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2021年7月 3日 (土)

令和的痕跡 門司港 2021

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 関門海峡が形成されたのは意外と最近で、約6000年前という。
 この地に、それらしき古代の記憶的断片ともいうべき言説が残っているのも頷ける。
 水深は航路上は12メートルぐらいで浅く、ゆくゆくは14メートルぐらいにする予定らしい。
 

 門司港は、太平洋戦争で米軍に対岸の下関とあわせて米軍の絶対的標的となり、日本本土に投下された機雷の半分近くが関門海峡に落とされ、且つ焼夷弾によって焼野ヶ原にされてしまった。奇跡的に焼け残った大正・昭和初期の頃の民家も、四分の三世紀を過ぎ、そのほとんどが建直しでなければ改修されてしまって当初の面影は残っていようもない。(例外的に岩田酒店は家族によって何とかその姿を保ち続けているようだ。)

 

 それでも、土塀剥き出しの正に昭和の家も、その表面を近代的表具で蔽ったりした家屋も、まだまだこの地には残っていて、自民党=アベノミクス的凋落がコロナ禍で一層折れた櫛歯状の街並みのふとした一角に、あるいはずらりすっかりその朽ちた姿を露呈させている。通りからちょっと入ると、もうそこには、生活的息吹の杜絶したのを証すように緑色の自然の息吹が己が復権を果たさんとばかりすべてを蔽い尽くそうとする光景が拡がる。

 

 
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 細い小路に面した石段を登ってゆくと、井戸のある中庭をぐるり囲饒した家屋群のある一画に到る。

 朽ち果てた廃屋群とばかりと決めつけていたら、ちゃんと住民らしき姿もあったりする。
 平成=アベノミクス的典景だ。
 昭和的感覚で、まさかこんなところに決めつけていると、果たして、朽ち蔦葉に蔽われた家屋の玄関から、普通に住民が出入りしたりする平成的光景。バイタリティーというより窮乏的馴致と呼ぶべき。令和はというと、そのいかにも風のイカガワしい年号命名の時から予測されていたとはいえ、低劣悪辣の極みの東京オリンピックとコロナ禍のファンファーレで始まり、今後いかなる末期的愁嘆場あるいはミレニアム的惨状を呈すのるのやら。

 例えば、全国中に蔓延する空家・廃墟群、元々はこの国の為政者・企業がゴリ押ししてきた論理的帰結でしかないのにもかかわず、責任を取るどころか、逆に更なる悪辣的策動を被害者ともいうべきそれぞれの理由で放擲せざるを得なくなっていた所有者に謀らむ始末。それは不動産・建設業者たちと結託した一層なる悪辣。二極化を極めた先は・・・

 


 以前はこの石段に猫が群れていた。
 通りかかると、ボス猫なのか親猫なのか、他の大小の猫たちが石段を駆け上がって逃げてゆく中、じっと、警戒というよりむしろ敵意をすら剝きだしてこちらを睨みすえていた。これって、いつぞや、ちょっとも少し郊外のバス停のそばから奥に続く小規模な住宅エリアの小道を辿って行った一番奥の民家の前庭に、赤毛に蔽われた大きな猪の群れに遭遇した際、やはり慌てて背後の竹藪に逃げてゆく群の前で一匹微動だにせずじっとこちら側を睨み据えていたでっかいボス猪と同じ所作だった。
 茶色じゃない、全身を蔽ったふさふさした赤毛がいかにも原色の野生を想わせたので印象的だった。
 その野生なのか群猫たちも、余りに増えすぎたからか人間達に処置されたのだろう、いつの間にやら姿を見なくなって久しい。

 角の今はわずかな空地も、ついこの前までは、緑蔽う廃墟が佇んでいたのが、倒壊の危険故にか撤去されてしまった残影。やがて、周囲とすっかり溶け合った違和感のない敗残的緑地帯となってしまうのだろう。

 

 

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 右側に覗けている褪せたアパートは比較的最近閉鎖された。

 すぐ背後のすっかり蔦に蔽われ尽くした別棟と併せて一つの団地として建てられたものらしい。

 畑田団地と呼ばれ、背後の廃墟棟は、数階建ての低層棟で、そもそもの立地の不便さ故にか早々と閉鎖されたようだ。

 大部(詳細不明)以前、豪雨の際に、背後の小山が崩れ落ち、麓の小神社が潰れたことがあったという。その際、その神社のすぐ真下にあるその

低層棟が、山崩れの潜在的危機に晒されるのを危惧しての廃棟だったかも知れない。

 中央の朽ちたトタン屋根の廃屋群、上記の群猫の集落と左端で隣り合わせていて、それこそ、戦後焼野ヶ原からの取りあえず復興がそのままなし崩し的に貧窮的常態となってしまった風。

 戦前戦後のこの国の行政的無能・不能・無責任の金字塔とも謂うべき。

 ふと、もう十年近く前になるのか、このブログでもちょっと触れたこともあった、生活保護受給をこの地の役人輩が、何を勘違いしたか自分の懐具合に係わっているかの如く頑なに拒絶し門前払いし、結果何件もの餓死事件を起こしたを思い出した。問い質そうとしたテレビ局の記者達を、件の役人輩が黄色い牙を剝き出し口角泡を飛ばして追い出した映像が甦ってきた。

 因みに、その背後の保林的廃残の典型ともいうべき鬱蒼と蔦葛繁茂する小山に、最近猿が出没したという。

 早朝の街中でも出されたゴミを漁りにやってくる猪に関する警告の貼紙を見かけるようになって既に久しいけれど。

 

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 かつて北前船的栄華のほんの一端であったらしいもののそれなりに栄えていた山と海辺に挟まれた狭隘な一角、田野浦。

 幕末には維新の戦乱にもろ巻き込まれ、押し寄せてきた長州藩勢に焼き討ちにされ、時期が時期だけに復旧に随分と時間がかかったようだ。 

 大きな帆を掲げた北前船が船体の整備のために立ち寄ったりしたらしく、当然に船頭達は酒と女ってことで、造り酒屋と妓楼が何軒かあったという。維新になって、鉄道も敷かれ、北前船がもはや存在価値がなくなって、自然この小さな町も衰退していった。そこで亡くなっていった遊女達の墓がその山の中腹にもあって、巡り巡って、現在かなり離れた門司港側の小山の中腹にある寺院に移され、ずらり蝟集し、海峡の入口を向いて佇んでいる。

 その山の遊女達の墓があった附近は、この家の如く、完全に廃墟と化した神社ともども荒んだ廃残的姿態を呈している。

 

 

 

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