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2021年10月17日 (日)

大正・長崎夜半奇想曲 Ⅱ  《 長崎夜話 》 大泉黒石

29

 

 
 
 佐太郎老人の告別式から逃げるように戻ってくると、クラスメートの須原が尋ねて来た。彼はこの町の老官吏の一人息子で、頭脳が悪いうえに、学校をよく休み、朝っぱらから布団の中で小説を読むような懶惰な男で、この数年落第しつづけ、試験が近づいてくる毎に顔色が悪くなり神経症的な症状をすら呈し始める。
 かつて、老官吏の父親が、部屋に飾ってあった日本刀を抜いて自殺を迫ったことがあった。

 

 

  『 今度はどうなりますか、首尾よう行きますと、本当に助かりますぞのし 』

 

 

 その時、そう取りなした色白の痩せた何とも淋しそうな彼の母親の素顔を前にして、黒助はつい言葉が出てしまった。 

 

 

  『 おい。君、今度こそは、しっかりしないと、お母さんが可哀相だぜ 』

 

 

 絵に描いたような、出産後すぐ死別し見(まみ)えることのなかった黒助の母親への憧憬の念の吐露でもあろう。そんな後のない須原も、黒助に自分と似た体臭を覚えているのか、試験が近づくと、黒助のところに現れた。
 ところが、今回はいつもと違っていた。
 須原の苦手な教科の教師であるとともに担任教師でもある福田を“ クリスチャンの仮面を被った色魔 ”と決めつけ、くしゃくしゃになった福田宛の女郎屋の勘定書を放ってみせた。

 

 

  『 クリスチャン位宛にならぬ、剣呑な人間はないぞ。あれで我々に向かって、高慢な理屈をこねたりなんかするが、考えて見ると、あんな游冶郎( ゆうやろう )は、我々の試験場に入って来る資格はないじゃないか 』

 

 

 とまくしたて、福田を懲らしめてやろうと、黒助にも参加を求めて来た。クラスメートの橋本は既に同意したという。三人とも落第しそうな“ 怠け者”ばかり。それでも、黒助は、そんな突飛な冒険をやってのける肝っ玉もなければ、遊廓通いをネタに脅し卒業の単位を得ようと画策するそんな見っともない強請(ゆすり)の真似までして卒業したくもなかった。それ以上に面倒に思え、曖昧に言葉をにごしつづけた。   
 ところが、翌朝再び須原がやって来て決心の程を確認することに言い残して帰って行った後に、突然、夏蔵がアメリカ船を見に行こうと誘って来た。渡りに舟とばかり、黒助は二つ返事で応じてしまった。

 

 

 翌朝八時には二人とも竹藪の家を出たのは出たが、夏蔵、のらりくらりと一向に波止場に向かおうとしない。昼過ぎ頃、ようやく港町の支那饂飩(チャンポン)屋の二階に転がり込み、更に夕方になるのを待った。陽が落ちてから、海岸の石垣に繋いである菰掛けの屋形の艀舟を一艘借り乗り込んだ。

 

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 「 黒助は夏蔵の艀舟(サンパン)が、老乞食の船の側を、ぴちゃぴちゃと通り過ぐる迄、木船の上を眺めていた。この船に住んでいて、街へ稼ぎに来る老人と、彼は遊廓の入口で、よく行き会うんだ。それは老人の稼ぎ場が居留地のバーでなければ、遊廓の入口に、たった一軒残っている西洋人の酒場(サルーン)と定(き)まっていたからだ。老人は酒場の入口に蹲踞(しゃが)み乍ら、いつ来るとも解らぬ髪の赤い客を待ってて、合力を乞うたんだ。ポンペイの廃墟には化石やラバと少しも変わらぬ人間が住んでいるそうだが、灰の底に埋もれぬだけのポンペイと云い度い此町にも、さまざまの不思議な人間が彷徨している。彼はその一人だ。」

 

 

 老人はいつもヴァイオリンを抱えて歩いていた。爪でつま弾いてみせるのだけど、音はしない。《 和蘭陀乞食 》と昔から街の人々は呼んでいた。

 

 

 「 港の片隅に沈みかけている幽霊船然とした、おまけに、何処の港にも籍のない、ぼろぼろの木船が、この静かな港へ、何処からともなく、漂着した。その船は港へ入り込んだ時から、余程破損していたと見えて、間もなく、二進(ち)も三進(ち)も動かなくなると、食いものに窮して、思い思いに船を棄てて上陸した船員の中に混じって、働いていた一人の青年が、此老いたる乞食なんだ。」

 

 

 「 始め嫌った労働や大道人夫の真似をし乍ら、傾いた船の中に残してある女や子供を養っているうちに、だんだん老い込んだり、零(おち)ぶれて行った漂泊者の群に加って、街の中や、海岸を彷い彷い心細く、こうした悲惨な芸人になって了ったんだ。それ以来、二十年も三十年も港の一方に吹き寄せられたまま、修理の見込みのない船を、あの凹(くぼ)んだ目を一層凹ませて、海岸の石垣にもたれ乍ら、ぼんやり眺めている老人の姿を見る度に、黒助は、何だか、今一つの、自分の影を見詰めているような、淋しい感に打たれる。」

 

 

 「 それにしても、二十年彷うても三十年彷うても、日本人と差別のない程言葉が旨く使えるようになっても、周囲の人々と、同化する力がないのか、同化したくないのか、陸の上に、一構えの小屋すら拵えることが出来ないので、日が暮れかかると、さも嬉しそうに、沈みかけた船へ、いそいそと戻って行くんだ。」

 

 

 まるで大泉黒石その人といわんばかり。
 でも、当時本当にそんな“ 西洋乞食 ”なんて居たのかどうか、いわんや平戸以来の和蘭陀帆船( ? )の生き残りなんて。
 もっとも、ロシア革命の時節、ロシアから大量の白系ロシア人達の難民が日本にも押し寄せて来てたのは有名で、大半は第三国に発っていったものの、少数はそのまま日本に居ついて細々と生きつづけたという。手っ取り早く娼婦になった女性も居たようで、つぶしのきかない男達の成れの果ってところなんだろうか。
 又、木船といえば帆船なんだろうが、十九世紀末には鉄製の船体に大型帆の輸送船なんかが欧州等で量産され、第一次世界大戦の頃にもその手の鉄製帆船船団すらそれなりに活躍していたらしいけど、昔ながらの木製帆船は如何なんだろう。けど、黒石の少年時、長崎にはまだまだ十九世紀の木製帆船が古色蒼然として係留されてたりしたのかも知れない。オランダは当時でもジャワあたりを植民地としていたので、そこからやって来た可能性も考えられなくもない。
 

 

巨大な米国船から太いロープを伝って降りて来た、夏蔵にコモドール(=提督)と呼ばれる水夫を艀船に乗せ、陸に戻ると、案の定、黒助の通う丸山遊郭街へとやって来た。夏蔵が指差した先に、巨大船が一隻往来へ船尾(とも)を向けた格好にも見える《 サルーン・カフェ・デ・ラ・マリン 》が佇んでいた。

 

 

 「 何時商売をするのか? 客があるのか? どうして生活(たっ)て行くのか? と其処を通る度に考えたり、棕櫚みたいな、ぱさぱさした髪の毛の女が、露台(ヴェランダ)へ現れて、憂愁な目付で、まるで異った世界の人種が、ぞろぞろと遊廓を指して行くのを、見下ろしている時などは、その女が、さながらバスチーユで殺された女革命家の幻ではないかと思われる程、牢獄の廃墟がかった淋しい酒場なんだ。 」

 

 

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 入口の葡萄酒の空樽に寄りかかって、さっそく例の和蘭陀乞食が煙草を吸っていた。
 マトロス・コモドールも以前何度もここで飲んだことがあったらしいが、夏蔵は、日曜遅く戻る時は、大抵ここで見ず知らずのマトロスやこの街に居ついた外国の浮浪人と飲み明かしてたらしい。

 

 
 「 マトロスと卓子を隔てて、向き合ってから、相手の容貌に注意していると、今まで、少しも目につかない瑕疵(かし)が、段々はっきり見え出した。小鼻の柱の油煙や生え際の斬り疵や、歪んだ顔の窪みや、水兵服の斑な油汚点(あぶらしみ)や、そう云った薄汚いものが、点々と浮き出て来て、夏蔵に見込まれるだけに懐の裕(ゆた)かな男とは、どうしても受け取れなかった。すると、マトロスの方でも、初めて気づいたように、黒助をしげしげと見るんだ。恰も不思議な日本人だと云う心持で。何故なら、黒助の眼は緑色で、髪の毛は、猫のように柔らかく、灰色だったからだ。」

 

 

 「 家の中は、思ったよりも、明るくて、ビールスタンドや硝子窓の下に五六人の、労働者風の男や、居留地の会社員らしい青年が佇んで見たり、蹲んで見たりしていた。それは五六人が五六人乍ら、何処の国の言葉ともつかぬ言語で唄ったり、独り言を零している、何処の国の人間ともつかぬ西洋人なんだ。お互に相手の饒舌(しゃべ)ることが呑み込めぬらしく、頓珍漢な話をしている客ばかり揃っていた。」

 

 

 延々と利得があるように吹聴しひっぱり続けた夏蔵の話とは裏腹に、ウイスキーの酒杯が重なるばかりで、あげく米国人マトロスの質の悪さが露呈されるばかり。例の和蘭陀乞食の老人の髪を切ったり、ウェイトレスに絡んだり、夏蔵が何としても土産物屋に連れて行きたがっても、マトロスはそうは問屋がって訳で頑としてそこのサルーンでの饗宴を決め込むばかり。
 土産物屋に連れて行きたがるって、そういえば、かつてはインドのお仕着せガイドの定番だったバック・パッカー的常識だけど、門司港まで観光バスでやって来た中国人観光客を、海岸沿いの海産物屋に連れてゆく現場に幾度かお目にかかり、これは洋の東西を問わない観光産業的基本だったのを改めて思い出し、それは規模の大小を問わない草の根的仕儀ってことだ。

 

 

 ダニみたいに何時までもマトロスにへばりついている夏蔵を唾棄し、付いて来た事を後悔しながら、ふと、窓の外の、遊廓街をそぞろ歩いている人群れを眺めていると、中折帽をすっぽり被った須原と橋本に似た二人連れが歩いているではないか。その後に、黒助の家の鳥籠に隠していたはずの子犬まであらわれ、慌てて黒助は子犬を連れ戻そうと、酒場から飛び出した。
 と、そこに、縞の羽織に山高帽の福田が現れ、いきなり、その福田に須原が殴りかかった。福田の山高帽がすっ飛び、目敏く黒助に気付いて驚いた須原は、遊廓の男達が追いかけて来るぞ ! 、と叫んで人混の中に姿を消した。
 見ると橋本が、《 油屋 》 の半纏を纏った照々坊主男に引っ掴まっていて、黒助の姿を認めて叫んだので、照々坊主に黒助も須原の一党と目され、追いかけられる羽目に。
 夏蔵も、居たはずの子犬も顧みることなく、ほうほうの態で、鳴滝の竹藪の家まで逃げ帰った。二階の老婆はぐっすり寝入っていたので、藪の中の鶏籠を確かめに向かった。 

 

 

 「 遊廓で捕え損ねた子犬は、全然別物だと云うことが解った。ついぞ泣いたことも吠えたこともない子犬が、籠の中から、腹を凹ませ乍ら、ひょこひょこと顔を見せた時は、黒助は一時何も彼も忘れて喜んだ。夏蔵が居ないのを幸に、久しぶりに我子に逢うような心持で初めて抱いて見ると、ほんとうに自分の物だと云う心持を味わったんだが、直ぐ一日物を食わせないで居たことからして、夜になると定まって一粒もない飯櫃が、目先にちらついた。」

 

 

 竹藪から現れた緑色の眼の恐らく聾唖の小犬、最初に鳥籠に入れられて後、数度巷で不意に出没するが、皆黒助の勘違いで、酒場から逃げ帰って調べてみて漸くその錯誤を悟る。聾唖であるのが分かるのは、物語的にはもっと後と記しているものの、この巻じゃそこの行(くだり)まで到ることはない。
 そもそもその犬の緑色の眼自体が、その犬が視覚器官的に何処か病んでいる場合が多いらしく、聾唖も含めて、先天的な疾患を抱えた小犬らしく、それを厭って元の飼い主が棄てたのか、それとも元々野良犬が藪の何処かで産み捨てた小犬やも知れぬ。
 そういう哀しい境涯を、黒助が無意識裡に自身の境涯と重ね合わせ、執拗に黒助に懐いて来てくれることが何よりも黒助の不条理な孤絶感を熔解してくれ、これが 《 代官屋敷 》 等の少年時ならば違和感のない抒情性ってところで了解性も成立つが、中学生とはいえ二十歳ということならば、何とも救いようのないもっと根の深い社会的疎外の一様態。
 それにしても、何故に、黒石は、この物語の第一巻で、執拗にこの彷徨うはぐれた薄汚れた小犬を幾度も登場させたのだろうか。夏蔵が、傍に流れている中川に投げ込んでしまいなさいと諭しても、“ 遺棄 ”することができず、とうとう鳥籠の中に隠してしまった。機縁を奇縁にしてしまう怪異譚的手法の端緒なのだろうか。後続篇で如何なる展開が見られるのかつい期待してしまうのだけど・・・

 

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 「 小犬を引っ抱えて台所へ公然( おおっぴら )に出かけようとするのと、殆んど同時と云っていゝ位の刹那に、疎らな竹の林に狐火ほどの赤い光が、右にも左にも、後ろにも前にも、数百数千となく茫茫と反射するのが見えた。黒助は悸然(ぞっ)として立ちすくんだ。」

 

 

 ところが、次第にそれが近づいて来るにつれて、《 油屋 》 と記した酸漿(ほおずき)提灯なのが分かってくると、今度は女達の話声すら聞こえてき始めた。

 

 

 「 赤い光に包まれて逃げ場を失って、呆気に取られた瞬間の妖性な戦慄とは違った人間的の恐ろしさを覚えて、抱えていた小犬を、慌てて鶏屋の中に投げ込んだ頃には、酸漿提灯は黒助の物凄いほど蒼褪めた顔の先に、ぶら下がっていて、其処で、ふと立ち停った女の影の一つが、
  『 この人ですよ。絲遊さん。この人。この人』
 と、たじろいだ黒助の側へ近寄って来るんだ。酸漿提灯の仄明(ほとばり)が、雁燈(がんとう)の口から迸る光の流れのように、提灯をぶら下げている小娘の後ろに、不気味そうに佇む背の高い痩せ形の女を、たった今地の底から浮き上がった藪の精見たいに半身を宙にぼかして見せた。黒助は、何とも言えぬ異様な不安が、腹の底から、じわじわ込み上げて来た。丁度三十年ばかり前に、厳しい耶蘇の絵踏を避けるために、この藪の近くへ逃げ込んだ人々が、町役人に嗅ぎ出された時や、姿を眩ませた脱獄囚が、安心の吐息ついている山の中で、出し抜けに刑事に行き逢ってふんずかまった時の気持ちが、こんなものだろうと思われた。」

 

 

 この辺りから、怪異とまではいかないけれど、境界的世界が鬱勃とゆらぎ始める。
 因みに、酸漿提灯とは、赤紙を張った丸い提灯。耶蘇の踏絵は、1858年(安政5年)に廃止され、1973年(明治6年)には高札(=禁教令)も廃止になっていて、黒石が20歳(大正元年)の頃からすると半世紀程前になる。
 明治初期の弾圧の、少なからずの隠れキリシタン達が、拷問されたり試し斬りされ斬殺されたりしたという怨念的記憶からすれば、もっと近しいものなのかも知れないが、“丁度三十年”はその時間的近しさの喚起的修辞なのだろう。

 

  
 背の小高い遊女は絲遊(しゆう)と言った。27歳ぐらいに見えた。
 

 

 「 遊女と一口に云えば読者は直ちに色摺りの浮世絵から一人の女性を拉(らっ)し来たって、華やかなる想像を逞うするだろうが、絲遊は ── 絲遊一人に限らぬけども ── それとはまるで違った、陰気な、Broodingな女郎だった。何の飾り気も、油気も、匂いも、色彩も、潤いもない陰気な女ではあるが、遊女には違いなかった。」
 

 

  『 あんたは、先刻油屋(うち)の前で騒動しなはったが、何ぞ恨みでもあってかのし。あの書生の仲間じゃと云うので、交番さんに頼もうと云う話もありましたが、それほどのことでもないと思うてのし。直接(じか)に逢うて聞いた方が早解りがすると思うてな。ようよう探し当てて来ましたぞなもし 』

 

 

 更に、絲遊はたたみかけた。

 

 

  『 ・・・妾、すっかり聞いて知っていますぞのし。あんたが福田さんを打(ぶ)ちのめそうと言い出して、気の弱い朋輩を煽(おだ)てたり、焚きつけたりしてさ。自分は異人酒場(バー)から、嗾(けし)かけていなはったのじゃろがのし。』

 

  【 妾 】 辞書的には 「わらわ」 だけど、黒石は、女性一般の一人称 「わたし」 として ( あるいはもっとくだけたニュアンス ) 使っている。

 

 

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 「 『 あんた、此処で相談しなはったのじゃろ』
 と、絲遊に云わせると、藪の中を、まるで悪党の巣窟と睨んでいるのだ。黒助が、何か言おうとして、言いなづむと、それ見ろ、作りごとを考えてるんだろうと云うように、
  『 でも、あの書生が、あんたも仲間だと白状しましたぞ』
 と、これでも屈服せぬかと言う風に、畳みかけたとき、黒助は、
  『 橋本が俺も仲間だと云ったのかね』
 と、口を尖らせて、口惜そうに、絲遊を真面(まとも)から、穴のあく程、見詰めた。 
・・・すると、突然絲遊の後ろから小娘が嘲るように、
  『 憚り乍ら、妾達は、そんな抜作じゃありませんよ 』
 と云ったので、本気(むき)になって怒っていた黒助も,流石に擽(くすぐ)ったくなって来た。
  『 そう怒らんでもえゝがのし。そんなこと尋ねにきたんじゃりませんから 』
 と云う。でも矢張し、胡乱な奴だと云うような調子だった。
  『 そんなに疑うなら、一通り話をしよう。』
 絲遊は、黒助の言い抜けなんぞ、いくつ聞いたって、どうなるものかと云うように、
 『 いゝえ聞かんでもいゝぞなもし。それよりか、あんた、福田さんは、何処へ行きなはったか、ご存じないでしょうか 』
 と、心配そうな顔をした。」

 

 

 絲遊は別人のように、おぼこな口元をすぼめて、福田は自分のお客だと答えた。
 

 

 「 『 福田は? 福田はひらぎ屋にいるだろう 』
 それも、絲遊が、
  『 先刻、ひらぎ屋に行って見ましたが、福田さんは、朝出なはったきり、まだ帰らぬと云うことでしたが 』
 と思わくが外れたような、何となく気がゝりな言葉を予期する積りではなかったから、今まで、強者の態度を見せて、横柄づくに追及していた絲遊が、いつの間にか、打ち沈んで来ているのに、一寸意外な気持ちがしたんだ。」   

 

 
 ここでの「 ひらぎ屋 」は、「 ひらぎ 」に、これ見よがしに傍点を打っていて、
絲遊も直ぐにそれに呼応しているのだけど、そもそも福田の下宿先は、黒助の祖母の遠戚の家「 ひいらぎ屋 」で、黒石がその記憶を失念しての錯誤なのか、あるいは、敢えて傍点を打っているってことは、それを承知の上での、黒助の絲遊に対する稚戯めいた誤魔化し、更にはそんな苦し紛れの思いつき的泡沫策とは別様の、何らかの思惑の上での、つまり後巻に繋がる伏線なのか、今一つ定かではない。

 

 

 その時、こまっしゃくれた 《 油屋 》 の仲居の娘・お君が、壁際に放りっぱなしの写真を見つけ、わざわざ目を欹(そばだ)てながら騒ぎ立てた。

 

 

 「 『 おや。絲遊さん。丁子屋のお絹さんが、これ、竹の額縁に穿まって、こんな処に ! 』
と、絲遊の鼻っ先に持ち出すんだ。
  『 ほんとに。お絹さんですはい。』
 絲遊は、微温い微笑を浮かべ乍ら、どうして、こんな、狸の巣みたいな家に、遊女の肖像が丁寧な框入りになって転がっているのだろうと云う目付で、弱り切っている黒助をじろじろ見た。
  『 あんた、何枚も何枚も写真を買うて、何しはるのか。妙な商売じゃなもし。屹度絲遊さんのもあるじゃろ 』
 黒助はこの二人の前で、丸裸にされているように恥ずかしくなって来た。黒助が手伝ってやる夏蔵の商売も、夏蔵という奇怪な人間も、自分も、自分の境遇も、すっかり知り抜いて、冷笑しに来た形だ。」

 

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 面(つら)憎いほど落ち着いた小娘が、更に追い打ちをかけて、学校に吹聴したら如何すると、脅しにかかった。顔面を蒼白にしてた黒助が、苦し紛れに啖呵を切った。

 

 

 『 俺の方にも考えがあるんだ 』

 

 

 その虚勢が功を奏したのか、絲遊が慌てて、お君をたしなめた。

 


  『 お前は黙ってお出。脇から余計な減らず口利かんでもよいがな 』

 

 

  『 この子は、偏屈屋で、よう人の気を悪くしますけ。それでなもし、福田さんの居所は、解らんなら、解らんでもいゝがな。今にひらぎ屋に戻んなはるじゃろからのし。それで、あんた、福田さんが油屋(うち)に来なはることは、一切誰にも言わんで貰わんと、そんなことが学校に知れたら、福田さんも、あんたも、首尾がようないし、その方が、どっちも穏便でよかろうと思いましたから、お頼みに来ました 』

 

 絲遊は、須原の居所を尋ねて来た。
 捕まった橋本が出鱈目の場所を教えたらしく、確かに須原の家に、こんな風体の女が二人揃って押しかけたらどんな修羅場が結果するか想像するまでもなく、橋本の伝に倣って“ 途轍もない”場所を教えた。
 この“ 途轍もない”と意味ありげに強調した場所が何処かは定かじゃなく、次号・後続巻で展開される意表をつくであろうエピソードを待つばかり。

 

 

 「 黒助は、橋本がいい加減なことを口から出任せに云ったんだろう。それにしても、自分の居所だけ正直に教えるのが腹立たしかった。黒助なら、どんなことをしたって怒れないと思ったんだろう。実際、橋本からばかりでなく、黒助は世間から、そう考えられていたんだ。 『 黒助 』 とか 『 なめくじ 』とか奇妙な名前をつけられて。」

 

 

 ようやく、遊廓の女はお辞儀をして、

 

 

  『 怖い藪なもし。おゝ怖。怖。』

 

 と、魑魅魍魎の棲みついた異界を後にでもするように、酸漿提灯を赤々と灯した小娘の背後を、赤い番傘を片手に、木履(ぽっくり)の音を竹藪に響かせ去って行った。
 縁側に一人突っ立ったまま、黒助は、茫然として何時までも見送った。
 空腹と疲労、精神的動揺にすっかり疲弊し尽くしていた黒助は、二階の老婆の部屋に戻り、倒れ込むように、着物も脱がずそのままぐっすりと寝入ってしまった。
 そして、最後の二行。

 

 

 「 若し機会があるならば、作者は当然此物語の中程に返って、お島とお藤の話をかゝねばなるまい。読者は、それまで待って呉れるだろう。(完)」

 

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 そもそも、遊廓街のある丸山から中川を越えてシーボル亭跡まで、直線距離で約二キロ。遊女の木履(ぽっくり)穿いた脚で二キロの道程は些か大変と思われるが、考えたら、当時は、人力車・輪タク・路面電車も普通に走り利用されていたので、そう思うほどの不自然さはない。
 それにしても、黒助、若き黒石そのままトレースしたような、被虐性に満ちたキャラクターにしたててるけれど、続巻で如何なる展開があるのか興味が尽きない。が、残念ながら、恐らくは、今号・この一回目の巻だけで了ってるのだろう。
 もし続巻があれば僥倖。
 

 

 この《 中央公論 》春季号が出た4ヶ月後に、南北社から、短編集が出版された。

 

短編集《 戀を賭くる女 》大正9年8月8日《 南北社発行 》

 

 《 恋を賭ける女 》大正8年10月22日~11月26日《 大阪朝日新聞 》夕刊
 《 青白き屍 》  大正8年11月 《 新小説 》
 《 黄夫人の手 》 大正9年1月 《 中央公論 》
 《 代官屋敷 》  大正9年2月 《 中央公論 》【 創作欄 】

 以上の4編。
 《 中央公論 》に、《 黄夫人の手 》、《 代官屋敷 》そしてこの《 長崎夜話 》と立て続けに掲載されていて、時間の都合でなのか、《 長崎夜話 》が70頁にも及んでて収まりきらなかったからなのか、短編集《 恋を賭ける女 》に収められなかったのは何としても残念なことだった・・・否、この《 長崎夜話 》は、一応連続物って態だったから、ならば、当然のなりゆきではあろう。
 《 黄夫人の手 》の怪異と《 代官屋敷 》の抒情性(少年と青年との差がちょっと開き過ぎかも知れないが)をミックスしたような世界と謂えばいえよう。
 怪異性はこの号ではまだ希薄だが、一体黒石は、如何なる世界・展開を企図してたのだろうか。
 確かに、タイトル通りの長崎夜話、些か雑然した感はあるものの、大正初期のまだまだポルトガル船以来の国際港的雰囲気の残った、それでも幕末シーボルト邸もとっくに廃墟と化し、跡形もなく整備され、記念碑だけが篝火を夜風にゆらすばかりの背後の竹藪に、尚もシーボルトの柩の如く陋屋を設定しての物語展開。
 これは、もう、黒石の世界だろう。

 

 

 

 黒助の盲目の祖母=黒石の祖母の繰り出すきつめの言葉、あるいは、 丸山遊女・絲遊達の言葉の端々に付される方言「のし」「ぞい」「なもし」、これって女性言葉としては独特の嫋やかさを醸し出していて、嫌いじゃない。
 長崎言葉も悪くない、と以前から黒石の短編読む毎に思っていたのだけど、しかし、大部以前、長崎の何処の地域か定かでないまだ比較的若い小柄な男性の話すのを聴いたことがあったけど、その時は、ボソボソタイプなのもあって、何言っているのかさっぱり分からなかった。
 昨今は、YOU TUBEで、長崎方言も聴くことができ、幾つか確かめてみると、話者のせいもあってか、何ともぶっきらぼうで、味も余韻もない。現代娘の喋りじゃそんなものだろうが。
 で、ネットで確かめようとすると、そもそも、そんな「のし」「ぞい」「なもし」なんて言葉、長崎方言の何処にも発見できなかった。端的に、四国・愛媛県の伊予地方、つまり夏目漱石の《 坊ちゃん 》の世界の方言ではあるらしい。
 ひょっとして、黒石が、在来の長崎話語(方言)世界のぶっきらぼうさ加減に、せめて女性的嫋やかさを求め、相殺したかったのかも知れない。
 正に、黒石的長崎言語空間ってところ。
 しかし、地方言語って、ある地方には、かつて江戸・戦国時代なんかに、遠方から一族あげて移住してくることによって、異種言語が紛れ込むってのは珍しくもなく、ひょっとして、黒石が明治・大正の長崎時代に、実際に見聞きした生きた長崎言葉だったという可能性も捨てきれない。到底、当方の手に余る事柄なので、これはそのまま保留し、黒石世界的産物として享受する他ない・・・等と諦念していると、一般的じゃないようだが、「のーし」(「長崎ばってん方言集」)いう用法が存在しているらしいという長崎文化観光部の指摘があった。又、「のし」の方は、和歌山方面でも女性言葉として使われているらしいとも。飛び地的に、西日本で使われている言葉なのかも知れない。長崎・伊予・和歌山(熊野)って、いわゆる中・近世の水軍・海賊の本拠地でもあって、それはそれで興味は尽きない。
   

 

 

 この《 中央公論 》春季大付録号小説、大正9年(1920年)の発刊だから約100年前の出版物。当然に変色し総じて赤く焼けてるんだけど、そもそもの本来の紙質もそんなに良いとは思われず、且つ印刷も今一。当時の作家達の登竜門的存在だったらしいので余計驚いてしまった。大正ってまだまだこんなものだったのだろう。誤植も結構ある。又、これはこの特別な大付録号だからか、挿絵がおざなりで、挿絵というよりカット画の類ばかりなのが意外だった
   

 

 

 

《 長崎夜話 》 『中央公論』第三十五年春季大付録号小説 1920年( 大正9年 )4月号

 

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