ワイマール的境界世界 《 カリガリ博士のキャビネット 》(1920年)
大正末の日本を席巻した恐怖映画の元祖ともいわれる《 カリガリ博士 》、今回ようやく全編観終えることができた。もちろん、Youtubeでだけど、最初観たのは完全モノクロの一時間にも満たないもので、画質も悪くいかにも古色蒼然とした代物。 ところが、他にも色々なバージョンがあって、白黒だけじゃない何種かの単色に彩色されたいわゆるパート・カラーの本来のオリジナルであるらしいバージョンも結構並んでいた。時間も75分前後のものが殆ど。
で、あらためてそのオリジナルに近いバージョンを観直してみると、リマスター版なのか、画質が鮮明になっていて、最初観た粗い画質のものとは随分と印象が異なり、登場人物の顔なんか別人の観すらあった。
ところが、最初観たモノクロ・短時間のバージョンとパートカラー・75分バージョン、単に画質と時間の長短だけじゃなくて、物語の中に出てくる、カリガリ博士の蔵本、《 夢遊病 》Somnambulism なる古書籍中の、神秘主義者カリガリがチェザーレなる夢遊病者を連れて北イタリアの町々を巡ったという【 カリガリ博士のキャビネット 】の伝説の冒頭に記された年代に異動があって、これには些か驚いてしまった。
モノクロ・短時間のバージョンの方は、“ 1093年 ”で、複数の75分バージョンの方じゃ、“ 1703年 ”、あるいは“ 1783年 ”。この古書籍の表紙の下に記された発行年は一様に“ 1726年 ”となっている。マァ、物語的には些細な問題に過ぎないが、余りにずさん過ぎて呆れる他ない。
因みに、モノクロ・短時間のバージョンのみ、物語が始まる直前、『 11世紀の、ニセ修道者が夢遊病者に不可思議な力を及ぼしたという伝説を再現( re-appearance )した物語 』という前書きが挿入されている。古書籍中の“ 1093年 ”に対応してはいるけれど。一本だけ観てれば生ずることのない違和には違いない。勿論そんな些末な不可解事でも、その起源まで辿ってゆくと意外にひょんな帰趨に遭遇しないとも限らない。
物語自体は、現代の視点からすると、それほど目新しいものがある訳でもない旧めかしい、むしろ大泉黒石+溝口健二の《 血と霊 》( 1923年 )の方が凝っているのじやないかと思えるぐらいだけど、通史的に観れば、その後の恐怖・ミステリー映画の手法のオリジンがこの《 カリガリ博士のキャビネット 》に源があったといっても過言じゃない。
“ 本当の狂人は、それを告発していた彼自身だった ”
あるいは、それまで語られてきた登場人物たちは、なんと皆狂人だったというもはや使い古された観のあるどんでん返し的手法は、ここにオリジンがあった。
当方としては、むしろ、その代名詞として謂われているドイツ表現主義的な背景・セットから、もはや観るすべてとない《 血と霊 》のあくまで真似物であったとしても具体的雰囲気の了解性を得ることが出来た。
同時代のカール・ハインツ・マルティン監督の《 朝から夜中まで 》( 1920年 )も、こっちはホラーではなく当時のドイツ社会を如実に反映したのか、ある日銀行の出納係が、手形の換金に現れた夫人に懸想し、ふと銀行の金を持ち逃げし彼女に迫ろうとして果たせず、そのまま自身の家族を捨てて大都市の巷間を散財しながら彷徨い歩く都市的喧騒に満ちた昭和の時代に頻く見られた刹那的破滅物語( この作品がオリジンだった )だけど、セットも小道具すらもドイツ表現主義的意匠に統なべられていた。
当方はパソコンの液晶画面でしか観れてなく、映画館の巨大なスクリーンだと大舞台の書割・巨大セット並みの迫力と存在感の中で繰り広げられるおどろおどろしいカリガリやチェザーレ、フランツィス等のドラマは一見の価値ありだろう。
粗筋は、地方の小さな町にカーニバルが開かれ、その見世物小屋で、二十数年の眠りから夢遊病者チェザーレを目覚めさせ、集まった観衆に、人の運勢を視る能力のあるチェザーレに、その能力の程を自身で確かめて見ろと促すと、フランツィスの親友アランが自身の寿命を尋ねた。明日の夜明けまで、とチェザーレは断言した。
翌早朝、何者かにナイフで刺殺されたアランの死体が発見された。
その前にも役人が殺害されていて、更にフランツィスの恋人のジェインもチェザーレに襲われたものの、その美しさに思わず振り上げたナイフが止まり、彼女を小脇に抱え、書割の家々の屋根づたいに去って行った。叫び声に気づいた住民達に後を追われ、途中でさすがに疲れてきたのかジェインを地面に放り出し、その先の路傍で力尽きて斃れてしまう。
追い詰められたカリガリ博士の後を追い駈けたフランツィスは、とある精神病院に辿り着いた。
ところが、驚いたことに、カリガリ博士は、そこの院長だった。
博士が寝ている間に、彼の古い蔵本をそこの職員が見せてくれ、表紙に1726年の刻印のある《 夢遊病 》という古書籍に、夢遊病者チェザーレを連れた神秘主義者が北部イタリアの諸所の小さな町を巡っていたが、その先々で陰惨な事件が起こり、住民達を不安と恐怖の坩堝に陥れたと認めてあった。
で、再び最初と同じ普通のリアルなセットのベンチのシーンに戻って、年輩の男に誘われその場を後にする。そして、書割セットの精神病院に移り、チェザーレもジェインも居て、やがて回想のとは別人のように落ち着いた表現派メイクとは無縁のカリガリ博士が颯爽と現れる。が、フランツィスは「奴はカリガリだ!」と叫んで襲い掛かり、職員に拘禁服を着せられ個室のベッドに寝かせつけられる。彼の様子を暫くじっと凝視していた博士が満面の笑みを浮かべた。
「 彼を治す方法が分かった !」
この物語の舞台になった小さな町、ホレステンヴァルHolstenwallが、実在の城塞都市ハンブルグの中の一地域=ホレステンヴァル( ホレステン城壁 )エリアなのかどうか定かでない。ドイツじゃそれなりに知る人ぞ知る地名のようで、敢えてその地名を小さな町の名に使った事由のほどは詳らかじゃないけど、その奥に秘匿されたイワク・因縁でもあるのだろうか。画面じゃ、如何見ても、小さな田舎町って風情ではなく、それなりの規模の小都市ってところ。
そもそもが当初の企画=脚本からあれこれ様々な要因がからんできて随分と変容を来たした結果としての《 カリガリ博士 》ってことらしい。でも、これは殆どの映画が歴史的に経て来た常道でもあり、デ・ニーロ主演の《 タクシードライバー 》(1976年)等でも同様。只、第一次世界大戦→ナチズムという鬱々とした時代的背景がらみってことで当時から色々論じられてきたようだ。
カリガリ博士→夢遊病者チェザーレ
という、支配・被支配の関係、それも西インド諸島(アフリカからもたらされ現地で混淆してのブードゥー的産物 )起源らしいゾンビーも同様に、“使役”という一方的な支配・被支配の関係性。
この映画が製作に入った年、1919年にナチスの前身ドイツ労働者党DAPが結成され、翌1920年に映画が完成し上映されたその年に、国家社会主義ドイツ労働者党NSDAP=いわゆるナチスに名称を変え、更にその翌年1921年にヒトラーが総統として選出された。勿論この頃はまだ結党されたばかりで権力とは無縁。十年後になってようやく権力の座に就くのだけど、そのヒトラー=ナチスの基本綱領ともいうべき【 指導者原理 】が正にこの支配・被支配の最たるものであった。
本来の脚本じゃ政治性が強く、フリッツ・ラング( クレジットにはないらしい )が精神病院患者というアイデアを加味したという。政治性が強い故の韜晦的糊塗って訳なんだろうか。
プロローグとエピローグに出てくる精神病院の表現派風の書割のない普通のリアルな庭園のそれも古色蒼然とした仄暗い隅に配されたベンチでのシーンで、主人公というより狂言回しのフランツィスともう一人彼の話し相手になっている年輩の人物、彼がその病院のフランツィス担当の職員という説( 2010年のディカプリオ主演《 シャッター アイランド 》で、ディカプリオ演じる主人公と一緒に捜査をする連邦捜査官チャックが、実は主人公の入っていた精神病院での担当医だったという設定と相似 )もあるが、とりわけプロローグの普通の現実世界から、フランツィスの回想世界に入ってゆく際の突如表現派書割世界の展開はなかなかにメリハリが利いている。
エピローグの方は、その最初に話し終わったフランツィスを年輩の男が誘うようにベンチを後にすると、書割の精神病院の中庭に場面が変わり、そこにチェザールやフランツィスが恋人と言うジェインも患者然として他の患者たちに混じっていた。
確かに、精神病院という正常から些か逸脱した異常世界、その危うい両者の曖昧模糊とした境界世界を持ってくることによって、物語に水墨的奥行が拡がって如何にも思わせぶりな秘儀的遍在世界と化してしまう面白さはある。
《 カリガリ博士 》 Das Cabinet des Doktor Caligari ( 1920年 )
監督 ロベルト・ヴィーネ
脚本 ハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤー
制作 エリッヒ・ポマー
美術 ヘルマン・ヴァルム、ヴァルター・ライマン、ヴァルター・レーリッヒ
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