«  小郷村的終戦譚  飼育 ( 1961年 ) 大島渚 | トップページ | 稲佐の幕末的揺籃 長崎ロシア遊女館 渡辺淳一   »

2021年5月 8日 (土)

カトリック的症候群 アリス、スウィート・アリス( 原題・コミュ二オン )

Alice-3  

 ( 連続殺人犯トレド―二夫人は、しかし、保守的で、年も50歳以上なのだが )


 あのブルック・シールズの処女作というので観てみた。
 《 アリス、スウィート・アリス 》( 1976年 )
 同年公開の《 タクシードライバー 》での少女街娼役で一躍有名になったジョディ・フォスターのライバル的存在だったブルック・シールズ。
 ジョディ・フォスターが庶民的なさっぱりした愛らしさキャラなら、ブルック・シールズは欧州的な香り濃い美少女というところ。只、やっぱしヤンキー娘的気風は拭えず、ゴシックな豊潤さってところまでには到れてないのが残念。
 それでも、彼女の血を遡ってゆくと、正に欧州貴族的退廃と芳醇色濃いようで、同じイタリア系のルキノ・ヴィスコンティあたりの作品に、演技力の問題はともかく、出てもおかしくなかったのではなかろうか。

 

 

 監督のアルフレッド・ソウルって初めて聞いた名だけど、比較的かっちり作られていて、隠れた、あるいはオタクたちにとってのスラッシャー系逸品でもあるらしく、1976年作品にしては余り古さを感じさせないサイコ系作品。
 サイコ系ではあっても、舞台がニュージャージーのカトリック系キリスト教小世界ってことで、古色蒼然とした雰囲気がドラマを盛り上げる。

 

 

 シングル・マザー=キャサリンの次女カレン( ブルック・シールズ )の、初めての聖体拝受( プリマ・コミュ二オン )の日、日頃から妹カレンを虐め、学校や近所でも悪戯ばかりして甚だ評判の悪い長女アリスの姿が見つからず、既に教会の礼拝室で待っていたキャサリンの姉アニーは苛立っていたものの当のキャサリンははなから諦めムード。
 初聖体拝受に並んだ少女たちの列の一番最後に長い蝋燭を手にした白装束のカレンがいた・・・式もたけなわ、ふと古参のシスターが礼拝室の入口奥から煙が漂って来るのに気付いて確かめに向かうと、奥の長椅子も兼ねたチェストから洩れていた。その蓋を開けてみると、果たして、そこには焼け爛れたカレンの屍体が横たわっていた。
 絶叫とともに、今まさにアリス( 既に受けているので並べないはずの )が長い舌を出してキリストの肉体=聖パンを受けようとした次の刹那、礼拝室は恐怖の悲鳴と絶叫で混乱の坩堝と化してしまった。
 

Alice-1

 ( さすがにまだ幼いB.シールズ。二年後の「プリティ・ベイビー」で一躍世界的スター・ダムに。)

 

 警察はアリスを最重要容疑者として俎上にのせていた。
 キャサリンの姉アニーもアリスを疑っていたが、母親のキャサリンは、事件の時、カレンの付けていたヴェールを隠していたのを見つけていたにもかかわらず、何としてもアリスに対する疑念を抱くことを拒絶し、普段通りアリスに接しつづけた。
 やがて、離婚し現在は他の女性と遠くに住んでいた元夫のドムが空港から駆けつけ、カレン殺しの犯人捜しに躍起になってゆく。
 アリスと叔母のアニーは日が経つにつれ一層諍いも激しくなってきた矢先、外出しようと階段を降りていたアニーの脚を狙って、黄色のレインコートを纏いハロウィンのプラスチック仮面を被った女らしい何者かが鋭利な包丁で幾度も突き刺した。叫び声を聞いたキャサリンが慌てて階段を駆け下り、小雨篠つく通りにまで這って逃げた血塗れのアニーを助け起こし、大声で助けを求めた。アニーは犯人はアリスと言い張った。

 

 

 アリスは警察でうそ発見器にかけられ、病院で精神鑑定を受ける羽目に。
 キャサリンはアリスを自宅に連れ戻そうとするするものの、カウンセラーは、経験から、自宅に連れ帰るのが必ずしもベストではないと断言。アリスのためにも今しばらく病院に預けることを選ぶ。
 ところが、今度は、ドムが、黄色いレインコートと仮面の女をア二―の小太りした娘アンジェラと思い込んで後を追って辿り着いた廃工場の上階で、黄色いレインコートを纏った何者かに包丁とレンガで襲われ、失神している間に身体を縛り上げられてしまう。気がついたドムに、その犯人は仮面を外して見せた。
 何と、トム神父の家に住み込みで働いていた家政婦のトレドー二夫人だった。
 彼女は、ドムとキャサリンのかつての婚前交渉や離婚をあげつらように、

 

“ この世界をさまよう悪魔や邪悪な魂の持主は地獄へ落ちればいい ! ”

 

と呪い言葉を吐きちらし、ドムを上階から真下に放り落とし殺害する。

 

Alice-2

 ( 反抗的で屈折した姉アリス。マリア像に何を見ているのだろうか?  )

 
 トム神父の家を訪れたキャサリンに、住み込み家政婦のトレド―二夫人がキッチンで珈琲をすすめ、カレンと同様に初聖体拝受の際に亡くなった自分の娘の話をしながら、結局親の罪はその子供が贖うことになると唾棄し、これ見よがしに魚を幾度も切りつける。
 戻って来たトム神父にキャサリンが玄関に向かい、元夫のドムが殺害された報を聞かされた途端、トレド―二夫人は激しく魚を包丁で叩っ切り、その血で塗れた手をエプロンでこれみよがしに拭って見せる。
 キャサリンの叫び声が響き渡る。
 その如何にも意味ありげな魚捌きのシーンは、やはり、キリストを暗示する《 イクソス 》=魚から来ているのだろうか。

 

 

 キャサリンとアリスがアニーを見舞に向かうのと入れ換えに、アパートの裏口から黄色のレインコートと仮面のトレド―二夫人が包丁の入った紙袋を手に忍び込む。 今度は、大家の巨漢アルフォンソが、アリスの仕掛けた悪戯で驚き、慌てて部屋の外に飛び出して、階段でトレド―二夫人と鉢合わせ。アルフォンソはその格好を見ててっきりアリスと思い、ひっ捕まえようとする。が、素早くトレド―二夫人は包丁で巨体の胸を二度刺す。悲鳴を上げてアルフォンソは自分の部屋に逃げ戻る。アパートの前で見張っていた刑事が駆け込んできて、逃げ去る黄色いレインコート姿の夫人を横目に、アルフォンソの部屋に突っ走った。が、アルフォンソは既に息絶えていた。

 トレド―二夫人は自宅に戻ることなく、そのままのいでたちで教会に現れた。
 既に警察が張り込み、トム神父たちも事情を知り、刑事がトレド―二夫人を即逮捕しようとするが、トム神父は教会の中だからと断り、自分が説得しようとする。礼拝室では既に信者で溢れていて、最前列の聖体拝受の列に並んだキャサリンやアリスの横に、他の信者を押しのけて坐る。キャサリンも聖パンを舌の上に貰い、次のアリスの番になった次の刹那、トム神父が司祭を急かし、アリスを飛ばし、その次のトレド―二夫人の前に到り、トム神父があなたには上げられないと、小声で囁き、警察も待っていると自ら教会を去るように諭す。
 と、夫人は背後に振り向き、拝受を終え自分の席に着いたキャサリンの方を指差し、叫んだ。
 “ あの売女にはあげたくせに ! ”
 尚説得しようとする神父の首に、紙袋から取り出した包丁で横から一突き。
 たちまちトム神父の首から真っ赤な血潮が溢れだし、さながら礼拝室は罵声と叫喚の巷と化してしまう。夫人の真横で、聖体拝受を飛ばされたまま、その事件の一部始終を目撃していたアリスは、混乱の最中、いつの間にか夫人の紙袋を手にし、中に隠したトム神父の血に塗れた包丁を確かめ、意味ありげな表情を浮かべ、映画は終わる。

 

Alice-4

 

 ウィキペディアのスラッシャー映画の定義によると、

 

 “ スラッシャー映画は、過去の過ちがその記念日にひどいトラウマとして呼び起こされ、それが殺人鬼を刺激して殺人に駆り立てる ”

 

 この映画も正にその定式通りに、カトリック信者にとっては一生に一度の初聖体拝受の秘蹟の日が、殺人鬼トレド―二夫人のトラウマ的錯乱を惹起し、連続殺人を繰りひろげてゆく。
 かつて彼女の娘も初聖体拝受の時に死亡したという。
 しかし、一体如何なる事情でどんな風に死んでいったのか、何者かに殺されたのか、あるいは何らかの事故による死だったのかは伏されたまま。
 まあ、こりゃ、所詮ドキュメンタリーとは異なる虚構・創作の、それもエンターテインメント映画に、直截に踏み込んでも始まらないのは当然で、虚構の被膜を周到に吟味・検証する他なく、この一連のキャサリンを中心にしたコミュニティー内殺人事件以前は果たして如何だったのだろう等と、この映画で提示されてない事柄を問うても意味はない。
 それでも、やっぱし、この映画の時代設定は1960年代らしく、夫人は五、六十歳代なので、逆算すると二、三十年位い前となると、戦争の影もちらついてきて、好奇の念も起きて来ようというもの。
 おまけに、親の罪はその子供が贖うことになると呪句めいた言葉を吐き捨てているのからすると、イワク因縁の赤い糸が幾重にも絡んでいかねない・・・トレド―二夫人がずっと独身を貫いている原因もそこら辺に端を発しているのかも。
 
 
 何時頃から、トレド―二夫人は、同じ屋根の下で起居を共にしてきた一世代若いトム神父に心を寄せるようになったのだろうか。
 つまるところ、彼女の葛藤の内には、熱愛するトム神父が主であって、彼とキャサリンの接近・熱愛は、彼女からトム神父を奪うもの。それに自分は前夫と別れてから後ずっと寡婦としての立場を堅持してきているにもかかわらず、あの売女キャサリンはといえば、前夫と別れるやいなやさっそく他の男、それもよりによってトム神父を悪魔の手練手管で誘惑し自らの爛れた欲望の生贄にしているのだ。
 そんな魔女の産んだ小娘カレンが、おぞましくも神の家で、初聖体拝受の秘蹟にあずかろうとしていたのだ。
 が、キャサリンの娘カレンに残虐なやり方で死という罰を与え、母親キャサリンの罪を贖わさせたにもかかわらず、尚もトレド―二夫人の復讐の刃は止まることもなかった。カレンやアリスの父親ドム、そしてとばっちりを受けた大家の巨漢アルフォンソまで殺され、最後には最愛のトム神父までも手にかけてしまった。
 こう見てくると、このキャサリンを中心とした系の殺人行って、トレド―二夫人の謂う“ 親の罪はその子供が贖うことになる ”=初聖体拝受的トラウマは、随分とその根源性が希薄なものになってくる。
 むしろその根源にあるのはトム神父への熱愛、というより偏愛というべきか。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの、巷に溢れている痴情沙汰系の怨恨の力学って訳で、カレンやアルフォンソ、アニーもいい迷惑。

 

Alice-7 

 ( タイトルが「ホーリー・テラー」となっているが、B.シールズが世界的に有名になったのにあやかって、別のタイトルをつけての再登場ってとこらしい。)

 

ところが、どういう訳か、聖体拝受の神のパンを常に貰いそこなっていたアリス、つまり神が祝福を与えるのを拒んだ形になるアリスって、私怨の塊と化したトレド―二夫人の刃の犠牲どころか、標的にすらなっていなかった。
 むしろ、黄色のレインコートと半透明なプラスチック仮面を付けたアリスに悪戯さえされ、怒っていたにもかかわらず。
 まさか、アリスに自らの罪=殺人罪を押し付けるために手を出さなかったのだろうか。要するに、アリスを刃ではなく、冤罪という“刃”で陥れる復讐の一環としての計算ずく ?
 けど、画面上のトレド―二夫人ってそんな賢( さかし)らな風味は微塵も感じさせない、もっぱら私怨の虜と化した暴力衝動ばかり。しまいには、加速的暴力衝動の慣性に抗うこともなく、最愛のはずのトム神父をまでグッサリと刺殺してしまったぐらい。むしろ首から鮮血を迸しらさせるトム神父の頭を抱き法悦の境を決め込んでいたりする。
 これはもうこの手のスラッシャー=ホラー映画の定石、今度は、惨憺のトラウマを深く刻印されたアリスが、神から見放されたアンチ・キリストの申し子として、カトリック的仮面と衣裳を纏いながら、トレド―二夫人以上の新たな初聖体拝受的惨劇を成就しようとするのだろう。

 

 

 この映画の二年後、仏国のルイ・マル監督が米国で撮った《 プリティ・ベイビー》に少女娼婦として出演したブルック・シールズ、一躍世界的なロリータ的偶像となってしまうのだけど、このアルフレッド・ソウル監督の《 アリス、スウィート・アリス 》の続編が作られたという話はなかったようだ。
 それにしても、この手の深刻なトラウマによるスラッシャー的殺人行って、戦前の我国でも、先鞭をつけた感のある大正12年の大泉黒石・原作の《 血と霊 》( 日活向島 )や同じく大泉黒石の短編小説《 黄夫人の手 》なんかとの相似性にあらためて想いを新たにしてしまう。

 

Alice-6

«  小郷村的終戦譚  飼育 ( 1961年 ) 大島渚 | トップページ | 稲佐の幕末的揺籃 長崎ロシア遊女館 渡辺淳一   »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

2026年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

フォト

  • フォト蔵

昆明・旧市街

逍遙遊片

  • 20070702100005
    三千世界の逍遙遊片
本コンテンツをご覧になるには、Flash Playerプラグインが必要です。FlashのWebサイトよりインストールしてください。

上海の弁護士・公認会計士・税理士