怪奇小説 一體二心物語 大泉黒石
《 中央公論 》以外のあれこれの雑誌に書いた大泉黒石の小説( 著述類 )って一体どのくらいあるのだろう ?
北明のエロ・グロ系の雑誌の大まかは分かってるけど、婦人雑誌・少女雑誌・探偵推理系あるいは経済系にすら及んでいて、今回の《 雄弁 》って読んで字のごとし、弁論・演説が基本なんだろうが、さすがそれだけじゃ味気なさ過ぎってことで絵画の色刷りの織り込みや小説等の文化系要素も含んでいて、一般総合雑誌の態。
この号は、“ 新年特大号 ”と銘うっているので、普段はもっと薄いのだろうが、山川均や平林初之輔、白柳秀湖等のプロレタリア系や元プロレタリア系、当時の大衆小説の御三家の一人・中村武羅夫、もっともそれらしい北一輝の実弟・北昤吉の名も連なっている。
大泉黒石の名は小説陣のトップに、
《 怪奇小説 一体二心物語 》 (丹羽黙仙・画)
とある。
大正15年といえば昭和元年でもある。
束の間の大正デモクラシーも終焉し、暗い軍国主義の時代と謂われる昭和の始まり。碧眼の黒石、いよいよ逼迫の傾斜も度を増しはじめる時節のとば口に屹立していたのだろう。
挿絵つきで本格的な短編なのか、と幾分の期待を胸に読み始めると、ふと、デ・ジャ・ヴに似た既視感に囚われてしまった。
「 深い緑の丘
真っ白い壁
瓦や木葺や茅の家
みんな一緒に塊っている。」
この出だしの頃はまだよかったけれど、
「 それは、九州の西の果に夏が来ると、いつも、目の醒める様なピンクの三角帆に、風を孕ませて走るヨットや独木舟(カヌー)や、白いスカートをまくり上げ、足の先で水を嬲りながら、舵をとっている西洋婦人の姿が、あの若い孔雀が翼をひろげた様に、・・・」
足先で水を嬲るというフレーズ、これはボクの記憶に明瞭に《 血と霊 》の出だしのシーンとして刻印されていた。あれれ、《 血と霊 》は大正12年の関東大震災直前の7月に発刊されていたはず。何ゆえに、この大正末年新年号《 雄弁 》誌上に相似したシーンが・・・
その後、シーボルト邸跡にシーンが移って、
「 ・・・ナラヤナの涅槃でも敷きのべたように美しい・・・」
このフレーズ・シーンもよく覚えていて、旧作の別バージョンか導入部分だけを流用して新しい物語でも展開してゆくのかと困惑と期待のアンビバレントな想持ちにしばしゆらいでしまった。
やがて、閨秀画家・杉貞子とその乳母、美麗な小函と、完全に《 血と霊 》と相似な展開に、さすがにこれは違うなと、ネットで国会図書館蔵の《 血と霊 》をチェックしてみると、果たして、一言一句そのまま。只、
「 まあ何ていい気持ちだろう !
想像してごらんなさい。
深い緑の丘・・・ 」
と、19世紀のロシア人作家イヴン・ゴンチャロフが長崎を讃えて作った冒頭の唄の2節が排除され、巻頭にある【 プロローグ 】も削除されていている。いわば、本体だけって態。
迂闊にも直ぐに気付かなかったが、国会図書館蔵の《 血と霊 》は、3~18頁まで欠けていて、その空白の部分が何とこの《 雄弁 》掲載の《 怪奇小説 一體二心物語 》では、ちゃんと活字となって認められているのだった。
長い間、諦めていたこの空白部分が、ひょんなことからやっと明らかになったという訳だ。 当初は2ページだけ破られるかして欠損( 実際にネット画面上に表示されているのは表・裏の1枚分だけの空白)しているんだろうぐらいにしか思ってなかったのが、今日、改めて確認してみると、10頁以上も欠損していた。自身の迂闊さに驚いてしまった。
( 草叢に斃れた娘 明治・大正・昭和の挿絵画家・丹羽黙仙=礼介の挿絵。経歴が余りはっきりしない画家のようで、関西から東京に出て来て、明治二十九年に東京美術学校に洋画科が新設された際の一期生という。生活優先なのか画家活動より挿絵の方に重点が置かれていたようで、画壇的消息に乏しく、彼の軌跡を追うのが至難らしい。)
その空白部分において、以前は皆目想像もしていなかった、冒頭のシーボルト邸跡の空地一杯に咲き乱れた花々、花絨毯の花を採りにきていた女中連れの娘が、実は、そこで胸を刺され血塗れになって殺害されるシーンが、早速、展開されていたのだった。
「 ナラヤナの涅槃でも敷きのべたように美しい其邸の庭には、・・・・・・此の草叢の中には、そのときに限って、先刻の娘さんと女中のほかに誰もいなかったと云う事で、女中は、娘さんが蹲( しゃが )んでいる場所から少し離れたパラソルの蔭で、これも頻りに花を摘んでいると、不意に少女の悲鳴が聞こえたので、女中はびっくりして立ち上がると、すぐ目に映ったのは、草の中に打ち倒れている娘さんの姿なのです。そこには、昔の阿弥陀塚が立っているきりで、人影はさらにありませんでした。慌てて娘さんの側へ飛んで行った女中は、恐ろしさのあまりに立ちすくんで了ったのです。娘さんの白い浴衣は血に汚れ、ほだけた胸には、何かしら鋭いもので抉られた心臓が、恐ろしく大きな赤い口をパクリとあけていました。」
「 其の翌日の夕方。これもまた、ある家の未亡人が墓参に出たきり帰ってこないので、家の者が探しに行くと、未亡人は、夫の石塔の台に腰かけたままいかにも苦痛に堪えきれないと云ったような、冷たい蒼ざめた顔を垂れて死んでいたのでした。抱くようにして胸を押さえている両手ーーー一方の中指には2つの指環が輝いて居り、一方の手首には立派な腕時計をまきつけたその両手をのけると、どろどろに凝った血のりの下から、やはりこれも鋭いものに刺しぬかれた心臓が、砕けた柘榴のように覗いているのでした。彼女は五十に近い夫人で誰に恨みをうけるような性でもなければ、また何一つ盗まれてもいないのでした。」
「 その翌る晩のことです。この町の居留地の入口になっている阿弥陀坂と云う湿っぽくて仄暗い切通しを、スタスタと歩いていた西洋婦人がふと立ち停ったきり、夜があけても動かなくなったと云うのです。で、この坂は、その真上にカトリック女学校のある崖を開削したものだから、いつもシトシトと水が垂れ落ちていますが、西洋婦人は赤いリボンのついた盛装のまま、パラソルを仗にしながら、崖壁によりかかり、その前を、ゾロゾロと通りぬける女学生たちをぢっと眺めていました。ところが、滴りおちる水のために靴を辷らして、どかんと倒れたので、びっくりした女学生たちが、寄ってたかって抱き起こし見ると、彼女は生きた人間ではなかったのです。胸からだらりと下がっている、赤いリボンは、傷だらけの心臓から流れる血のために、赤く染められた飾り紐だとわかりました。彼女は殺されていたのです。この三つの物凄い出来事は、あとからあとからと引きつづいて、街の人たちを驚かせた悲劇の前ぶれとなり、穏やかな港町の、明るい空気はだんだんと暗い影に蔽われて来ました。」
欠損部分のある国会図書館蔵を前提として《 血と霊 》を解釈してきていたので、多少の修正は不可避となろう。
とりわけ、四方田犬彦も指摘していた“ 赤 ”が、おどろおどろしくも艶めかしくこの物語の根源的イメージとして圧倒的に迫って来る。
単なる刺殺として描くのではなく、大きく切り開かれた胸の奥に覗いたまだ鼓動しているかの如く紅蓮に染まった心臓という血塗られた妄執を越えた赤色的結晶、つまり赤い血の根源=心臓を暴くような刺殺それ自体が、紅玉に憑かれた宝石商・鳳雲泰の美それ自体の追及として描出されている。
赤=血、それは又、死と再生をも意味する。
それに何よりも、元々長崎自体が、赤い玉を意味する瓊(たま・けい)に因んだ【 瓊浪浦 】、【 瓊之浦 】等の古称をもっていた。( 現在も瓊に因んだ地名があちこちに残っている。)
( 同じ出版社から出されている『 キング 』の広告。前年の一月に創刊。雄弁会って講談社の前身で、社長の野間清治が立ち上げたらしい。)
「 人々の心は異様に戦慄が漂って来ました。この不思議な災厄に対するその筋の判断は、迷いに迷い、とりとめのない様な馬鹿気きった風説さえ伝わるのでした。その時のびくびくした心もちをはっきりとお話することはとても出来ませんが、兎に角、これは只の災難ではない。昔噺しかそれとも探偵小説にある様な人間の血を探し廻る狂人か或いは背信教の仕業ではないかと、真面目に考えた人もある位でしたが、幾ら蝙蝠のように昼間は潜み隠れ、夜が近づくと巧みに現れる狂人か背信教にしろ、少し変わった者だと、じきに注目される此の狭い港町だ。」
「 その頃、丁度、日本の兵が青島( チンタオ )を攻めていたので、ある人の臆説のように、これはきっと、独逸( ドイツ )の兵が、港の海底潜航艇か何かでもぐり込んでいるが、夜になると、こっそり上陸してやるのかも知れないと云うのも尤もではあります。なるほど悪魔の様に悪智慧があって、仕事にかけてはいつも、素敏( すばし)っこく残忍なのが、独逸兵の持ちまえだとばかり信じている矢先の事ですけれども、独逸の兵が、たとえ海の底に潜んで居様と、人目につかず、岸から街へ、路から路を辿って跳び廻るなどとは、夢にも思われない事です。」
1914年(大正3年)第一次世界大戦の一環としてアジアにおけるドイツの拠点・青島を日本軍が攻撃したが、この物語の時代設定が同時代ってことで、黒石の父親の故国ロシアに対するドイツの攻撃、シーボルトの故国であるドイツと日本の戦争等の要因を念頭にすると、のっけからのシーボルト邸跡での殺人事件ってのが、些か牽強付会に過ぎるかも知れないが、了解できてしまう。
この青島のエピソード、国会図書館蔵の《 血と霊 》には字面になかったので当り前だけど、曖昧な時間性の上で了解してたのが、第一次世界大戦勃発以降と明示され、のっけからのシーボルト邸跡にはじまる連続事件をも併せると、以前より物語の印象が、大部メリハリの利いたものになってきた。
因みに、本題とは些かずれるが、黒石の父親アレクサンドル・ S・ワホーヴィチに少し係って来る事柄で、幕末から長崎の中心地と長細い港湾の向かい側の稲佐にロシア海軍の補給基地があって、ロシア士官用の遊廓( ロシアマタロス休息所 )まで設えられていたという。明治36年まで存続していたらしく、黒石は明治26年生れだから10歳頃までちょいと足を延ばし浦上川を越えれば稲佐の基地に赴けた。江戸幕府の時節ならともかく、明治維新後はロシア兵も長崎市内には入れたろうから、黒石少年もロシア水兵や将校の姿を眼にしたりロシア語を耳にしたりしたことはあった可能性が強い。
稲佐じゃ明治前半頃までは、子供たちすら、片言のロシア語を喋れていたほどだったという。丁度太平洋戦争が終わった終戦直後、日本に駐留していた通りすがりの米兵に子供たちが「へイ ! GI ! チョコレート、チューウィンガム」とねだっていたのと同様なのか、それとももっと積極的に踏み込んだ簡単な会話レベルのものだったのか。
ネットなど見てみると、どうも当時はロシア語の看板の店すらあったらしく、ロシア水兵・士官たちで結構賑わい、住民も好意的で、本当にロシア語会話もそれなりに出来ていたようだ。ロシア士官たちが日本人娼婦=洋妾(ラシャメン)と“ 結婚 ”( 稲佐滞在期間限定らしい )するのが流行ってもいたというのだから、ロシア士官等にとっては、稲佐は、憧れの正にパラダイスだったといっても過言ではない。そんな“ 妻帯 ”ロシア人たちが稲佐の街中を着物に下駄ばきで闊歩していたというから、黒石風の氾濫ってところか。そんな光景、港湾を距てた向かいの欧米人達の瀟洒な居留地じゃ先ず見られなかったろう。
そんなロシア海軍将兵達と住民(洋妾たちも含めて)たちが共存共栄する“ロシア村”=“オロシャ租界”故に、大浦の欧米の外国人居留地の人間が入って来ようとすると、断固としてロシア人たちは阻止したという。何としても、自分たちロシア人だけの聖域・パラダイスを侵されたくなかったに違いない。
中国人街に外国人居留地、それにロシア村、正に長崎はコスモポリタン港だった。
それにしても、黒石、何故に数年前に一度出版した作品を、今度は文芸誌でもない言論雑誌なんかに分載しようとしたのだろう。
やっぱし、出版して一月ぐらいで未曽有の関東大震災が勃発し東京及び近辺が焼ヶ原になってしまったからってことか。映画の方も、結局、試写会が一度ッきり葵館で実施されただけで、陽の目を見ることもなかったのだから。
《 雄弁 》 大正15年新年特大号
《 怪奇小説 一體二心物語 》 大泉黒石
《 血と霊 》 大正12年7月15日発行( 春秋社 )
映画《 血と霊 》 日活(向島) 制作は、1923年6月~7月。大正12年8月15日葵館で試写。9月1日関東大震災。
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