« 旅先のポストカード ( パキスタン ) Ⅱ | トップページ | シーウィー 貧窮的陥穽からの名誉回復 »

2020年7月18日 (土)

冥銭  三途川の渡賃あるいは冥界旅の路銀

1_20200605215101

 

 昨年、黒石がらみで長崎・崇福寺を訪れた際、折からの政治的力学の余波を受けて外人観光客の姿がすっかり僅少になってなのか、それほど広くもない伽藍に、人の気配は余り感じられず、華人系らしい母息子兄弟の三人組だけが、ひっそりと中国風の長い線香束を手に母親に教えられながら拝跪していた。内庭に面した金炉・宝炉と呼ばれる焚紙炉でも紙銭を燃やしていた。タイのバンコクの道教の道観でだったか童乩( タンキ― )が火焔弄ぶ中、犇めく人々があげる線香束の紫煙や紙銭を燃やす炎の充満に瞠目してしまったことがあったけど、その圧倒的なエナジーの揺らぎに比して何とも清々しい一縷の紫煙にも似た趣きに暫し見入ってしまった。二人の息子はまだ二十歳前後であったか、一人は当方に観られているのを些か恥じている風でもあり、旧い習俗に係わっている自身に若輩的なコンプレックスでも抱いているらしいのが透けて見え、思わず苦笑してしまった。
 

3_20200605215301

 

 中国・華人世界じゃめずらしくはないけれど、日本じゃ銅貨六枚の六道銭として流布し、沖縄でも中国経由で入って来た冥界へ旅立つ死者の柩の中に収める冥銭。いずれも、現在でも実通用している習俗的産物。宗派によって違いがあるようで、現在の日本の葬儀でも、棺の中に、三途の川の渡賃とか六道巡る際の逐一の地蔵に渡す銭という六道銭、つまり三途の川の手前での死者の立ち往生を危惧しての、初めて小学校にあがる我子の一人通学をあれこれ慮るように、遺族の側の死者への、金輪際的に過誤の余地のない未知の旅路への思い遣りってところだろう。
 ならば、三途の川渡と六道地蔵へのどちらかに賭ける危うさを避け、最悪双方に支払う定めだった時を考慮して十二文銅貨を持たせておけば先ず安心と思われるのだけど、世間はやっぱり決まりがあるようで、六文銭らしい。尤も、昨今は、中国に倣った訳じゃないのだろうが、現行紙幣を模したような高額紙幣の束を収めたりするようになったらしい。六文銭も冥銭の如く印刷物となって副葬されているらしい。さすがに日本列島じゃ紙銭を燃やす作法は聞いたことがなく、沖縄じゃ現在も紙銭(=打ち紙 ウチカビ )を焼くようだ。中国じゃ、現実を反映して、もしも、を考慮してか、冥土銀行発行のかキャッシュ・カードまであるという。

 

4_20200605215301


 柩の副葬品とは別途の、折々の時節に焼く紙銭は、焼くことで気化し、天上世界の、あるいは黄泉の國の死者に届くというものらしく、謂わば、旅先の死者に対する援助金送付って有難くも実に即物的な代物なんだけど、やっぱし親しかった身内の、この世から直接に手の下しようもない彼岸世界ということでの、精いっぱいの所作って訳なのだけど、さしずめ定期的送金ってところが泣かせる。
 となると、基本、紙銭を焼くってことをしない我が日本列島の住民達って、随分と醒めているのかドライなのか、持たせるのは最初の六文銭か札束冥銭だけで、後は死者自身が盂蘭盆等でわざわざこの世の仏壇か墓石まで出戻って来なければならず、それも精々飲食材ばかり。幾年も過ぎてしまうと、一見餓えた餓鬼の如く、自身の墓石か仏壇に供えられた食材を無心に貪っている些か興覚めするようなさもしい姿が脳裏を過ぎってしまう。も少し余裕の態で賞味する図であって欲しいとは誰でも望む俗の俗たる俗人的願意なのだろうか。
 で、そんな危惧を払拭するためには、やっぱ、墓参りや仏壇上に、札束冥銭を幾重にも積み上げる、あるいは中国製のであれ冥土銀行のキャッシュ・カードを供えるってのが一番かも知れない。

 

2_20200605215201

 

|

« 旅先のポストカード ( パキスタン ) Ⅱ | トップページ | シーウィー 貧窮的陥穽からの名誉回復 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事