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2021年5月22日 (土)

稲佐の幕末的揺籃 長崎ロシア遊女館 渡辺淳一  

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 ( 長崎駅前から港湾を距てた向うに佇む稲佐山。細い尾根にテレビ塔が何本も立っている。)

 

 万延元年( 1860年 )6月、停泊中のロシア艦隊から、丸山花街に水兵達を登楼させたいと、長崎奉行所に申し入れがあった。
 盗賊方改め・中村吉兵衛が、折衝役として、奉行所に任命された。
 そもそも異国人が10人以上纏まって花街・遊女屋に赴く際は、予め長崎奉行・盗賊方改めに、通詞を通して申し込むきまりになっていたからだが。
 今回の、ロシア艦隊は、なんと100人 !
 昭和なら、軍用トラックに分乗しての登楼ってとこだけど、幕末のロシア水兵達は隊列を作っての徒歩だったろうか。この短編はあくまでフィクションで、主人公の盗賊方改め・中村吉兵衛って架空の人物っぽいが、あくまで史実に則っての物語なんだろう。
 

 

 20年近く前、カンボジアはアンコールワットの街で有名なシェムリ・アブに滞在していた或る夜、停電は普通でまだまだ闇の多かった雨上がりのぬかるんだ赤土の淋しい通りを、涼みがてらほっつき歩いていると、微かな光を発する小さな裸電球の並んだ鉄柵のある屋敷の前に差し掛かった。
 突然、その真っ暗な庭先から、現地人の女の声がし驚いてしまった。
 その頃、ポル・ポト体制から脱してそれ程歳月も過っていないまだまだ誰もが食べてゆくのに必死な頃で、カンボジア中に娼館が林立していたのだけど、そこがその娼館の一つだった。
 一応手を振って断り、先へ向かった。
 と、すぐ背後から大きなトラックが二台ゆっくりやってきて、その娼館の前で停まった。その次の瞬間、その軍用トラックの荷台に溢れんばかりに乗っていた地元の兵士達が、次から次へと飛び降りはじめ、その暗い娼館へと這入って行った。
 呆気にとらわれながら、しばし立ち止まって見入ってしまった。
 日本軍や米軍兵のそんな集団買春は知識としてあったものの、その時初めて自身の両の眼で目撃することになった。その少し前に、自衛隊がカンボジアに派遣されていて、彼等も同様に登楼していたような話をパッカーから聴いたことがあったけど、正にそんな風に闇に紛れて軍トラでやって来てたのだろうか。
 

 

 渡辺淳一ってかつては結構流行っていた作家らしく、とりわけ女性に人気のあった作家だと記憶している。一度立ち読みくらいしたことあったのかも知れないけれど。
 《 長崎ロシア遊女館 》は、巻頭の1篇だけで、他の4篇は長崎以外の場所が舞台。
 幕末から明治の日露戦争まで、長崎の中心地の細い湾を距てた向かい側に標高333メートルの稲佐山が佇む一帯=稲佐に、ロシア海軍の補給・保養( 射撃場まで備わった )基地があり、そのロシア将兵のための遊女館も作られていて、地元住民達とはかなり親密な関係に在ったらしい。
 現在は、長崎市内に入ると、細長い港湾の向うに、幅の狭い尾根沿いにテレビ局のアンテナ群がへばりついた濃緑にこんもりと佇んだ稲佐山が壁の様に迫って見えるけど、その麓に拡がったエリアに、かつては、ロシア将兵相手のレストランや遊技場を備えたホテルまでが林立し賑わっていたらしい。ロシア語の堪能な評判の女将の名はロシア本国まで知れ渡っていたという。要するに、ロシア海軍御用達に特化されていて、地元住民もロシア将兵と日常的に係わり、それなりの会話能力ももっていたのだ。
  ロシア系の大泉黒石はその頃まだ少年時代にあって、娼館もあるってことで、彼の祖母が訪れることを許さなかった可能性も強い。知っている限り、彼がその当時の稲佐を訪れたという記述は聞かない。

 

 

 もともとは、稲佐は貧しい漁村だった。
 そんな中心地から少し離れた稲佐に、長崎奉行は基地を作らせた。
 南山手の異人居留地や船で入港してきた欧米人達は、有名な丸山や寄合町の遊廓に赴いていたものの、数の多いロシア海軍将兵達の場合、軍医が先ず、性病、つまり梅毒予防のための検黴( 梅毒検査 )の実施を迫った。その少し前に、英国側も検黴を要求していたのだが、幕府側も遊廓・芸妓娼婦側も、品性にもとる、死んだ方が増し的屈辱として拒絶した。
 担当責任者・中村吉兵衛は、既存の丸山や寄合町の芸妓娼婦の余りの頑なさに断念し、地元稲佐の女達に、貧しさから抜け出る手段として娼婦を勧めることにした。但し、一応長崎での慣例として、応募してきた女達を、丸山町の遊廓に一旦預け、そこで娼婦的基本を習った後、稲佐の遊興所=ロシア・マタロス休息所に貸し出すという態をとることにした。

 

 このロシア海軍専用遊興所での一番の懸案が、検黴であった。
 稲佐の番茶も出花世代から年増世代までの素人女達といえども、あけすけに今風の局所検査等しようものなら故に、紅白の垂れ幕で、下半身から向うで誰が何をしているのか皆目不可視の状態を作って、丸山からやってきた遣りて婆が両足を開き、ロシア海軍軍医がそこで器具を使って検査をしているとは悟らさせないようにすることで、何とか40人の女達の検黴は終えることができた。
 これが日本における検黴( 梅毒検査 )、つまり“ 陰門改め ”の最初であったという。

 

 

 「 中村吉兵衛は遊興所開設によりようやく退任を終え、一ヵ月後彼本来の仕事の盗賊方に戻った。
 だがマタロス休息所が出来た半年後の文久元年三月の夜、稲佐に通じる街道の中程で、何者とも知れぬ者にうしろから切りつけられ、屍体は翌日、浦上川が長崎湾に注ぐ河口に浮かび上った。」

 

 

 同じ盗賊方の同僚達の必死の捜索にもかかわらず、犯人は杳として見つかることなく、迷宮入りとなった。
 排外主義的な攘夷派の仕業なのだろうか。
 それとも封建主義的な守旧派 ?
 それとも・・・

 

 
 《 長崎ロシア遊女館 》 渡辺淳一( 講談社 )

 

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