トルストイ翁との遭遇 杜翁の周囲 ( 大泉黒石 )
大正6年(1917年)は第一次世界大戦真っ只中、長引く戦争に対する厭戦からロシア革命の勃発した年でもあり、いやでもロシアに対する関心が高まる状況にあって、この 《 トルストイ研究 》( 新潮社 )も結構人気があったようだ。
本屋の店頭で無料( 昨今は有料 ? )で置かれている 《 図書 》やなんかと同様の、70ページぐらいの薄い小冊子 ( 型は欧米のペーパー・バック風の縦長 ) だけど、表紙にも、本文にもトルストイのモノクロの挿絵や写真が数点掲載されている。
〈 杜翁作品号 〉 と題されたこの 《 トルストイ研究 》 第二巻第十二号 は、ロシア十月 ( ロシア歴 : 西暦だと十一月 ) 革命の直後ってことで、かなり関心が高まった時でもあったろう。
【 注 】 杜翁=トルストイ
表紙裏に目次があって、大泉黒石じゃなく、本名の大泉清の名で並んでいる。表紙刷りの方が早かったのだろう。本文には、《 杜翁の周囲 ( 2 ) 》 のタイトルの下にしっかりと大泉黒石と刻印されている。“ クリミヤ海岸に於けるトルストイ ”なる挿絵が前ページいっぱいに掲載されていて、冒頭に 〈 三、 別荘の旦那 〉 の章タイトルが冠され、 〈 四、 氷柱に打たれて死んだ農夫 〉 との二章構成。
前号からの続きらしく、前号=第十一号は未見だけど、これも黒石の常套の、悪く言うと使い廻し、良く言うと発展的洗練ともいうべき、《 俺の自叙伝 》 の 〈 少年時代 〉の章に対応したオリジナル作品だった。つまり、二年後に月刊 《 中央公論 》 に発表された 《 幕末武士と露国農夫の血を享けた私の自叙伝 》 の原型なのだ。
二年の歳月を経て、同じエピソードが如何様に変貌したのであろうか。
この 《 杜翁の周囲 2 》 は、文字通りのトルストイとの出逢いをテーマとしたもので、《 俺の自叙伝 》 じゃ、それはあくまで一部でしかない。黒石はこの作品以降、あっちこっちの雑誌に結構書きまくっていたようで、その中に、《 俺の自叙伝 》 の他の部分に対応した単独作品、つまりオリジナルが発表されていた可能性もあるが定かでない。
三章のっけからトルストイの風貌を些かシニカルに描いて見せる。
これって、既に黒石の持ち前のシニカルな筆致がその当初からのものだったのが了解できる。
「 爺さんの大きな横平な鼻の頭は蕪の根のように赤くなって、灰色の口髭にぶら下っている鼻汁が、口をもくもく動かす度に落ちそうであったが、爺さんは何時(いっ)かなそれを啜り上げようともしない。
先登(頭)に此(この)爺さんが痩せた犬を引っ張って行くと、その後から神父と伯父の医者が行く。次に僕とイエドロフが附随(くっつ)いているのである。揃いも揃って皆薄汚い外套を引っ被って、一様に鼻柱を赤くしているけれども、僕の伯父だけは比較的洒落ていた。」
《 杜翁の周囲 2 》
「 爺さんの大きな鼻の尖(さき)が赤蕪のように赤くなって、灰色の口髭にぶら下った鼻汁と鬚とが、申し合せて白く凍っていた。
口をモグモグ動かすと崩れて落ちそうだが、爺さんは平気で歩いている。
先登に此爺さんが痩せ犬を引張って行く。その後ろからアキモフ神父と伯父が行く。次に俺とイエドロフが神妙にくっついて、ぼそぼそ歩いた。イエドロフは一体何処へ行くんだろう。
揃いも揃ってみんな薄汚いシュバ(外套)を引っ被って、一様に鼻っ柱を赤くしているが、俺の伯父だけは洒落ていた。」
20P 少年時代 《 俺の自叙伝 》 ( 玄文社 ) 大正8年12月
その外套も、《 俺の自叙伝 》 じゃ、
「 伯父の外套の襟は大野猫の毛皮だ。」
となってるけど、《 杜翁の周囲 2 》 だと、
「 此獣の茶色の毛皮は、多分臘虎(ラッコ)であったらしい。」
となっている。ラッコはともかく、大野猫って山猫のことなのか。大陸で時々毛皮を見かけたことがある。中国じゃ狸の意味もあるという。
( 表紙裏の目次。著者名が本名の大泉清になっている。パステルナークの描いたトルストイの挿絵もある。)
「 こうして、神父と伯父とを相手に、腰をかゞめ乍ら、口を動かしている爺さんの、恰も高麗(こま)犬のような格好の顔を見詰めていると、死んだ親爺の顔を思い出した。僕の親爺は此労働者じみた薄汚い爺さんよりは十位い若くもあった故(せい)だろうが、何しろ、もっと顔立ちが立派であると思った。同じ露西亜人でも、如何しても僕の親爺の方が、小柄ではあったが、容貌(きりょう)が上等だと思っていると・・・」
61P 《 杜翁の周囲 2 》
「 こうして神父と伯父とを相手に腰をかがめ乍ら口を動かしている爺さんの、恰も高麗犬のような格好の顔を見詰めていると死んだ親爺の顔を思い出した。俺の親爺は此労働者じみた薄汚い爺さんよりは幾倍若くもあったがもっと顔立ちが立派だと思った。同じ露西亜人でも如何しても俺の親爺の方が小柄ではあるが容貌が上等と思っていると・・・」
30P 少年時代 《 俺の自叙伝 》
「 『伯父さん。僕が掘る』と、いきなり、両手を捲って僕が雪を掘ろうとすると、
『 キョスキー、へえ、へえ。』
と、爺さんは僕の肩を捕まえて、伯父の薪を引ったくるようにして取ると、僕に握らせた。それで、黒い物を掻き出そうと力むと、爺さんは『 お待ち。お待ち。』と云い乍ら、僕に手を引かせて、薪を雪の中へ一突きにして置いて、大きな靴の踵で、ごつごつ、踏み始めた。それを今度は僕が横合から、ぽんと三遍蹴ると、ざくりと抜けて、穴が穿(あ)いたから、両手を突込んで、大きな雪氷の塊を持ち上げると、黒い物の影は十分に現れて来たのである。
『 鉄砲だ。』とごりごり引っ張り出してみると、矢っ張り、鉄砲であった。」
杜翁の周囲 2 》
「 『お爺さん。俺が掘る』
俺が、いきなり、両手を捲って雪を掘ろうとすると、
『 キョスキー、へえ、へえ。危ない、危ない 』と云い乍ら、俺の手を靴の先で払いのけた。すると側から木の枝を拾って来た百姓が、ごりごり探し始めた。掘り出して行くうちに黒い物は段々、はっきりと形を現した。最後に出て来たのは一挺のマキシム銃だった。」
51P 少年時代 《 俺の自叙伝 》
( 作者不明のトルストイの肖像。)
《 俺の自叙伝 》 の方の“ マキシム銃 ”の直後は、
「 十五分ばかり、氷柱の下に俺たちは立っていたが、間もなく例の焚火の家に引き上げた。それから三日目にまたモスクワの下宿に戻った。」
と、簡潔に“ 氷柱に打たれて死んだ農夫 ”の件は終り、モスクワに帰還してからの伯母ターニャとのエピソードに移っているけれど、オリジナルの《 杜翁の周囲 2 》 じゃ、まだまだ、“ 氷柱(つらら)に打たれて死んだ農夫 ”ことカルジンの件が続いていて、些か煩雑な記述になっている。
「 爺さんは其鉄砲をつくづく眺めている。
鉄砲が落とし忘れてあることは解っていたが、其次に、頭巾が現れて来たのは意外であった。伯父は、立続けに饒舌 (しゃべ) った。爺さんは黙然としてカルジンに致命傷を加えた氷柱の破片を、靴先で蹴っている。・・・」
以下、半ページ程続き、
「 僕はそれから再びモスコーへ引返した。爺さんとは其後モスコーで逢った。けれども僕は此時の事だけは、如何しても忘るゝことが出来ずにいる。十二三から十三四歳だった当時の僕は、もう一人前の男になっている。イエドロフは如何しているであろうと思う事も偶 (たま) にはある。
『 君が善き行いの記憶は
吾等の裏 (うち) に死することなからん 』
と書いた旗を押し出し立てゝ、爺さんの死骸の後ろから、ぞろぞろと跟(つ)いて行った百姓連中の中に、あの時の百姓も、百姓のお神さんも混じっていたであろう。( 大正六年十一月十八日)」
50P 《 杜翁の周囲 2 》
で、完結。
些細な変化といえば、どういう訳か、モスコーから、《 俺の自叙伝 》じゃモスクワに変わり、イエドロフの嫁さんの実家が営っている木賃宿 《 アレキス屋 》が 《 アレクセイ屋 》に変わった。英語的発音・表記のモスコーから、よりロシア語的発音に近いモスクワに、あるいは当時(現在でも)の日本で一般的だったモスクワに変更ってのは了解できる。
明治後半から大正にかけて、トルストイの日本での人気・影響は、キリスト教と相俟ってかなりの物だったようだけど、わが大泉黒石は如何だったろう。
同じロシアの血が流れていて、憧憬するものもあったろうが、何しろ、トルストイにしろドフトエフスキーにしろ、ともかく巻数多過ぎて、中里介山の 《 大菩薩峠 》 同様未だにまともに読んだことなく、そもそも、ツルゲーネフとプーシキン、どっちがどっち程度のおよそロシア文学に無知な当方、精々がロシア革命的黎明の暗い息吹を覚えさせるローブシンの作品ぐらいを読んだ記憶があるぐらいで、四方田犬彦が関心を示しているらしく、いずれ纏まった黒石論を上梓するのだろうから、先ずはそっちに期待したい。
この巻の冒頭掲載のトルストイの作品 《 エルマーク 》 の翻訳者・昇曙夢は、当時のロシア文学者らしく、この雑誌にも、同じ新潮社から出した 《 トルストイ十二講 》 の2ページにわたる大きな広告が載っている。
奄美出身の正教会神学校出でもあるらしい。正教会ってのが凄い。=ロシア正教からのロシア語堪能って訳なんだろう。
詩人・作家の加藤一夫の翻訳も並んでいて、彼も神学部卒の、この頃はトルストイ心酔者。あの黒石の盟友=ダダイスト辻潤ですら、初期の頃はキリスト教の影響を受けていたようだけど、黒石の場合如何なんだろう。確かに、中・高とキリスト教系の鎮西学院に籍は置いてはいたが。
( 裏表紙。巻末にも新潮社発刊の「「カラマーゾフ兄弟」や有島武郎著作集「宣言」の広告あり。正に大正。)
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