殺身成仁,是革命党的本色 炎の女・秋瑾
“ 秋風秋雨愁殺人 ”
清末の女性革命家・秋瑾の辞世といわれている。
殺は、オリジナルは当用漢字になく、中国語でシャー、殺の異体字。真綿で絞める如くじわじわと殺すの意。
彼女の《 秋風曲 》に、
昨夜風風雨雨秋 秋霜秋露盡含愁
なる一節がある。
その末には、
痛飮黄龍自由酒
とあって、清=胡狗・胡奴を撃破して自由の酒を痛飲せんと締め括っている。
つまり、冒頭の有名句は、如何とでも解釈出来るのだけど、つまるところ、反清復光に尽きている。
そもそも、この秋瑾が認めたといわれるこの一節、実は、清代の詩人・陶澹人の《 秋暮遣懐 》からの引用で、
秋風秋雨愁殺人,寒宵獨坐心如搗
搗=衝く。
愁殺人って日本人的には凄味のある表現だけど、中国(漢)詩の世界じゃ、常套句のようだ。
1901年の義和団事変処理のため辛丑(しんちゅう)条約締結後。
傲然と欧米列強軍が北京・紫禁城前を行軍してゆくシーンから始まる。
夫・王子芳が捐官( えんかん・金で官職を買うこと )し、北京に一家で赴任。
一家の乗った馬車の中から、紫禁城近辺の列強に破壊された光景と行軍してゆく列強兵士達の姿に茫然とする秋瑾、彼女のすぐ背後で、もっぱらに微睡(まどろみ)を貪るばかりの、官のはずの夫・王子芳の姿。
そこに、一睡沈沈の句がオーバーラップする。
一睡沈沈 数百
年大家不識
做奴恥
亡国的惨状への憂国の念を綴った《 寶刀歌 》(1907)の一節。
その前の冒頭の句は、
漢家宮闕斜陽裏
五千餘年古國死
宮闕=宮門。天子の居る処。
斜陽=没落。
因みに、その一句前の、冒頭の漢家とは、秋瑾の頃は、清国、つまり漢族ではなく、満州族の支配していた時代で、漢族達にとって、清とは、異民族支配に過ぎず、五千年の歴史を誇る漢族国=中国人達にとって、ひたすら堪えがたい屈辱以外のなにものでもないというニュアンス。
反清復明ならぬ反清復光が彼等のスローガン。
復明は清国以前の漢人の明国への復古でしかないが、復光は連綿と続いて来た君主制を排し、平等主義的な民国思想。
旧弊な安逸官史の夫と相容れず、神州痛哭人こと陳天華の表した《 警世鐘 》(1903年)や、鄒容・著《 革命軍 》(1903年)を読んだ。因みに、《 革命軍 》は、当時百万部も発行したベスト・セラー。序文を、章太炎( 炳麟 )が書いている。
突如海辺の景観が拡がり、次の一節が表れる。
漫云女子
不英雄
万里
乗風
獨向
東
「漫云」=…と、云わないでほしい。云うなかれ。
二人のまだ幼い子供を残しての日本行、悲喜こもごも錯綜するなかでの一節なのだろう。その後続けて、白雪を頂いた富士の姿がやがて厚い雲に覆われた下界ともどもに画面いっぱいにズーム・アウトされる。
東の果ての蓬莱国的象徴ってところなんだろう。
この謝晋の《 秋瑾 》(原題)では、秋瑾の思想的転換点として日本留学時代に重点を置いた描写になっていて、日本ロケを敢行。当時孫文等と一緒に中国革命に参与していた宮崎滔天(大和田伸也)の姿も点景的に描かれている。
秋瑾の着物姿も悪くはない。
舞拳弄刀と謂われた秋瑾、箱根なんだろう♫箱根の山は天下の剣~っと、陳天華、徐錫麟等と唱和しながら昇って行った先の甘酒茶屋の屋外の酒席で、富士山を背景に、着物姿に鉢巻をし、日本刀を片手に剣舞を舞ってみせる。
かつてジェット・リーが、《 笑傲江湖之二 東方不敗 》( 1990年 : 監督・程小東 )で長崎に赴いた際、焚火を囲んで「あんたがたどこさ」の童謡を唄いながら踊るシーンだったか、拙い日本語を駆使していたのを思い出した。この曲って、薩長維新軍の幕府軍追撃故事って説もあるらしいとは、最近になって知ったけど、ツイ・ハーク(プロデューサー)はそれを知ってて使ったんだろうか。
彼女に限らず出演者皆、部分的に日本語を使ったり、着物や学生服を纏ったりのデティールに拘り、当時の日本の庶民生活に融け込んだ革命派の中国留学生たちの姿を、何とか再現しようとする謝晋のアプローチは微笑ましい。
多少の違和感は否めないものの、昨今ならいざ知らず、文革後まだそれほど時間も過ってない1983年頃なら、まあこんなものだろうと了解はできる。
飾らない庶民的なリアリティーを追及しているらしい謝晋映画の特徴の一つなんだろう。
1905年(明治38年)11月、日本の文部省が清朝の要請に応じ、「清国留学生取締規則」を発布、それに学生達が抗議活動をはじめると、朝日新聞が酒上の壮語と留学生達を指弾し、陳天華が、大森海岸で入水自殺を計って抗議する事件まで発展。
洪門天地會・光復会・中国(革命)同盟会と、秋瑾は次々と反清的革命組織へと参入してゆき、徐錫麟等と謀って中国本土での革命運動=武装蜂起を企図するようになる。
帰国後、内密裡に革命戦士育成のため、紹興に、表向き体育教練の大通学堂( 大通師範学堂 )を徐錫麟等と創始していたものの、徐錫麟が安慶蜂起(起義)に失敗してしまい、仲間・同士に直ぐ身を隠す様に警告されたにもかかわらず、逃げることをせず、秋瑾一人悠然として官憲に捕縛されてしまう。
2日後の早朝、紹興の軒亭口で、斬首される。(1907年7月15日)。
帰国してから、約1年半ぐらいの短時日的終焉。
4年後の1911年秋、孫文等中国同盟会を中心にした革命勢力が武装蜂起し、翌1912年初春、宣統帝溥儀が退位して辛亥革命が達成され、共和制中華民国が樹立。
謝晋《 炎の女・秋瑾 》(原題 秋瑾)
原作・夏衍戯曲『 秋瑾伝 』(1936年)
脚本:柯霊・黄宗江・謝晋
上海映画製作所 ( 1983年 )
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