権謀術数的大戦秘話、あるいは、四輪馬車物語 大泉黒石
今夏八月に、大正15年(1926年)12月1日発刊の雑誌《 雄弁 》に掲載された黒石の『 四輪馬車物語 』の紹介記事、《 大正末 英露探偵物語 大泉黒石『 四輪馬車物語 』》 を認めた際、記述や流れ的にも前提となる作品があるのでは、と疑われる要素は多分にあった。けれど、黒石、偶にみられるあっちこっちに書きまくって失念してしまった類の産物ってところで済ましてしまった。
ところが、ひょんなことで、当方が単体作品と思っていたのが、同年7月号~12月号の《 雄弁 》に何と6回も連載されていたことが分かった。
無知とは恐ろしい !
つまり、当方が紹介したのは、一番最後の号=結末篇だったのだ。あれが中途の篇だったら、( 続く )と末尾に記されているから単体物と断定することはまずなかった。
一応全篇通して見てみた。
ところが、のっけから驚いてしまった。
連載初回のプロローグ篇(7月号)、些かの期待をもって読み始めると、妙な違和感に囚われた。あれれ・・・と、つい己が両の眼を瞬たせてしまった。
冒頭の、タイトルと挿絵があるはずの2ページが欠落( 破損 )してたのは古書にはありがち故ともかく、要は締め切りの、真底切羽詰まった果ての、寸分の猶予も許されない一気呵成な端折った粗削りのままの書きなぐり。黒石のセオリーらしい酒精的加油もあってか、齟齬・不具合にゆらぐことしきり。
編集者の校正もすっ飛ばして即版組、錯誤か誤植かも定かならぬ態。
この作品、結構まとまったページ数あるんだけど、黒石全集に洩れたのは、ともかく掲載最初の号、物語のプロローグが顰蹙ものだったからだろう。マァ、作品の出来ばえ的にも今いちってところはあるけど、もう少し腰を落ち着けて書いたら事情は又違ってかも・・・( こういう場合の常套句ではある。 )
尤も、それはプロローグ篇のみで、次の8月号でもまだ前回の端折り書きの後遺症に手こずってる感なきにしもあらずだけど、次第にエンジンもかかり、後は黒石風。
ペトログラード(セント・ぺテルスブルグ)、モスクワ、オデッサ、ワルシャワ等当時の帝国ロシアの有名都市を舞台に、《 オデッサ・ファイル 》宜しくの第一次世界大戦的ファイルを巡っての、ロシアの誇る密偵・イワン・ピヨトロウイッチ、しかし、幾度も群がる敵にしてやられ、ギリギリの切羽詰まりの挙句の駆け込み的一件落着。
季節は、夏。
掲載号に合わせてやがて秋に到るが、何しろ最初の号は冒頭の2ページが欠落しているので、恐らくそこに季節的描写があったのかも知れないけど、端折って書いてる風からすると期待は持てない。
それでも、翌8月号には、一応普通の状態で書けるようになったらしく、黒石の描きたかった作品的雰囲気ってものが呈示されている。
「 其の頃、千九百十三年代。あの全世界の人心に悲惨そのものゝ様な思い出を加えさせた所の欧州大戦争の起る一二年前。流石に欧羅巴( ヨーロッパ )の天地は何かしら不穏の気が漲っていた。国々は特に強国は、各々自国の勢力拡張に汲々として、余日なしと行っ有様、殊に南欧バルカンの空は之等の国々の食指大いに動く所で ・・・・・・ そして各国は各々其の仮想敵国の政策上の機密を得ようとして密偵の網を縦横に張り廻していた。」
「 千九百十三年八月五日・・・ロシヤの旧都モスクワの市もご多分に漏れず灼熱の巷であった。家々の窓硝子に反射する斜陽の熱は、じりじりと道行く人々の横顔を照りつけて、四輪馬車の走り去った後に朦々と立ち上がる黄色い土煙の臭いを嗅ぐも懶(ものう)い気持で前の晩非常に蒸し蒸ししたので、まだほとぼりの冷めきらなかった敷石や、屋根の板金や、壁等から、燃えるような熱さが迸って、立ち澱んだ空気の中に流れ込んでいた。」
主人公の探偵イワン・ピヨトロウイッチの本拠地・首都ペトログラード( セント・ぺテルスブルグ )の秋の夕景。
「 此處、ペトログラードの市は、更めて世界地図を繰り拡げて見る迄もない北欧の大都だ。道路の水面も鋭い赤色を滲透し反射して居る。ネヴ河の対岸に土塊の如く蹲踞する聖ペトロ、聖ポーロの城壁が、落日(おちび)の赤と紫の閃光を浴びながら窶痩( ろうそう )した姿を中空に突出している・・・
死骸の顔面も、宮殿の額部も、半円形の寺院の禿頂(とくちょう)も、劇場の髑髏も、『 島 』の星を掃き落とす森の梢も、ヴイボルグ工場の数十本の煙突も、只悉く赤い光に包まれている。
不思議な、崇厳な、濃厚な赤色は無限に美しく、バルチック海に面した露都の秋の落日は斯様に華麗である。」
ロシヤ密偵局の寵児・探偵イワン・ピヨトロウイッチの所に一通の手紙が舞い込んだ。ペトログラードから、列車で二、三時間のツァール・ウスコエセロの瀟洒な邸に住む病んだ青年事務官アンドレ・アンドレウチッチからの手紙で、国家的重要機密書類を何者かに盗まれたという。
全文独逸(ドイツ)語の二十六項目の長い文章。
実は犯人はアンドレの許嫁の兄・ボリス・ペトロフで、株に手を出し大損し、咽喉から手が出る程に経済的危殆に瀕していた真っ只中に、偶然卓子(テーブル)の上に国家的機密情報書類が拡げてあるのに遭遇し、咄嗟、外国に売れば大金になると、懐に隠したのが発端。
その文書、窃盗団一味の首領・ゴネツキーが横取りして逃げたはいいが、オデッサの街中で、慌てて馬車に駆け込む際、ポケットから落としてしまう。それを偶々目撃していたピヨートル・ゲラシモウイッチ大尉に拾われる。重要な書類と認め、自ら外務省に届けようとして、滞在中のモスクワ・ロセストヴェンスカヤ旅館で二十四五歳の、目の蒼い、特有の輝きを持った女ペトロウナに盗まれる。彼女と夫ゴネツキーそして数人の男達との窃盗団の仕業であった。今度は彼女達を中心として機密書類が変転してゆく。
オデッサのとある色褪せた民家の中に、ボルンスキー中尉とその妻に化けてペトロウナとゴネツキーたちが、英国帽の男ブロッホ、実は露系ドイツ人(有名な密偵)を招き入れ、偽の機密書類を渡し五万ルーブルをまんまとせしめたあげく、突入して来たイワンたちにブロッホを逮捕までさせ、高笑いしながら逃げ去った。
モスコー郊外の、以前はペトログラードの貴族のものであった周りを植木で囲われた一軒の別荘に、数日前から人目を引く一団が移り住んでいた。
三十代中頃の伊達男と魅力的な眼元の若い女の主人、つまりボルンスキー中尉とペトロウナ。そして三人の下男を装った配下たち。
屈強で粗野な感じの門番ゲラシン、浅黒い肌の猶太(ユダヤ)人らしき男。
今度は英国の密偵をターゲット。
「 昨日、荒くれた雑談に、不穏な言辞を弄していたあの男達( ゲラシン達 )も何處へ用達に出かけたか、殺風景な胴間声も聞こえず、静かな秋の陽の下に、辺りは一様に和やかな気に満ちていた。
今しも、此の家の奥の間では、女主人と、遠来の客、英吉利人らしい立派な服装の紳士との間に、楽しげな会話が続けられていた。
『 綺麗にからんだ、この頭飾(かみかざ)り
可愛いゝまゝに置きしゃんせ
絹の覆面かなぐりすて、
妾(わた)しや、気儘になりたいわいな。』
途切れ勝ち乍ら、尚も唄女の心憎い小唄の戦慄を窓越しに聞かれて、此處は可成り広く仕切られた奥の一間。」
一昨年、モンテ・カルロのカジノでペトロウナと知り合ったアスボーン、英国倫敦(ロンドン)に本部を持つ無名局の密偵で、もう十年余り、欧羅巴(ヨーロッパ)大陸全土に渡って放浪の旅を続けていた。
ペトロウナの奸計に陥れられたアスボーン、機密書類買取代金の五万留(ルーブル)をまんまと騙し取られただけじゃなく、ペトロウナと一緒になれると歓喜すら覚えたのも束の間、冷酷に毒殺を計られた。が、罠と気付き、永遠に消えゆく意識の最中、最後の力を振り絞っての撃鉄の一絞り・・・彼のピストルから鋭く放たれた弾丸は、女賊ペトロウナの細い身体を貫いた・・・断腸の煉獄への道連れ一擲。
「 翌日、モスコー市内発行の大小諸新聞紙は、一斉に筆を揃えて、仰々しくもセンセーショナルな見出しをつけて、昨夕の事件の報道をした。
捜索中なりし某重大犯人女白波(おんなしらなみ)の最後と怪英国人の悲惨たる毒死 !
又、
大挙して踏み込める警官隊の狼狽 !
重要目的物、遂に当局の手に入らず。」
【注】 白波 : 中国・後漢末期の黄巾の乱の残党の匪賊( 盗賊 )たる白波賊の故事 に因んでの盗賊の代名詞。
今回も土壇場に突入したイワン、束の間の油断で、ペトロウナとアスボーン以外の第三者が部屋に侵入し肝心の物を手にしたまま庭先から逃亡してしまったことに、慚愧の念に囚われてしまった。
「 若し『密書』が外国政府の密偵(スパイ)の手に這入る様な事にもなれば、彼は此の最も迅速にして効果ある手段を選ぶに躊躇する様な事はないであろう。その危険は二度あった。当局の頭を悩ませた事は実に此の一時で、ペトログラード、モスクワ、其の他の都市の電信局には、総て腕利きの角袖( =私服刑事 )を張り込ませ、一方、国境地方の鉄道駅等には、絶間なく、彼等の眼が光っていた事を聞けば、如何に当時の政府が、『密書』の国外漏洩を恐れていたかが覗われよう。」
「 断る迄もなく欧州の天地が、刻々不安の気に鎖(とざ)されて行こうと云う、開戦一年前、一九一三年もすでに半ばを過ぎた初秋の頃である。
九月の初め。
西南の都、ワルソー(ワルシャワ)市街を流れるウースツュラ(ビスワ)河の片畔を轣轆(れきろく)と軋り走って行く一台の四輪車(ドロシキ―)があった。
乗客と云うのは、三十五六の美髯の紳士、何處か見覚えのある男で、そわそわと落ち着きのない不安な色が顔に現れているのも、いぶかしいが、見返り勝ちに、無言の儘、何處をさしてか、御者に鞭うたせる。
と、先刻から、その後を一定の間隔を置いて、影の如く跟(つ)けて行く、是も又一台の四輪馬車がある。
乗った男は、英国人らしい、精悍の気が眉宇に迫った一癖ありげな人態(にんてい)、此の物語には初め御目見得と見えた。」
( 挿絵は松野一夫。当時、推理・探偵物専門雑誌『新青年』を中心に、挿絵で一世風靡。西洋人の風貌を描ける画家として、江戸川乱歩すらも太鼓判。掲載の2点は、左右2ページに分かれていたのを一画面にしたものだけど、当方の技術的未熟さのため、とりわけ上図はかえって妙なものになってしまった。但し、一画面にすることで、もっと迫力のあるものとなっているのは確か。)
その日の昼頃、ウースツュラ河の畔で奇怪なる殺人事件が起った。
国外逃亡の要衝と見ていたイワンも早々とワルシャワ(帝政ロシアの頃は、ワルシャワは長年ロシア領に併属させられていた)に赴き、警察本部で情報を探ろうとして、早速この事件の報に接し現場に急行した。
「 真っ先に乗り込んだ警察医は、被害者の身体を診察し終わると、こう呟いた。
『 成程、余程格闘したな。此のピストルは三発迄、発射されている。』
と刑事の中の誰かが其の時、
『 彼奴(あいつ)だッ ! 、失敗(しま)ッた ! 』
突然、医師の背後から覗き込んでいた男は、死人の顔を一目見るなり、非常に激動したらしく、叫んだ。
『 一足遅れた。恐ろしく耳敏い奴があったものだ。鞄を探して呉れ。ゴネツキーだ ! 』
おお ! そう云えば、未だ記憶に新しい、数日前無惨の最後を遂げた哀れな狂言作者ペトロウナの夫ゴネツキーの死骸。」
無惨な姿で横たわったゴネツキーを眼の当りにして切歯扼腕のイワン、それでも殺害されたゴネツキーの英国人に掻き回された鞄の奥に、「奇怪な形をした文鎮様の置物が発見された。高さ一尺許り、印度の悪魔を現した銅製の立像である。」
恐らくはヒンディー教の神像であろう。
今夏の紹介記事じゃ、その置物人形=悪魔立像に仕掛けがしてあった旨既述。
目撃者の御者の話では、犯人の客と御者は互いに英語で会話していたという。
「 イワンは、半日の奔走に疲労した身体を休めるつもりで、ワルソー市内でも有名な、とあるカフェーの扉(ドア)をくぐった。社会実相の種々なる場面を覗うには、斯うした所は、多くの場合、非常に有効な物である。其処には色々な階級の人が集まる。そして酒の気に溢れた雰囲気は混然とした時相の渦巻きである。イワンは、事件の探索に行き詰まった時、よく斯う言う人の多く集まる場所へ出かけては、視界の展開を計る事にしていた。」
「 『彼奴( あいつ )だ ! アスボーンと親交のあったモリスに違いない ! 』
彼は、思わず心の内で、斯う叫んだ。
すると、今まで悩んでいた、不可解な諸相が、瞭然として氷解した。
モリス、ーー姓はウィリアムと云ったはーー仏蘭西系の英吉利人で、ペトログラード駐 在の英国大使館付事務官を名としてかたわら、外国の政治上の秘密を嗅ぎ出す事 を職業としていた男だ。」
幾らもしない内に、大胆にも、イワンの泊まっている旅館ワルシャワの部屋にモリス一味が深夜に忍び込み、件の印度の悪魔銅人形を盗んで行った。表で警察も見張っていたはずが、またぞろ、まんまと逃げられてしまった。
それでも、遂には、露独国境にほど近いブロツクの町で包囲網の中を散々逃げ回った挙句、モリスは逮捕。
露仏秘密条約が無事締結され、公に発表されたのは、モリス捕縛の翌日だったというお粗末。かくて、欧州・世界は、世界大戦へと直走ってゆくこととなる。
今般のロシア=ウクライナ戦争でも、かかる前哨的な権謀術数・暗闘が世界を舞台に繰り広げられていたのか、あるいは現紛争はあくまでやがて来るべきものの前哨戦に過ぎないのか、だとすると、現在でもその回避ではなく、実現のための権謀術数・暗闘が( 現今ではマス・コミすら動員して )展開されているってことになる。
第二次世界大戦終戦から既に80年近く経った現在の、この前-第一次世界大戦的状況を見て、黒石、一人、未明の長崎・阿弥陀橋の欄干の上で佇み、如何なる想いを抱懐するのであろうか。
《 四輪馬車物語 》 大泉黒石
月刊 《 雄弁 》 大正15年(1926年) 7月号~12月号 (六回連載)
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