達が当事者の気持ち・意志を何等鑑みることもなく一方的に年端もゆかぬ少女を嫁がせる“少女婚”が、正面切って問われている。
 親が勝手に当事者の意志を無視して結婚相手を決める許婚( いいなづけ )制は、中東・イスラム世界だけじゃなく、人民中国以外の華僑=華人世界じゃ現在でもまだ行われている様で、日本も戦前までは普通に行われていた慣習。明治維新以降の日本じゃ余り低年齢ではありえなくなったものの、華人世界じゃ、結構早い時期に決められたりすることもあるらしい。
 只、昨今の西欧近代主義的風潮って、中世のロメオとジュリエット的自由恋愛とすら背反する似非自由主義、つまり彼等が否定し批判しているつもりの全体主義と横並びの所詮全体主義的産物でしかないって事に留意しておかないと、遙か明治末・大正の《 青踏 》の頃から一寸の深化も得られてないってことになる。

 

 

監督 アフィア・ナサニエル
アッララキ サミア・ムムターズ
娘ザイナブ サーレハ・アーレフ
トラック運転手ソハイル ヒブ・ミルザー
 2014年作品 ( パキスタン・米国・ノルウェー

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