日本の悪霊 ニッポン挫折・馴致譚
犯人は7人
内、死体で発見された者2
自殺と認定
捕まった者3
後2人
2人は逃げた
その内1人はリーダーだ
もう1人はチンピラ
左翼かぶれの大学生
ともかくその2人が捕まらない
1970年、高橋和巳の原作を、監督・黒木和雄、脚本・福田善之、主演・佐藤慶の、しかし、原作は未読だけど、本来は強盗容疑者だった村瀬勝を、任侠組織幹部に仕立てた、それも県警本部警部・落合と一人二役の奇妙な構図の、如何にも60・70年代的アイコニック=ATGらしい作品。
ちょっと前、“暴力革命”の未放棄の日本共産党と断じて評論家・古市憲寿が論難したとか、実際には、 日本共産党的には、六全協(1955年に暴力革命から平和革命路線に転換 )でとっくに極左軍事冒険主義の放棄を謳っていたにもかかわらずってところで、些かの話題になったことがあった。
その、1950年代に,一瞬間,全国的に展開された暴力革命を企図した山村工作隊をモデルにした、仮称の日本前衛同盟・独立襲撃隊(7人)の山林解放を目しての山林地主襲撃( 中央本部からは中止を命じられていたにもかかわらず、むしろそれを蹴って )を基軸に据え、その襲撃殺人事件およびその不可解な結末の謎に、一人憤然と、任侠幹部・村瀬が迫ってゆく。
偶然、それぞれ別の都市から、この小さな街へ派遣されてきた任侠・さんこう会幹部・村瀬と県警本部警部・落合が、客分・村瀬に鬼頭組が世話した女将が、容貌が瓜二つなので見間違えて刑事・落合を自宅に誘いこんだことからの正に奇遇。
女将の寝室で素っ裸のまま横になった落合の面前に、のっそりと村瀬当人が現れる。
些か分の悪い落合、村瀬に互いに立場を替えようと一方的に押し切られてしまう。
村瀬曰く、共闘。
村瀬と落合の二役をうまく演じ分けた佐藤慶の面目躍如。
白黒画面が一層時代がかってリアル。
やはり、そもそもの事件の中核に居た村瀬が主導的で、うだつの上がらぬ刑事・落合は従。( 落合は、特攻隊の整備兵くずれだった。)
この街に昔からある任侠組織・鬼頭組の組長が長い刑期を了えて出所することから、もう一つの新興勢力・天地組との抗争の勃発に絡んでの二人の警察・任侠それぞれの組織からの派遣だった。
村瀬は、警察署で、そもそもの鬼頭組の組長が、天地組のバックと目して殺害した地主の事件の調書を見ている内、余りの捜査と判決の杜撰さと、それ以上に不可解さに猜疑の眼を向ける。真相を探るため、署内の資料室で、事件当時の詳細を渉猟し、いよいよ疑念を深め、真相に近づいてゆく。
実は、村瀬こそ、地主を刺殺した独立襲撃隊員その人であり、逃げた一人だった。
つまり、警察(司法)発表の下手人=鬼頭組組長は、署長に頼まれ、引き換えに、天地会の縄張りを貰う取引の下での偽計に過ぎなかった。
その辺の、当時の関係者だった署長との一問一答の駆け引き、というより、村瀬の一方的な事件の警察・司法の歪曲と隠蔽に対する揶揄的挑発が、けっこうスリリング。
事件自体は既に時効になっていて、村瀬も、署長もそれを口にする。
それ故に、
何もどうにもならない。
だから、
どうでもいい
自嘲気味にそう吐露しながらも、、村瀬は、尚も追及せざるを得なかった。
反戦運動が70年安保に収斂していき、米国のトップが条約再調印に現れることもなく自動延長ってことで肩透かしを喰らって、以降急速に衰退していってしまった。新左翼諸党派は内ゲバへ、ノンセクトは武装闘争へと尖鋭化してゆき、運動の更なる減勢化を来たした。
そんな予兆を孕んだ、諦念的吐露だったのか。
「何もどうにもならない。だから・・・どうでもいい 」
それにしても、ニヒルな断念・・・エナジーは、それでも、憑かれたように捨石的方途へと直走ってゆく。
この時代(60・70年代 )の、もう一つのアイコニック、反戦フォークの象徴=岡林信康がギター片手に幾度も画面に現れ唄い出す。その時代1970年の風景としての岡林なんだろう。









