スプリ―・キラーon the highway 《 ヒッチ・ハイカー 》( 1953 )
以前観た欧州の香り漂う怪優・ルトガ―・ハウワーが演じたエキセントリックなヒッチ・ハイカーがなかな印象的だった《 ヒッチャ―》The Hitcher(1986)の元のオリジナル作品があるというので、YOUTUBEで捜すと、既に版権もないパブリック・ドメイン映画として提供されていた。
RKOという初めて聞く名の映画会社、しかし、かつては二十世紀フォックスやワーナーと並ぶ米国の五大映画会社の一つであったらしいそんなことを含めての、1950年代の些かレトロな雰囲気の白黒映画。
1951年に実際に米国で起きた連続殺人Spree killer事件を元にしたサスペンス映画で、監督が当時売り出し中の女優・アイダ・ルピノ。戦後既に米国で女性監督が活躍していたとは知らなかった。
作りは現在から観ても悪くなく、ルトガー・ハウアーやショーン・ビーン演がじた時代状況を反映したエキセントリックなスプリ―・キラーのヒッチ・ハイカー、通称ビリー・クックに較べると、むしろオーソドックスにさえ見えてしまうウイリアム・タルマンのリアルなヒッチ・ハイカーも白黒画面の中で絵になっている。
モデルの本家スプリ―・キラー=ビリー・クック、実際に犯した殺人事件は二件で、イリノイからアルバカーキに居る双子の兄弟に会いに向かっていたカール・モッサ一家(5人)とシアトルからやって来たセールスマンのロバート・ドウェイ(1人)。
最後の、メキシコで、銃弾を受けることなく無事警察に救出された、猟に行く途中の二人連れ、ジェームズ・バークとフォレスト・ダムロンの事件を基軸に据え物語は展開してゆく。
プロローグではハイウェイに佇むヒッチャーの下半身だけしか写さず、やがてカップルの乗ったオープン・カーに便乗ということになって、早速目的地で降り立って女の悲鳴と銃声2発。
モノクロ映像が冴える。
“ ヒッチ‐ハイク スレイヤー ”、新聞に派手な活字が躍る。
この車のナンバープレートに“ ILL ”とあり、イリノイ州ナンバーならば、一家5人が乗った変哲もない青のツー・ドア=シボレー。監督のアイダ・ルビノ、ここはオープニングってことで、颯爽とオープンカー=カップルってことにしたのだろう。
その次はセールスマンのロバート・ドウェイらしき人物が彼を乗せ、殺害される。何処かへその屍体を棄て、金目のものだけ奪ってセールスマンの車に乗って去ってゆくヒッチャー。と、何処かのハイウェイの片側にその車を停め、エンコした態でその車の前に佇み、次をヒッチ。
それが件の、家族を騙して、メキシコへ向かう猟好き二人組の乗った車だった。 最初二人はメヒカリだサン・フェリペだと談義していたのが、つい先っきセールスマンを殺害したばかりの、下手すると硝煙の匂いすら微かに漂わせていかねない32口径リボルバー・コルトでバック・シートから狙いすましたスプリ―・キラー=クックに乗っ取り=カー・ジャックを言い渡されてしまう。
白黒画面独特の迫力が好い。
けれど、普通に.38スペシャルの口径のリボルバーを見慣れている眼からすると、当時はその移行の境目の時節ではあったけれど、32口径って今一つ華奢。それでも既に6人の生命を奪っていた。
カー・ラジオでそんな事件のあれこれを聴きながらのメキシコ国境を越えた終末行。FBIとメキシコ警察がそれを逆手に取ってガセ情報を流したりして、遂には、カルフォルニア湾に面した夜の港町で逮捕。二人の猟旅行者は生きたまま解放される。この夜の港町でのシーンは製作側の創作。実際はもっとあっけなかったようだ。
映画は無事生き残れた二人が去ってゆくところで幕。
モデルとなったスプリー・キラー=William Edward Cook Jr. は、も少し時代が下った 1958年にネブラスカ~ワイオミングの両州で11人殺害したチャールズ・スタークウェザー(《 地獄の逃避行 》1975年のモデル)に、その出自が似ている。
低所得者家庭で少年時から肉体的差別にも晒されてきた社会的ストレスに拠る反社会性。何よりも構造的なもの故に、“ 復讐するは我にあり ”と盲目的な暴力性を発露する。盲目的“ 造反有理 ”。
クックの生まれ育ったミズーリ州ジョプリンは、19世紀末から20世紀前半にかけて、鉛・亜鉛の鉱業の一大中心地の感すらあったのが、戦後すっかり凋落して、多くの鉱山が次々と閉山となり、クックの父親も製錬工だった。
彼が5歳の時母親が脳溢血で亡くなり、以後父親が11人の子供達を引連れ、廃坑で生活するようになったが、到底父親一人で養える人数じゃなく、子供達を棄てて逃げたらしい。
後、ソーシャル・ワーカーが訪れた時、残っていた7人の子供達が坑道で生活していたという。皆、個人の里親か施設に振り分けられたものの、クックだけは片目の瞼が閉まらない( 手術の失敗の結果ともいわれている )肉体的不具合故にからかわれたり、虐められたりして次第に癇癪を募らせていく。
里親や施設、そして彼の結婚したばかりの姉のところに世話になったりもしたが、周囲との摩擦が絶えず、いずれも長続きせずに行ったり来たりを繰り返すばかり。遂には、ミズーリの刑務所に収監され、1950年に出所した時には、もう21才になっていた。
年金生活者となっていた父親の元に暫く居たという。
そこで父親に言ったセリフが、
“ 銃と放浪に生きる ”
だった。
その年の暮れには、もうその後戻りのできない終末行──しかしそれはクックにあっては、彼の閉塞的状況を突破すべく飛躍=実存的投企(プロジエ)でもあった──に直走ることに。
クックはミズーリから西へ向かい、カリフォルニア、テキサスに下った。
1950年十二月下旬、リー・アーチャーという自動車修理工の車に、ヒッチで乗せてもらい、早速車のトランクの中にアーチャーを閉じ込めた。が、アーチャーは自力で逃げ出した。
そのすぐ後、1949年型ツー・ドア・タイプの青のシボレーに乗ったイリノイの農民カール・モッサ一一家が、アルバカーキ( ニュー・メキシコ州 )の双子の兄弟を訪れる途次、“ ヒッチ・ハイカー ”クックを乗せた。
まだ30代のカールと妻テルマそしてまだ小さな子供達3人と犬1匹のファミリーの和気あいあいとしたムードも、しかし、クックの突き出した32口径回転式拳銃の前に凍てつき暗澹と恐怖の数日に無し潰ずされてしまう。
テキサス、ニューメキシコ、アーカンサスと中南部をあっちこっちあてどもなく巡り続けた。
幸福そうなモッサ―の一家に、憧憬と羨望、嫉妬と怒りの綯交ぜになった感情というより衝動に突き動かされたものの、如何なる心理作用によるものか、もはや記憶だけでしかないクックの家の“ 有った ”ミズーリの故郷・ジョプリンに進路を大きく変えさせた。
出立のはずが、逆戻り。
そして馴染みのある沙漠のど真ん中にポツンと佇む誰一人として顧みることもない寂れた鉱山の廃坑の脇に車を停めさせた。クックのかつての“ 家 ”から1ブロックしか離れていなかった。
“ ブルー・バス ”ならぬ青のシボレーに乗ったカール・モッサ一一家の、それがTHE ENDとなった。飼犬までが一緒に射殺されたという。
その竪坑の深さ15メートルの処に一家の屍体が浮いているのを、後日発見されることになる。
1月15日、3000人の市民を動員してオクラホマと西アーカンサスで一家の捜索が行なわれたりしたものの見つからず、捜索が難航し行き詰っていたのが、クックと同じ少年院に居たハロルド・スーマンが、かつてクックが彼に廃坑に投げ捨てるぞと脅したことがあったのを、当局に教えたことから、事態は一気に解決に至った。
青のシボレーは、オクラホマのタルサ( 戦前1921年、白人住民達が黒人住民達や彼等の商店を襲ったグリーンウッド虐殺事件で有名な町。黒人居住区に焼夷弾まで使って焼き払ったという。)近くに乗り棄ててあるのを、土地の保安官に発見された。 車内は血塗れで、シートにはあっちこっちに銃痕が穿たれ、アタッシュ・ボードからカール名義のトラベラーズ・チェックが見つかり、行方不明の一家の車なのが分かったという。
又、クックが購入した拳銃のレシートも発見されたという。
.32 caliber Colt automatic, serial number 39198
the Boston Dry Goods Store in El Paso, Texas.
これは、回転式拳銃とは別種の、オートマチック拳銃で、クックが持っていたらしい武器が当時の〈LIFE〉誌に掲載されていて、回転式リボルバー・ピストルとその自動式オートマチック・ピストルの両方、それにナイフ(これも犯行に使われたらしい)、最後の被害者・猟旅行の二人組から奪ったのかライフル二丁。
コルト.32オートマチックは、M1903と呼ばれていて、38口径に切り替わる以前の32ACP弾(マガジン8発+チェンバー内1発)仕様。
ネット見ると、このクックがエルパソで買ったコルトのレシート、意外にオートマチックじゃなくて、リボルバー回転式となっているブログ・サイトもあって、何処で混同してしまったのか。シリアル・ナンバーまで“ serial number 39198 ”とちゃんと付されているオートマチックの方が正解だろう。このシリアルナンバーは、銃身が5ミリほど短くなるTYPE-2以前のもの。
このアイダ・ルピノ監督の映画でも、クックはコルトの回転式拳銃しか使ってない。何しろ、舞台となった場所が西部劇そこのけの拳銃無宿的歴史と雰囲気に溢れてるので、やっぱしここは、現代風ビルの間のオートマチックじゃなくて、昔ながらの回転式リボルバー拳銃だろうと決めつけたかはともかく、現地米国のネット散見しても、も一つはっきりしない。確かに、別段銃撃戦をした訳でもないのだから、二丁も使う必要もないのだが。
けれど、それだと、最後の二人組とメキシコ湾岸の街のレストランで、メキシコの保安官にベルトに挿し込んであった拳銃を取り上げられた際、もう一丁の拳銃を使うことも出来たはず。只、その時、クックは下痢でかなり消耗していたらしい。確かに、二人組と幾日も対峙し見張りながらの強行軍なので、睡眠不足と神経的肉体的疲労からきた過労とストレスからの下痢の可能性が強く、反撃に出る気力も萎えていたのかも知れない。
その後、再び西にクックは進路をとった。
1月6日、カリフォルニア州ブライス Blytheの郊外で、以前ちょっとだけ面識のあった保安官代理の車をカー・ジャックした。モッサ一一家殺害の自慢話や計7人の殺害すらほのめかし彼の殺害すら宣告したという。けれど、命を奪うことはなかった。以前、その保安官代理の妻と一緒にカフェ働いていたことがあって、その際、彼女がクックに一人の人間として対応してくれてたからという。
カール・モッサ一一家の場合と真逆。
ここがネックなのだろう。
保安官代理から奪ったパトカーを、今度は、サイレンと赤色灯を駆使し保安官の態で、シアトルから来たセールスマン=ロバート・ドウェイの車( 青のビュイックのセダン )を停め、乗り込んで、カー・ジャック。
しかし、死への恐怖が勝ったのか、ドウェイ、途中で銃を持ったクックに襲い掛かり、映画のワンシーンの如く、砂漠の上を左右にヨロヨロと蛇行する車中で死闘を繰り広げ、あげく頭を撃ち抜かれてしまった。
屍体は、カリフォルニアのメキシコ国境近くのオギルビイ('60年代初頭に町は廃棄され以降はゴースト・タウン)の近くに棄てた。( 直前にカージャックされた保安官代理ワルドリップのパトカーの中で発見されたという記事 〈 The Lewiston Daily Sun 〉紙 8.jan.1951 もある。尚、この新聞の当日の見出しにsuspected slayer of eight とある。殺害された被害者が8人の可能性が言われている。恐らく、クックがワルドリップにした自慢話を根拠にしたのだろう。)
最後に二人組の素人の金採掘者をカー・ジャックした。
二人は金鉱脈探索の旅を途中で気分が変わってメキシコの海辺の観光地サン・フェリペに変更。
それが禍の元となった。
折からのモッサ―一家失踪=ビリー・クックのスプリ―・キラー的凶行の疑義が全米を席巻している最中。拳銃を突きつけられたまま、一週間近く連れ廻されてしまうことに。
車から降りて、キャンプをする際にも、クックは岩や木を背にしてずっと32口径リボルバーの撃鉄を起こしたまま銃口を彼等に向け続けていて、到底反撃等する余裕もなかったという。その辺は、映画でそれらしく再現されている。
それでも、ついには、メキシコのカリフォルニア湾沿いの港町サンタ・ロザリエに到着し、3人で入ったそこのレストランで、主任警官のルイス・パラにクックだと見破られ、ベルトに挿していた32口径リボルバーをあっという間に引き抜かれて逮捕されてしまった。
その後、FBIに身柄を引き渡された。
米国・メキシコ協同の一大捜査網だった。
クックは、懲役300年の判決をうけ、サン・クエンティンで1953年12月12日、ガス室で刑を執行された。享年23歳。
この以後の、サンタ・ロザリエのレストランでのクックの逮捕も、〈LIFE〉誌やウィキペディア“Billy Cook (criminal)”じゃルイス・パラ Luis Parraとなってが、タジュアナの警官・フランシスコ・クラウス・モラレスがクックのベルトから32口径ピストルを奪って逮捕したと記しているブログ・サイトもある。
〈LIFE〉誌( ネット版 )の大判の写真にの中に、記事ではルイス・パラと報じている割には彼の写真はなく、むしろモラレスの写真だけが当り前のように掲載されていることからの錯誤なんだろうか。
戦後のドサクサでもない頃の事件、それも全米を揺るがした事件にしては、何とも頼りなさ過ぎる報道・記事。
ルトガー・ハウアーの《 ヒッチャー 》The Hitcher (1986)の脚本家エリック・レッドは、ドアーズのRiders on the Storm にインスパイヤ―されて書いたという。そして当のドアーズのジム・モリソンが、そもそも、このビリー・クック事件にかなり興味を持ち影響されてたようで、コッポラと同じ大学の映画専科出身らしく事件にインスパイヤ―された実験的な短編を作ってもいたくらい。確かに、モリソンの書いたRiders on the Stormの歌詞にその事件の影響はありありと見てとれる。
けれど、彼の代表作ともいえる“ The End ”も、同様に、その影響下にある作品ではなかろうか。恐らくジム・モリソンは、当時の同じ世代の、閉塞的時代の只中で鬱屈した揺れ動く魂の持主達にシンパシーを有っていたに違いなく、それを時代の一つの流れでもあったサイケデリック=変性意識的に表出したのだろう。
クックの言葉 ; “I never had a friend in the world.”
《 ヒッチ・ハイカー 》 (1953年) 監督アイダ・ルピノ RKO( 米国作品 )
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