『 化身 』 人民服の遊行僧 トンドゥプジャ
( チベットの老爺は手にした数珠を一つ一つ親指の爪で弾きながら真言を唱えつづける。日向ぼっこを兼ねて。それに小さなマニ車を廻しいよいよ功徳が積まれるという寸法らしい。)
黄土色の砂礫の山々がどこまでもつづくいわゆるチベットのイメージとはことなった草原の拡がる青海省、そのある鄙びた山村。
青々と茂った農作物が夏風に大きくうねっている黄昏時、日向ぼっこついでに観音の真言を唱えていた隠居の老ニマは、ふと遠くにゆらぐ訪問者らしき人物の影をみとめた。やがて現れたのは、人民服姿の、三十代の、小太りした眼の大きな丸顔の男だった。
ところが、あろうことか、その男こそ、チベット仏教で高僧の生まれ変わりと敬われる化身(トゥルク)であったのだ。
但し、体形のせいか、どうも胡坐(あぐら)の苦手な化身のようで、両足をちょっとずつ動かしたり組み替えたりしていたのが、いよいよ膝が痺れて来たのか歯をくいしばって見せたりするのであった。
夕食の後、普段は一つしか灯さない燈明を今夜は七つも灯し、煌々たる灯の中で、息子の嫁・チャクモシャムが運んできた乳茶( バター茶 )を飲みながら、ニマ夫婦は、化身の言葉にみじろぎもせず聴き入っていた。
やがてニマが化身の出自や予定なんかを尋ねると、リンポチェ( 化身ラマなどの高僧に対する呼称 )は、こう答えた。
「 『 私の目にはこの世は輪廻の牢獄も同然、ただ厭わしいのみ、それゆえ、いずこへ向かい、いずこに留まるか、あてどのない身の上なのだよ。特に今は濁世の時代、修行者たちに仏縁はなく、ラマたちにも自由はない。ならば全国津々浦々を放浪して、有徳の者達と法縁を結ぶ方がましというもの。私の先代の化身たちもまた、いろいろな土地をさすらった苦行者ばかりであった。先代達の偉業を守ることができるなら、これぞ私の畢生の喜び、同時に心に抱いていた夢もかなえられることになろう。』 化身はさらに、文化大革命中いかにほど寺院が破壊され、経典が燃やされたかを詳しく語ってみせた。そして最後に合掌して、『 輪廻の世界は針の上に座るがごとし、一時たりとも心の休まる暇なし。三宝よ、御加護を』 と締めくくったのである。 」
この化身、チベットから中国の事情、チベット仏教各宗派の高僧達の伝記に実によく通じていたけれど、時々、ニマ達の素人目にも勘違い・混同したとおぼしき箇所が散見されるのであった。
その翌朝、チャクモシャムが早朝の水汲みから戻って来て門のところに差し掛かると、化身が一人そこに佇んでいた。
「『 上人様、朝早くからそんなところに立ってどうされました ? 私は怠けものなので、まだお茶も沸かしてないんです。』
化身はにやにやするばかりで何も答えず、両の眼でチャクモシャムを頭のてっぺんから足の先まで舐めるようにながめている。なるほど、小柄でやや痩せ気味の女か。木綿地のブラウスを着ている。絶世の美女ってわけじゃないが、ちょっとそそられるところもある。水桶を背負っても疲れている様子をまったくみせてないから、働き者なんだろう。目の表情からもまっ正直な女だとわかるぞ。」
「 チャクモシャムは化身が自分をじろじろ見ているのに気づき、きまりわるくなって、うつむいてしまった。そのとき視線の先に、門の右側に干し草ともみ殻の束が積んであるのが目に入ったので、『 明日、ツェランが道路工事に出かけることになっているもので 』 と言うや、あわてて中庭に入っていった。
化身は彼女の後ろ姿をじっと見やりながら思った。 『 息子を三人産んだ母親を信頼するな 』 というが、まさに正鵠を射ているな。明日だんなが道路工事に行くからと、今からおれにこっそり合図を送ってきやがる。まったく、こうした女ほどくわせものはいないな。化身はくくっと笑ってほくそえんだ。そこにどのような意味がこめられていたか、誰が知ろう。」
化身・リンポチェ・グルの尊名を戴いてる割にゃ、何とも生臭ささの芬々たるふるまいと言辞ばかりが訝しさと危うさを醸し出す。
チャクモシャムの隣家に仲の好いドゥクモという器量の好い娘がいて、毎朝一緒に水汲みに通うのが日課となって居た。おしゃべりのチャクモシャムが大きな声で化身のことを話すものだから、周囲の村の女達の耳に嫌でも入り、たちまち村中に知れ渡ってしまった。
化身は病んだ母親と二人暮らしのドゥクモの家に厄払いの祈祷に招かれた。
「 『 ありがとうございます、ありがとうございます』 ドゥクモの母親は咽び泣いた。
ドゥクモは茶碗にもう一杯乳茶をそそいで化身に勧めた。その手は汚れていたが、顔かたちは美しく心をとろかすようだ。化身の心はベェベェ鳴く仔羊のようにざわついた。『 ザクロは食べずともその色から味が知れる。』というように、化身の表情からもその心に秘められたものは明らかだった。ドゥクモだって分別のある年頃、空に舞う鳥の雌雄の区別はできなくとも、人の表情を読みとるぐらいはできる。」
「 そのとき、化身は落ち着き払った様子で、茶を受けとりながらドゥクモの手を握った。ドゥクモは気が動転して、顔色が蒼褪めた。手をひっこめようとしたが化身は放そうとはしない。このままだと・・・ああ・・・。娘は罠にかかったハヤブサのようだった。化身のほうもひどく焦ったが、急く心の中で一っ考えが浮かんだ。彼が声を低めて『 娘よ、余計なことを考えてはいかん。母上の病の原因は、お前のこの手にあるのだよ。私はそれを調伏しようとしているのに、娘のおまえが邪な考えから邪魔だてするつもりなら、好きにするがいい 』と囁いた。するとドゥクモはおとなしくなった。
化身はこのときとばかりにドゥクモの手に息を吹きかけ、それから徐々に目をつむり・・・そして長い時が過ぎていった。」
化身が村に現れて一週間程過ぎると、村人達が多くの貢物を捧げようと化身の下に詣でたが、同時に、娘達の間に好からぬ噂が密かに流れ、ドゥクモと化身の仲が取沙汰され始めた。
チャクモシャム自身も、ドゥクモに渡してくれと預かった首飾りを化身に渡しに化身の泊っている部屋まで赴くと、危うく部屋の中に連れ込まれそうになって、化身のところをあからさまに悪鬼呼ばわりするようになっていた。
とうとう、女達で草刈りに赴いている途中、そんな鬱々とした不穏なわだかまりが、常時もべったりつるんでいたチャクモシャムとドゥクモの間から噴き出すことになってしまった。
「 ドゥクモ、『 言葉は考えてから発せよ、ツァンパは噛んでから飲み込め』というじゃないの。人をからかうんじゃないわよ」
「『 人に恥じらう心が無ければ犬、犬に尾が無ければ化け物 』というのは本当ね。あんた、あたしに犬みたいにへつらっておいて、・・・おまけにあたしの首飾りまで・・・ふん、この泥棒女!」
「 恥を知らないのはあんたのほうでしょう。首飾りが欲しかったら、あんたの上人様に言えばいいじやない。人に濡れ衣を着せないでよ」
「『 狼がうまい肉をたいらげ、狐が非難をうける 』ということわざはあんたのためにあるようなもんだわ。『 ツァンパを自分で食っておいて、空になった袋を他人の頭にかぶせる 』ような真似はやめて」
「『 朝に馬に飼い葉を与えたら、夜には後ろ足で蹴りつけられて恩返し 』っていうのはまさにあんたのことね。『 酒のお礼に水でお返し、お茶のお礼にションベンでお返し 』みたいなことをしないで 」
「 あんたが私に淹れてくれたお茶は毒より苦かったわよ。この恥知らず。あたしの首飾り、返してよ」
「 恥知らずはあんたよ。とっとと行くがいいわ!あんたの上人様に会いに行きなさいよ!」
結局、チャクモシャム一人が悪者にされ、それからの一ヶ月、チャクモシャムにとっては屈辱の長い辛酸の日々となった。
が、ようやく、道路工事に赴いていた男達が戻って来ると、事態は百八十度の展開を見せた。
姿をくらましていた化身は、町で公安に逮捕されていた。
あっちこっちの村々で、化身の名を騙っては、村人から金品をだまし取り、あるいは盗んでいたのだ。ニマ爺さんの家から盗んだあれこれ、ドゥクモから貰った首飾りも男達が持って帰って来ていた。
男達の隊長がニマ爺さんに向かってこういった。
「 党の宗教信仰の自由の政策を実践するさいには、かならず敵味方をよく分別しておかないとな。あのペテン師はニマの仏像を盗んで、ドゥクモへの贈り物として置いていき、ドゥクモの首飾りを持ち去って、よその村の女に結婚の贈り物として与えたんだ 」
首飾りを渡され、ドゥクモは顔を真っ赤にして家に逃げ帰った。
チャクモシャムの両の目からは涙が流れるばかりであった。
( 西寧のチベット寺院タール寺。1993年当時は、道教寺院・北山寺も同様にまだまだ燻すん佇まいのまま。駅舎も。)
この遊行的修行僧って、ふと崔健の1989年のアルバム《 新長征路上的揺滾 》中の〈 仮行僧 : 邦題・ニセ和尚 〉を想起してしまう。その四年前の1985年、32歳でトンドゥプジャは自殺しているので、直接的には係わりはないようだけど、1989年の《 天安門事件 》の際、学生達に崔健の初期の曲〈 一無所有 〉が唄われたりしていたってエピソードから、ついその関連・影響を想起してしまった。
尤も、その逆、トンドゥプジャ → 崔健は可能性としてはあり得るだろうが如何だろう。いわんや、“ 糖僧 ”蘇蔓殊は ?
1953年、青海省・アムド生れのチベット現代文学の祖とまでいわれたトンドゥプジャ、1985年に32歳の若さで自ら命を絶ったという。 その経緯の程はネット瞥見しても定かじゃないけど、文化大革命後のいわゆる改革開放路線がいよいよ本格化してゆく時節、四年後の1989年春には、北京の《 天安門事件 》に先駆けて、《 ラサ暴動 》が発生し戒厳令が発布されることになる。
とりわけ、この《 化身 》、発表されるや、“ 邪見 ”だとか“ 破壊者 ”とか指弾され、殺人予告やカミソリの刃が隠された封書まで送られてきたという。旧態依然の感性と思想の人々達にとっては、由々しき秩序破壊者、中国共産党的唯物論以外の何ものでもなかったのだろう。
例えば、この作品が上梓された数年後に、同様に仏教国・タイの農村を舞台にした寺=僧を蛇に擬(なぞら)え、欲念の業火に身を焦がす破戒僧的現実を描いて見せたウィモン・サイニムヌアンの《 蛇 》も、当時、初めてタイで仏教僧を批判した小説ってことで賛否拮抗したようだ。
黄衣を隠れ蓑に農民に徳や善を押し売りし喰いものにする破戒僧達に対するのと同様に、地獄極楽のことしか頭にない農民の愚かさに対する批判でもあったとはサイニムヌアン本人の弁。それでも当時としてはかなり売れたらしい。
《 化身 》という作品が、立派なラマや化身ラマへの当てこすりになると指摘された際、トンドゥプジャはこう断言したという。
「 おれはいつか釈迦は犬だと書くかもしれないが、どうしてそう書いてはいけないことなどあろうか。釈迦は清浄な五百の生を生きたとされてるが、その中で犬になったことがないと誰が言えるか」
だいぶ以前、ザシ(タシ)・ダワの《 チベット、皮紐の結び目につながれた魂 》を紹介した折に、チベット語で書かれたチベット文学と漢語で書かれたチベット文学にちょっと触れたことがあった。
「 チベット族の門盲率の高さ、・・・なによりチベット語が話せない、話せてもチベット語では創作できないというチベット族作家が現実に相当数いるという事実」
牧田英二《 風馬の耀き ザシダワ・色波 》
このザシ・ダワの本が国内で発刊された1991年当時の、訳者・牧田の解説だと、チベット語で小説を書いているのは少数で、公定普通中国語=漢語教育を受けたてきたチベットの若い世代のその傾向性に、民族自決・民族語教育の原則的建前との矛盾・乖離を覚えざるを得なかった。
その漢語表現の方に走る趨勢への憂慮は、しかし、この2012年発刊のこの本の巻末よると、実際は、チベット語表現作品の方が圧倒的に多いという傾向性に薄まったものの、昨今の中国権力的傾向からは、やはり疑念を抱かざるを得ない。
それは、しかし、日本における、アイヌや琉球・沖縄の文化・言語問題を念頭に置くと、一目瞭然過ぎるぐらいで、中国権力が、最低限、革命の本義に立ち返るのでないかぎり、このまま権力主義剥きだしたまま一層の全体主義的統制に走るばかりなんだろう。
かつて北京・中央民族学院で、チベット語チベット文学の雄=トンドゥプジャと知り合いその後も盟友として近からず遠からずの関係を持っていたという漢語チベット文学の雄=ザシ・ダワ(扎西達娃)ともども、暗喩と隠喩に満ちた物語世界の構築に余念のない由縁。
《 化身 》 【 ここにも激しく躍動する生きた心臓がある 】2012年
トンドゥプジャ 訳・チベット文学研究会 ( 勉誠出版 )
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