朦々たるピンディー 1994
( 湾岸戦争の頃のペシャワール新市街。サダム・フセイン擁護派が多いようで、サダル通りをデモ隊が行進。大使館勧告もあって、外人旅行者は殆ど国外に逃げていたものの、カイバル・ホテルにはボクも含めて5人くらいが脳天気にも居残り、あろうことか、下の通りを行進するデモ隊にカメラを向けて撮りまくり。デモ隊に見つけられたが、小石が1個飛んできたきり。貧乏旅行者なんかは眼中にないようだった。もっとも、旧市街の方だと事情が違って、随分長く滞在していた日本人も身に危険を覚えやむなく国外に撤収。日本じゃなくて、フィリピンに。)
1994年春、インドから陸路でラホールに入った。
同年春は名古屋空港で中華航空機が着陸失敗し200人以上が死亡したり、アフリカのルワンダで大量虐殺(100万人殺害ともいわれている)が起こり、少しして、松本サリン事件も起こっている。
当時はラホールのホテル( 勿論ゲスト・ハウス )関係の評判悪すぎて敢えてリスク冒してまで滞在する意味なく、むしろペシャワールに滞在するためにパキスタンに寄るって感じだったので、ペシャワール即行、正にペシャワール・エキスプレスが定番。
が、クンジェラーブ峠を越えて中国に抜けるコースにしたので、ラホールには泊まらず、出発寸前のフライング・コーチ(ベンツ)に飛び乗り、すぐさま中国ビザ取得のためラワルピンディ―に向かう。85Rs(ルピー)。因みに、ネットで確かめてみると、フライング・コーチのフの字もありゃしない。最近はミニ・バスとかワゴンとかそのものズバリに呼ばれているようだ。
休憩も容れて6時間半も乗ってると、効き過ぎエア・コンのせいで身体が冷え切ってしまう。扉を開け、むっとするピンディーの朦々たる塵埃と飼葉ワラ舞う巷に一歩踏み出ると、正に解凍。
Al Muslimに泊まる。
シングルで80Rsということだったけど、実際はツイン。窓なし。
当時はイスラマバードもそうだけど、埃っぽいばかりでやたらだだっ広いラワルピンディ―も余り旅行者には人気がなかった。大抵、ビザ取得や延長のためにいやいやながら通過するだけってのが通例。
土埃と馬車(タンガ)がやたら多く彼等の餌のワラの臭いが充満するばかりの街には一泊だけで充分とばかり、適当に選んだ安ホテルは、案の定、断水でシャワーの水が出ず、トイレも詰まっているらしく汚水が外に流れ出しているようなので、早速他の部屋に移動。
そこはトイレの汚水は洩れていなかったものの、今度は一時間停電。
結局、バケツ2杯の水で身体を洗い、窓なし部屋なので一晩中ファンを廻して寐ざるを得なかった。
翌早朝、まだ殆どの店が閉まっている中、一軒あいていたチャイ屋でチャイ2杯とフルーツ・ケーキで朝食。
やっぱし、パキスタンのチャイは甜い !
ガード手前の乗り場でイスラマバードのアブパラ・マーケット行のフライング・コーチ( 4Rs)に乗り込み、着くとすぐさま中国大使館行のSUZUKIに乗り替える。2Rs。
中国大使館は空いていて、受付のおばさんに次の日曜に取りに来いと告げられる。日曜も開いているのかと驚いたものの、ここはパキスタン、イスラム国であった。金曜が休日だ。1ヶ月ビザで550Rs。インドで取るとその倍。
帰途、ラワルピンディ―のコミッティー・チョークへ行くというので乗ったSUZUKI(SUZUKIの軽トラの荷台に乗る方式。当時パキで一番庶民的な乗物。)が、途中で妙なコースを辿り始めたので悪い予感を覚えた。と、パキ人が大勢乗った別のSUZUKIがすれ違い、何故か後戻りして来て、SUZUKIから降り、皆一様に殺気だった面持でボクの乗ったSUZUKIの運転手の方に向かってきた。そしてその運転手に怒鳴り始めた。
ボクは何が何だかさっぱり。
乗客達が文句を言い出したためか、彼等は去って行った。
ところが、しばらく走ると、急に再び停まってしまった。
今度はこっちの乗客達が、運転手や運賃を取って回っていた車掌の胸倉を引っ掴まえ、血相を変えて怒鳴り始めた。一頻り双方怒鳴りつけなじり合うと、再び発車。
隣の席のパキ人に事情を聞いてみると、どうもSUZUKIの運転手達がストライキ(ゼネストか?)中らしく、このボク達の乗っているSUZUKIは“スト破り”ってことで、先っきのスト中の運転手達に吊るしあげられたってことらしい。
で、今度は遅ればせのストライキってことで、突然の停車って訳なんだろうが、既に料金を取っていちゃあ誰だって怒ろうというもの。結局SUZUKIは妙な場所でストップ。文句言いながら客達は降りた。
一体ここは何処 ?
しかたなくオートリキシャ( オート三輪 )に便乗し、コミッティーチョークへ向かうことに。
と、その時、数人のパキ人が寄って来た。
明らかにボクの方に視線を走らせながら、運転手に何か言い、元の建物の下に戻って行った。が、入れ替わるように、今度は、グレーのシャルワール・カミーズ(上下服)に、白いモスレム帽の中学生が、ボクに何か言い出した。英語で何処から来たのか尋ねてきたが、相手にしてられず無視して、運転手にさっさと出発するように促した。するとその中学生はぼくに毒づき始めた。
「 車から降りろ ! 」
「 チェロ―( うせろ ) ! 、チェロ― ! 」
オートリキシャが出発するため向きを変えようとした次の瞬間、グイッ ! と後ろに束ねていたボクの髪の毛を誰かに掴まれた。驚いて背後を見遣ると、果たしてその中学生であった。が、オートリキシャはお構いなく出発。
数年前の米軍=多国籍軍のイラク進攻( 湾岸戦争 )以来の欧米先進国に対する排外主義的余波ってところなのかと勝手に納得してみたが、あるいはひょっとしてその中学生はイスラムの神学校生かも知れなかった。
所詮通過するだけの一旅行者に何が分かろう。
何しろ、ピンデイーは、二人の現職の首相( パキの初代首相・リヤーカト・アリー・ハーンとベーナズィール・ブット)が殺された地でもあった。
( 当時は、まだブットは大統領にすらなっていなかったけれど )
一キロもなかったコミッティ・チョークには直ぐ着いた。
5Rs渡すと、いや10Rsだ、あと10Rs払え ! と運転手が騒ぎ始めた。
もうお決まりの所作って訳で相手にもせず、さっさと先に向かうと、すぐ追いかけてきて又喚きだした。と、そこに学生の一団が通りかかり、運転手の罵声を聞きつけて側にやって来てたので、
「 この辺は、一キロぐらい走っただけで10Rsも取るのかい ? 」
と言ってやると、彼等はもう行って好いですよ、と答え、運転手と言い合いを始めた。長居は無用と、さっさとペシャワール行のミニ・バスに乗り込み、一路ガンダーラの古都ペシャワールへ。
やっぱし、ピンディー(ラワルピンディ―)に長居は無用 !
飼葉桶のワラと塵埃朦々たる、何よりも、軍事都市でもあった。( 現在は小奇麗なパキスタン第三の都市らしいって話だけど、・・・ )
1ドル≒40Rs。
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