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2022年2月26日 (土)

エクスカリバー ケルト的残影 

Excalibur-1

 
  
 不老不死をテーマにした近未来SF映画《 未来惑星ザルドス 》(1974年)の独特の世界が気に入っていて、トマス・マロリー《 アーサー王の死 》を基にした同じジョン・プアマン監督のこの《 エクスカリバー 》(1981年)も観てみたのだが、やはり独特の風味の神話・伝説的世界は悪くなかった。

 

 いわゆるアーサー王伝説って奴だけど、その実在性は定かではないようだ。
 中世後期の詩人マロリーより千年近く前の古代の時代に活躍したという民話・伝説的産物。勿論伝承だからといって、単なる想像的産物とばかり決めつける訳にはいかない。元々は国王なんかじゃなく、もっぱら大陸からの侵略者・サクソン人に対する前線で先頭切って戦う騎士の長、それも向かうところ敵なし的な救国民族英雄的出自ってことらしい。

 

 

 この映画以降も幾本もアーサー王映画が造られているけれど、単なるアクション映画としか見えず未見。ブアマンの《 エクスカリバー 》は、アクションというより、元々の伝説・神話性をそれなりに巧く活かしたイマジネーティブな世界。
 マロリーの《 アーサー王の死 》を読んだのは随分と以前で殆んど詳細は覚えてないけれど、映画化の常套で、あっちこっち換骨奪胎的に異同変容している。二時間ちょっとの時間枠に収めようとすれば不可避なものでもあろう。
 

 

 例えば、宝剣・魔剣のはずがエクスカリバー、画面じゃそれほど威力のある霊験あらたかなものには思えなく、しまいには格闘中に折れてしまう。
 初めてランスロットと対面した一騎打ちの場面でだけど、“上には上がいる”、つまり謙虚さを失った驕り故に、その理に背いた結果としての絶対折れるはずのない宝剣の棄損というキリスト教臭の漂う騎士道的モラル。
 その旨アーサーが懺悔した途端、アーサーが折れ残ったエクスカリバーを投げ入れた傍らの静かに佇んでいた湖の水面に、湖の女精が、元の姿に戻った光り輝くエクスカリバーを掲げ見せ、再びアーサーの手中に。 
  

 

 大陸から渡って来たサクソン系のコーンウォール王と覇を競っていたブリトン王ウーサー・ペンドラゴンに守護魔術師マーリンが平和を説き、宝剣エクスカリバーをエサに休戦に至るところから映画が始まる。
 ところが猛々しいばかりの煩悩凡愚王・ウーサー、契りの宴で、早速コーンウォール王の妃イグレインに一目惚れ。忽ち血で血を洗う相克戦に逆戻り。
 一度でいいから美妃イグレインを抱きたいと、マーリンに泣きつくウーサー。
 辟易しながらも平和のためと、イグレインとウーサーとの間にできた嬰児を渡す言質を取りつけ魔術によって叶えてやる。
 かくて二人の国王は前後して戦死し、やがて、岩に刺さったエクスカリバーを引き抜く嬰児=少年王アーサーの誕生となる。
 コーンウォール王にはモーガナという娘が居て、成長して魔女となり、魔術を使って異父兄アーサーと同衾し、一子モードレッドをもうけて、ブリテンを統一しブリタニアの王となっていた円卓王アーサーに王位簒奪を陰謀む。
 時、あたかも、聖槍ロンギヌスによって負傷した不具王たる漁夫王の説話をミックスした、ブリタニア王アーサーの病とそれによって疲弊し切った国土の蘇生のために、円卓の騎士たちが、聖盃ホーリーグレイルの探求行へとブリタニア中に散ってゆき、杳として帰還することのない暗黒の時節。 
 次から次へと魔皇子モードレッドの手にかかって大木の枝に吊るされるばかり。
 それでも一人、艱難辛苦の果て辛うじて聖杯城から聖杯を手中にして戻って来た騎士パーシバル。
 蘇った円卓王アーサー、モードレッド軍との決戦でモードレッドを倒したものの、自身も深手を負い、パーシバルに女精の湖にエクスカリバーを棄てに赴かせる。最初これだけの宝剣を棄ててしまうのは勿体ないとパーシバル、棄てたと嘘をつくが直ぐに虚偽であることを告白し、再び湖に戻り、湖面遠くにエクスカリバーを投げ入れる。湖面から伸びて来た女精の手がしっかと受け取り湖底に消えていった。
 再び戻って来た場所にアーサーの姿は無く、海の向こう、横たわったアーサーの背後に三人の精姫が佇んだ大きく帆を拡げた舟が一艘、彼岸の島アバロンへと悠然と去っていくのであった。

 

Excalibur-3

 ( 少年王アーサーに味方したレオデグランス卿とその娘グネヴィア。)

 

 
 冒頭のコーンウォールでの朦々たる靄のたちこめる合戦のシーン、ワーグナーの《 ジークフリートの葬送行進曲 》がおどろおどろしい古色蒼然とした雰囲気をいやでも醸し出し、やがて悠然として黒衣をなびかせたドルイド僧風の魔術師・マーリンが登場する。
 ワーグナーの曲がよく映える。
 後の場面で、マーリンが自身に言い聞かすように零すセリフ・・・もう、われわれの時代は終わりを告げる・・・人間の時代の到来。
 古代から中世へ、それは又、西欧ではキリスト教世界の成立を意味する。
 それに呼応するように、中世草創期からヨーロッパ中で、アーサー王伝説・物語が枚挙にいとまがないほど作られてきた。
 この映画の原作になっている《 アーサー王の死 》の作者マロリーは、自身が15世紀の騎士であり、聖杯探求の円卓の騎士たちとは多分に趣きが異なる波乱万丈的流離譚の持ち主でもあったようだ。
 その《 アーサー王の死 》では聖杯騎士はガラハッド。
 ところが、この映画じゃパーシバルが聖杯騎士となっている。
 アーサー王物語は、作品によって、登場人物たちの組み合わせや役割がバラバラで、それぞれ作者の都合と論理で再構成されているらしい。つまり、要は虚構の類なんだけど、皆それぞれにその出自において様々な伝承・神話が絡んでいるようだ。
 
 
 聖杯=聖皿でもあるらしく、ウェールズの作家の作品じゃ、生首を載せた皿ってことになってるのもあって、古代ケルトの遺風に根差したもののようだ。
 皿の上の生首ってイメージ、ケルトに疎い当方には、先ずイエス・キリストの師匠たる洗礼者ヨハネの生首を載せた皿を手にしたサロメの有名な図が思い浮かぶ。こっちも、愛欲・骨肉的騒擾として、アーサー王物語周辺と同臭異説。
 イエスと同時代、ガリラヤとペレヤの領主ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の息子)は、ナバテア王国アレタス4世の娘と政略結婚していたが、異母兄の娘( 姪 )ヘロディアを見染め、異母兄が存命にもかかわらず強引に一緒になった事件。それを批判していた洗礼者ヨハネをへロディアが恨み、娘サロメを使ってアンティパスに洗礼者ヨハネの生首を獲らせたという経緯。
 古代ケルトは生首に特別なものを認めて、結構日常的に馴染んでいたという。
 正にアニミズム的粋。
 魔術師マーリンも、そんなドルイド=アニミズム的粋的存在で、やがて暴圧的にキリスト教に征服・淘汰されてしまっても尚、ケルト=アニミズム的遺風はまだまだ生きつづけてゆく。
 そういえば、北欧神話とケルト神話とは別物らしいけど、も少し下った時代設定のベルイマンの《 処女の泉 》( 1960年 )もそんな背景を前面に押し出した作品だった。

 

《 エクスカリバー 》(1981年) 監督・ジョン・プアマン ( 英・米映画 )

 

Excalibur-2

 ( 女魔術師モーガナが、異父弟アーサーに魔術を使って産んだ皇子モードレッド。

  父王アーサーからブリタニア国王の座を奪おうと画策。)

 

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