江青警護兵の冒険
「『 ごきげんよう!』江青は二人に向かって声をかけると、まず関宝太と軽く握手し、それから庄志明の手を固く握った。彼女は笑っているのかいないのか、はっきりしなかった。銀ぶち眼鏡の奥で鋭く光る目が、若者の全身を念入りに観察している。」
「 彼女の声は甲高く、か細かったが、どこか勿体ぶった大仰さがあるように聞こえた。おまけに、ひっきりなしに震える声で言葉の終わりを長く引きのばすので、あたかも故障した高周波のラウドスピーカーががなりたてているようだ。」
「 彼女は質問しながらも、一方ではまったく心ここに在らずという様子で、若者を眺めていた。庄志明は、ぎらりと光ったレンズの奥に、灰色の瞳を見たような気がした。その目には、普通の優しさや友愛とか信頼というものはまったく見られず、ただ、冷酷と虚栄と敵意に満ちていた。おまけにその目から警戒の色が消えたことはなく、絶えずヒステリックな輝きを帯びていた。」
香水の漂う常に二十六度に設定したエアコンが春を想わせる、北京・中南海、一号大院の折からの中国中を席巻するプロレタリア文化大革命の最前衛、上海幇とも四人幇とも呼ばれているいわゆる四人組の頭目・江青の自室で、特殊学校の卒業を繰り上げてこの任務に就かされたエリート・庄( 荘 )志明が、責任者の関宝太に連れられて、初めて生の江青に出逢った際の場面。
日本語タイトルは警護兵となっているけど、要するにボディー・ガード。
その選ばれたよりすぐり達の専門学校でもダントツの成績で、早速中央も中央、それも国家主席・毛沢東の妻・江青の専従ボディー・ガードに抜擢された上海出身の庄志明。事前に写真やビデオを観て江青自身が指名した堂々とした体躯のイケメン。
警護部門の最高責任者・関宝太の秘蔵っ子でもあったが、やがて、子弟間で血で血を争う暗闘劇を繰り広げることに。
冒険ってタイトルなので、江青の文革時の生々しい内幕的エピソードは余り期待してなかったものの、案の定、江青そのものよりも、文革という極限状況下での江青等四人組の陰謀画策の暴露・告発、それもかなり示唆的なもので、それを阻止しようとしする四人組勢力=関宝太等との暗闘を主軸に物語は展開してゆく。
江青とのはじめての面談から二ヵ月もしない内に、余りに唐突に、江青から、江青の身の回りの世話をしている江虹と結婚するように提案、つまり強制される仕儀に。二人とも抗弁することもかなわず、絶対命令として応じざるを得なかった。
もう一人の江青の付き人の女性服務員・許鳳こそ、出逢ったその日から、庄志明に熱を上げていたにもかかわらず、江青の恣意によって、更に関宝太に襲われ、絶望的失意にうちのめされたあげく関宝太の子すら宿してしまう。
後日、江青の知るところとなり、怒った江青に強引に結婚させられてしまい、一緒の部屋に起居するようになると関宝太いよいよ正体剥き出して、許鳳に対する虐待がはじまり、終いには流産し、彼女も失血死してしまう惨憺劇。
関宝太とは、正に、江青=四人組勢力の暴虐性の象徴的存在に違いない。
文革時、幾百万の人々の生命が奪われた一つのパターンでもあったろう。
養母の具合が悪くなり、庄志明が上海に戻っている間の1976年1月8日、庶民に人気のあった総理・周恩来が死去した。多くの民衆が哀悼の意を表する中、四人組勢力が権力の威をかさに着、花束や喪章すらを禁じているにもかかわらず、繁華街・黄浦江には多くの花環がうず高く積まれているのを真近に眼にし、民衆の現権力(四人組)に対する怒り・怨嗟が澎湃として渦巻いているのをひしひしと肌で感得できた。
養母が亡くなり、北京・中南海に戻って来た庄志明には、もはや以前のような優等生的な大らかな明るさは希薄になって心奥に仄昏い陰りがトグロを巻き始めた。四人組=江青たちに疑念を持ち始めたのだった。
さっそく、許鳳が、関宝太が庄志明の上海からの帰還後の変化を猜疑し、調査し出したと忠告。
文革時の壁画
春の清明節( 先祖祭り。また、故人を偲ぶ祭祀 )の前日には、北京・人民広場の一角で故・周恩来に捧げる花輪で埋め尽くされ、次から次へと弔問に訪れる民衆の潮が途切れることもなく、予想外の成り行きに江青たちは憮然とし、民兵・武装警察を動員し、弾圧した。
関宝太、江青の許可を得て、使いづらくなった庄志明を、西北方面( 新疆?)へ転属させる。が、列車で移動中、雨けぶる暗闇に忽然と姿を消してしまう。
紆余曲折を経て、中国南部の景勝地・賈亭山( 仮名か実名か不詳 )の療養所、とはいっても機関銃座を備えた監視塔もある要塞化された党幹部たち専用の施設で、四人組と拮抗する勢力の方明将軍の拠点であったが、そこに将軍の手の者が、関宝太一派に攻撃を受け負傷し万事休した庄志明を救い出し、一昼夜かけて連れて来た秘密の隠れ家であった。
北京から、彼の子を宿した江虹が呼ばれ、許鳳の惨死を知らされる。
しかし、そこも関宝太の知るところとなり、部隊を引き連れ、国家主席・毛沢東の葬儀で将軍も北京に赴いた留守を突くように、襲撃されるが、辛うじて死から免れる・・・。
周恩来が没して8か月後の1976年9月9日午後4時、毛沢東が逝去。
江青・四人組の早速の画策・妄動の機先を制するように、その年の10月6日、江青たちは逮捕された。漸く10年に及ぶプロレタリア文化大革命は終止符をうつこととなった。
米国スパイ・アクション映画、ジェイソン・ボーンのシリーズを見ているような感なきにしもあらず、と云えば褒め過ぎなんだろうが、それでも人民中国の、1983年の小説なのを割り引いて考えれば、やがて香港や日本でも出版された由縁。
適当な言葉が見つからずのタイトルの“冒険”だろうが、もっともこれは、邦題のみで使われているフレーズ。
1983年のオリジナル版では、《 覚醒的警衛員 》(中国)で、香港版では《 江青貼身警衛遭遇 》そして香港版を元にした邦題タイトル《 江青警護兵の冒険 》(1984年)。
中国・香港版じゃ、“ 覚醒 ”というフレーズが冠されていて、江青・四人組的圧政に目覚め抗するという、まだまだ1983年当時だと生々しいリアリティーをもったフレーズだったのだろう。
ただ、主人公の庄志明、当初は四人組の悪辣・陰謀を、国家主席・毛沢東に訴えようとしていて、江青・四人組と毛沢東とを一蓮托生共謀犯と観てないようだった。 これって中国共産党的公式見解の域を出ない。
それがそのまま、作家たる作者の薛家柱の見解かどうかは不明だけど、敢えて覚醒ってフレーズを使うからには、やはり毛沢東の手先・実行部隊としての江青・四人組と把握していたのではないか。
現在( 勿論中国本土で )でも、あまり江青周辺のところにアプローチしようとすると色々圧力がかかってくるようで、とりわけ国民党がらみだといよいよって風なので、很難的課題ってところ。
作者の薛(シュエ/せつ)家柱、浙江省出身で、テレビや映画の脚本等で活躍もしていたいわゆる人気作家らしく、昨年83歳で亡くなっている。代表作が清末豪商半生を描いた二月河との共著《 胡雪岩 》という。
もう一人の作者・文新は、どうやら作家活動はしてないようだ。この作品の元になる情報を提供した人物のようで、登場人物そのものか、あるいはそれに近しかった人物かも知れない。あとがきでも、中国の何処かの工場で働いているらしいとだけ記されていて、ネット捜しても、半世紀前の作品なので、掠りもしない。
因みに、江青、1981年に、2年の執行猶予付きの死刑判決を受け、1991年5月14日に、癌の療養のための仮釈放中に自殺。
《 江青警護兵の冒険 》著・薛家柱・文新 翻訳・下川辺容子・薄田雅人
1984年初版 (筑摩書房)
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