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2021年11月13日 (土)

 『 露西亞水郷印象記 』大泉黒石 【 1 】

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( 何しろ百年も前の古書なので、変な扱いをすると造本が壊れてしまいかねなく、古本屋が貼ったハトロン紙そのまま 。百四十頁ぐらいの厚さだけど、一応しっかりと製本されていて、保存も良かったらしく、原型は保っている。)

 

 

 19Ⅰ7年に勃発したロシア革命、翌年、早速に英米等の欧米帝国主義列強が革命を潰滅しようと干渉を謀 (たくら) み、シベリアに出兵した。列強に伍さんとばかり、帝国日本も便乗・出兵し、それに絡んでの国内の米の買い占め・売り惜しみ等による米価高騰で、自然発生的に米 ( 一揆 ) 騒動が日本列島を荒れ狂った。
 その余燼もまだ燻ぶる、正にシベリア出兵の真っ最中の翌々年19Ⅰ9年( 大正8年 )、そんな世相を反映するように、明治以来の総合雑誌として不動の地位にあった 《 中央公論 》 に対抗して、4月に《 改造 》が、6月には 《 解放 》 が創刊された。
 軍国主義や専制主義からの解放を目指した 《 解放 》 は、吉野作造、堺利彦、石川三四郎はじめデモクラット、アナ・ボルの論客達が中心になり、島崎藤村を文芸欄の顧問に置いて、芥川や荷風、谷崎達 《 中央公論 》 と同じような第一線の作家達を網羅した。

 

 

 我が大泉黒石はと云えば、一躍時代の寵児になった同年の 《 中央公論 》 第34年第10号 秋期大附録号(9月号)上に 《 幕末武士と露国農夫の血を享けた私の自叙伝 》 が掲載されるまでには、まだ若干時間があった。
 この創刊されたばかりの 《 解放 》 八月号 (大正8年8月Ⅰ日)に発表した 《 露西亞水郷印象記 》 の文末に記された執筆終了日付は大正8年6月29日となっていて、
普通に考えれば、この 《 露西亞水郷印象記 》 の直後に、《 幕末武士と露国農夫の血を享けた私の自叙伝 》 が書かれたってことになるが、この 《 解放 》 翌号にも「露西亜閑話」、更にその翌10月特別号にも「ゴーリキーと死刑執行兵」と続けざまに時代的懸案の“ロシア”絡みの小片が発表されている。
  《 露西亞水郷印象記 》 は、 【 第二特別記事 世界の山水郷 】特集の中の僅か8ページの小片で、他に野口米次郎の 《 米国の水郷 》 や与謝野晶子の 《 遊仏日記より 》 等が掲載され、巻末の 【 創作 】コーナーには、まだ芥川や谷崎達“文豪”の姿はなく、福士幸次郎・江口渙・豊島与志雄・加藤一夫等の名が並んでいる。  

 

 

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 ( これは二枚目の目次。「創作」欄の名の知れた作家達の作品にはちゃんと頭のページにカット画が添付されているけど、この特集欄には黒石に限らずカットはない。そもそも、巻頭の口絵すらない。)

 

 この大正8年は、黒石の寵児的デビューの年として有名で、5月に短編集《 露西亜西伯利ほろ馬車巡礼 》 ( 磯部甲陽堂 )、11月に短編集《 ロシヤ秘話 闇を行く人 》 ( 日新閣 )、12月には単行本《 俺の自叙伝 》( 玄文社 )が刊行された。
 以前は、黒石の文壇デビュー=《 中央公論 》 誌上での 《 幕末武士と露国農夫の血を享けた私の自叙伝 》( 通称“自叙伝”: 以降、自叙伝と呼ぶ )が相場だったのが、それはやっぱり一躍スターダムに躍り出たというニュアンスであって、同年、この 《 解放 》誌上や短編集《 ロシヤ秘話 闇を行く人 》 等も並行して発表され、実際の作家としてのデビューはもっと前なのが昨今の常識となっているようだ。

 

 黒石自身も、自叙伝で、当時の売れっ子(浅草)喜劇役者の曾我廼家五九郎や大正時代劇映画の雄、目玉の松ちゃんこと尾上松之助達に、はした金で脚本らしきものを書いていたのを零していたけど、こっちは小説とは謂わないのだろうが、しかし劇や映画の脚本も作品には違いない。恐らく物理的にその草稿すら残ってはいないのだろう。それにしても、あの1000本以上の作品に出たという尾上松之助の、一体、どの映画の“本”を書いたのだろう。甚だ興味の湧く事柄だけど、日活向島で監督・溝口健二で撮った 《 血と霊 》 が唯一の映画作品という訳じゃないってことだ。

 

 当方が知っている限りじゃこの 《 杜翁の周囲 》 二作が黒石の発表作品として一番古く、これもロシア絡み。

 

 《 杜翁の周囲 (Ⅰ) 》 『 トルストイ研究 』 第二巻第11号大正6年11月
《 杜翁の周囲 (2) 》 『 トルストイ研究 』 第二巻第12号大正6年12月

 

 これは、ひょっとして商業誌じゃなく、普通に研究団体の機関誌って感じのタイトルだけど、出版が 《 新潮社 》 ということで、果たして当時の黒石がどのくらいの評価を受けていたのか定かじゃないものの、何しろロシア語出来るロシア人ハーフってところが強味なんだろうから、それなりの評価は得ていたのか知れない。
 大正6年正月に、京都で一緒になった福原美代と上京してからの、本格的作家志向なら、血塗れの屠牛稼業や、浅草喜劇や活動写真のシナリオ書きの合間にもコツコツ書き溜めたり、直に出版社売り込みなんてやってたのだろう。
  《 俺の自叙伝 》 の中で、皮革業に携わっている頃、「豚の皮の新考案」なる文を「空業之世界」、つまり 《 実業之世界 》 に持ってゆくと、内容が気に入られ、 《 金を儲ける法 》 のタイトルに変えられ採用されたという。
 ところが、黒石、俺の自叙伝の中で、もっと初期、つまり思春の時代に既に物を書いて収入を得ていようで、こっちの方は如何なんだろう。

 

 

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 ( 黒石、与謝野晶子なんかと肩を並べるとは、正に本格的な文壇レビューと云えよう。)

 

 

「 それでもフランセ―・イリュ・ストレーという大きな雑誌ーーこれはその時分週刊で、いつも土曜の朝出たーーに、 『 ヴィクトル・ユーゴー博物館の印象 』を書いたときは、かなり人気を集めた、そう言えば、巴里や巴里以外のフランス人に 『 ユーゴー博物館 』 を紹介したのは、かく申す俺が最初の人間だと言ってもよかろう。」
        

 

 「 その次に「国民印刷局の歴史」を載せた、ロハン僧正(ムド・ヴォルカノ)のカーラーイルが言った 『 ダイヤモンド首飾り事件 』 の悲劇の一部を狙って書いたものだ。これも成功した。」

 


   ともにフランス語なんだろうから、フランスでのデビューが先ってのが、放浪国際派としての面目躍如ってところ。

 

 

 「 自分では一科の文学者だと自負して居る処へ持って来て、この女に小僧あつかいにされると、もう、うんざりする。」

                                                               

                                                                                                                                   136P 《 俺の自叙伝 》

 

 

 正に黒石、この頃既に、売文稼業に、とっくに足を踏み入れていたのだった。

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