俺の落書 黒石的自画自賛
以前紹介した、昭和9年発刊の雑誌《 旅行日本 》に掲載された大泉黒石の《 峯の白雲 吾妻の山と谷 》なる紀行文に彼自身の手になる《 雨見山より白砂山塊の遠望 》 なる恐らく鉛筆画のモノクロ作品が添付されていて、そんなに悪くはない質の絵だったのに些か驚いたことがあった。
そういえば黒石の絵、稀に散見することがあり、それなりに絵心があるんだな、と感心してたのだけど、《 中央公論 》で華々しくデビューした翌年の大正9年(1920年)、大日本雄弁会講談社から出ていた月刊《 雄弁 》に続けて、自身の少年期からの自作鉛筆画等を発表しているのを発見。
8ページくらいの各見開きの片側ページに濃い線描があって、デッサンも線描も
そこそこ熟(こな)している。冒頭に、黒石、こう記している。
「 この数枚の鉛筆画は、俺が少年時代より青年時代に移ろうとしていた時のものである。顧みると十年の昔になる。俺は絵の心得がない。その才もない。その修養もなかったが、少かに絵心だけがあったように思う。この絵はみんな俺の初期の暗黒時代に出来たものばかりである。俺と俺の盲目な祖母は此時分飢えかけていた。俺はその間に中学へ通っていたがその傍ら稼ぐことを余儀なくされていた。」
描いた作品を縁日で、一枚五厘で売っていたという。
絵の心得がないと云いながらも、生活の必要からぬけぬけと縁日で売っていたってことは、買う物好きがいたってことで、確かに些かでも生活に潤いを求める市民にとっては安価な美術品ってところだったろうし、見るからに貧乏学生然とした黒石に対する支援的な動機に拠るものもあったのかも知れない。
ふと、同時代の詩人・金子光晴の、大陸の東から西までの放浪の正に孤立無援の真っ只中での自作日本画売りを想い出した。但し、光晴の場合、まがりなりにも少年時であったか、日本画の手ほどきは受けていたはず。そういえば、グルジェフも国外で生活の糧か旅費を作るために、そこら辺の小鳥に絵の具を塗りたくって高価な鳥にしたてて売りまくったというエピソードもあった。皆、強心臓というより、切羽詰まったところからの投企的行為ってところ。
有名作家となって黒石、どこぞに隠してあった売れ残りを取り出して眺めているうち、盲目の老婆や他人にも迷惑をかけ、自分一人すら持て余し、「波止場の石垣の上から身を投げ」て、巡査にすら厄介をかけた一日十五銭で凌ぐ日々の暗黒時代を思い出すのであった。
その左ページに雑誌の写真からスケッチしたイプセン像が縦に三点。
当時、黒石は、かなりイプセンに傾倒していたようで、学校の教科書と交換( 古本屋 )してまで読み耽ったという。ネットで符合するイプセンの写真を調べると、直ぐに見つかった。しっかり描かれている。
冒頭の、《 俺の住んだ家 》というタイトルの素描、荒いタッチで簡潔に描かれているのだけど、「諏訪の森と相対した山麓にある。」とある。
彼が生れた八幡様の境内の家じゃなく、何軒か目の家という。
僕的には、かつては隣に芝居小屋がかかっていた八幡町の宮地嶽神社境内の傍らに建っていた家であって欲しかったが、残念ながらその何軒目か引っ越した先の朽ちた果てた家だという。
「 俺は此処で貧乏していたんだ。此家から学校へ通っていたのである。二階が一間、下が二間あった。前も後ろも藪である。藪には苺が多かった。その藪を出ると、有名な長崎の墓地がある。つまり俺の家は、墓地の中央に一軒ぽつんと建てられていたのだ。以前は墓守りが住んでいた。」
《 黄夫人の手 》で、主人公の中学生・藤三が盲目の祖母と二人住んでいたのが、中国系住民たちの寺もある寺町の寺院群の一つ三宝寺の裏の斜面を登った藪の中の、ようやく電気を引いたばかりの一軒家であった。寺町の背後は伊良林の丘が拡がっていて、その斜面に今でも墓石群がへばりつくように並んでいる。龍馬の亀山社中があった場所で有名。
そもそもの黄夫人が役人に手を斬り落とされる機縁を作って日本まで逃げ延びて来た黄隆泰が単身訪れて来た家こそ、昼尚薄暗い藤三の二階屋だった。
そんな小説的設定よりももっとリアルに黒石、彼の元墓守りの家に言及する。
「 俺は二階に卓子を据えて、毎日墓場へ葬らるる死人や線香の煙を眺め乍ら、本を読んでいた。雨の日はたまならく心細かった。それよりも、或夕、隣人の女房に、榎の枝で首を釣られた時が一番怖かった。更に、その女房が、墓参者に発見され、救われて、四五日経ってから、『 どうも、色々御厄介になりまして、お恥ずかしゅうございます』と俺の家へ謝罪に来られた時が怖かった。暫くの間、夜、厠へ行けなかった。榎の枝は厠の窓へ垂れていたのである。」
地方によっては墓標の代わりに植えられたりする榎、当然大木であろうが、ぽつんと一軒家のはずなのに、隣家の榎なのか、それともそれなりに離れた場所の隣家からわざわざ頃合いの頑丈さを認められた黒石の家の脇に伸びていた榎ってことなのか。墓守りの家というからには、恐らく後者であろう。
その伊良林の朽屋のスケッチからして、鬼気迫るぐらいに荒廃感漂ってて、後年創られた《 黄夫人の手 》の素材的要素に満ちた雰囲気十分。
雑踏的雰囲気に満ちた芝居小屋の隣の小さな八幡神社境内の家なんかじゃ、どうにもそんなおどろおどろしい素材生れようもない。
葉鶏頭というある種毒々しい禍々しさを覚えさせる葉が庭一面に繁茂していたという。近所の農民に聞くと、
「 土の中に、まだ腐ったばかりの人間の屍が残っているので、土が肥えているからだと説明して呉れた。以前は、俺の家の周囲は、例の有名な長崎の『 紙山焼』を拵えた跡で、土を五六寸掘ると、その時分焼損ねた紙山焼の断片が、ころころと出て来る。」
何とも、黒石流におどろおどろしい筆致で記たためられている。
恐らく、楽しみながらの筆運び。元々墓地であり、昔の墓地の上に建てられた家なんだろうから、後年の梶井基次郎“ 桜の樹の下には屍体が埋まっている ”的発想の実証的根拠ともなりえよう。けど、黒石の小説にそんな素材扱った作品あったろうか。
因みに、紙山焼とは、江戸後期に短時期流行った焼物《 亀山焼 》のことだろう。伊良林で操業していたとのことで、やがて廃窯になり、後年幕末頃、その関連施設の一つを龍馬が借り受け、亀山社中を建てたという。
黒石の十八番の韜晦。
「 俺の妻は長崎の産である。彼女の家は、ある時、『 度生界 』と云う石の狗を蔵する支那寺の境内にあった。その頃俺は五歳であった。俺がこの絵をかきに出掛けた時、彼女も彼女の家族も、長崎を退散して行方知れずになっていた。」
彼の元々の許嫁だった美代子は、その後も戻って来て黒石と一緒に遊んだりする仲だったのは、彼の短編のあっちこっちで描かれている。その美代子の居た寺ってのが、崇福寺と記してある。そこの陰鬱な景物が好きだった崇福寺が、しかし、「立山を後ろに」した「筑後町」とあって、その位置での中国系寺院は、実際には福済寺しかない。名指された崇福寺は、むしろそこと向かい合った伊良林を背にした寺町にある。これも、黒石の韜晦。錯誤なんかじゃ間違ってもない。
『 度生界 』の名の刻まれた狛犬って、何処かで聞き覚えがあって、はて、黒石のどの短編だったろうと記憶を辿ろうとしたものの、残念浮かんでこなかった。
「 父かたの宗旨は露西亜正教であるが、母方の宗旨は禅宗である。・・・・・・俺の祖々母と叔母の骨も、この山門( 皓台寺 )の後に埋めてある。故郷を離れて今日まで一度も見舞ったことがない。俺がこの山門を写生した頃は、毎日芋を食って生きていた。中学からは頻りに月謝滞納で悩まされていた。」
寺町の並びの皓台寺(曹洞宗)は、長崎の三大寺院の一つといわれてるらしく、シーボルトの嫁・遊女だった楠本滝、その娘イネの墓もあるらしい。二十歳の頃の写真が人気のある孫娘・高子は一緒に眠ってないようだ。当時も男たちを独特の雰囲気で魅了した様で、その魅力に抗いそこなった男たちに二度も襲われたというエピソードが、一層その神話的魅力を確かなものにしている。
大泉黒石 俺の落書 『 少年時代に書いた絵 』と『 自賛 』
月刊《 雄弁 》新年号・2月号 大正9年。( 大日本雄弁会講談社 )
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