大正・長崎夜半奇想曲 Ⅰ 《 長崎夜話 》 大泉黒石
《 俺の自叙伝 》( 単行本 ) を大正8年12月20日玄文社から出版した大泉黒石、翌年春、《 中央公論 》“第三十五年春季大付録号小説 ”で中央公論常連の9人の作家達に混じって、この《 長崎夜話 》が掲載。
巻頭 《 鮫人 》 谷崎潤一郎
《 美しき氷河 》 室生犀星
《 長崎夜話 》 p71~p142 = 71頁
《 秋 》 芥川龍之介
後半には、菊池寛、久米正雄、徳田秋聲、里見弴、宇野浩二と続く。
前半の谷崎や芥川の錚々たる第一線“文豪”達に伍して黒石の作品が並んでいるのが、当時の黒石のポジション( 編集主幹の樗陰の好意も多分 )だったという訳なんだろうが、しかし、今回掲載されていなかった常連の佐藤春夫なんかとともに、“ 創作欄 ”( 純文学 )から黒石を排除しようと躍起になっていたことから鑑みると、単純に今号の掲載順的に黒石の後塵を拝した形になってしまった芥川、小児的な屈辱が心底に一瞬間でもわだかまったりしたろうか。まさかと思うが、そのまさかがまさかでなくなるところが、所謂文壇世界的厄介ってことなんだろう。
ぶっちゃけ、何よりも、黒石の“ 風貌 ”=異貌に芥川達の脆弱な“ ニッポン ”的感性が感応した形だ。
この短編 《 長崎夜話 》 、70頁にも渡る本格だけど、完結することなく次回持ち越しの連続もの。これって、先ず続篇は発表されてないパターンに違いない。次から次へと増えてゆく家族的必要に追われ、次から次へと書き飛ばしてゆくしかなかった黒石、この短編での黒石の分身たる青年・黒助のフレーズを使えば、“ 生存競争に追い詰められ ”ってところ。尤も、この頃は、家族数も知れていたが。
因みに、この一篇は、冒頭に、“ 発端 ”と章名が冠されている。
主人公は若き黒石の分身たる黒助。
生来の懶惰さ故の如く冒頭から黒助の名の起こりを記してみせるが、しかし、黒助( くろすけ )は、先ず「露助」、つまりロシア人に対する蔑称のもじりなのは当時なら明々白々。読者の誰にでもすぐピンと来る代物で、「黒」の方にも、黒船=夷荻=ロシア、あるいは無政府主義の黒旗、はたまた「苦労助」等と黒石自らの半生に対する自嘲すら窺える。
中学の卒業試験間近の二十歳の春。
黒石が在籍していたのは鎮西学院(中学)で、中学5年(=予科)、高等科3年で、中学部だけ卒業ってなると、普通なら17歳くらい。が、黒石の場合、父親の関係で大陸の東から西への数年間って態だからの二十歳って訳だろう。
が、この物語の黒助は、父母のことに関しては微塵も触れることもなく、懶惰を前面に出した設定故に、留年・落第し続けての二十歳って了解も成り立たってしまう。当時は、そんな猛者が少なくなかったのかも知れない。コセコセした昭和と違って大正って大らかなイメージがある。
「 この黒助が廿(二十)歳の春を迎えて竹藪の中に逃げ落ちた。港から凡(およ)そ廿丁 『山方図』と言う丘へ片寄った竹藪の中にシーボルト博士の墓がある。その藪だ。」
シーボルト博士の墓はドイツにしかないようで、幕末当時あった建物(鳴滝塾)も明治中頃には朽ち果て撤去されてしまい、鳴滝塾跡にあったのはシーボルト博士の碑のみ。但し、当時の絵葉書を見ると、記念碑の背後の藪の向こうに民家らしい姿が覗けていて、明治中頃の撤去以前に撮られたものでなけりゃ、史跡に指定されたのがこの短篇が発表された翌年大正10年なので、それ以前は普通に民家等が建てられていたのかも知れない。
「 鯨の肉が小さくなって行くのは仕方がなくても、家の中の然るべき場所に据えてある道具のたぐいが、片端から失くなって、はじめ狭かった部屋の中が、だんだん広くなって行く心持ちを、彼女等に見透されるのが恥ずかしかった。『 坊ちゃんのお袋さんの手垢の附いたものは、いつ見ても懐かしい 』 と云い乍ら、部屋の隅に棄てるように置いてあるミシンの蓋を、彼女が迂闊 ( うっかり ) 脱 ( と ) って見ると、いつの間にか、空っぽになっていたりなんかする。 『 今に坊ちゃんが学校を出て東京へ上らっしゃると、偉ろう出世して戻らっしゃるけ。今暫くの辛抱なもし 』 と云うんだ。」
( シーボルト邸跡・記念館の前 )
そもそも、亡くなった黒助の乳母の娘と母親、つまりおふじとお島の二人が、毎月、隣町の浜から鯨肉の藁包みを下げて機嫌伺いに通ってたのが、それに対する黒助の返礼が滞りがちになるに従って、下げてくる鯨肉が次第に小刻みに小さくなってくるのが、足下を見透かされ、小馬鹿にされているようにも思えて業腹至極。
つまり、「 生存競争に追い詰め 」られ、家財道具も“ 根絶やし”に売り払ってしまった黒助、口煩( うるさ )い親戚・縁者達の目をかすめて、こっそりと盲目の老婆の手を引いて、昔馴染みの額縁屋・夏蔵のこの竹藪の奥にひっそり佇む陋屋の2階の3畳間への引っ越。
「 俺を三つ迄世話して、情夫と豊後へ駆け落ちする途中、耶馬渓の柿坂で病没した 」
《 俺の自叙伝 》
《 俺の自叙伝 》の巻頭に写真まで掲載し、当時の乳母の記憶が残っていたのかないのか、乳母の母親から墓を建ててくれと頼まれても冷たく盲目の祖母からあしらわれた切りを哀れんで、自分の代になったので建ててやりたいが、如何せん先立つものの不如意を嘆いて見せた黒石。微かな母性的痕跡をその乳母の胸元の記憶の中に抱懐していた故の憧憬的産物なんだろうか。
いつもごつごつした木綿の盲目縞(縦横糸とも藍染めした綿布)を着こんだその二人は羅馬(キリスト)教信徒で、老婆のお島は、首からECCE HOMEの刺繍のある黒羅紗の札をさげ、娘おふじは、首からアルミの馬利亜像。髪には、中世の阿蘭陀オランダで流行ったような歯の長い大きな木櫛を挿していた。
因みに、ECCE HOMEエッケ・ホモはラテン語で“ この人を見よ !”。磔されようとするイエスを指す言葉らしいが、ふつうECCE HOMOと綴るのだけど、ECCE HOMEでも使えるのかも知れない。元々単語の一文字を変えたりするのは黒石の十八番でもあるし、下手すると誤植もありえる。
当時、長崎じゃ、こんな耶蘇教的風俗が見られたのだろうか。一見、昨今もよく見かけるキリスト教勧誘員の姿にも思える。
長崎といえば隠れキリシタン、けれど、彼女達がその後裔かどうかは触れることもなく、彼女達の家の厄介者扱いされている老爺・佐太郎が、浜に教会が建てられてから浄土宗から耶蘇教(キリスト)教に帰依したというなら、先ずあり得ないだろう。彼女達もその際同時にキリスト教に帰依した可能性が高いが、定かじゃない。
( シーボルト記念館の脇の階段。背後の藪へ。)
その鳴滝の竹藪の中の陋屋は、夏蔵の言によれば、元々は異人の医師、シーボルトが住んでいた阿蘭陀屋敷の離居(はなれ)だという。
一階に夏蔵の額縁作りの工房の三畳間は記述されてるけど、一階全体の間取りなんかには触れず、黒助と盲目の祖母二人が入ったのは二階の三畳間。家の前を流れる鳴滝川(中川)の向うに見晴らしが開けている。
二階はともかく、一階は元々シーボルトが学生達を集めての医学等の講義の場=鳴滝塾だったのでそれなりの広さはあったろう。三畳間に台所なんて小さな間取りで済む訳もないが、黒石、詳細には触れず。勿論、そんなシーボルト=鳴滝塾の建物の実際なんて黒石の念頭には無く、そのラベル的イメージで充分なんだろう。
あるいはひょっとして、当時の絵葉書にシーボルト碑の背後に微かに小さな家影が覗けていたそれをモデルにしたのかも知れない。藪の中なら確かに成り立ちはする。
「 藪に囲まれた住居を絵に画くならば、薔薇油を零したナラヤナの涅槃を延べたように見ゆるだろうが、近づいて、つぶさに眺むれば、庭地一面に生えのびている虫取団扇の毒々しい棘や水ヒヤシンスの醒(なまぐ)さい匂いに眉を顰(ひそ)むるだろう。」
よほど気に入ってたフレーズだったのか、3年後の大正12年7月15日発行の《 血と霊 》(春秋社)でも、“ 薔薇油を振りまいた花絨毯の上に、ナラヤナの涅槃でも敷きのべた ”という殆ど同じ表現・フレーズを使ってて、もっと後の部分に出てくる、黒助が学校の昼休みにグランドの隅で一人で弁当を食べ了った一時、向うに拡がる長崎湾上に眺めた光景を、やはり《 血と霊 》じゃプロローグで同じフレーズ・表現を前後入れ換えて踏襲している。
「 若い孔雀が翼を拡げたように眩しく輝く中を、白い小さい三角帆のヨットや、スカートを捲り上げた足で汐水を嬲り乍がら転がっている女を乗せた独木舟(カヌー)・・・ 」
《 長崎夜話 》82頁
「 目の醒める様なピンクの三角帆に、風を孕ませて走るヨットや独木舟(カヌー)や、白いスカートをまくり上げ、足の先で水を嬲りながら、舵をとっている西洋婦人の姿が、あの若い孔雀が翼をひろげた様に・・・」
《 血と霊 》
( シーボルト邸跡。背後の竹藪。)
「 黒助の( 原文では、"が"になっている。)誕生前から、隣りの家に間を借りて自炊していた。何処の学校にも籍のない学生が即ち彼でその頃新聞を配達していて、黒助の家にも、よく饒舌(しゃべ)りにやって来たが、間もなく何処にいるか解らない親が死んで、彼が兵隊に取られて、日清戦争が始まるや否や、支那へ追いやられたっきり、数年 ! 、否、十数年 ! 黒助の家でも、ぐれ出したため遂に何処で何をしているのか解らずに来た・・・」
ふとした再会で、黒助が、夏蔵に誘われるように居候を決め込んだ。
狐色に焦げふわふわと何時抜け落ちてもおかしくない畳の上を踏み込むと壁土が零れ落ちてしまうすっかり老朽化した仄暗い一階の三畳間で額縁を作っている夏蔵の姿が、黒助の目には、塵溜を渉っている鼠のように見えた。露西亜の小説家ゴンチャロフが言ったような、黒船以来のこの町が生んだ畸形な商人の一人の額縁屋と黒助は断じた。
沖に停泊中の異国船のマトロス( 船員=マドロス )相手の土産物として、芸者のコロタイプ肖像写真を額縁に容れて売りつける商いで、その肝心の芸者の絵葉書写真を、決まって毎土曜日夕方3時頃に、通学路にあたる大徳寺(跡)から裏に廻って丸山遊廓街の遊女屋と料理屋の間に挟まっている絵草子屋に学生帽を目深に被って、人目を気にしながら、100枚近くまとめて買って来る役目を担っていた。
それを、土曜日の宵頃から、夏蔵が、町で買ってきた煙管の羅宇( 雁首と吸口をつなぐ管 )に使う燻し竹をナイフで細工し組み合わせた額縁に遊女のコロタイプ肖像写真を嵌め込んでゆく。
翌日曜には、浅黄色の葛籠(つづら)に額縁を詰め、背負って波戸場に向かう。 地元の漁師から浮舟サンパンを借り、沖に停泊中の、阿蘭陀船、阿米利加の軍艦、露西亜船、葡留途駕留(ポルトガル)船等に乗りつけ、船員たちに売りつけるのであった。
この竹藪の一帯の余りな静寂さに、陽が暮れ、シーボルトの墓に錆びた鉄の鎖で吊るされた鯨油蘭燈の灯が微風に揺れる頃になると、黒助は、知らず、階下の夏蔵の工房に降りてゆくようになった。
「 土曜日の晩には、土穴のような工房一面に、艶めかしい遊女が撒き散らされて、仕事に力が入って、どしどし捗( はか : 原文→渉 )どるんだ。こんなとき夏蔵は釣蘭燈の下に列べられた製作品を眺め乍ら感慨に耽る癖があるんだ。『 どうです ! この花魁は ! 』 と云う癖があるんだ。 『 いい女だなあ ! 何とも云えないな ! マトロス風情に売りっ放すのは惜しいなあ 』 と残念がる癖があるんだ。と思うと、 『 然し、阿蘭陀人もめりけんマトロスも、こんなんでないと承知して買って呉れんからのし 』 と諦める癖があるんだ。そして黒助に『 坊ちゃんはなかなか目が高い。今度の花魁は揃って別嬪ぢゃのし 』 と云い乍ら、大声で笑ったり、涙を零したりする。」
「 実際、黒助の生活に注意する者は、彼が何の為に毎日学校へ通うのだか、合点の行かぬことだろう。朝起きて焚いた飯を弁当箱に詰めて出掛ける処は尋常にも見えようが、さて行く先で、飯時の鐘が鳴る迄は、教室の一隅に蹲まり乍ら、机の下で、弁当を出したり引っ込めたり、どうにか、こうにか、辛抱はしているけれども、愈(々)其時刻が廻って来ると、物凄い目の色で、弁当を抱えて教室を飛び出すんだ。黒助の食堂と云うのは、運動場の片隅に取り残されている疎らな楊梅の林の、その中の芝生と定っていた。それには色々の理由もあるだろうが、成る可く人混を避けたいと思う気質からだと云うのも一つだった。」
「 だから、それほど旨しい弁当かと云うと、大抵毎日、干鰯だった。だから、それほど恋しい握り飯の芯から、珊瑚玉のような梅が現れる迄は、心静かに貪っていて、漸く十粒、二十粒の小さい塊が残る時分になると、黒助の心は暗くなって、そうなると、もう名残り惜しそうに、最後の一粒まで、箸の先で悠々と弄ぶんだ。それから、暫くは、炉辺に蹲踞(うずくま)っている幸福な猫みたいに、一切の苦労を忘れて、うつらうつらした心持ちになって、両足を投げ出したまま、港や沖合を、ぼんやり眺めている。」
( 巻末の広告 「婦人公論」: 他に資生堂のシンプルな広告やカーペンターの「人間改造と芸術」の広告も。)
学校には弁当を喰いに行くだけのこんな人間が、あと幾日もすれば卒業試験。日頃の怠け癖や、後になって毎度後悔してしまう何でもかんでも売り飛ばす“病気”のあげく、一冊の本を買う金もなく、今度は卒業試験だから、そうにべもなく振り落とすような意地悪はすまいと高を喰ってしまう自身を唾棄し嘆息するばかり。背に腹は代えられぬとばかり、学校に納めねばならぬ金一円の工面に、着古しの古袴を、中島川にかかった阿弥陀橋の向かいにある質屋・丸一屋の暖簾をくぐることに。
卒業後に如何なる目論見とて抱懐することのない黒助の、それでも愈々の卒業試験の、その前日に、よりによって、おふじが一人で二階の三畳間に尋ねて来た。黙りこくっててんで要領を得ず、黒助が様子から察して、盲目の祖母に教えた。
祖母は素頓狂な声でおふじに畳みかけた。
『 何時頃、仏になったけ 』
『 今朝七時ぞなもし 』
おふじは、そう懸命に内から絞り出すように辛うじて答えたかと思うと、すっかり狼狽えて逃げるように帰って行った。
『 何という馬鹿な娘じゃろ。爺さんが死んだら、死んだと、さっさと云えばいいのに、いつまでも黙っているぞい 』
階段を降りてゆくおふじを祖母は憤りながら、黒助に促した。
『 お前一寸行って来たらよかろ。ありゃ、お前に来て呉れと云いに来たんだぞい。あの薄のろのことだから、云えないで、帰って了ったのじゃろ。行って見るがいい、葬式でもするのじゃろ 』
この短篇じゃ、このシーン以外出番はなかった黒助、つまり黒石の盲目の祖母、写真見るとけっこうきつめの煩(うるさ)そうな老婆で、当時はまだ盲目者達を取り巻く環境ってかなり厳しいものだったろうから、勢いきつめな性向に到り勝ちなのも当然だったろう。その上、かの異人の街・長崎であったとしても、異人の嫁になるってのも周辺から様々な圧力があってのこと、いわんや母親=娘が、黒石を産むや否や亡くなってしまっていよいよ自身にすべてがかかって来たら尚更。
一体、彼女が何時頃から盲いたのか定かでないけれど、生来ではないようだし、ひょっとして彼女の伴侶たる黒石の云う“ 賄賂事件で罪を問われた下関初代の税関署長”=長州藩士( 恐らく奇兵隊なんかの下級藩士の可能性が高い )の自死やなんかのストレスに依るものかも知れない。
少年黒石に対したのと同様の口吻の祖母、なかなかリアルで長崎弁(?)も好い。
黒助の記憶にあった佐太郎老人は、肺病が筒袍(つっぽう : 筒袖)を着ていつも気味悪い咳をする影法師のようなヨボヨボの老人だった。
老人の娘が、黒助の乳母になってのち小学教師と駆け落ちし、逃げた先で死んでしまってから、老人はすっかり呆けてしまったという。若い頃は、丸山遊廓から唐人屋敷に遊女達を引率する役人だったのが、唐人屋敷が取り壊されて後、彼等が住んでいた浜の村に、小さなカトリック教会が建てられると、老人は羅馬教の熱心な信徒となった。因みに、唐人屋敷は、1870年(明治3年)焼失。
よりによって、天主堂の物置みたいな病室で生きを引取った次の日が、肝心の卒業試験の当日だった。
以前その天主堂の病室らしい物置小屋みたいな薄暗い小部屋の中で、藁布団の上に毛布を敷いた上に横たわった病んだ佐太郎老人を見舞った折、黒助に如何にも胡散臭そうな態度で応じた、蝙蝠の翼のように黒衣を纏った梟の嘴にも似た鼻の大男の神父が、時折、老人の顔を覗き込む姿が、老人を地獄へ誘き寄せるために神父に化けて天主堂に忍び込んできたサタンのようだった。
その神父と再び顔を合わせるのを考えただけでもゾッとしてしまう。
それでも黒助、破れ靴の上に甲掛けを穿いておふじの跡を追っていった。
礼拝堂では既に告別式が始まっていて、ガラス張りの蓋の奥に収まった佐太郎老人の柩のまわりに、お島もおふじも静かに蹲っていた。
「 青空の下にも、こんな暗い息苦しい一画(くきり)の世界があるかと怪しまれるほどの陰鬱な、広い礼拝堂の中に、紫や黄や緑色の奥ぶかい窓を濾(こ)されて来る空の幽かな明かりに、僧壇に横たえてあった佐太郎の柩も、柩の周囲に佇んでいる素麻衣(ダルマチカ)の僧侶も僧侶の足元に額ずいている三人の男と三人の女も、地の底に向かって一様にぼそぼそと呟いているのではないかと思われた。・・・・
黒助がおずおずと入って来た時、三人の男が黒助を振り返って見た。赤鬼のような顔、紫がかった天刑病者のような顔、蒼褪めた土左衛門の顔。處が僧侶に引かれて、この三人の男の後ろに跪いた拍子に、ふっと自分の顔が、柩を蔽った硝子の函に映るのを、ちらりと見た時、跳び上がって驚きたいほど、物凄い、黄色い餓鬼の相をしていたんだ。此処へ足を踏み入れる人間は、アラビア物語の魔法壺から湧き上がる人間のように、見る間に、相貌が一変するのではないかとさえ思われた。」
ダルマチカ : キリスト教の儀式用のゆったりとした長衣。
礼拝堂のステンドグラスの七彩が、仄昏い室内にうごめく参列者達をそれぞれに染め出している様を、多分に戯画化しホラー・タッチに描いているのが面白い。長崎・耶蘇教世界への闖入者・黒助の眼に映じたのは、もっぱら厳かなはずの聖空間の蝙蝠の大きな翼を畳んだような黒衣を纏った赤ら顔の神父(パードレ)始め魍魎達の跋扈。正に異界あるいはその間の境界世界。黒石ホラーの世界が既にゆらいでいる。
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