浮雲夢幻的鏡界 鏡の国の孫悟空《 西遊補 》( 明末 )
“ 三たび芭蕉扇を調( めしあ )ぐの後に入る ”、火焔山以降のいよいよ西方世界に入るべく三蔵・悟空一行の西天取経の旅なのだけど、明末・清初の文人・董説( とうえつ )=董若雨・静嘯斎主人は、そこに“ 出了怪事!”とばかり、唐突に鏡天世界の中に、我等が斉天大聖・孫悟空=孫行者を紛れ込ませる。
十七世紀、明末・清初の時代の浙江省太湖南岸の科挙志望の青年・董説が二十歳の時に書いたというこの《 西遊補 》。
それまでの漢民族国家・明朝から北方異民族支配の清朝に移って、すっかり意気消沈してしまったのか、科挙志望を放棄し、文人の地位に甘んじ、やがて仏門( 禅宗系 )に出家したという。
幼い頃から仏教に馴染み、十歳( 五歳という説も )にも満たない内に士大夫( 科挙 )的定番《 円覚経 》を読破していたのもあってか、
「 一念が執着すると、虚妄が生ずる。虚妄は偏りを生み、偏りは魔を生み、魔は魑魅魍魎を生む。十倍の正覚を持った人でも、幻に身をまかせる。さらにそれが極まると、蔓延して別の情感が具わり、別人の身体に転じ、別の世界に転ずる、これが指を弾く一瞬の間に生ずるのである。これらは不完全な修行の結果起るもので、今も昔も同じ嘆きが繰り返される。」
と、〈 序 〉に心猿( =悟空あるいは衆生 )の煩悩的執着=情的因縁を説いて見せる。更に、
「 天地万物はもともと一体、一身であり、人の一心にはやはり一つの天地がそなわる。あえて世のために眼を見開かせてやる、この世のほかに山川草木を作って別の世界( アナザ・ワールド )の基礎をきずくぞ 」
萬物從來只一身,
一身還有一乾坤;
敢與世間開眇眼,
肯把江山別立根?
と、七言絶句が続く。【 旧詩 】と注が記してあって、オリジナルは、宋の邵雍( しょうよう )の《 観易吟 》。共同翻訳者の大平桂一も彼の私論《 西遊補訳注 》(『人文学論集』)で言及してる。
一物其來有一身,一身還有一乾坤;能知萬物備於我,肯把三才別立根?
【 注 】三才=天・地・人、宇宙の万物。
これは孟子の、「 萬物皆備於我矣 」( 万物皆我に備わる )《 盡心上篇 》や、唐の時代の有名な道士・張果の《 陰符経 》の注( 邵雍が影響を受けたという )まで遡り、更に、老子「 故以身観身、以家観家、以郷観郷、以邦観邦、以天下観天下。吾何以知天下然哉。」《 老子 第五十四章 》まで遡るらしい。
上の七言絶句の後、
「 この書物は鯖魚の惑乱に心猿がまどわされるが、この世の情のしがらみはたいてい浮雲夢幻と見定めるのが記されます。」
此一回書鯖魚擾亂,迷惑心猿,總見世界情縁,多是浮雲夢幻!
と、この物語の基本コンセプトが提示される。
火焔山を越え、いよいよ本格的な西方への取経の旅が始まった新緑の春、散った花びらに蔽われた山道に差し掛かると、傾いた竹藪の手前に一本の牡丹が紅々と佇んでいた。
そこに花摘みの数百人もの若い男女が群れ、とりわけ子供達が馬上の三蔵法師の袈裟をネタに執拗に絡んできて、余りの執こさに孫悟空=孫行者苛立ち、耳から取り出した金箍棒( 如意棒 )で追い払ったが気が収まらず、追いかけていって男女童子たちを叩き殺し、それに恐れをなし逃げた美人たちが孫行者に石を投げての応戦もものかわ、あっという間に皆打ち殺してしまう。
「 がんらい孫大聖は勇猛であるけれど、慈悲深いのが天性です。そのときすぐに棒を耳の中に納め、思わず涙を流し、われと我が非を悔いて、
『 天よ、天よ、悟空は仏法に帰依してから、情と短気を押さえ、一人だってむやみに殺したことはなかった。今日は突然憤怒にかられ、妖怪でもなく強盗でもない、男女老幼五十人あまりの命を奪ってしまった。罪業の深さを忘れ去っていたわ』」
本編《 西遊記 》じゃ、勇猛果敢に天界海界の軍兵たちと戦い、地界に巣食い跋扈した妖魔・魑魅魍魎たちを容赦なく打ち殺してきた孫行者、毎回屍の山を築いてきてたはずが、あろうことか、ふと己の罪深さに悔恨と憐みの涙すら流してしまう。
これはもう、本来の孫悟空・孫行者の姿じゃない。
気持ち悪~い変容を来たしている。
さりとて、この《 西遊補 》物語でも、そのしおらしい孫行者的の悔恨の涙もその場だけらしく、それ以降は寸分も変わることない孫行者、無慈悲至極に命乞いする妖魔たちを片っ端から打ち殺し肉団子か肉煎餅にしてしまう豪胆三昧。
この取ってつけたような変容場面、その一つ前に、孫行者が件の牡丹の艶やかな紅を褒めてみせると、三蔵が「紅くない」とけんもホロロ、そこから始まった牡丹の紅色談義があって、馬上からの三蔵の偈( げ : 教義を説く四行詩 )、
牡丹 紅ならず
徒弟 心紅なり
牡丹 花落ち尽くさば
正に未だ開かざると同じ
で終わるのだけど、件の邵雍の七言絶句中の“ 開眇眼 ”( 目を見開かせる )の端的な展開的脈絡。
紅々と映えた牡丹の傍ですっかり眠りこけた三蔵・八戒・沙悟浄を置いて、悟空筋斗雲に飛び乗り一人托鉢に向かい第一章は了わるのだけど、そのすぐ後に、作者の評が記されていて、
( 評 ) 悟空が男女の囲城をぶちこわしたのは、情の根を断ち切る手段であった。惜しいかな、慈悲哀憐の生じたばっかりに、あまたの妄想を引き起こす。
と、後続する物語の機縁を指摘してみせる。
そして次の第二章から、その孫行者の長い“ 妄想 ”が展開されることになる。早速、冒頭から、
「 ここから先、悟空は用い尽くす千般の計、ただ人を迷わさんと望み却って自ら迷う、という展開になります。」
と、迷妄の鏡界曼荼羅の中に分け入ってゆくファンファーレが奏でられる。
二時も捜しても托鉢してくれそうな人家すら見当たらなかった果てに、ふと大きな城に行き当たる。城郭の上には緑地に金色の篆書で《 大唐新天子太宗三十八代孫中興皇帝 》と記された錦旗がはためく。
この篆書文字の『 大唐 』に孫行者、思わず火眼金睛が点になり、背に冷汗が一雫流れ落ちた。既に火焔山を越え西方世界に分け入って幾月か過ぎているにもかかわらず、まだ大唐の領地内だと?
孫行者、訳が分からず、暫しあれこれ思念煩悶。
いよいよ本格的に己が煩悩によって造られ紡られはじめた幻惑三千世界に迷走することとなる。
孫行者とパラレルな出自の鯖魚が作り出した青々世界。
小月王が鏡一つで世界一つを管理する万鏡楼台=三千大千世界とも呼ばれる。
何よりも面白いのは、やはり、すっかり髪を伸ばし、敵将の首級( 生首 )をあげんと陣頭指揮を取り突撃してゆく西天殺青掛印大将軍となった師匠・玄奘三蔵の姿に絶句する孫行者。
項羽はじめ次から次へと歴史上の英雄たちが登場。
鏡と云えば、この物語でも登場する唐の太宗の寵臣・魏徴の死に際して太宗が言った言葉が有名らしく、これも鏡世界=万鏡楼コンセプトに通底するものであろう。
人以銅為鏡、可以正衣冠。以古為鏡、可以見興替。以人為鏡、可以知得失。魏徴没、朕亡一鏡矣
「人は銅を以て鏡と為し、以て衣冠を正すべし。古きを以て鏡と為し、以て興替を見るべし。人を以て鏡と為し、以て得失を知るべし。魏徴没し、朕一鏡を亡へり。」
興替=盛衰。興廃。
作者の董説は、明滅亡の前年頃に、神経症を患い、頻繁に奇妙な夢を見たという。明の時代が滅亡してゆく様を間近にし、侵攻してきた北方異民族の支配になろうとする終末世界的絶望感、とりわけ漢族知識人として満州族支配国家での栄達の路への断念等もあって、精神を病んでしまうってのはあり得たろう。( 精神を病んでしまっては“ 遺民 ”的立場は成り立たないのだろうか。)
やがて「剃髪易服」令で嫌でも男子は誰でも辮髪を余儀なくされ、これこそ屈辱・恥辱の最たるもの。
その夢=夢境世界というものに、その後も董説は拘り、何篇かの夢に関する書を書き残していたらしい。
この《 西遊補 》を書いたといわれる数年後に自身の見た夢を纏めた《 昭陽夢史 》( 共同翻訳の大平桂一が訳出したものがネットで見れる。)に、ある一人の黒の単衣の男が拡げてあった水墨画を見入っている場に居合わせ、その画面を確かめていると、スッとその画の中に吸い込まれ、その山水世界を彷徨っているうち長者の屋敷に招かれる『走入画図』や、高楼にある雲状のものが立ち昇っている甕を覗いてみると、何と小さな山水世界がその中に拡がってて、寺院・道観やほとばしる急流の波音すらが響きわたって来た『甕嶽』等、いわゆる壺中天あるいは洞天福地世界への這入って現象譚。
中国文人たちの好んだ伝統的題材でもあるけど、董説は時代状況もあって、余計に没入していたようだ。
夢への傾倒はこの《 西遊補 》を発表した後のこととはいえ、突然というよりもっと以前からの傾向性であったのではないか。
因みに、共同翻訳者・新井健は否定的だけど、この《 西遊補 》作者が、実は董説の実父・董斯張という説もあるようだ。この書、巻頭の“ 静嘯斎主人著 ”の静嘯斎主人が、元々董説の父、董斯張の号であったってのが実父説の根拠にもなっているらしい。
以上、紹介のはずが、殆んど内容自体には触れず、その入口辺りが結構興味を惹いて、自分用の覚書風になってしまった。
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