プライド的仇花 『 DUKHTAR 』( 娘よ!)
先だっての甲斐大策《 ペシャワールの猫 》に絡めた訳じゃないけど、偶々観ることになってしまったパキスタンの監督アフィア・ナサニエルの《 DUKHTAR 》(邦題・娘よ)。 2014年の作品。六年も前の映画だった。パキスタン・米国・ノルウェーの三ヵ国共同出資。
米国にも多くのパキスタン人が出稼ぎや移住してて、パキスタン=米国は軍事的なつながりの緊密さでは、タイ=米国にまさるとも劣らない。( 日本=米国も、ミレニアムになっても、幕末以来の治外法権がまかり通っているぐらい。)
隣国・アフガニスタンで跋扈するタリバンの基礎がそんなパキスタン権力の手によって作られたってのも意味深。
この映画、観て先ず驚いたのが、舞台が、《 ペシャワールの猫 》で私=甲斐大策とアフガン難民ハジ・ヌール・ムハンマド・ハーンが、甲斐の十二歳の娘を、結婚間近で家の外へ出れないハジの娘に会わせようと、居所のコハトに赴くためにどうしても通過しなくてはならないダッラの町のパーミッション( 通行許可証 )を貰うため二人してペシャワールにあるダッラの出張所に日参するのだけど、そのダッラと同じパキスタン公権力の権威の及ばない少数民族自治区“ トライバル・テリトリー ”だった。それもアフガン人ハジと同様のパシュトン系の部族エリアの。
そのパシュトン系に属する、それも比較的最近までは互いに友好的だった二つの部族が、何らかの理由で血の相克劇、果てることのない“復讐”の連鎖に陥ってしまっていた。
インドも中世の残滓香る世界ではあるけれど、隣国パキスタンも同様イスラムチックな報復=仇討ちがまだまだ血の相克を繰り返している世界であった。パキスタン滞在当時も英字新聞やなんかでも時折記事になってたりしていて驚いたものだった。我国じゃ、明治維新の廃刀令と共にとっくに消えいってしまっていた代物。
主人公の母娘、アッララキとザイナブ、はカラコルム山脈のある麓の、中国から伸びたカラコルム・ハイウェイ沿いのフンザを彷彿とさせるある風光明媚な山岳地帯に住んでいた。
画面じゃそれこそK2峰が望み見えていてもおかしくないくらい。
トライバル・テリトリーって、カラコルム山脈から少し下ったペシャワール( 標高300メートル )の南西に位置するむしろアフガン南東部と国境を接する地域で、この辺りは基本外人旅行者には開かれてなくて当方にもまったく未踏のエリアなのだけど、どうも画面上の雰囲気と違和感がある。勿論、あくまで映画なので中国と国境を接した側のカラコルム山脈での撮影だったとしてもどうこういう筋合いもないのだが。
母親アッララキの年老いた夫が一方の部族の長。
敵方の部族長に、自分の部族側に何人も犠牲者が出、とりわけ自分の息子も犠牲になったのを嘆き、和解を申し出る。と、敵方の部族長は、ならお前の娘ザイナブを俺の嫁に寄越せと応じた。互いが親戚関係になるのが手っ取り早いってことらしい。
確かに理には適っている。
アッララキの夫は二つ返事に応じた。
早速敵方の手の者がアッララキの家に直に新嫁ザイナブを迎えにやって来くる。
母親アッララキは、まだ十歳の娘を、自分の老いた夫より老いた敵方の部族長に嫁がせることに自身も同じ境遇だったのを顧みて、慚愧の想いに駆られ、結局ザイナブを連れてその家を飛び出す。捕まると殺されるのは自明故の、非力な女にとって男達に物理的に対抗できるのはこれしかないとばかりに、こっそりと夫のだろうピストルを忍ばせて。
供宴にうつつを抜かしている間に、新嫁に逃げられ、敵側もアッララキの夫側の男達も、共にプライドを傷つけられたと、怒りと殺意剥き出しに二人の追跡を始める。
が、母娘が途中で乗るこことなるトラックの運転手ソハイルとの遭遇が、普通ならとっくに追っ手に捕まり母親は殺害され娘は老いた部族長の下に嫁ぐことになったのだろう運命を大きく変えてしまう。
最初はパシュトン系の部族と諍いを起こすことに難色を示していたソハイルも、アッララキの命を賭しての逃亡の念に折れ、首都イスラマバードと古都ラホールの中間に位置するアトックまで送り届けることを約束することになる。元々孤児でアフガンのムジャヒディンに何年も参加していた彼には失うものがなかった。それに何よりも、アッララキに魅せられていた。好青年然としたソハイルに彼女もまんざらではない女の情愛を覚え始めているようだった。恐らく初めての・・・
勿論イスラム国パキスタンであれば、欧米先進国の住民達が思うようなハッピーエンドはそもそも期待すべくもなく、結末は描かれぬまま終わる。
母娘は人口一千万の大都市ラホールにそのまま隠れ住むのだろうか。
それとも、隣国インドに更なる逃避行を続けるのか。
ソハイルとアッララキは一緒になれるのだろうか。
否、アッララキの老いた夫はまだ健在のはず。
敵方の部族長は同族の者に殺害され、ザイナブは許嫁婚から解放されたのだろうか。
映画的には、正に“明日に向かって撃て”的な生きんがための逃避行。
更に、アフガン帰りのソハイルを基準にすると“タクシー・ドライバー”ってところだろう。それなりに面白く作られた小品だと思う。
映画は六年前の作品だけど、昨今喧しい、家父長的封建主義の産物ともいうべき、親達が当事者の気持ち・意志を何等鑑みることもなく一方的に年端もゆかぬ少女を嫁がせる“少女婚”が、正面切って問われている。
親が勝手に当事者の意志を無視して結婚相手を決める許婚( いいなづけ )制は、中東・イスラム世界だけじゃなく、人民中国以外の華僑=華人世界じゃ現在でもまだ行われている様で、日本も戦前までは普通に行われていた慣習。明治維新以降の日本じゃ余り低年齢ではありえなくなったものの、華人世界じゃ、結構早い時期に決められたりすることもあるらしい。
只、昨今の西欧近代主義的風潮って、中世のロメオとジュリエット的自由恋愛とすら背反する似非自由主義、つまり彼等が否定し批判しているつもりの全体主義と横並びの所詮全体主義的産物でしかないって事に留意しておかないと、遙か明治末・大正の《 青踏 》の頃から一寸の深化も得られてないってことになる。
監督 アフィア・ナサニエル
アッララキ サミア・ムムターズ
娘ザイナブ サーレハ・アーレフ
トラック運転手ソハイル ヒブ・ミルザー
2014年作品 ( パキスタン・米国・ノルウェー
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