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2022年6月の3件の記事

2022年6月30日 (木)

100年前のパンデミック禍中の展覧会 黒石的偶感

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  洋画見物 (偶感) 
  新光洋画会を観て
   ===交換の出来る作品、飽くまで素人であれ===

 

 

 渋い松林桂月の墨絵が表紙になったもう100年以上も前の、《 審美 》と題された薄い小冊子。さすが日焼けしページを繰る下の両端は擦り切れて丸くなってはいるものの、1世紀まるまるの経年感は感じられない。
 松林桂月をウィキペディアで見ると、「最後の文人画家」と冠された伝統的な日本画家とある。
 その大正中期に出された美術雑誌に、わが大泉黒石が、偶感と銘うって当時の洋画展の感想をしたためていて、自身も時折挿絵なんかを雑誌やなんかに載せていたらしい黒石ならではの見解如何。
 たった2ページの短評でしかないが、そこに前年に上梓した《 俺の自叙伝 》バカ売れ中の、しかし、《 中央公論 》では芥川龍之介や佐藤春夫達と熾烈な内紛を繰り広げていた真っ只中、案の定、画壇にかこつけて文壇事情を披瀝。

 

 

 それにしても“ 新光洋画会を見て ”と題された黒石の偶感に列挙された画家たちの名のいずれも当方の記憶になく、ネットで検索してもその画展に発表された作品すら見つからず。ともあれ、当時まだ新興の団体だったらしいこの新光洋画会の面々の初々しさ溌溂さが黒石気は気にいっているようす。
 

 

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 「 序( ついで )の話だが、物を書くよりも一層陰険な手腕を奮って御殿女中見
たい( 原文 : よう )な内輪喧嘩や、勢力争いや縄張り争いに苦労したり、自分の事を忘れて他人の世話を焼きたがる今日文壇の群小作家に、たまにはゆっくりした気持ちで新進洋画家の展覧会でも観るように勧めたいと思うことがある。浅間しい小文壇の落屋( おとしや )から鬘( かつら )と刀を脱いて、画を見ると云う心持ちになるだけでも、浅草あたりの立ん坊共が久しぶりで湯に入ったような、すがすがしい人間本来の気分に立ち還る恩恵に浴するだろう。文士と云うと、すぐ拙い文章で拙い作品を拵え上げるほかに何も芸のない人間のことだと画家仲間に笑われぬよう、大きな量見を持って、何でも行ったり見たりして置くことだ。そして文士の中にも私見たい(原文:よう)に、十七年も十八年も画の稽古に苦労を重ねて、まだ一枚の画も書けないような頼もしい男もあるのだと世間を感服させるような奇特な心掛けがあってよいのだ。」

 

 

 

 「 画でも小説でも玄人になって了( しま )うのは結構に違いないが、玄人になると、今日の画家のように、また小説家のように、窮屈な型が出来て鼻について来るから、成る可く、いつまでも素人でありたいと思う。だから私一人は、小説はなるべく老大家の物を読まないし、画はなるべく新しい人の物を観ようと云う気で、これまで(招待されない時は行けないけれども)大抵の展覧会には出かけたものだ。」

 

 

 

 「 今日の文壇には甲作家と乙作家とが作品を交換しても、ちっとも差し支へのない物が少なくないのを洋画家諸君も御存知だろう。文学でも美術でも、今云ったように交換の出来るような作品が一つでも少なくなる事を希望する。私が日本を去る日も段々近づいて来た。またこっちへ舞い戻る時は、新光画会の人々は恐らく相当の玄人になって、或いは大家となっているだろうが、希わくば、玄人臭い玄人になって貰いたくないものだ。」

 

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  大正9年といえば、米国で赤狩りが始まり、3月、日本で株価が大暴落し、戦後( 第一次世界大戦 )大恐慌が起こった年でもあるが、何よりも世界的パンデミック=スペイン風邪流行の真っ最中。国内の死者は約40万人、因みに米国は50万~85万人。
 現在のコロナ禍の方はといえば、一応3万人となってるけど、超過死亡数的には10万人を超えているらしい。それでも、100年前のスペイン風邪の頃と違って医療状況的には順当といえなくもないけれど、米国はといえば、何と死者100万人を超えているのだ。スペイン風邪の頃より全然多いとは・・・ひとえに米国大統領トランプの功績と謂うべきなんだろうが。よく米国大統領トランプ、大量殺人罪で起訴されなかったもの。米国司法・世論とやらの恣意さ加減がハンパない、正に、異常国家の面目躍如ってところなのか。

 

 

《 審美 》第9巻第7号(大正9年7月)
 編集発行・印刷人 田中豊平
 印刷所 審美画会印刷部(東京日本橋)
 三十二頁 一部 30銭

 

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2022年6月18日 (土)

南西辺境州的野鳥図

 

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 ( イソヒヨドリ )

 

 以前は鳥といえば、スズメ・ツバメ・ハト・カラスぐらいがせいぜいの我が南西辺境州その本州側の突端・企救半島の定番野鳥図ってところだったのが、ごく稀に大き目のアオサギを見かけるようになってからか、ある日、当方隣宅の鬱蒼とした叢林の枝上に、見かけたことのないシルエットを見つけ、唖然としてしまった時から、自分のすぐ近くにけっこう、総じてくすんだ羽色ではあるが色々な野鳥が跳び廻っているのに気づきはじめた。それこそ、この一、二年のことだ。

 

 

 以下隣宅以外の、海岸周辺や公園にも意外と見かけたりした野鳥の旧いデジカメ撮り画像を列挙してみるが、じっさいはメジロや他にも見かけはしたが撮ってないないだけで、ネット見るともっと様々な種類の野鳥が飛び回っているらしい。
 只、一応名前をつけてはいるが、いずれも本当にその名の鳥なのかはまったく定かじゃない。まあ、せいぜい、「 ・・・に似てるように思えるのだけど。」という程度の、相似以上に出るものじゃない。ネットの写真見て比較しても甚だ怪しいので、諦めた。
 要は、こんな野鳥が企救半島に、狭い海峡の西側に飛んでいるって事実確認ってところ。

 

 

 イソヒヨドリ・・・恐らくまず間違いないと確信はしている。
 この鳥、本来は、ブルー・バードともいうべき、かなりカラフルなはずが、写真のは、たまたま些かくすんでしまってる。羽が生え変わる時節(?)なのか、皮膚病にでも罹ってしまってたのか。最初、アカハラかと思ったけれど、腹部の赤さがまるで異なっててこっちは鮮明な赤。
 これはオスのイソヒヨドリで、メスは茶色っぽく、およそカラフルなオスとは対照的に地味。
 留鳥という。渡り鳥と逆の定住鳥らしい。
 世界に分布していて、本来は高山に生息しているのが、日本列島じゃ海岸エリアから内陸部にまで分布するようになったという。基本、単独行動なので、これまでお目にかかったことがなかった由縁

 

 

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 ジョウビタキ・・・これはメスの方。オスは黒々とした姿態。
 チベット~バイカル湖で繁殖し、冬になるとやって来る冬鳥らしい。
 最近は国内でも繁殖しはじめたという。写真は二種あるが、同じメスだけど、片方は随分と小太りしていて、同種とは思えないが、ネット写真確かめると、やはりそんな小太りしたのも居て、やはりジョウビタキなのだろう。

 

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 ヒヨドリ・・・隣宅の叢林の赤い実のなる樹枝によく見かけた少し大き目の鳥。北はサハリンから南はルソン島までの東アジアの留鳥あるいは漂鳥( 国内を季節移動する鳥 )。比較的大きな図体とごっつい外観のわりにゃ、花の蜜を吸ったり小鳥のような所作をするらしい。

 

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 ヤマガラ・・・中国以東の東アジアに分布。平・山地に生息。学習能力が高く、昔からおみくじ引き等の芸をする鳥として飼われたりしたようだ、昨今は捕獲禁止で自然消滅。山林開発などで数が減ってきているらしい。

 

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シジュウカラ・・・ロシア東部~東アジアに分布する国内留鳥。
 さえずり声のパターンが豊富で、声もよく通るという。

 

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 ツグミ・・・秋になるとシベリヤから渡って来る冬鳥。鷹なんかと同様の茶色っぽい風貌が悪くない。ハト位の大きさが食用として手頃なのか、岐阜あたりの山地エリアじゃ、昔から色んな調理の仕方で食卓に並んできたらしい。捕獲禁止になった後も、確立された文字通り人口に膾炙したメニューとして、生き延びているという。塩辛が一等美味のようだ。魯山人も舌鼓をうったというのだから、この辺りを徘徊してた大泉黒石も御相伴に預かったに違いない。

 

 

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不明・・・影になってて今一つ判然としないけど、腹が白いのでシロハラなのかなと、ネットの鳥図譜を確かめてみると、全長25センチ位いとあって、止まっているパイプと較べても一目瞭然に小さすぎ。発育途中の子鳥の可能性を考慮にいれても、やっぱし違うな、と。
 以前見た海峡を渡って群れなして飛んで来た小鳥たちも、最初蜂の群れかと錯覚したぐらいに小さな5センチくらいの鳥たちだった。
 やっぱし定かでないものは不明とするに如(し)くはない。

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月 4日 (土)

回族喫茶 清雅真 Qing Ya zheng  旅先の一枚

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 中国・雲南は大理( 古城=旧市街 )のメイン・ストリート復興路、それもバック・パッカーたちの居住区といっても差しつかいない、蒼山側の博愛路、その間に挟まれた直角に交わる洋人路そして大理新市街寄りの人民路に囲まれたブロックの一角に、古民家風の回族の茶店があった。
 回族といえば、古くから中国にそれなりの規模で存在するイスラム系の長い間に漢族等と混淆してきた一見普通の漢族と殆んど見分けのつかない人々で、大理にも稀に出稼ぎ的な中央アジア系のウイグル族の店も見かけるが、しっかり土着化した彼等回族の、伝統的な菓子屋やレストランなどはかなりありそうだ。

 

 

 イスラムってことだからか、余計な調度など排して、ちょっとくすんだ金色の壁紙が張りめぐらされた清楚な佇まいのテーブル四つくらいの小さな茶店で、壁にポツンとコーランの一節なのか、アラビック文字が並んだ額が掲げてあって、遠い雲南の中の更なる微かなエキゾチシズムが気に入って、時折一人足を運んでいた。

 

 

 ここは、もっぱら現地民御用達の店で、外人がいわんや日本人の姿なんかまずお目にかかったことはない。そもそも、この店は初老の女性とその娘なのか嫁なのか定かじゃないけど、いつもその二人で切り盛りしていて、その二人とも英語がさっぱりなのだ。
 落ち着いた佇まいと、少し高めのテーブルが本を読むのに丁度良かったが、たいてい注文することもない近所の知り合いのおばさんたちと大声でのおしゃべりに余念がなく、およそ商売っ気なんてからきし。それでも漢族なのか大理の白族なのか回族なのか定かじゃない中国系の客が入って来て、麺を食べていたりしてた。
 当方も、二度、米線( ミーシェンmǐxiàn =米から作った細麺 )を食べたことがあった。最初は1・7元、二度目は2・0元。一応辣菜だけど味は今一。
 米線なら碗物より砂鍋(土鍋)米線の方が断然美味く、これも回族的辣菜風味。大理以外の、州都・昆明にも多く、旧市街の一品軒のが一番気に入っていた。大理だと過橋米線が有名。これはもう鍋物の類で、当方はあまり敢えて食べようとは思わない。大理には、米線より一回り大きい麺の餌絲( アルシー)もあって、アルハイ湖周辺で生産された米を原料にけっこう面倒な処理を施して出来た特産品のようで、中々美味かった記憶がある。
 因みに、その店の家族の小学生くらいの息子も、ちょっと金髪風で風貌も中央アジア系的だった。正にエキゾチック回族。

 

 

 どうも、もう無くなっているようだ。あの商売っ気のなさじゃ当然なんだろうが。それとももっと別の場所で同じように、客そっちのけの近隣おばさんたちとのおしゃべり三昧的営業を繰り返しているのだろうか。

 

 

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