西寧の旅( 1994年 )日記
( 西寧体育館の脇にかかった見世物小屋。 ブレークダンス、手品、縄抜けetc. 文革以降の初期改革開放的産物とでもいうべきか。)
1994年夏、前年と同様、ゴルムド( 格爾木 )から列車で青海省の省都・西寧(シーニン)に入った。只、今回は、チベットの四千メートル世界から二千メートル高原地帯への下り旅。登りは軽度の高山病的症状=吐き気にじくじくと苛まれ、隣席のカメラマンがあれこれ心配してくれたり、白人女にこれは効くのよと真っ黒い薬塊を飲まされていよいよ酷くなってしまったりの四方山満載だったけど、帰路は、下るばかりで軽快そのものだった。
508次 中臥 3車15舗 160元+10元=170元
バスもあり、普通バスだと80~90元、スリーパーで210元( 下段 )。一、二度中国のスリーパー( 始めの頃は無かった )には乗ったことがあって、カーブや下りだとベッドから転げ落ちてしまいそうになり、両手でしっかとベッドの端を握ってなけりゃならないコント紛いの代物だったので、さすが遠慮させてもらった。 昨今は如何なんだろう。日本や欧米は、リクライニング方式なのでまあ問題はないけれど、かのスリーパーは列車のベッドをそのままバスに組み込んだだけのような代物。スリリング好きにはうってつけ。
夏の青海高原は小雨が降りつづけ、プラット・ホームに出ることもできず、半日中、もうもうたる煙草の煙と埃とゴミの山と化した列車の中に缶詰状態。
ラサのヤク・ホテルで交換してもらった太宰治の《 富嶽百景 》(岩波文庫)をずっと読み続けた。『 魚服記 』、『 ロマネスク 』、『 富嶽百景 』が面白かったと日記には記してあるものの、今の当方の脳裏には青天の霹靂的に記憶の一片だにない。
小雨の西寧駅に早朝到着( 所用約10時間 )。
駅前からミニ・バス(1・5元 )に乗って西寧賓館近くで下車。
西寧賓館は外人料金なしで、3人部屋で26元。
カラーTVとバス・タブ付。
同室の二人は日本人で、恐らくフンジェラーブ峠を越えパキスタン、イスタンブールに抜ける定番コース予定。
翌日、昼頃から晴れて来たので、早速上海行のチケットを買いに西寧駅の右端の売場に赴くも、
「 没有!」
と、怒鳴りつけられ、西寧賓館の右横のチケット売場でも同様に、
「 没有!」
と怒鳴られてしまって、取り付くシマさえなかった。
仕方なく、賓館内のCITS( 中国国際旅行社 )で手配してもらう運びに。
この頃はまだ外人料金なんてものがあった時代で、件のCITSは国策会社なので、下手に外人に駅の窓口で人民料金でチケットを売ろうものなら、彼等が口汚く指弾してくるのを厭っての罵声なのだろう。
トラブルの種を持って来るな!って寸法に違いない。
バック・パッカーにとって、中にはさばけた職員もいるけど、基本、CITSは不倶戴天の敵。とくに、チベットへ向かうバスの根拠地ゴルムドのCITSは、一般のチケット売場で見張ってたりするぐらい。尤も、ラサ迄の列車がオープンしてからは意味なくなってしまったろうが。
178/5 直快 至上海 14車 中舗 14号
CITS手数料込みで440元。
前回よく食べた豆沙包( あんまん )を買いに行ったら、もうその店はなく、別のレストランになって居た。ゴルムドにいっぱいある刀削湯麺(3元)を食べたてみたが、やたら塩っぽくて頂けなかった。
( 西寧古刹・北山寺 岸壁をくり抜いた九窟十八洞ともいわれる桟道回廊。)
前夜雨が降ったらしく、路上に水溜りができていて、雲は多いものの、陽は照っていた。二人は名勝チベット寺院タール寺に観光に出かけ、部屋でカップ麺で昼食を済ませ、町へ出る。中国中に溢れている本屋といえば新華書店、大きな町じゃ構えも大きい。
場所柄、チペタン・コーナーがあって、チベット語の書籍や辞典も置いてあった。
ラサと同じに、英雄ゲサル王物が多く、連環画(まんが)の小冊子まであった。
老舎全集もあり、《 四世同堂 》があれば買う気で探してみたら、何冊分もあってかなりの長編なので、日本語ならともかく、中国語なので手に余り過ぎ。
帰途、青島特製バター・ピーナッツを発見。
適度に塩味が効いていて長旅には持って来いの気付け菓子で、滅多に見つからないが、重宝。当時の中国のスナックやら清涼飲料の類は味と作りがまだまだで、このバターピーも稀に保存の問題で脂が廻ってしまっているのがあったりするものの、まず最低ラインには達していた。
2泊3日の上海列車行用に、後日2袋も確保。
大陸旅の移動は結構長丁場が多く、ミネラル・ウォーターは何処でも手に入ったが、さすがに長時間バスなんかに揺られていると、無味なぬるい水よりも、カフェインを含んだ茶飲料の方が当方的には勝っていて、当初は余り見かけなかった茶飲料も時代が下るにつれてあちこちで見かけるようになり、重宝することとなった。
夜、テレビで、チベットが舞台のドラマを途中から観る。
人民解放軍が侵攻する以前のチベットの、ある貴族周辺を中心にしたドラマで、国民党軍らしき連中が登場し、その貴族の城に機関銃を手土産に訪れたところで終了( 第4篇と記してあった )。
頭に紅い紐束を巻いていたので、恐らくカン・パ(カム・パ族)であるのは間違いなく、彼等の纏っている衣裳はなかなかに興味深かった。巷のカン・パには見られない、貴族や上層の連中の豪華な衣裳だったからだ。
内容は何をかいわんや風なのだろうことが察しがつく類。
最後に製作が、四川の軍管区政治部とうやうやしく掲げられていて、思わず唸ってしまった。そういえば、タイのテレビ局も軍関係のチャンネルが多かったのを思い出した。
天気良好。
同室の二人、一人は蘭州へ。もう一人は、黄河源流へ発つ。
当方も、夕刻、バターピー2袋と缶珈琲2個をバッグに、上海行178次直快列車に乗るために西寧駅へ向かった。
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